第12話 遺跡へ5

「うーむ、また面倒な事になったわねぇ」

 なんとなく腕組みなどをしながら、あたしは思わずそうつぶやいてしまった。

 あたしは時計などという超高級品を持っていないので、窓もなにもないこの地下では、むろん正確な時間など知りようもないが、少なくとも、感覚的には、この部屋の探索を始めてから、軽く1時間以上は経っているだろう。

 この間、それこそ床の継ぎ目の一つから、天井の染み一つに至るまで、とにかく徹底的に調べ尽くした結果、ついに、あたしは良い方と悪い方、それぞれ一つずつの結論を導き出す事に成功した。

 まずは、良い方。

 この部屋には、身に危険を及ぼすような罠の類はなく、適当に歩き回ろうが寝転がろうが、勢い余って踊り狂おうが、まずなにか禍々しい事が起こる可能性はほぼゼロだという事だ。つまり、早い話、ここは安全な「ただの部屋」というわけだ。

 そして、今度は悪い方。

 それは、この部屋に出入り口はないという事である。

 目で見て分かる扉や階段、通路の類はもちろん、隠し扉や隠し階段などの作動スイッチ、果ては「転送」の魔法による仕掛けまで含め、この部屋の内と外とを繋ぐ手段は全くない。

 これが何を意味をしているのか。

 もはや、わざわざ言うまでもないとは思うが、要するに、あたしたちは、ものの見事にこの部屋に閉じこめられてしまったというわけだ。

 ……やれやれ、凶悪な罠がないのは大歓迎だけど、これじゃあまり喜べそうにないわね。

「そうですね……。とりあえず、対策を考える前に一息入れましょう」

 あたしのつぶやきに答えるように、マリアは落ち着き払ってそう言って、自分の道具袋の中から水筒を取り出した。

 ……なるほど、「経験者」だというのは嘘じゃないって事ね。

「おっ、いいわね。あたしもちょっと疲れていた所だし」

 この状況にあって、パニックを起こさないマリアの様子に満足しつつ、あたしはそう返して小さく笑みを浮かべてやった。

 ……そう。遺跡探索において、この程度のトラブルなんぞ決して珍しい事ではない。

 こんな時に、焦るあまり、何が何でも事態を打開しようとすると、結果として墓穴を掘る事になる。

 常に冷静である事というのは、遺跡探索の基本中の基本なのだ。

「しっかし、なかなか味な事してくれる遺跡じゃないの。いきなり地上から『牢獄』とは、これを設計した人って、よっぽど嫌な事があったのね」

 その場にどっかりと腰を下ろした後、道具袋から例のボロいノートを取り出し、今までの経緯を記録しつつ、あたしは誰ともなくそうぼやいてしまった。

 ちなみに、なんの捻りもないネーミングではあるが、「転送」の魔法などを使って、出入り口がまるでない空間に放り込む仕掛けを、魔道院の遺跡探査チームでは、「牢獄」と呼んでいる。

 言うまでもないがこれも罠の一つで、基本的な仕組みは侵入者を密閉した空間に放り込み、緩慢な死を迎えさせるというものである。

 まあ、ちょっと地味な罠ではあるが、「転送」は正規の移動手段として使われている事もあり、これが罠かどうかは実際に移動してみない事には分からないという、実はなかなか厄介なものなのだ。

 それだけに、こういった遺跡に「牢獄」が仕掛けられている頻度は高く、しかも、ただ「転送」するだけでなく、「転送先」にどう猛な獣が放されていたり、部屋一杯が水で満たされていたりと、ちょっと凶悪度高めな場合がほとんどなのだ。はっきり言って、こんな甘いパターンは珍しい。そういう意味では、この場合はまだ良心的とさえいえるのだが……。

 しかし、かつては半ば遺跡探索を専門にしていた身として、やっぱりなんか腹が立つ!!

 先にも述べたとおり、その地味さとは裏腹に、回避するのが難しい罠ではある。

 しかし、所詮これは経験の問題で、以前のあたしなら、「転送」の魔法が仕掛けられている場所や、その周囲の状況などから、怪しいものはおおよそ見分ける事が出来たのだ。

 ……うーむ、これは、思っていた以上に鈍ってるわね。反省。

「あの、なんだか難しそうな様子ですけれど、どうかなさいました?」

 いきなりマリアにそう問いかけられ、あたしははたと我に返った。

「えっ!? あっ、ええっと、別に何でもないわよ。単に、なんか諸行無常だなぁとか思っていただけで……」

 慌ててそう答えると、マリアは怪訝な表情を浮かべた。

 ……そりゃそうか。自分でもワケが分からん事言ってるし。

「ま、まあ、なんでもいいじゃないの。それより、この部屋からどうやって出るか考えないとマズイでしょ?」

 我ながら、もうちとまともな言い方はないのかなどと思いつつも、あたしは手をパタパタ振りながら誤魔化しを試みた。

「な、なんだかよく分かりませんが、確かに今後の策を練るのが優先ですね」

 と、かなり不審な様子だったものの、それでも気を取り直してくれたようで、マリアはあたしが仕掛けた話題転換に乗ってくれた。

 ……よし、いいぞ。マリア!

