第18話 来訪者はかく語りき

 時間感覚は無くとも、人間というのは、生理的な現象としてお腹が空くし、眠くもなる。

 そんなわけで、適当な頃合いを見計らい、あたしは大休止の指示を出した。

 そして、マリアの手による、携帯食料が材料とはおおよそ思えないような、凄まじく豪勢な食事の後、交代で見張りを立てながらの仮眠タイムに突入した。

 そんなわけで、栄えある見張り担当一番手は、他ならぬこのあたし。

 他のみんなは、あたしのすぐ脇で、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。

「そういや、思わず三時間交替なんて言っちゃったけど、誰も時計なんて持っていないのよね」

 ふと気が付いてしまい、あたしは思わずそんな事をつぶやいてしまった。まあ、大したことではない。なにしろ、時間が分からない事は皆同じ。適当な頃合いを見計らって、次の担当者であるマリアをたたき起こせば済む話だ。

 まあ、寝ているマリアからすれば迷惑な話だろうが、とにもかくにも一方的に決めつけて満足したあたしは、右足のホルスターから拳銃を引き抜き、シリンダーの中の残弾を確認すると、足を投げ出すようにしてその場に座り、背中を壁に預けた。

 辺りは三人から漏れてくる寝息以外の音はなく、今のところは平穏そのものである。

 しかし、基本的に移動しない罠はともかく、あの「オオカミ」のような魔法生物は、当然のようにあちこちを俳諧しているのだ。

 こちらが休息中とはいえ、もちろん、そういった輩がなにかしら配慮してくれるわけもなく、いざという時は、あたしが真っ先に矢面に立たねばならない。そう思うと、ちょっと前のあの一件が脳裏をよぎり、思わず身震いなどしてしまう。

 マリアの魔術によって、もはや傷の痛みは感じないが、あの時の記憶はそう簡単に消えてくれるものではない。

 ……ふぅ。交代するまでは、なんか面倒なヤツが出てきませんように。

 などと、とりあえず、小さな頃にお師匠から散々聞かされた、『魔道院の中庭の端っこに転がっている岩に張り付いたヒカリゴケの神』とかいう、とてつもなくクソ怪しいシロモノに祈りを捧げるあたし。

 しかし、あたしの祈りは、「魔道院の(以下略)」とやらの御心には届かなかったのか、それとも、端からそんなもんは存在しなかったのか、その直後に、あたしの耳は微かな音を捉えた。

 ……ん、靴音か?

 反射的に気配を消し、その音が聞こえてくる方向、これから向かおうとしていた進行方向……に銃口を向けながら、あたしはその音を分析した。

 あたしの経験上では、魔法生物の類が靴なんぞ履いているというケースは、非常に希なことである。となれば、この靴音は盗掘者かなにかである可能性が高い。

 そして、これもあたしの経験上での話なのだが、魔道院から派遣された調査隊と盗掘者が、遺跡の中でばったり出会ってしまった場合、まずはお互いに友好的な挨拶を交わす……などという生温い展開はまずない。

 これは、彼我の装備や人数の差によって異なるのだが、最良でも小競り合い程度は発生するし、最悪の場合は、どちらかが全滅するまでの死闘になる事もある。

 ……ある意味、これは魔法生物よりも厄介かもね。

 銃を構え、乾いた唇を嘗めながら、あたしは胸中でそうぼやいた。

 本来なら、この期に及んで、まだ寝転けているみんなを起こすべきなのだろうが、最初は微かに聞こえてきた靴音と思しき音は、もうかなり大きな音量になっている。

 それどころか、闇の向こうから、ランプと思しきオレンジ色の光まで見えるような状況なのだ。

 残念ながら、今さらみんなをたたき起こして、現状を説明している時間はない。こうなったら、いきなり不意打ちをぶちかまして、いち早く主導権を握るのみ。

 ちょっとした衝撃で破損しやすく、しかも、灯り油だのなんだのといった消耗品が必要なランプを使っているところから、相手が魔道師ではないと察したあたしは、こっそりと脳裏に『構成』を浮かべた。

 といっても、これは攻撃魔術ではなく、『光明』の魔術である。もちろん、この魔術には直接的な殺傷力はないが、こちらに近づいてくる靴音の主が、確実に盗掘者であるという確証はない。あたしたちより先に派遣されたという、調査隊の生き残りという事もありうるわけだし、あまり無茶な事をするわけにもいかないだろう。

 そうこうしているうちに、足音とランプの光が徐々に大きくなってきた。

 ……遺跡探索の鉄則、その二。歩く時は、無闇に音を立てるべからず。

 どこの誰だか知らないが、少なくとも、熟練の遺跡探索者というわけではないらしい。

 さてと、相手に対する洞察はここまでにして、そろそろぶちかましますか。

「動かないで!!」

 そう叫びながら、あたしは『光明』の魔術を解きはなった。

 瞬間、闇に包まれていた通路に、真夏の昼間並の光が溢れる。

 うぎゃあ、目が眩んだ。自爆してどうする!!

