第10話 遺跡へ3

 ……すいません、嘘付きました。あたし、まだ星になってません。

 というわけで、ここは危うく忘れそうになっていた例の遺跡。時刻は、ちょうど明け方といった所である。

 マリアがぶっ放した魔術は、本当に殺傷力がある攻撃魔術ではなく、幻影系に属するものの一つで、要するに、あたしが見た爆発はただの幻だったというわけだ。

 もっとも、ただの幻といっても、そのリアルさはローザが使うそれに勝るとも劣らないもので、あたしは不覚にもショックでしばらくの間気絶してしまった。

 ともあれ、そんなこんなで、一連の騒ぎが収まったあとでマリアから聞いた話によれば、あたしが寝かされていたテントは彼女が持参したもので、あの『祭壇』から少し離れた場所に設営してあるとの事だった。

 なんでも、テントから出ればすぐにあの『祭壇』が見えるという話だったが、早朝の森は深い霧に覆われていて、こうして外に出てみても、残念ながらそれを視界に収めることは出来なかった。

 ……うーむ、それにしても、なんか薄気味悪いわね。

 それこそ、この霧の向こうからいきなり妙なモノが……。

「あっ、お早いですね」

「うぎゃぁぁぁ!!」

 全くタイミング良く背後から声を掛けられ、あたしは思わず掛け値抜きに完璧な悲鳴を上げてしまった。

「って、マリア。無目的に気配を消して人の背後に立つんじゃない!!」

 と、弾ける様な勢いで背後を振り返り、そこにキョトンとした表情を浮かべて突っ立っていた彼女に向かって、あたしは思いっきり抗議した。

 まあ、わざわざ解説するまでもないとは思うが、よりによって人が少しビビっている時に、非常識にもコイツがいきなり声をかけてきたというわけだ。しかも、なぜか完全に気配を消してである。はっきり言って、文句の一つも付けてやらなければ、あたしの気が収まらない。

「あっ、申し訳ありません。つい、いつもの癖で……」

 あたしとは全く逆で、欠片ほども動揺の色を見せずに、マリアはそう言って軽く頭を下げた。

 ……いつもの癖って、あんたはプロの暗殺者か。ったく。

 まあ、素直にうなずかれてもイヤだから、あえて何も言わないけどさ。

「ま、まあ、いいわ。それよりも、お師匠……クレスタさんとローザって、本当に遺跡の調査に出かけているのよね?」

 気を取り直し、あたしはマリアにそう問いかけた。

 これは、彼女から昨日聞いた話なのだが、あたしが意識を失っている間に、お師匠とローザは例の祭壇を調べに出かけたらしいのだ。

 マリアの説明によれば、この二人が出発したのが、彼女がここに到着した昨日の昼過ぎぐらいで、夜までには戻るということだったらしいのだが、一晩明けた今になっても、二人が戻ってきた様子はない。

 まあ、遺跡調査の予定というのは、ほぼ未定に近いというのが実情だし、なによりも、あのお師匠がついているので、少々のトラブルが発生したところで、どうにかなるような事は無いと思うのだが……。なぜか、妙な胸騒ぎがする。

「ええ、この時にマールさんの看病を頼まれたので、ハッキリと印象に残っていますし、私の聞き違いという事はないと思います」

 と、マリアは自信ありげにキッパリと即答してきた。

「……でも、確かにちょっと戻りが遅いですね。もっとも、あのクレスタさんの事ですから、何か面白い事を発見があって、時間を忘れてそれを追いかけているのかもしれませんけれど」