「そう、その通り!! で、まずは現状確認だけど、まず最初に、この部屋には出口らしきものはなく、綺麗さっぱり何もない。これは、間違いないわよね?」

 あたしの方も、無理矢理気分を入れ替えて、わざと明るい声でマリアにそう問いかけた。

 そう。この部屋は、天井や床、壁の全てに至るまで、全く異常な所は見られず、まさに、「石を切り出してそのまま並べただけ」という、極めて無味乾燥な風情である。

 もちろん、こんな事はわざわざ問いかけるまでもなく、マリアとて十分に承知しているだろうが、こうやって改めて確認することで、今まで軽く受け流していた事が、実は重要な事だったと気が付く可能性もある。なにか困った時は、一から洗い直すというのがあたしの信条なのだ。

「ええ、私の目で見た限りですが、それは間違いありません」

 と、あたしの信条を知ってか知らぬか分からないが、ともあれ、マリアは嫌な顔一つせず、的確に望んでいた答えを返してくれた。

「となると、この部屋から出る方法は一つしかないわね。つまり……」

「道がなければ作るまで。我らが進路を邪魔する者は、例え国王であろうともブチ倒す!! ……あはは、なんだか懐かしいわね。頼もしき私の『妹』よ」

 あたしの言葉を遮って、マリアは冗談のような口調で楽しそうにそう言ってきた。

 おっ、口調が変わった。ノッてきたわね。

「あれま、随分昔の事を覚えていたわね。さすが、偉大なる『姉』ってところかしら」

 あたしはそう返してから、ニヤリと笑みを浮かべた。

 実を言うと、まだ魔道院で見習いをやっていた頃、あたしとマリアはなにかにつけ一緒に行動することが多く、しかも色々と「やんちゃ」な事ばかりやっていたので、いつの間にか「破壊の姉妹」などという、どうにも凶悪なあだ名をつけられてしまった事があるのだ。

 もちろん、あたしたちとて、最初のうちはこのあだ名を拒絶していたのだが、そのうちなんだか開き直ってしまい、マリアは「姉」、あたしは「妹」と自ら呼ぶようにまでなってしまったのだが……。

 しかし、これは下手をすると、あたしがまだ1桁の年齢だった時の話である。

 見習い課程を終え、一般魔道士から上級魔道士へと進むうちに、いつしか、顔を合わせる機会がなくなっていたのだが、マリアはきっちり覚えていたようである。

「あれだけの『悪事』をやらかしたんだもの。そう簡単に忘れるわけないじゃない。いっそ、この先は『あの頃』のノリで行かない? マールを相手に丁寧な態度というのは、私としてはどうにも苦痛でねぇ……」