「……あら、誰かと思ったら、マールじゃないの。こんな所で、一体なにをやってるのよ?」

 と、我ながら間抜けな事に、思いっきり狼狽えまくるあたしとは裏腹に、非常に落ち着いた女性の声が聞こえてきた。

「むっ、その声は……。もしかして、エリナ!?」

 反射的にそんな声を上げながら、ようやく明るさに慣れてきた目を擦りつつ、あたしは相手の姿を確認した。

 肩までで綺麗に切りそろえられた黒髪に、少し端がつり上がったいかにも気が強そうな相貌。その髪の毛の色とお揃いにしたかのような、やっぱり黒のゆったりとしたローブという、この上なく魔道師っぽい姿形をした、見覚えのあるその女性。

 見た目こそはせいぜい十代後半といったところだが、なんと、お師匠の「師匠」だったこともあるという。実はこっそり歳を食っている彼女の名は、エリナ・ムラセという。ちなみに、あたしと彼女は、友人と言ってもいい程度の仲だ。

 あっ、思い出した。そういや、最初にローザが見せてくれた資料の中に、調査隊の副隊長という役回りで、彼女の名前があったっけ。

 前言撤回。彼女は素人どころか、遺跡探索ではお師匠と肩を並べる程の、ベテラン中のベテランである。

「あらあら、別に驚く事じゃないでしょう。どこかに記録が残っていると思うけど、魔道院からの要請で、調査隊の正式な一員として派遣されたんだから。……あたしにしてみれば、むしろ、マールがここにいる方が驚きなんだけど」

 と、言葉の内容のわりには、ごく淡々とした口調でエリナはそう言ってきた。

「あっ、それね。実は、あなたたちを探しに来たのよ。もちろん、魔道院からの要請でね」

 と、あたしがそう言うと、エリナはピクンと眉を跳ね上げたが、すぐに弱々しく首を横に振った。

「なるほど。つまり、あたしらは失踪扱いって事ね。まっ、ちょっと癪だけど、この有様じゃ文句も言えないか……」

 そう言って、エリナは自嘲気味の笑みを浮かべた。

「あ、あのさ、本当はこんな事聞きたくないんだけど、こっちも正式に報告書に残さなきゃならないから……。ごめんね」

 そんな彼女の様子を見ると、あたしとしてもかなり気が引けるが、しかし、やるべきことはやらねばならない。

 無理矢理気持ちを切り替え、あたしはまずそう前置きしてから、意を決して酷く意地悪な質問を投げた。

「緊急調査隊の隊長として、あなたの隊の現状報告を求めます」

 と、あえて事務的な言い方でそう言うと、エリナは軽いため息を付いてから、こちらを睨み付けるようにして、じっとこちらを見つめた。

 もちろん、いちいち聞くまでもなく、エリナの調査隊がどうなったかは見当がつく。

 はっきり言って、あたしだってこんな事は聞きたくない。

 しかし、ローザが受けた任務は、この遺跡の調査に加え、エリナの隊の消息確認も含まれていたはずである。

 となれば、あとで提出する報告書には、エリナと出会った事と、彼女の口から自分の隊がどうなったかという話を聞き出し、それを記さねばならない。

 もっとも、この場に魔道院院長代理であるマリアもいるが、それでも依頼は依頼だし任務は任務だ。

「はいはい、分かってるわよ。ご覧の通り、あたしたちの隊は壊滅よ。詳しい事は、後でこっちの報告書に書くけど、手始めに地上の調査をしていたら、いきなり「監獄」に放り込まれた挙げ句、なんと、そこで『業火を統べる者(レッド・ドラゴン)』さんとご対面するハメになってね。死ぬほど苦労して、何とかこのバケモノを細切れにしてやった時には、その場で呼吸していたのは、あたしだけになっていたわ」

 と、非常にサバサバした口調でそう言って、エリナは小さく肩を竦めた。

 ……レッド・ドラゴン。

 全身を赤い鱗で覆ったこの怪物は、この世界のあらゆる物を一瞬で蒸発させるほどの熱量を誇るという、強烈無比な「炎の吐息(ファイア・ブレス)」を最大の武器に持つ竜族の一員である。

 他の竜族と同様、今ではその姿をほとんど見る事が出来ず、ほとんど伝説上の生き物扱いされているが、それでも、滅多な事では誰も踏み入らないような険しい山などに行くとごく希に遭遇することもあるし、こういった遺跡の中には一種の「番犬」として放たれている事もある。あたし自身、前に一度だけ、遺跡を探索している最中に、このレッド・ドラゴンと相対した事があるのだが……。はっきり言って、あれはシャレにならない。もう、なんとか逃げるだけで精一杯だった。

 あんなヤツがこの遺跡にいるというだけで、もう十分過ぎるほど衝撃的な情報なのだが、その上、多大な犠牲を払いながらも、あれをブチ倒したとなると……。もはや、感覚が麻痺して、なにも思い付かない……。