 続けてそう言って、マリアは小さな笑みを浮かべた。

「まあ、それは十分にあり得るんだけど……。なんか、嫌な予感がするのよね。特に根拠があるわけじゃないし、あたしの思い過ごしだとは思うんだけど・・・」

 そんなマリアの言葉に思わず苦笑を浮かべてしまいつつ、あたしはそう答えた。

「分かりました。それならば、この霧が晴れてきたら、ちょっと様子を伺いに行きましょう。もちろん、私も同行しますよ」

「えっ?」

 思いもよらなかったマリアの言葉に、あたしは思わず聞き返してしまった。

「あら、私が同行するのはご不満ですか?」

 と、マリアは小さく笑みを浮かべながら、なんだか意地の悪い口調でそう言った。

「いや、そうじゃなくて、マリアが遺跡調査なんて、なんか意外だなぁと思って……。おれに、自分でやるなら依頼料は?」

 あたしがそう言うと、彼女は小さく肩を竦めた。最低でも二人組が、遺跡探査の基本ではあるが……。

「もしかして、私がデスクワーク専門の事務屋だと思っていましたか? うふふ、実は、これでも魔道院に入るまでは、細々と遺跡探索のまねごとをしていたんですよ。……ただし、間違っても『調査』などではなく、「盗掘」に近い目的でしたが。依頼料は契約通りに」

 そう言って、マリアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「そ、そうだったの……。って、確か『盗掘』って、思いっきり重罪だったような気がするんですけど」

 話の内容の割に、あまりにも無邪気な笑みを浮かべるマリアに、何となく背筋が寒くなるような思いを抱きつつ、あたしは我ながら乾いた声でそう返した。

 ……数ある遺跡の中には、その筋に売れば大金に化ける、文字通りの「お宝」が眠っていることもままある。となれば、それを狙う盗掘者が出現することは、ある意味で自然の摂理というものだろう。

 しかし、先にも述べたように、遺跡に眠っている「お宝」の中には、無造作に世の中に出すと危険なマジック・アイテムが含まれている場合がある。そのため、アストリア王国はもちろんのこと、世界中のほとんどの国では、極めて重い刑罰をもって、遺跡に対する盗掘行為を禁止しているのだ。

 ちなみに、このアストリア王国では、盗掘者に対しては一般的な窃盗の罪ではなく、国家反逆罪という、その名からしてごっつい重罪に問われる事となり、その本人はもちろん、家族や親類に至るまで、問答無用で死罪に処される事になる。もちろん、これをマリアが知らないわけはないと思うのだが……。

「ええ、重罪ですよ。もっとも、国が認めているかどうかの違いはあるものの、『調査』だって似たようなモノだと思いますけどね」

 あたしの胸中を知ってか知らずか、マリアはさらりとそう言って小さく笑みを浮かべた。

「全く、それをあたしに言うかな。あんたは……」

 と、マリアの言葉の裏に小さなトゲが含まれている事を感じ、あたしは苦笑してしまった。

 盗掘に勤しむ連中に言わせれば、調査隊なんぞ、やってる事は自分たちと大差ないくせに、国の後ろ盾があるお陰で、善人面して威張り散らしているクソ野郎ども。

 対して、調査隊に言わせれば、盗掘者なんぞ、遺跡の価値も分からず、手当たり次第に荒らしまくった挙げ句、二つとないような貴重な資料を台無しにする度し難い大バカ者。

 まあ、はっきり言って、両者の仲は極めて悪い。

 しかし、盗掘者の目的は一攫千金、調査隊の目的は魔道研究。危険を承知で、わざわざ遺跡に赴く両者の目的こそ微妙に違うが、何らかの利益を得るために、ひっそりと眠っている遺跡を暴くという意味では、どちらもさして変わりはないのだ。

 つまり、そういう意味では、盗掘者だろうが調査隊だろうが、あんまり変わらないという、マリアの考え方は一理あると言えなくもないのだが……。

 一応、あたしもかつては魔道院の遺跡調査隊常連メンバーである。

 盗掘者に荒らされるだけ荒らされ、ほとんど原型を止めないほどまで破壊された遺跡というのも何度も見ているし、あのクソ連中と一緒だと言われると、正直言ってかなりムカツクのも事実である。