 すでにノリノリのマリアは、ペロリと舌を出した。

 ……『姉妹』時代のアレか。やっとか、待ってたわよ。

 あー、この先マリアはほとんど別人になります。今までは猫被ってました。もちろん、私は知っていたけどね。

 本来のマリアは、あたしより遙かにテンションが高いほどで、しかも、やる事が大物というか、大雑把というか、到底、良いところのお嬢さんって感じではないのだ。

「やっと、魔道院院長代理の看板を下ろす気になったか。やりやすくていいわ」

 マリアはフンと大きく鼻を鳴らした。

「確かに、私は魔道院院長代理だけど、ンな事こんな辛気くさい場所じゃ関係ないって。素にならなきゃ死ぬ。違う?」

 マリアはあたしの顔をズイッとのぞき込んだ。

「はいはい、姉ちゃん。興奮しないの」

 あたしはマリアにそう返した。

 ちなみに、誰も信じてくれないけど、この頃の『アクセル役』はマリアで、あたしが『ブレーキ役』だったのである。うーん、どこで道を間違ったのだろう。あたしは。

「おっ、その姉ちゃんって響きがいいわね。よっしゃ、話がまとまったところで、早速このクソ辛気くさい部屋から出るわよ!!」

「はいはい……」

 威勢良く叫ぶマリアに適当に答えつつ、あたしはため息をついたのだった。


「どりゃあぁぁぁ!!」

 裂帛の気合いを込めたマリアの声と共に、炸裂する爆発音。

 あたしが、あらかじめ展開しておいた防御魔術の『壁』に阻まれ、爆風や熱は全く感じないが、ちょっと大きめの地震並の振動が、容赦なく体を揺さぶってくれる。

 そう。あたしたちは、例の部屋から脱出すべく奮闘していた。

「ったく、なんつー壁よ。コイツをぶち込んで、焦げ跡一つ付かないとは……」

 先の爆発……自らが放った攻撃魔術だが……の余波が収まったとき、あたしの隣に立っているマリアが、ちょっとイライラした様子でそう毒づいた。

 まあ、彼女がこう言うのも無理はない。

 なにしろ、先ほどマリアが攻撃魔術を炸裂させた壁は、彼女が言ったとおり、ヒビどころか焦げ跡一つ付いていないのだ。

 しかも、これが初めてではなく、マリアがこの壁に向かって攻撃魔術をぶちかましたのは、先ほどでちょうど十回目である。これで、苛つくなという方が無理というものだろう。

「ふぅ、さすがは遺跡ってところね。対魔防御力が半端じゃないわ」

 目の前の壁の頑丈さに呆れてしまいつつ、あたしは思わずそんな事をつぶやいてしまった。

 今さらといえば今さらなのだが、考えてみれば、この遺跡が作られたのは、少なくとも数百年前の話である。

 いかに外界から隔絶された地下とはいえ、ただの石を積み上げただけでは、やはり、あちこちに風化の跡が見られて当然なのだ。

 しかし、この部屋の石は、まるで今切り出してきたばかりとでもいう感じで、全く時間の流れを感じさせない。

 となれば、この部屋の床や壁、天井に使用されている石には、保存のために何らかの魔術・・・いや、魔法が掛けられていると見るべきだろう。

 そして、マリアがしこたまぶち込んだ攻撃魔術も、その魔法によって完全に無力化されてしまっているというわけだ。

 これでは、例えあと何万発攻撃魔術をぶち込んだところで、単にマリアが過労でぶっ倒れるだけだろう。

 こうなったら、ちと作戦変更しないとマズイわね。

「マリア、ムカツクのは分かるけど、攻撃魔術は中止……」

「でぇぇぇい、問答無用。ぶっ飛べ!!」

 あたしの言葉をみなまで聞かず、額に青筋を浮かべたマリアが攻撃魔術をぶっ放した。

 ……うわっ、ヤバ!?

 あたしが慌てて新たな防御魔術を解きはなった瞬間、再び渦巻く爆音やら爆風やら……。

 しかし、無情にも、やはり結果は変わらなかった。

「だから、撃ち方止めぇぇぇい!」

 防御魔術を解除するのももどかしく、あたしは思い切り怒声を挙げつつ、マリアの頭にゲンコツを落とした。

「っつぅ~!! う、うーむ、拳がヒットした瞬間、微妙に捻りを加える辺り、昔と変わらないわねぇ」

 脳天に出来た見事なタンコブをさすりながら、マリアはなんだか妙に関心したようにそう言ってきた。

「そりゃあ、散々練習させてもらったから……って、そうじゃなくて、攻撃魔術を何発打ち込んでも無駄だって、いい加減気が付きなさいってば。まあ、ぶっ倒れるまで遊んでいたいなら、あたしも無理には止めないけどね」

 そんなマリアをジト目で睨みながら、あたしは湯気が立ち上っている右手をパタパタと振った。

 ……うーむ、マリアも痛そうだけど、あたしも痛いぞ。

 対マリアツッコミ用ゲンコツなんて久々だったから、ちょっと力を入れ過ぎちゃったみたいね。

「はいはい、分かったわよ。で、次の作戦は?」

 打たれ強いのかなんなのか、早くも痛みから立ち直ってしまったらしいマリアが、パッと表情を明るくしてそう言ってきた。

 ……ああ、なんかだんだん「あの頃」のカンが戻ってきた。

 そう言えば、昔はあたしはもっぱら頭脳労働担当で、肉体労働はマリアの受け持ちだったのよねぇ。

「はいはい。でも、その前にちょっと実験させて」

 なんだか気合い十分のマリアを適当にいなしつつ、あたしは脳裏に『構成』を思い浮かべつつ、指をパチンと鳴らした。

 すると、あたしの目の前の虚空に、いきなり『穴』が出現した。

 そう。これは、今までにもローザやマリアが多用していた、あの『収納魔術(愛称)』である。

 ……ふむ。これが使えるって事は、「アレ」も使えるわね。

「もう、いきなり『穴』なんて開けちゃってどうするわけ?」

 などと、隣でマリアが文句を垂れてくるが、それには委細構わず、あたしは先ほど開けた「穴」の中に右手を突っ込み、とある物を脳裏に強くイメージした。

 すると、程なく「穴」の中にある右手に、ずっしりとした重量感が伝わってくる。

 ……よし、成功!!