「って、なにいきなりボケた顔してるのよ。言っておくけど、これは適当にでっち上げた嘘じゃないわよ。マジで死ぬかと思ったんだから!!」

 と、あたしがぼんやりしてしまっていると、何か勘違いしたらしく、エリナは猛然と抗議してきた。

「い、いや、嘘にしては出来が悪すぎ。って、そうじゃなくて、別に疑ってるわけじゃないわよ。単に、驚きすぎてなにも言えなかっただけ」

 あたしがそう言うと、エリナはきょとんとした表情を浮かべた。

「へぇ、あんたでもそんなに驚く事があったんだ。あたしはまた、てっきりどっかの世界から送り込まれてきたターミ○ーターだとばかり思っていたんだけど……」

「また、わけの分からない事を……。まあ、その様子じゃあ、もう大丈夫みたいね」

 本気で得体の知れないセリフを発するエリナに、思わずため息など交えてしまいつつ、あたしはそう言った。なんじゃい、たーみ?? まあ、いいわ。

 なにはともあれ、エリナがすでに遺跡を探索出来るだけの、十分な落ち着きを取り戻している事だけは分かった。

 遺跡に潜る以上、それ相応のリスクがある事は覚悟の上だろうが、これは皮肉などではなく、なかなか大した精神力である。

「もちろん。反省会は後でも十分出来る事だしね」

 そう言って、エリナはニッと笑みを浮かべた。

 もっとも、これが本心からの言葉ではないと思うが、少なくとも、今は地上に戻る事に専念するべき状況である。

 実は、ローザの資料にあった名簿には、あたしの恩人とも言える人の名前もあったのだが、一番辛いはずの彼女がこれなら、あたしも考えるのは後回しにしよう。

「って、それはまあいいとして、あんたやクレスタはともかく、なんでマリアがここにいるのよ。それに、もう一人のその女の子って、確か薬草園のお手伝いさんじゃなかったっけ?」

 と、いきなり口調を変え、エリナが呆れたようにそう言ってきた。

 ……や、薬草園のお手伝いって。

 ローザ、あんたの首にぶら下がっている、その上級魔道士証が泣いてるぞ。

「ま、まあ、これには色々と事情があるのよ。ちなみに、その『薬草園のお手伝いさん』は、ローザ・デミオって言う名前で、一応、これでも上級魔道士よ」

 人事ながら、ちょっぴり切ない思いを味わいつつ、あたしはエリナにそう返した。

 すると、彼女は驚いたように目を大きく見開いた。

「へぇ、最近じゃあ薬草園のお手伝いなんていう、本気でどーでもいいような仕事にも、高給取りの上級魔道士を充てるのね。なんつーか、豪儀なことで」

 ……うーむ。どうやら、嫌みでも何でもなく、彼女は本気で驚いているようである。 しかし、寝ているとはいえ、本人を前にしているにも関わらず、そのあからさまにイジメているとしか思えない発言は、いかがなものかと思うんですけど。

「まあ、お手伝いの上級魔道士だろうとなんだろうと、所詮は遺跡探索の素人に変わりはないって事ね。なんていうか、一応、あたしらを助けに来てくれたみたいだから、文句を言う筋合いじゃないってのは分かってるけど……。もしかして、あんた。遺跡ってモンをナメてるでしょ?」

 キッとこちらを睨むエリナ。まあ、無理もない。もし、お互いの立場が逆なら、きっとあたしも同じ事を言っただろう。

 しかし、これはあたしの人選ではない。そもそも、こんな仕事をローザに押しつけたマリアが悪いのだ。そんな、なんとも言えないやり切れなさのような気持ちを心に抱きつつ、あたしは静かに首を横に振った。

「あなたも知ってるとは思うけど、あたしはもう魔道院とは関係ない人間よ。名前だけ院長になってるけど、これは死なないと退任出来ないだけ。それにも関わらず、あたしがこんな場所にいるのは、そこで寝転けてる『お手伝いさん』の手伝いをしてくれって、マリアから依頼されたから。……あたしが何を言いたいのか、エリナも分かってくれるわよね?」

 なんか、もうどうでも良いような気持ちでそう言うと、エリナはハッとしたような表情を浮かべた。

「そーいう事か。いてもいなくてもどーでもいいような給料泥棒に、暫定『特一級』レベルの遺跡探索なんて無茶な任務を押しつければ、どれだけ有能なサポートが付いていても、その結果は明らか。つまり、あたしらの救出というのは建前で、本音は、勝手に魔道院を飛び出した厄介者を体良く始末したかったってことね」

「ほえっ?」

 全く予測していなかった発言がエリナの口から飛び出し、あたしは思わず変な声を上げてしまった。

「はぁっ。もしかして、気が付いていなかったの!? あのねぇ、よく考えてもみなさいよ。自分で言うのもなんだけど、それなりに遺跡探索の実績を残しているあたしらが遭難したっていうのに、その救助隊に、なんで薬草園のお手伝いさんが起用されるのよ?」

「そ、そう言われてみれば、確かに……」

 今まで考えもしなかった所を突かれ、あたしは思わずモゴモゴとそう返してしまった。

 ……なんで今まで気づかなかったんだろう。ローザが持っていた調査隊の名簿に記された名前は、エリナもその他の人たちも、それ相応の実績も経験もある猛者ばかりである。

 いくら人手が無かったとはいえ、そんな連中が遭難するような遺跡に、超ド素人のローザなんぞを派遣した日には、その結果は火を見るより明らかである。

 まして、通常の場合でも、未調査の遺跡を調査する場合は、ベテランのみを集めた基本編成を二組、合計八名以上で調査隊を編成するのがセオリーなのに、魔道院が直に送り出したのは、よりによって彼女のみ。

