第16話 遺跡の罠

「こりゃあ、また凄いわね」

 目の前のその光景を目にして、あたしは思わずそんな事をつぶやいてしまった。

 ……そこにあるのは、どこまでも続いていそうな広大な闇。

 お師匠が足を止めたすぐ先にあったのは、まさにそういう空間である。

 あたしたちが歩いてきた通路はそこで完全に途切れ、床の代わりに奈落の底まで続いているかの様な、深い闇が広がっていて、壁や天井も見えない。

「信じられない。ついさっき、ここを歩いてきたばかりなのに……」

 と、あたしの隣に立つマリアが、まるで惚けたようにそうつぶやいた。

 ……なるほど、「道が消えた」ってのは伊達じゃないわけね。

 つまり、恐らくは何らかの魔法によって、ここにあった通路が文字通り消えてしまったというわけである。

 もっとも、魔術にせよ魔法にせよ、一時的に物理的な法則の壁を越えた事象を引き起こすといっても、やはり、限界というものがある。

 そんなわけで、「何の痕跡も残さず、一瞬にして通路を消し去る」などという、魔道士の目から見ても、あまりに突拍子もない事が出来るかどうかは疑問ではある。

 しかし、魔術もそうだが、魔法の世界も底知れない深さがあるもので、その全てを把握しているわけではない。

 実際、この中途半端な通路の途切れ方からして、恐らく、元々はちゃんとした通路が存在していたのであろうことは容易に察しがつくし、そんな魔法があってもなんら不思議ではないのだ。

「おっかしいなぁ、罠の類を発動させた感じはしなかったんだがなぁ」

 と、これは、あたしの背後に立ち、納得出来なさそうな表情を浮かべるお師匠の声である。

 これは、まあ、無理もない事である。

 これだけ派手な魔法が発動すれば、それだけ、この近辺の精霊力の変動も激しくなる。

 いくら背後でこっそり発動したとしても、これなら、お師匠はもちろん、ローザでさえ容易に気が付くだろう。

 かといって、魔法を使わずにこんな芸当をやってのけるなど、もちろん不可能な話である。

「まあ、なにはともあれ、ここでじっとしていても仕方ありません。それより、今後の事を考える方が先決でしょう。マールさん、いかがなさいますか?」

 と、こちらは水筒の中から水……いや、お茶を飲む余裕を見せるマリアの声である。

 確かに、ここでウダウダしていたところで、事態が好転するわけでもない。となれば、なにをさておいても、まずは行動をという彼女の意見は理解出来るが。

 ……ふぅ、どうしたもんかな、これは。

「そうね。まず、お師匠が来た道を引き返すってのは、ここで中止せざるを得ないわね。

 かといって、あたしたちが来た道も、入り口だけで出口なんて見当も付かないし、そうなると、あとは……」

 そこで、あたしは思わず言葉を飲み込んでしまった。

 誰一人として何も言わず、ただ黙ってあたしを見つめているだけだが、もはや、この場にいる全員が全員とも、あたしが言いたい事は分かっているだろう。

 つまり、こうなったら、さらに遺跡の奥に向かって進むしかない。というわけである。

 しかし、これはあまりにもリスクが大きすぎる。なにしろ、さらに遺跡の奥に向かえば、それだけ罠に掛かる危険性が高まるし、あの「オオカミ」みたいな魔法生物に遭遇する可能性も否定できない……というか、確実に遭遇するだろう。

 それに、これは一般的な傾向としてという話なのだが、遺跡の奥に進めば進むほど、遭遇する罠や魔法生物などの危険度も跳ね上がっていくのだ。

 しかし、そのくせして、確実に出口が見つかるという保証など、全くどこにも存在しない。最悪、死ぬ思いで遺跡の最深部に到達したのに、出口なんぞ影も形もありませんでした。という恐れすらある。

 ……ったく、お師匠もいるのに、なんだって、いつの間にあたしが『隊長』になってるのよ。ふぅ。

 なんとなく、胸中でぼやきつつ、ついに、あたしは一つの決断を下した。

「奥に進みましょう。この先、お師匠は罠の発見、及びその解除に専念してください。マリア、あなたは魔法生物に遭遇した場合の戦闘指揮をよろしく。そして、ローザ。あんたは、適当に『明かり』の魔術で通路を照らしてちょうだい」

 しばしの後、誰も隊長役を引き受けてくれる人がいないと悟ったあたしは、なにか大きな事を諦めたような気分でそう指示を出した。

 はっきり言って、この役割分担はイメージで適当に決めただけだし、なにより、一刻も早く地上に戻りたがっていたローザあたりが、文句の一つでも言ってくると思っていたのだが……。しかし、意外にも誰も異存がなかったらしく、全員が一様にうなずいた。

 ……あーあ、これであたしはめでたく『隊長』に就任か。やれやれ。

「それじゃあ、さっさと行くわよ。並び順は、さっきと同じでいいわ」

 という、なかばヤケクソ気味なあたしの号令を合図にして、一行は今歩いてきたばかりの通路を、再び引き返しはじめた。

 そして、大した距離ではないので当たり前と言えば当たり前なのだが、罠などに引っかかる事もなく、厄介な魔法生物の類にも遭遇しないまま、程なくして先のラグナ君が壁に空けた穴の前まで戻ると、一息いれるべく、あたしはストップの号令をかけた。