 胸中でそうつぶやきつつ、右手をゆっくりと「穴」から引き出すと、その掌には銀色に輝く杖があった。

 それは、床に垂直に立てると、凝った意匠が施された先端部が、あたしの身長よりやや高い位置に来るほどの長さで、持てば確かにずっしりとした重さがあるが、それでも、見た目の印象よりは軽い。

 ふぅ、これを見るのは何年ぶりかしらねぇ……。

「ん。それって、もしかして!?」

 あたしの一連の動きを、ブツクサ文句言いながら隣で眺めていたマリアが、いきなり驚きの表情を浮かべ、素っ頓狂な声でそう言ってきた。

「その通り。これが、『召喚術士の証(サマナーズ・ロッド)』よ。言っておくけど、欲しいって言ってもあげないからね」

 マリアが予想通りの反応をしてくれた事に満足しつつ、あたしはそう言って右手に持った杖をそっと床に立てた。

 世の中に存在する魔術は、それこそ実在する魔道師と同じ数だけあるが、そのいずれもが『火』『水』『風』『地』という『四大精霊』の力を借りる事で、様々な事象を引き起こしているという点は変わらない。

 しかし、そんな魔術の中にあって、唯一、この四大精霊の力を借りないという、特異なものが存在する。

 それが、どこか遠くから……この世界に存在する場所に限らず、瞬時にして「何か」を呼び出し、それを使役する「召喚術」である。

 これは、魔術というより原型となった魔法に近く、『力ある言葉』すなわち正真正銘の『呪文』と、それに合わせたかなり儀式めいた動作……『印』を切る事で、その力を発揮させる。

 もちろん、その威力、見た目の派手さ、威張り散らせる度は、通常の魔術の比ではない。召還するモノによるけどね。

 とまあ、それはともかく、そんな特殊な魔術だけに、誰でも使えるというわけではない。

 まずは、魔道院で行われる厳格な適正検査を受け、これに合格しなければ、そのスタートラインにすら立てない。

 そして、幸か不幸か、その適性検査に合格した者は、そのままみっちりと特別な訓練を受ける事になるのだが……。これがまた筆舌に尽くしがたい、想像を絶するひたすら過酷なものなのだ。

 この特別な訓練に関しては、実際に経験してみないと分からない事だと思うので、あえて細かくは説明しないが、適正検査合格者五十人ぐらいでスタートして、最終的に訓練を終える事が出来るのは、最良でもせいぜい一人か二人。むしろ、『訓練修了者、ゼロ』で終わる事が当たり前である。しかも、訓練途中で落伍した者の数が、そのまま「訓練中の事故死者数」と一致するという、シャレにならないおまけが付いているのだ。これで、この破壊的に厳しい訓練の様相が、なんとなく察して頂けるだろうか?

 ともあれ、そんなほとんど自殺行為に等しい訓練を、なんとかかんとか無事にくぐり抜けると、その証として、このサマナーズ・ロッドを手にする事が出来て、これでようやく召喚術士として認められるわけである。

 そんなわけで、当然ながら召喚術士はとてつもなく少数で、魔道院の記録に残っているのは、自分を含めてたったの五人のみ。

 ただし、あたしより以前に召喚術士が誕生したのは、実に120年前の事で、言うまでもないとは思うが、この方はとっくの昔に亡くなっているのだ。

 先ほど「魔道院の記録に残っているだけ」と断ったが、召喚魔術はその強力さ故に門外不出であり、魔道院の外から召喚術士が輩出される可能性はまずない。

 つまり、世界中を見ても現在生存している召喚術士は、あたし一人だけなのだ。

 そんなわけで、このサマナーズ・ロッドを持っていれば、どこにいてもかなり目立つし、一種独特の目で見られる事請け合い。半ば日陰者となってしまった今のあたしには、これを持って歩く事はほとんど自爆するようなものなので、こうして「穴」の中にこっそり隠しておいたというわけだ。

「へぇ、これがあの杖ねぇ。私も初めて見たけど、なかなか立派なもんだわ」

 と、サマナーズ・ロッドをしげしげと見つめながら、マリアが関心した様子でそうつぶやいた。

 実は、召還術士になるための訓練内容は最上級の機密情報であり、このサマナーズ・ロッドに関しても、厚い秘密のベールに包まれている。

 その実体は、例え魔道院院長であっても、実際に我が身で体験しないと知る事が出来ないのだ。

「あっ、見るのは構わないけど、正当な持ち主以外が触ると悲惨な目に遭うから気を付けてね」

 なにか、触るどころか舐め回すんじゃないかという感じのマリアに、あたしは慌ててそう言った。

 これは、下手な脅しではない。召喚術士になるための訓練は、このサマナーズ・ロッドの所有者として認めて貰うための儀式という面もあり、正当な手順を踏んでこれを得た者以外は、これに触れる事すら困難なのだ。