 まあ、相手が相手だし、その辺は承知した上で、あえてこんな事を言ってきたのだろうから、面と向かって反論するような事はしないけどね。

「あっ。そういえば、マールさんは調査隊の一員として、過去に何度も遺跡に足を運んでいましたね。先ほどの発言は取り消します。素直に忘れてください」

 と、ニコニコ笑みを浮かべたまま、マリアはそう言ってきた。

 ……やれやれ、今さら何を言っているんだか。

「はいはい、素直に忘れさせて頂きます。ともかく、この霧が晴れる前に、とっとと出かける準備を済ませちゃいましょう」

 言いたい事はあったが、こんな所で不毛な言い争いをして得るものなどなにもない。あたしはさっさと話題を変えた。

「そうですね、了解しました」

 マリアは素直に納得してくれたようで、軽くうなずきながらそう言ってきた。

「それで、私は何をすればよろしいでしょうか? ここ久しく遺跡に潜っていませんし、元々はマールさんの『忘れ物』を届けるのが目的でしたので、実は今回の装備さえ把握していないのです」

 続けてそう言って、マリアは申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「分かった。それじゃ、マリアにはとりあえず朝食の準備をお願いするわ。それと、念のために、携帯用食料を適当にかき集めておいて」

 と、あたしはパッと思いついた事をそのまま指示した。

 なんか、食ってる場合か!! という話だが、古来より「腹が減っては戦は出来ぬ」というのは変わらない。とにもかくにも空腹を満たさない事には、なかなか他の事に気が回らないものである。

「了解です。実はこう見えても料理は得意ですので、任せておいてください」

 そう言ってニッコリと笑みを浮かべると、マリアはテントの中に戻っていった。

 ……そういや、マリアが料理している所って、一度も見た事なかったわね。

 半ば埋もれかけていた魔道院の記憶を掘り起こしつつ、あたしは漠然とそう思った。

 なにしろ、あたしの記憶にある限りでは、マリアは常に向かってなにか書き物をしているか、やたら難解なぶ厚い本を読んでいるかのどちらかなのである。

 はっきり言って、おおよそ料理などという家庭的な事をするとは思えないので、これはかなり意外な話だった。

 ちなみに、一応「親」でもあるお師匠が、生活力ほとんどなしという人だった事もあって、あたしも料理の腕には少し自信がある。

 まあ、別にあたしは料理人ではないし、こんな事を競い合っても仕方ないのだが、さてはてどんな料理が出てくるのか、マリアのお手並み拝見といったところである。

 もっとも、当然といえば当然なのだが、ここに持ち込んでいる食料は、やたらと塩気の濃い干し肉とか、その保存性だけが取り柄で、どうにも馴染み難い変な癖のある果物などといった、味よりも日持ちの良さを重視したものばかりである。

 これでは、例えマリアがどんなに凄腕だったとしても、味の方はあまり期待しない方がいいだろう。

「さてと……。『祭壇』があるって事は、この遺跡が作られた当時は、国政の中心に近い、かなり重要な施設だったってわけね」

 深い霧に包まれた森の景色を眺めながら、あたしは誰ともなくそうつぶやいた。

 まあ、言うまでもないが、こういった祭壇が設けられるという事は、つまり、そこで何らかの「儀式」が行われていたわけである。

 この遺跡に関して言うなら、古代魔法時代に建立されたと思われるので、ここで行われていた「儀式」というのは、宗教的な意味合いよりも、なんらかの大規模魔法を使うという、より「現実的」な目的で使われていた可能性が高い。

 と言っても、今現在使われている魔術は、魔道師が単独で使うものしかないので、こう言ってもピンと来ない人が大半だとは思う。

 しかし、過去にこういった遺跡から発見された古文書などによれば、魔法の中には、何人もの魔道師が寄り集まり、しかも何日もの時間を掛けて所定の手順を踏まないと行使できないという、とてつもなく強力なものが何種類かある事が分かっている。