 いくらあたしがサポートに付く事が織り込み済みだったとはいえ、いくらなんでも、あたし一人でベテラン八人分の仕事など出来るわけがない。

 素人が一人に、お師匠一人分の経験すらない小娘一人。そんなパーティが遺跡に踏み込もうものなら、「特一級」どころか、ベテラン達の間で「探検ゴッコにもならない」と言われる、最下級の「四級」レベルの遺跡ですら、たちまち遭難すること請け合いである。

 はっきり言って、これは怪しいどころの話ではなく、もはや、有罪確定と言ってもいいだろう。ったく、もっと早く気づけよ。あたし。

「もう、『確かに』じゃないわよ。大体、院長という身にありながら、いきなり魔道院を飛び出すなんていう、前代未聞の珍事をやらかしておきながら、あんたは警戒心がなさすぎるわよ。まあ、今でこそ、表だっては騒いでいないみたいだけど、魔道院ってもんがそんなに素直じゃないことぐらい、あんただって分かっているでしょうが」

「はぁ、ごもっともで。返す言葉もありません……」

 さらに畳みかけるように飛んできたマリアの言葉に、あたしはただただうなずくしかなかった。

 もっとも、「珍事」っていうのだけは、素直に承服しかねるところがあるけどね。

「……あれっ、ずいぶん聞き分けが良くなったわね。いい心がけだとは思うけど、あたしとしては、なんか張り合いがなくてつまらないわ」

 ……こ、こいつは。

 そ、そりゃあ、魔道院時代のあたしは、どう考えても素直だとは言い難い、ひたすらムカつく糞ガキだったという自覚はあるけど、一応、これでも少しは物を考えるようになったというか、なんというか・・・。

 まあ、別にいいけどね。

「ふぅ。まあ、それはともかく、そういう企みにまんまとはめられたって分かった以上、あたしとしても……あれ、ちょっと待って。じゃあ、なんでそのマリアがここにいるの?」

 ふっと思いついた事をそのまま口にしてみると、エリナが止まった。

 エリナの説を肯定するためには、マリアはここにいてはいけないはずだが……。

「それは……」

 背後に小さな気配が起きた。

「あら、欠席裁判というのは、あまり褒められた事ではありませんね。この場合、『被告人』の弁明を聞いてから、判決を下すのが筋というものでは?」

 と、背後から聞こえてきたこの声は、紛れもなくマリアのものだった。

 反射的に振り向くと、いつの間に起き出してきたのか、小さく笑みを浮かべたマリアが、あたしのすぐ近くに立っていた。

「おっ、さすがに起きたわね。魔道院院長代理殿」

 あたしが言葉を発するより先に、エリナがなにやら含みがある声でそう言った。

「いくらなんでも、あれだけ大きな声が聞こえれば、嫌でも目が覚めますよ」

 と、苦笑混じりに、マリアがエリナにそう返した。

 ……そーいや、あたしたちって、普通に立ち話するぐらいの声で話していたわね。

 それなりに遺跡探索の心得がある者なら、例え仮眠を取っている最中でも、小石が落ちた程度の微かな音でさえ、敏感に反応して目を覚ますものである。

 ……ま、まあ、ローザはともかく、経験豊富なはずのお師匠までもが、この期に及んでまだ寝こけたままなので、あまり説得力がないかもしれないが、これは例外中の例外。

 もはや、豪快というか非常識というか、とにかく人並みはずれた彼の大雑把な性格に起因する特異例なので、この際きっぱりさっぱり無視していただこう。

「まあ、そりゃそうか。……で、あたしの話はどこから聞いていたのかしら?」

 と、これまた妙な含みのある声で、エリナはマリアにそう言った。

「もちろん、最初から聞いていましたよ。ただ、あなたとマールの会話がちょっとおもしろい方向に進んでいったので、今まで黙っていましたけどね」

 なにか、妙な気配を漂わせるエリナをいなすように、マリアはごく自然な口調でそういって、小さな笑い声を漏らした。

 ……むっ。なんか、嫌な風向きねぇ。

 こりゃあ、もしかしたら「大嵐」が吹き荒れるかな?

「ふーん。それじゃあ、話は早いわね。さて、どう弁解しますか。魔道院院長代理殿?」

 どうやら、あたしの心配は的中したらしい。

 実にねっとりとした声で問いかけたエリナの声には、怒気どころか殺気のようなものまで混ざっていた。

 ……返答次第じゃ容赦しないってことか。こ、こりゃ、ヤバイかな。

 そりゃあ、謀略のために自分たちが餌にされたとなれば、エリナならずとも胸中穏やかざるものがあるだろうが……。

 しかし、皆から敬意とある種の畏れを込めて「最後の賢者」と呼ばれ、その名をアストリア王国内外に轟かせたエリナ・ムラセと、まだ若いながらも決して非凡ならぬ才を持つ、現役魔道院院長代理のマリア・コンフォートが真っ正面から衝突すれば、それがどんな結末をもたらすか、それこそ全く予測不能である。