 これが、具体的にどうなるのかという事は、あまりにもエグいので割愛させて頂くが、とにかく、一生分の後悔を使い果たしても足りないほど酷い目に遭う事になる。

「あっ、そうなの? なんか、かなり怖いシロモノね」

 まるで飛び退くようにして、2、3歩分ほどあたしから遠ざかってから、マリアはなんだか興ざめしたような様子で、つぶやくようにそう言ってきた。

 ……確かに、怖いモノではあるわね。色々な意味で。

「まあ、それはともかく、これから一発ぶちかますから、絶対にあたしの側から離れないでね」

「りょ、了解!」

 今度は一転、今にもあたしに抱きつかんばかりの勢いで、素早くこちらに近寄ってきたマリアの姿を目の端で確認しつつ、あたしはサマナーズ・ロッドを両手で持ち、それを頭上に掲げた。

 随分余計な事をやってしまったが、あたしがこのサマナーズ・ロッドを持ち出したのは、なにもマリアに自慢したかったというワケではない。

 この杖の用途はただ一つ。すなわち、召喚術である。

『遙かな所に在る者よ。杖に刻まれし契約の証に従い、我が前にその力を示せ……』

 そして、あたしの記憶に焼き付いている呪文を詠唱。

 ちなみに、ここに記したものは現代語訳版で、実際にあたしが唱えているのは、古代魔術語で記された原文である。

『……我が名はマール・エスクード。賢者アルファの血に連なる者なり……』

 呪文を詠唱していくそのうちに、やがて、頭上に掲げたサマナーズ・ロッドが淡い光を帯び始めた。

 その淡い光が、徐々に強く明るい光に変化していく事を確認してから、あたしはサマナーズ・ロッドからそっと両手を放した。

 しかし、今やマリアが放った『明かり』よりも明るい光を放つそれは、全く支える物がない虚空であるにも関わらず、その場にふわりと浮いたままである。

 ……おっしゃ、ここまでは成功ね。

 胸中でこっそり安堵のため息をつきながらも、あたしは最後の仕上げに取りかかった。

『……闇を統べる汝の力を以て、我が前に立ちはだかりし障壁を打ち砕かん……』

 空いた両手で印を切りながら、さらに呪文を唱え続けていくと、やがて、直前までは何もなかった床に、青白い光を放つ奇怪な文様……召還円(サモン・サークル)が描かれ、その中心付近の虚空に、強烈な白い光を放つ小さな球体が出現した。

 さぁて、いよいよこの魔術の最大の見せ場。召喚対象のお出ましである。

『我が盟友『オメガ』。今ここにその姿を見せよ!』

 最後の呪文を気合いと共に吐き出したその瞬間、頭上に浮いていたサマナーズ・ロッドが、サモン・サークルの中心に出現していた小さな光球を勢いよく貫き、そして、圧力すら感じるほどの光が、この部屋の中を一瞬にして満たした。

「うわっ!?」

 まさか、いきなりこうなるとは思ってもいなかったらしく、隣でマリアが悲鳴を上げた。

 まあ、これは無理もない。

 なにしろ、しっかりと目を閉じていた上に、ちゃんと心構えがあったあたしでさえ、ちょっとビックリした程なのだ。

 召喚術など知らない彼女が、いきなりこの強烈な光を浴びたとなれば、悲鳴ぐらい上げてもおかしくはない。

 ともあれ、そうこうしているうちに、この瞼を閉じていてさえ、目がチリチリと痛みを覚えるような光が、不意に消えた。

 それを合図に、すぐさま目を開けると、そこには巨大な生物の姿があった。

 この部屋の半ばを埋め尽くす程の巨体を、この生物に付けられた別名の由来となった、黒光りする鱗が覆い、少し長めの首の先にある頭部に赤く光る二つの瞳。

 ……そう、目の前にいるモノは、この世界最強の生物と言われ、また滅多にお目に掛かる事が出来ない竜族の一員である。

 それも、コイツはレア中のレア。今や、最大級の恐怖と畏怖を以て、伝説の中でのみ語られる存在となり、一部の人間の間では神格化すらされている「ブラック・ドラゴン」こと、「終焉を司りし存在(カオス・ドラゴン)」である。