 もっとも、そう言った魔法はいわゆる攻撃系のものではなく、例えば、ごく限定的な地域に限られるが、望み通りに天候を操作するなどといった『平和的利用』を目的としたものだったらしい。

 と、あえて「平和的目的で使った」と言い切らないわけは、こういった魔法は、使い方によっては間接的に攻撃目的にも十分使えるからである。

 明確に文章などの記録が残されているわけではないので、これはあくまでも邪推でしかないのだが、先ほど一例に挙げた「天候操作」の魔法など、恵みの雨を降らせたり、逆に大雨を収めたりすることも出来るが、その反面、しかるべき地域に望まれない大雨を降らせたり、干ばつを引き起こしたりすることも、また同じくらい容易なのである。

 これは、単にあたしがヒネているだけの事かもしれないが、「平和的」という言葉の裏には、どうにもきな臭いものを感じてしまうタチなのだ。

 まあ、それはともかく、そういった手間暇掛かる代わりに、絶大な結果を引き出す大規模魔法を使うための施設ともなれば、まさに一国の趨勢を左右する存在といっても過言ではない。

 むろん、そんなものをいい加減に扱うわけもなく、警備や管理は厳格に行われていたはずである。となれば、当然この施設に侵入しようとする者を退けるために、「固定武装」としてトラップが仕掛けられている事は十分考えられる話である。

 ……というか、あたしの経験によれば、そういった過去の重要施設だったと思われる遺跡には、「うっかり作動させてしまうと、それを自覚する間もなく命を落とす」という、かなりシャレにならないトラップが仕掛けられているのが、むしろ当たり前だった。

 しかも、実に厄介な事に、例え千年の時を経ていたとしても、古代魔法の技術を使って生み出されたそれらの凶悪なトラップ達は、ちゃんと本来の「性能」を発揮してくれる場合が多いのだ。

 ただし、こういったトラップは、通常は「祭壇」に到達するまでの通路などに設けられているもので、肝心要の「祭壇」付近は比較的安全なものである。

 当初、この遺跡でまともに形を保っているものは「祭壇」しかなかったし、ここまで来る間に遭遇したトラップといえば、せいぜい、ローザが落ちたあの落とし穴ぐらいのものだ。しかし、あの落とし穴は、重要施設跡のトラップとしては、かなり「甘口」の部類に入るもので、あたしに言わせれば、あんなのちょっとした余興みたいなものである。

 そんなわけで、あたしもちょっと油断していたのは事実だが、先にこの遺跡の調査に出かけた連中が行方不明になっているのだ。

 現時点では、あくまでも予想でしかないが、この連中は、恐らくどこかに仕掛けられていたのであろう、致命的なトラップを作動させてしまったのだろう。

 そして、あまりそうは思いたくないが、お師匠とローザの二人も、やはり……。

「ふぅ、こりゃ本気で取りかかった方がいいわね。全く、一万クローネじゃ割に合わないわよ」

 胸中でもやもやしている嫌な感じをなるべく意識しないようにして、あたしはそう独りごちてため息をついたのだった。


「こ、これは……!?」

 目の前のその光景に、あたしはただただ唖然とするしかなかった。

 ……折りたたみ式の簡易テーブルの上に、所狭しと並ぶもの。

 それは、実に凝った盛りつけがなされ、いかにもおいしそうな香りを振りまいている料理の数々だった。

「申し訳ありません。必要な材料がなかなか手に入らなかったので、こんなものしか作れませんでした」

 と、思わず固まってしまったあたしの心境を知って知らぬか、用意がいい事に白いエプロンを付けたマリアが、申し訳なさそうにそう言ってきた。

 ……こ、こんなもの?