 少なく見積もっても、ここにいる全員は確実に蒸発する事は確実。最悪、アストリア大陸が丸ごと吹き飛ぶ可能性すら、決して否定できない。

 なんだか、血でも吐きそうなプレッシャーを感じつつ、あたしはせめてもの自衛策として、最大級の防御魔術の「構成」を脳裏に思い浮かべた。

 もっとも、この二人の化け物を前にして、この防御魔術がどこまで役に立つか分からないが、なにもしないよりはマシだろう。

 などと、かなり悲痛な覚悟を決めたあたしだったが、しかし、次のマリアの反応は、極めて冷静だった。

「まあ、どう弁解したところで、つまらない言い訳のようになってしまう事は、私も分かっています。しかし、だからこそ、これから先は真実しか語りませんので、そのつもりで聞いていてくださいね」

 と、マリアは落ち着いた声でそう切り出し、こちらの反応を見るかのように一息ついた。

 すっかり別の事に気を取られていたあたしはともかく、意外なことに、露骨に敵意のようなものを見せていたエリナは、ただ静かにうなずいただけだった。

 この様子だと、どうやら最悪の事態は避けられたようである。

「実は、この『未確認の遺跡』の調査に、エリナさんたちの隊を送り出してから、一週間ほど経った時に、調査部の方から私に『緊急調査中止要請』が申し入れられたのですよ」

 マリアがそう言った瞬間、エリナはピクリと眉を跳ね上げた。

「『緊急調査中止要請』ですって。なんでまた!?」

 さすがにこれは驚いたのか、エリナはまるでマリアに噛みつかんばかりの勢いで、素っ頓狂な声を上げた。

 『緊急調査中止要請』とは、実際に魔道院で遺跡調査や発掘品の管理・研究を担当する部署である調査部から、書類上の調査命令発令者である院長に対して行われるものである。

 もっとも、形式的には『要請』となっているが、この要請が出されると、原則的に院長はそのまま正式に『調査中止命令』を出す事になるので、実質的には『命令』と言い換えてしまってもいい。

 ともあれ、あれだけの大人数で、まさか、あたしたちのように鉄道移動するほどの予算はないだろうし、せいぜい、魔道院が借り上げた駅馬車で移動といったところだろう。

 となれば、エリナたちが魔道院を経ってから一週間では、ポート・ケタスに到着するどころか、まだまだペンタム山脈すら越えていないはずである。

 しかし、この緊急調査中止要請が出されるタイミングは、調査中の遺跡で対処不能な事態が発生するなどして、遺跡調査が極めて困難であると判断された場合がほとんどで、最初の調査隊が、まだ目的の遺跡に到着すらしないうちにこれが出されるのは極めて異例……というか、あたしが知る限り、初めての事である。エリナが驚くのも当然だ。

「ええ、さすがに私も驚きまして、調査部に詳しい説明を求めたところ、なかなかおもしろい答えが返ってきましてね」

 そういって、マリアは意味深な笑みを浮かべた。

 これは、さすがにあたしも興味を惹かれずにはいられない。

 ほとんど無意識のうちに、体をわずかにマリアの方に乗り出すようにして、あたしはじっと耳を傾けた。

「もう、変にじらさないでさっさと話してよ!!」

 と、こちらも興味津々といった様子で、エリナがなんとなく苛ついた声を上げた。

「『世界に終焉をもたらす者(ルクト・バー・アンギラス)』。エリナさんもマールも、当然これはご存じですよね」

 マリアの口から、その恐るべき名がこぼれでた瞬間、あたしは思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。

 「ルクト・バー・アンギラス」。遺跡探査に関わる者で、この名を知らなければ、モグリか駆け出しのひよっこである。

 現代語訳で「世界に終焉をもたらす者」という、実に禍々しい意味を持つその「存在」は、数千年から数万年規模の大昔から現在に至る歴史の中で度々その姿を現し、その名が示す通り、瞬く間に世界を破滅させたという。

 しかし、この手の「伝説」はその信憑性に乏しいというのが常で、この「ルクト・バー・アンギラス」に関しても、大昔で発生した大災害やらなにやらの記録を、その後世の誰かが、適当にひとまとめにしてでっち上げたものというのが、現在の解釈である。

 ちなみに、直近の「出現事例」は、今から五百六十年ほど前で、この時は「偉大なる魔道士」アリス・エスクードと、「異界の賢者」エリナ・ムラセの奮闘によって、辛くも危機を脱したという話である。

 ……まあ、何の因果か、この「偉大なる魔道士」とあたしは同じエスクード姓だったりするので、なまじ本名を名乗ると、かえって偽名だと思われる事も多々あったりする。余談だけど。

 話がそれたが、はっきり言って、この「ルクト・バー・アンギラス」に関しての話は、どれもこれもが似たり寄ったり。はっきり言って、胡散臭いこの上ない。

 マリアのやつ、なんだってそんな嘘くさい話の「登場人物」なんて持ち出したんだか。

 少々あきれてしまったあたしだが、しかし、エリナの反応はそれとは全く対照的だった。

「まさか、ヤツの「欠片」がここに封印されているとでも?」

 と、少なからぬ緊張感を漂わせながら、エリナはマリアにそう問いかけた。

「ちょ、ちょっと、なに真面目にアホな話してるのよ?」

 その彼女の様子に面食らってしまい、あたしは思わずそう突っ込みを入れてしまった。

 ちなみに、伝説によれば、先のアリス・エスクードたちとの戦いで、「ルクト・バー・アンギラス」の体は3つに分断され、それぞれの「欠片」はこの世界のどこかに堅く封印されているという事になっている。

 まさか、エリナってば、こんな嘘くさい話を真面目に信じてるってわけじゃないでしょうね?