 もっとも、『彼』は、人間の年齢に例えると、およそ15、6才という、ちょっと微妙なお年頃で、『大人』のそれと比べればあまり貫禄はないけどね。

『こんの、人が気持ちよく寝ているのに、いきなりたたき起こしやがったボケ野郎は誰じゃぁぁぁ!!』

 そして、ほぼ同時に聞こえてくる怒声。

 もっとも、「聞こえる」と言っても、それは耳から入って来る普通の声ではなく、言ってみれば脳に直接響くような、一種独特の感覚を伴うものである。

 これは、目の前のカオス・ドラゴン、あたしの命名で「ラグナ」君の「声」である。

 実のところ、彼はまだまだ若者(といっても、実年齢は軽く数百才だが)なせいか、その形とあまたの伝説に語られる『一般像』からは想像できない、なかなかポップなヤツなのである。

 ……しっかし、最後に「会った」時から、全然ノリが変わってないなぁ。コイツ。

『くらぁ、久々だってのに寝ぼけてンじゃないわよ。ちゃんと名乗りを上げたでしょうが!!』

 と、負けじと言い返すあたし。

 といっても、本当に声に出して言ったわけではなく、頭の中で強くそう「念じた」のである。この「会話」は、音を媒介にして行っているのではなく、精神力の一種である魔力を媒介に行われているのだ。

『むっ、その聞き覚えのある、妙に力強い響きは……』

 と、やたらぎこちない動きで頭をこちらに向け、その赤い目であたしの顔をのぞき込んだその瞬間、ラグナ君はその巨体を、こちらとは反対側の壁に打ち付けた。

『うわぁぁぁ、ごめんなさい。姐御とは知らず、失礼しましたぁぁぁ!!』

 先ほどまでとは一転、いきなり弱気な様子に変わってしまったラグナ君。

 顎の下を床にたたき付けんばかりの勢いで頭を下げ、その目からは滝のような涙を流しつつ、悲鳴のような「声」を上げてきた。

『フフフ、どーやらあたしの事は忘れてはいなかったようね』

 そんな、おおよそ竜の眷属とは思えないラグナ君の前で、あたしは悠然と腕組みなどしながらそう返し、ついでにニヤッと笑みを浮かべてやった。

『え、ええ、そそそ、そりゃもう一生忘れる事はないッス。でで、で、きょ、今日はどんなご用でしょうか。か、肩もみですか? おおおお、お茶淹れましょうか? そそそそ、それとも、おおお、お食事ですか!?』