 とんでもない。目の前にある料理は、掛け値抜きに最高級クラスの逸品としか言いようがなかった。それこそ、かつて宮廷晩餐会に招待された時の食事に匹敵するか、ヘタをすればそれを上回るほどの出来映えである。

 正直なところ、マリアの腕の善し悪しは別問題として、元々あまり期待していたわけではなかったので、これはもう「驚いた」というレベルの話ではなく、ショッキングな事件とさえ言ってもいいだろう。

「あの、どうかなさいました?」

 と、マリアがきょとんとした表情でそう問いかけてきた。

 一瞬、なにかの意地悪かとも思ったが、彼女の表情を見る限り、どうやら真面目にそう問いかけてきたらしい。

「ど、どうかなさいましたと聞かれても……。これだけの食材、どこで調達してきたのよ?」

 なんでそういう事聞くかな……などと思いつつ、あたしはとりあえず一番気になっていたことを、逆に聞き返した。

 なにもわざわざ言うまでもないとは思うが、いくらマリアが天才的な料理の才能を持っていたとしても、干し肉やら変な果物やらで、こんな超豪華料理など出来るはずがない。

 もっとも、どんな食材を使っても、最終的な料理の出来は、その料理人の腕によっていかようにでも変わるのだが、それにしても、やはり絶対的な限度というモノがある。

「あっ、これですか。実は、あまりに食材が乏しかったので、王宮の食料庫からちょっと拝借したんです。私のコネと「転送」の魔術を使えば、それほど難しい事ではありませんので……」

 と、何の気概もなく、マリアはさも当然とばかりにそう答えてきた。

「ちょ、ちょっと、それってなんか思いっきり犯罪っぽいような気が……」

 ……もしかして、聞いちゃいけない事を聞いたかも?

 ちょっと背筋に冷や汗など流しつつ、あたしが思わずそう返すと、マリアはニコリと笑みを浮かべた。

「あっ、その辺りはご心配なく。厨房の仕入れ帳簿と在庫数はちゃんと辻褄を合わせておくように手配しておきましたし、関係各所にはそれ相応の報酬も支払ってありますので、まずバレる心配はありません」

「あっ、そう……」

 全く毒気もなくさらりと返してきたマリアの弁に、あたしは気のない返事を返すのが精一杯だった。全く、こういう輩に地位と権力を持たせると、そのまま汚職街道まっしぐらに突っ走って、最後には自滅するのよね。しかも、当人には犯罪意識なんて微塵もないから、自滅した時に思いっきり開き直ったりするし……って、なんか変な事を口走ってるし。あたし。

「そんな事より、料理が冷めてしまいますので、とりあえず頂きましょう。もっとも、あまり出来が良くないので、我ながらちょっと恥ずかしいのですが」

 ジト目で見つめるあたしが気になるのか、マリアは微妙に早口でそう言って、さっさとテーブルに着いてしまった。

「……そうね。今さら何を言っても後戻り出来ないだろうし、あなたの話は聞かなかった事にするわ」

 不承不承にそう言って、あたしもテーブルとセットになっている椅子に腰を下ろした。

 そう。なんのかんの文句を言ったところで、こうして料理となってしまった後では、もはや返品不可である。となれば、いっそなにも知らなかった事にして、目の前の料理を素直に味わった方が何倍もマシだろう。

 もちろん、後でこの件が露見するような事になれば、あたしも不本意ながら共犯となってしまう事は分かっているが、それはこの料理を食べても食べなくても変わらない。

 マリアの事だから心配ないとは思うけど、もし、あとで「食材窃盗の罪」とかで王国内全土に手配されるような事になれば、あたしはもう生きていけないかも知れない。いや、マジで。

「もう、心配しなくても大丈夫ですよ。我ながら根回しは完璧ですし、万が一バレても、私が全責任を持って闇に葬りますから」

 どうやら、あたしの心境を察したらしく、お気軽な調子でそう言って、マリアは小さな笑い声を上げた。

 ……なんか、『根回し』だの『闇に葬る』だの、メチャクチャどす黒い発言なんですけど。たかがメシで。

 ともあれ、マリアの口から、明確に「全責任を取る」と聞いた以上、もはや心配することは何もない(というか、そう信じたい)。

 こうなったら、食材の入手経路は気にしない事にして、あとは目の前の料理を全て平らげるのみである!!