 思わず胸中でそんな事をつぶやいてしまったあたしだったが、しかし、こちらに視線を向けた彼女の表情は、酷く真剣そのものだった。

「言っておくけど、『ルクト・バー・アンギラス』の伝承は、酔っぱらいの与太話でもなければ、後世の歴史家が創作した作り話でもない。正真正銘の真実よ」

 と、クソ真面目にエリナがそう言ってきた瞬間、あたしは思わず吹き出してしまった。

「あはは……。もう、エリナさんともあろうお方が、なにをワケの分からない事を言ってるのよ。最近の話でも、五百六十年も前の話だっていうのに、まさか、直接見てきたとか言わないでしょうね?」

 こみ上げてくる笑いによる腹筋の痛さに辟易しつつ、あたしはエリナにそう返した。

 この時は、エリナのつまらない冗談かなにかだと思っていたのだが、しかし、あたしの予想に反し、彼女はなにやら深刻そうにため息を一つついた。

「ふぅ……。やれやれ、さんざ苦労してヤツをブッ倒したってのに、今の連中がこれじゃあやってられないわね」

 と、なにやら意味不明な事をぼやくエリナ。

 もしかして、疲れすぎかなにかで、ついにイっちゃったんだろうか。この見た目だけ若いオバハン。

「マールさん。この『ルクト・バー・アンギラス』に関しては、ある意味であなたにも無関係ではないんですよ」

 あたしがエリナに対する言葉に窮していると、まるで諭すかのような口調で、マリアがそんな事を言ってきた。

「ちょ、ちょっと、あんたまでなに妙なこと言ってるのよ。まさか、『ルクト・バー・アンギラス』の話は、あたしの『本当の親』が作ったとか?」

 マリアの真面目な様子に、なんとなく居住まいが悪くなってしまったあたしは、そんな軽口を返すのが精一杯だった。

「いえ、そういう事ではありません。今から五百六十年前、賢者エリナと共に『ルクト・バー・アンギラス』を打ち倒したアリス・エスクード。彼女は、『四大精霊』の力を全て等しく行使出来たといいます。……この辺り、誰かさんと非常に似通っていると思いませんか?」

 そう言って、マリアは小さく笑みを浮かべた。

 彼女の言う『四大精霊』とは、すなわち『火』『水』『風』『地』という、この世界の根幹であり、また、魔道師たちが使う魔術の力の源である、4つの『力』の総称である。

 この世界で生まれた物には、例えそれがどんな物であっても、その全てにこの四大精霊の力が宿る。魔道師は自分の体内に宿った精霊力である『潜在精霊力』を引き出すことで、様々な魔術を『具現化』しているのだ。

 全ての物に宿るという四大精霊の力だが、『火』に対する『水』、『水』に対する『地』、『地』に対する『風』というように、それぞれが反発しあう性質を持っているため、個々によって、そのバランスが大きく異なる。

 わかりやすく人間で例えるが、マリアが『地』と『火』の力が強く宿り、その他がそこそこであるのに対し、ローザが『水』の力が著しく強く、反対に『火』の力がほとんどゼロに近いと言うように、誰もがなんらかの「得意分野」と「不得意分野」というのが出てくるのだ。

 しかし、世の中なにかにつけ例外が発生するもので、数十年に一度発生するかどうかという、極めて稀なケースだが、四大精霊の力がほぼ等しく、しかも、かなり強力に宿った「特異体質」を持って生まれてくる場合がある。

 この「体質」を持っている者は、四大精霊全ての系統の魔術を使いこなす事が可能で、ちゃんと鍛えさえすれば、魔道士としてかなりの使い手になる事が多いのだが、その反面、成長するにつれて、性格的にやや難ありになる傾向が強く、その昔は「忌み子」と呼ばれ、かなり肩身が狭い思いをしたらしい。

 そして、何を隠そう、このあたしはその「忌み子」なのである。同じエスクード姓を名乗り、しかも、二人とも「忌み子」という、滅多にない共通項がある。

 確かに、これはなにか関わりがありそうな感じではあるが、しかし、あたしがマリアに返した言葉は、自分でも冷静だと思うものだった。

「まあ、確かに妙な共通点だけど、「忌み子」なんて滅多にあるケースじゃないし、作り話の主人公を引き立てるには、なかなか便利な道具よね。大体、あたしと同じ姓だけど、だからって、エスクード家が一つとは限らない。要するに、ただの偶然って事よ」

 あたしは軽くため息をついた。

 つまり、そういうことである。

 エスクードという姓は、確かにあまり聞くものではないが、だからといって、別にあたしだけという事もないだろう。「ルクト・バー・アンギラス」の伝説に、あたしと同じ姓を持ち、「忌み子」という共通点を持った人間が登場したからといって、だから何さ!! ってなものである。

「ふぅ……。あなた相手に、勿体付けた言い回しは禁忌でしたね」

 しかし、どうやらマリアはあたしの答えが気に入らなかったらしく、なんだか呆れたようにため息をついてから、心なしか疲れたようにそう返してきた。

「うわっ。あんた、なんかメチャクチャ馬鹿にしてるでしょ!?」

 さすがにたまらず、あたしは思わず抗議の声を上げてしまったが、しかし、マリアはそれに軽く首を縦に振って答えるのみ。

 ……なんか、すげぇムカツク!!