 もはや、ドラゴンの威厳もへったくれもなく、ラグナ君はひたすら卑屈な声でそう言ってきた。

 ……あれま、こりゃあ昔与えた「クスリ」が、いまだに相当効いているみたいね。

 あたしが言うのも何だけど、ちょっと可哀想になってきたわ。

 しっかし、カオス・ドラゴンに肩を揉ませたりお茶を淹れさせたり、挙げ句に「パシリ」としてこき使った事がある人間なんて、世界広しと言えども、あたしぐらいだろうなぁ。

『うーん、今日はそういう用事じゃないのよ。悪いんだけど、ちょっとこの壁に穴を開けて欲しいのよ。壁全体が崩壊しない程度で、人が通れるくらいのね』

 そう言って、あたしは、先ほどマリアが攻撃魔術をたたき込みまくっていた壁を指さした。

 そう。これが、あたしが考えた次善策である。

 この見た目こそ情けないラグナ君とて、『最強の中の最強』と言われるカオス・ドラゴンの一員である。

 その『終焉を司りし存在』という名は、伊達でも酔狂でもなく、魔術はもちろん、魔法でさえも、恐らくは遠く及ばないであろう、想像を絶する攻撃力の持ち主なのだ。

 実際、あたしは、彼がちょっと指で弾いた程度で、堅牢な城塞を跡形も無く吹き飛ばすというシーンを目撃しているし、これはかなりの自信を持って断言できる。

 そんな彼にとって、いかに強力な保護魔法が掛けられているとはいえ、この壁に穴を開ける程度は造作もない事だろう。

『わ、分かりました。えっと、人が通れる程度の最小限のサイズでいいんですよね?』

 なんか、酷くおどおどした様子でそう問いかけるラグナ君に、あたしは無言で首を縦に振って答えた。

 ……うーん、若気の至りとはいえ、彼にはちと酷い事したわね。

 まあ、ある意味で便利だからいいけど。

『そ、それじゃ、行きます!!』

 そう言って、ラグナ君は右手をそろそろと持ち上げ、三本ある指の一つを突き出すと、その指先をゆっくりとした動きで壁に当てた。

 瞬間、あれほど強固だった壁が、まるで溶けかけたバターで出来ているかのような呆気なさで、ラグナ君が指を当てている部分だけズブズブと凹んでいく。

 そして、体感で僅か数秒後。ラグナ君が、壁に潜り込んでいた自らの指をそっと引き抜くと、そこにはものの見事に「通路」が完成していた。

『はい、ご苦労様。それじゃ、ラグナ君。とりあえず、これで用事は終わったから、もう大丈夫よ』

『あっ、承知っす』

 そんなやりとりの後、あたしは気持ちを切り替え、ラグナ君を本来在るべき所へと戻すべく準備に掛かった。

 といっても、呼び出す時と違って、その逆は大した手間は掛からない。単に、強く『戻れ』と念じるだけでいい。

 呪文詠唱も何もなく、ただ静かに念じながら見ている目の前で、ラグナ君の巨体は辺りの景色と同化するかのように、スッと消えていく。そして、あたしの右手に再びサマナーズ・ロッドが「出現」した瞬間、あたしはホッとして安堵のため息をついた。

 あたしの手にサマナーズ・ロッドが戻ったということは、つまり、全てが無事に完了したという証である。

 久々に召喚術を使ったので、実はかなり不安があったのだが、どうにか無事に成功したようだ。

「ふぅ、なんとかなったわね……って、マリア?」

 ここに来て、あたしは、隣に立っていた彼女の異変にようやく気が付いた。

 恐らくは、人生初めて見たと思われる召喚術によほど驚いてしまったのか、彼女はポカンと口を開けたまま固まってしまっている。

 ……うーん、確かに刺激が強すぎたかもね。これは。

 なにせ、伝説級のカオス・ドラゴンが出てくるわ、彼女があれだけ攻撃魔術をたたき込んでも、ビクともしなかったあの壁にあっさり穴開くわ、むしろ、これで驚かない方がおかしいというものだろう。

 ただ、幸いにして、ラグナ君とあたしの「会話」はマリアには届いていないので、さらに、『伝説のカオス・ドラゴンが、実はあんなヤツだった』という、トドメは刺されずに済んだだけマシだろうけど。

「うーむ、困ったわねぇ……。ちょっと、マリア。いい加減『こっち』に戻ってきてよ!!」

 と、とりあえずそう声を掛けてみたものの、予想通り、彼女はポカンとしたまま、人形のように固まったままだ。

 ふぅ、これはちょっと困った。当たり前だけど、いくら召喚術が使えるとはいえ、どっかに飛んで行っちゃったマリアの精神を呼び戻すことは出来ないし、かといって、このまま帰ってくるのを待つのも嫌だし……。やれやれ、ちょっとキケンだけど、こうなったら魔道師式の「気付け方」を実行するしかないか。

 虚空に「穴」を開き、手に持っていたサマナーズ・ロッドをそこに放り込むと、あたしは「風」の攻撃魔術の「構成」を脳裏に浮かべた。

 これは、先に床の掃除に使ったあの魔術ではなく、真空の刃を多数生み出し、それを広範囲に渡ってまき散らすという、正真正銘の攻撃魔術である。

 ちなみに、この真空の刃は、普通に放てば小山のような巨岩ですら、一瞬にして真っ二つに切り裂く程の、なかなか凶悪な破壊力を秘めている。

 もっとも、今回は思いっきり手加減してのものだが、しかし、他ならぬあたしが使う攻撃魔術である。小さくてヤワな家程度なら、容赦なくズタズタに切り裂き破壊してしまうだろう。その極悪魔術がロックオンしている目標は……目の前で惚けているマリアその人であった。

「我が内に眠る風よ。その偉大なる力を刃と成し、全ての物を切り刻め……」

 この魔術は、本来は出会い頭にいきなりぶっ放せるような簡単なものだが、今回はあえて丁寧に「呪文」を唱え、ゆっくりと「構成」を練り上げていく。

 まあ、「呪文」といっても、これは一般的に使われている現代魔術である。従って、召喚術のそれと違い、この文句自体に深い意味はない。適当に言葉を並べて作ったものである。魔術と魔法についてはおいおい説明するとして、今は意識を集中するための雰囲気作りみたいなもの程度に思っていて頂きたい。