「ほぉ、さっきは気が付かなかったが、こりゃまた盛大にやったな。どうせ、またマール辺りが気合い入れてぶっ飛ばしたんだろうがな」

 壁に穿たれた穴と、通路に撒き散っている瓦礫の山を交互に見回しながら、お師匠が呆れたような声でそう言った。

「へぇ、これだけ頑丈な壁に穴空けるなんて、やっぱさすがはマール。かつて、魔道院の最終兵器と呼ばれただけの事はあるわね」

 と、お師匠に同調して、ローザがからかうようにそう言ってきた。

 ……まあ、あながちハズレではないが、直接この穴を空けたのはラグナ君であって、あたしが攻撃魔術をぶち込んだわけではない。面倒くさいので、いちいち訂正はしてやらないけどね。

「ローザさん、それは違いますよ。この私も一緒でしたので、むしろ、『破壊の姉妹』の方が正解です」

 あたしが黙っていると、何を勘違いしたのか、マリアが妙に自慢げにそうツッコミを入れた。

 ……こら、ンな事で威張るなよ。

「おおっ、その響き。なんか懐かしいなぁ。あの頃のマールと来たら、どっかおかしいんじゃないかって思うぐらい、やたらと破壊工作に勤しんでいたいたし、そのせいで、僕も周りから散々嫌み言われたっけな」

 口調はのどか、しかし、その内容はあまり健全とは言えないお師匠のつぶやきを聞いた瞬間、あたしは思わず銃のグリップに手を掛けてしまった。

 ほほぅ、あとで覚えておけよ。この対魔道士用に生み出された兵器の恐ろしさ、その体でたっぷり堪能させちゃる!!

「ほら、いきなり緩んでるンじゃないわよ。この先は、何があるか誰も知らないんだからね!」

 このまま放っておくと、さらになにを言われるか分かったものじゃないと判断したあたしは、軽く手を叩きながら大声でそう言った。

「あー、そんな事はみんな分かってるよ。だからこそ、今はハメを外しているんだ。人間の精神ってのは、そう長くは極度の緊張に耐えられるもんじゃないからな」

 と、まさに弟子を諭すような口調で、即座にお師匠がそう反論してきた。

 無論、これは正論だし、あたしも異論を挟むつもりはない。

 どんなに訓練を積んだ人だって、長時間緊張感を維持することは難しい。

 そんな状態のまま、それこそ、次に踏み出す一歩が人生最後の記憶になりかねない危険地帯に進むのは、決して得策とは言えないだろう。

 実は、さして進まぬうちに一時休息の指示を出したのも、まさにこれが最大の理由だったので、わざわざお師匠に指摘されるまでもないのだが……。

 しかし、あたしが言いたかった本音は、もちろん、こういうレベルの話ではない。

「あたしだって、そんな事は分かってますよ。だけど、なにも寄ってたかって、あたしを肴にしなくたっていいんじゃないかと思うんですけど?」

 と、言ってる側から情けなくなってしまったが、とにかく、あたしはお師匠にそう反論した。

 ……ったく、このぐらい察しろっての!!

「おいおい、もしかして自覚していなかったのか。このメンツの中で、一番笑い話のネタに困らないのが君なんだぞ。これで、話すなという方が……」

 ゴッ、めきっ!!

 どうやら、お師匠がなにやら不穏な事を言いかけたようだが、しかし、その言葉は最後まで紡がれる事はなかった。あたしがたまたま手近で拾った、大人の拳ぐらいの大きさの瓦礫が顔面にめり込んだおかげで。

「さて、鬱陶しい奴が沈黙したところで、改めてゆっくり体を休めるとしましょう。今のうちに、体調が良くない人は正直に申告してね」

 手に付いた埃を叩き落としながらそう言うと、床にぶっ倒れてピクピクしているお師匠を除き、全員がコクコクと首を縦に振った。

「だ、大丈夫よ。体があっちこっち痛いけど、別に動けない程じゃないし……」

「わ、私も平気です。少なくとも、そこで倒れてる『誰かさん』よりは、まだ動けると思います」

 と、ローザ、マリアが、どことなくバケモノでも見るような視線であたしを見つめつつそう言ってきた。

「分かったわ。それじゃあ、そこの鬱陶しい奴が生き返り次第、すぐに出発するわよ。それまでは、ちゃんと体力を回復させておくこと」

 そう言って、あたしは適当な壁に背中を預けるようにして床に座り、軽く目を閉じた。

 ……まっ、咄嗟に石なんてぶん投げちゃったけど、この程度でどうにかなるほどお師匠はヤワじゃないし、放っておいても大丈夫でしょう。

 そんな細かい事を気にするより、今は少しでも体と神経を休ませる事の方が先決。この遺跡、どう考えても、お気楽に進めるほど甘いもんじゃない事は確かなのだから。

「あの、マールさん。なんだか、クレスタさんが痙攣しているようですが?」

「あっ、いいのいいの。そうやって、いつも誰かに甘えようとするんだから」

 暗く閉じた視界のどこかで聞こえてきたマリアの声に、あたしは即座にそう答えた。

 ……うーむ。もしかして、ちょっと当たり所が悪かったか?

「そう、ですか……。まあ、私の事ではないですから、別に構いませんけど」

 一瞬躊躇ったような様子を感じさせながらも、しかし、思いっきり薄情な事を言うマリアの声を聞きながら、あたしは急速にまどろみはじめたのだった。

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