 あんまりといえばあんまりなマリアの態度に、にわかに怒りがこみ上げてきたあたしだったが、しかし、次の彼女の言葉で、それはキレイに吹き飛んでしまった。

「端的に言います。これは、王宮や魔道院の一部では有名な話なのですが、あなたはあのアリス・エスクードの血を引く者なんですよ」

「……もしかして、寝ぼけてる?」

 しばしの沈黙の後、あたしの喉からそんな声が滑り出た。

 全く、いきなりなにを言い出すのやら。

「まさか。これは自慢ですが、もし私が寝ぼけていたら、今頃はあなたを押し倒しているか、さもなければ、この辺りはとっくに蒸発していますよ」

 と、さも当たり前のように、マリアは即答してきた。

 いや、自慢するな。ンな近所迷惑な事。っていうか、なんだその押し倒すってのは!?

「まあ、口でいくら言っても詮無いわね……」

 アホな事をやっているうちに、今まで腕組みなどしながら黙って話を聞いていたエリナが、そう言ってジッとあたしを見つめた。

「あなたが、あのアリス・エスクードの血筋かどうかは、簡単なテストで分かるわ。今すぐにでも出来るけど、ちょっとやってみる?」

 あたしの心境を知ってか知らぬか、結局胸中にわだかまっている疑問に対する答えを出さぬまま、エリナは一方的に話を変えてきた。

「えっ、ええ。まあ、なんか気になってきたから、ぜひお願いしたいところだけど……」

 エリナの言葉にどことなく漂う問答無用という雰囲気に圧され、あたしは反射的にそう答えてしまった。

 もちろん、胸中に疑問がわだかまったままでは、全力で暴れたくなるほど気持ちが悪いし、さらに食い下がってみたいところではあるが、今のところ、エリナはまともな答えを寄越す気がないようなので、じっと我慢するしかない。

「了解したわ。じゃあ、さっそくテストにかかるわよ。しばらくの間、動かないでね」

 そんなあたしの胸中とは裏腹に、エリナは、なんだかやたら嬉しそうにそう言いながら、右手の人差し指を、あたしの額に押し当てた。

「ちょ、ちょっと、何するのよ!?」

 いきなりの事に、あたしは思わず抗議の声を上げてしまった。

「いいから、黙って立ってなさいって。別に怪我したりしないわよ」

 しかし、あたしの事など知ったこっちゃないと言わんばかりに、エリナはお気楽な口調でそう言ってから、口早になにやらつぶやきだした。

 この瞬間、あたしはエリナがなにかの魔術を使おうとしていると直感で察したが、しかし、いつものように魔術の対象にされたときの、あの背筋がざらつくような、なんとも言い難い独特な感触は感じない。

 と、次の瞬間、まるで目眩を起こしたときのような、フワッとした妙な感覚が全身を駆け抜けたが、すぐに立ち直ることができた。

「はい、これで準備完了。特に、気分が悪いとかないわよね?」

 そして、あたしの額に当てていた右手人差し指を引っ込めつつ、エリナがにこにこ笑顔でそう言ってきた。

「え、ええ、別に何ともないけど……。準備完了って、何の準備よ?」

 かなりの困惑を覚えつつ、エリナにそう問いかけた。

「もちろん、例のテストの準備よ。それじゃあ、早速始めるわね。さて、突然ですが、ここで第一問。アストリア王国第二十七代国王の第二王女、ミシェイル・E・フォレスタと一番仲が良かった王族付きメイドの親友の叔父の名前はなに?」

「ンなニッチな問題解るかぁぁぁ!!」

 あまりといえばあまりの事に、あたしは思わずそう絶叫してしまった。

 確かに、遺跡探索者たるもの、歴史の知識は必須。というより、嫌でも身に付いてしまうものなのだが、それにしたって、「当時の国王の次女と仲が良かったメイドの親友の叔父」なんていう、どマイナーな奴の記録が残っているわけがない。

 ったく、なに考えてって、あれっ……!?