「ウィンド・シア!!」

 最後に術名を叫び、「構成」と共に魔力を解きはなったその瞬間、パキーンと澄んだ音が辺りに響き渡り、それっきりなにも起こらなかった。

「こらぁ、いきなり攻撃魔術カマしてくれるなんざ、一体どういう了見じゃぁぁぁぁ!!」

 よほどビビッたのか、両目の端に涙さえ浮かべて怒声を上げるマリア。

 どうやら、あわやのところで我に返ったらしい彼女が、あたしが放とうとしていた魔術を無効化させたようである。

「はいはい、そんな怒らないの。あんまりボケッとしていたから、ちょっと驚いてもらっただけよ」

 何となくニヤリと笑みを浮かべてから、今にも噛みつかんばかりのマリアに、適当にそう返しておいた。

 そう。 そう、これが魔道師式だ。生命の危険を作って、本能に働きかけるという、スレスレの気付け方である。

 これは、同等程度の実力がある者同士という前提だが、攻撃魔術という「槍」と防御魔術という「盾」の勝負では、実は後者の方に分があるという点を利用している。もし自分が攻撃魔術の標的にされれば、相手がそれを放つよりも先に、なんとなく、その魔術の「系統」と破壊力を察する事が出来るからだ。

 これにより、それに対応した防御魔術を使ってやれば、相手の攻撃を未然に防ぐ事が出来るし、場合によっては、その影響範囲外に逃げる事も可能だ。

 もっとも、繰り返すがこれは相手が同レベルの実力者であるからこそ実行出来た事で、もし相手がしょぼいヤツだと意識が帰って来る前に、そのまま死後の世界に転送されてしまう。よって、間違えても無闇にマネしない事!! この警告に従わずに、取り返しが付かない不幸な事態を招いたとしても、あたしは一切関知しないのでそのつもりで。

「『ちょっと驚いてもらった』って、ヘタすりゃ驚く暇もなく『向こうの世界』にぶっ飛ばされていたでしょうが!?」

「・・・そのわりには、余裕かまして『無効化』なんていう、手間の掛かる事をやっていたような気がするけど?」

 すかさずそうツッコミを入れてやると、先ほどまでの怒りはどこへやら、マリアはいきなり得意げな笑みを浮かべた。

 実のところ、一言で『防御魔術』といっても、大まかに分けて二種類の系統がある。

 一つ目は、相手が使ってくる攻撃魔術に合わせて、こちらも魔術で「障壁」を展開する事によって防ぐもの。

 これは、簡単お手軽で咄嗟の場合にも制御しやすく、さらに、発動させるまでの時間も短いという長所があるので、一般的に多く使われる方法である。

 しかし、これは、言ってみれば、相手が振り下ろしてきた剣を咄嗟に盾で防ぐようなものなので、相手との力量差や読み間違いといった様々な要因により、防御に失敗する恐れがある。

 そして、もう一つの方法は、先ほどマリアが使って見せた「無効化」である。

 これは、言ってみれば、相手が振り下ろそうとした剣を素早く奪い取るといった感じで、防御方法としては完璧である。

 しかし、この方法の最大の欠点は、いかんせん難易度が高すぎるという事だ。

 とにかく「障壁」を張ればいいだけの前者と違い、こちらの場合は、相手が使おうとしている攻撃魔術の「構成」を完璧に読み取った上で、それを打ち消す魔術を使わねばならないのだ。それも、今まさに命が狙われているという、究極のストレス環境の中での話である。はっきり言って、相手がよほどヘボでもない限り、そんな悠長な事をやっていては、とても間に合うものではなく、いまいち実用性に乏しいのだ。

 それ故に、圧倒的大多数の魔道士にとって、防御魔術といえば、「障壁」を張る魔術の事を指すわけである。

 それなのに、マリアがあえて「無効化」を試みてきたという事は、つまり、それは彼女の絶対無比な余裕の現れ。

 言い換えれば、「そんな程度の腕で、あたしをどうにか出来ると思ったの?」と、暗に言ってくれたようなものである。

 確かに、仕掛けたのはあたしだし、怒られるのは当然だとも思っていたが、はっきり言って、これは一端の魔道士としてかなりムカツク!

「当たり前じゃないの。あれだけのんびりと『構成』を練り上げてくれれば、見習いだって防げるわよ」

 と、掛け値抜きに人をバカにしくさった口調で言いはなってくれるマリア。

 この瞬間、あたしのムカツキ度は、さらにポンと二百五十六倍くらい増幅された事は言うまでもない。

 ……コイツ、マジでぶっ飛ばしてやるかな?

 などと、半ば本気でそう思ってしまったあたしだが、幸い、そのどす黒い感情はギリギリの所で抑え込む事に成功した。

 ……フッ、運良く長生きできたわね。マリア。

「そ、それじゃあ、もうこれはいいわね。ほ、ほら、さっさと遺跡の奥に進むわよ」

 極力平静を装ってそう言ったつもりだったあたしだが、しかし、実際に喉から出てきた声は、我ながらかなりトゲが含まれたコワイものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る