「……ミーノ・M・ターナー」

 またも、一瞬目眩のような感覚が全身を駆け抜け、次の瞬間、全く意識しないまま、あたしの口から勝手にそんな声が飛び出た。

「正解。第二問、アリス・エスクードの師、フィアチャイルド・ターセルの自宅の隣に住んでいた人の名前はなに?」

「ディール・ムルティプラ。ちなみに、笑顔がすてきなパン屋を経営する好青年」

 と、またもやおおよそ誰も答えを知らないような問題だったにも関わらず、あたしの口からは自然にそんな言葉が漏れた。

「はい、正解。それじゃ、これが最後の問題よ。アリス・エスクードと共に世界を破滅から救ったとされる異世界より現れた賢者、エリナ・ムラセ。彼女がこの世界に来ることになった、その真実を述べなさい」

 前2問に比べ、これは簡単である。

 例の「伝説」によれば、破滅の危機に瀕していた世界を救う手だてがなかなか見つからず、悩みに悩んだ末に、アリス・エスクードは強大な召喚術を作り上げ、それによってエリナ・ムラセが『呼び出された』とされている……。

「アリス・エスクードが、古文書に記されていた古代魔法をおもしろ半分に使ってみたところ、なぜか偶然にも発動してしまい、不本意ながらエリナ・ムラセをこちらの世界に呼び寄せてしまった……って、マジかい!?」

 まるで、自分の中に他人が潜んでいるとでも言うように、意に反してあまりに「トンデモ」な事を口走ってしまい、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 ……ンなアホな事あるかい。っていうか、なんなのよこれは!!

「はい、正解」

「う、ウソこけ!?」

 あまりにもあっさりと答えてきたエリナに、あたしは思いっきりツッコミを入れてしまった。

 エリナ・ムラセに関しては、異世界から来たというだけに、かなり謎が多い。

 一応、彼女に関して唯一記されている「ルクト・バー・アンギラス」の伝説によると、


『年齢十八才。性別は女。少々気が強く、めっぽう酒に強い。人間では、魔法を使う事が出来る唯一の存在……』


 と、妙にリアルな事が記されていたりするが、なにしろ元が胡散臭い話なので、誰も真面目に研究しようとする者はいない。

 それ故に、マリア・エスクードと並んで、彼女も所詮は空想上の存在という扱いになっているので、「正解」もなにもあったものではない。

「あら、嘘じゃないわよ。エリナ・ムラセ。彼女の『出身地式』の呼び方では、ムラセ・エリナ。トウキョウ在住。職業は学生。現在から約五百六十年前の夏のある朝、突発的おとぼけ魔道師アリス・エスクードが発生させた魔法暴走事故により、このエハンスドに召喚される。その後、あれやこれや色々あった後に、なし崩し的に『ルクト・バー・アンギラス』の一件に巻き込まれ、特に大した役に立っていないのに、周囲の人間の様々な誤解やら妄想やらによって、いつの間にか歴史に名を残す事になる。なお、マリア・エスクードが使用した魔法に関しては、絶対的な資料の不足により、いまだにその詳細は不明のままであるが、これによって召喚された『存在』は、召喚者による『契約解除』の式が行われぬ限りは、召喚当時の姿を維持したまま、永劫に滅ぶ事はない……」

「ちょ、ちょっと、いきなりなに言い出すのよ!?」

 いきなり得体の知れない事をペラペラと喋り出したエリナの言葉を遮って、あたしは思いっきり困惑の声を上げてしまった。

 すると、エリナはニヤッと意味不明の笑みを浮かべた。

「やれやれ、いい加減気がついてくれても良さそうなんだけどねぇ……。ふぅ、しょうがないわね。マール。ここで、特別問題を出題するわね。アストリア王国の第26代国王に仕えたとされる、史上初の女性宮廷魔道士の名を延べよ。あなたにとっては、この程度の歴史問題は簡単でしょ?」

「もちろん。エリナ・ムラセね……ん、ちょっと待った!?」

 エリナの問いに反射的に答えてしまってから、あたしは思わずぶっ飛んだ声を上げてしまった。

 今から五百六十年前、アストリア王国史上初の女性宮廷魔道師として、歴史書にその名を残すエリナ・ムラセ。そして、あたしの目の前で勝ち誇ったような笑みを浮かべている魔道師の名はなんでしょう?」

「え、エリナ・ムラセ……」

「はい、正解。エリナ・ムラセなんて名前、この世界でそうそういるかしら?」

 そこで言葉を切り、エリナはいたずっらっぽい笑みを浮かべた。そして、紡ぐ。明確な『呪文』を……。

「はい、『カラー・ボール』!!」

 頭上に掲げられたエリナの手から、小さなボールがいくつも現れ床に着くと同時に消えて行った。「魔法」である。現在は失伝している……。

 瞬間、あたしはなんだか目眩のようなものを感じ、思わずその場に崩れ落ちそうになった。

 ……今までの付き合いで、なぜ気が付かなかった。いや、変わった名前とは思ったが、気が付く方がおかしいだろう。ちょっと待て、理解が現実に追いつかない。

「あーあ、言っちゃいましたね。一応、それって国家機密なのに、知りませんよ」

 なんだかごちゃごちゃになった意識の中で、そんなマリアの暢気な声が聞こえたような気がしたが、今はそれどころではない。

 ……えっと。すると、何だ。目の前にいる、どう考えてもあたしより若そうな人は、見た目よりは歳が行っているとは聞いていたが、実は想像以上の御年五百六十才以上とかいう、エルフ並の超長生き婆さんってことか……んなわけないだろ!!

「うだぁぁぁ、ワケ分からん!!」

 しばしの思考の後、ついに脳みそが完璧にパンクしてしまったあたしは、ガシガシと自分の頭を掻きむしりつつ、思いっきり叫ぶより他なかったのだった……。

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