 などと、ほとんどヤケクソ気味に心を決め、手近にあったスプーンを取るのももどかしく、あたしは手始めにスープ皿に手を付けた。

 ・・・なんだろう、ウマいぞ。これ。

 恐らくはトマトのそれだと思われる酸味と甘みが口中に広がり、そして……ええい、あたしゃどこかの自称「美食家」じゃないし、以下描写キャンセル!!

 とにもかくにも、このスープの味は、ほのかに感動すら覚えるほどの、文句なしに美味だった。そして、この時点で、あたしの脳裏から、野暮ったいマナーなどというモノは完全にすっ飛んでしまったのだった。

「うどりゃぁぁぁぁ!!」

 我ながら、食事中の言葉として不適切だとは思うが、しかし、生存本能の叫びには逆らえない。

 妙な声を上げつつ、あたしは目の前に並ぶ皿の中身を、とにかくひたすら胃袋に押し込む事に専念した。

 浅ましいと言うなかれ。なにしろ、あたしはここのところ非常に貧しい食生活を余儀なくされていたのだ。

 もはや、恥も外聞もマナーも理性も、とにかくその他色々を気にしている精神的な余裕はどこにも無かったのだ。

「あらあら、そんなにがっつかなくても、まだたくさんありますよ」

 などと、ニコニコ笑顔でマリアがそんな事を言ってきたような気がするが、その声はあたしの耳をただ通過していくのみ。

 残っていたスープをズズズーっと一気に飲み干し、なんかやたら豪勢な卵焼きらしきモノをズゴゴゴゴっと吸い込み、鶏肉のソテーらしきモノを丸飲みし……最終的にテーブルに並んでいた皿の八割近くを胃袋に収めた後、トドメにデザートのゼリーを吸い込んで、あたしはようやく人心地付いた。

「……ふぅ、ご馳走様」

 気が利く事に、マリアが差し出してくれた食後の紅茶をすすりながら、あたしは彼女にそう言った。

「はい、お粗末様でした。……ところで、まだたくさんありますけど、もうよろしいのですか?」

「えっ?」

 予想外のマリアの言葉に、あたしは慌ててテーブルを見回した。

 すると、先ほどまではその上に並ぶ皿のほとんどが空っぽだったはずなのに、いつの間にか、まるで誰も全く手を付けていないかのように、全ての皿にお行儀よく料理が並んでいた。

「……さながら、第二ラウンドというところですね。まさか、あのマールさんが「前菜」程度で戦線離脱しませんよね?」

 あたしが驚いていると、なんだか含みを込めた声でそう言って、マリアはニヤッと笑みを浮かべた。

 不思議なもので、ついさっきまではほぼ満腹感で満たされていたはずなのに、この瞬間、胃の辺りの圧迫感がスッと消えた。

 ……ほぅ、面白い。

 なにせ、もうピークはやや過ぎたとはいえ、その昔、魔道院内の格安食堂を臨時休業に追い込んだことから、悪魔の胃袋という異名を拝命したこのあたし。

 この程度でリタイヤしては、当時、ご迷惑をおかけした食堂のおばちゃんに申し訳が立たぬというものである。

「フッ、後で泣いても知らないからね」

こちらも負けじとニヤリと笑みを返しつつ、あたしはテーブルに並ぶ料理に挑み掛かったのだった。

「うどりゃぁぁぁぁぁ!!」


「……なるほど、噂に違わずなかなかやりますね」

 いつの間にか「フード・ファイト」と化してしまった朝食の場。

 その第九ラウンドが終了した瞬間、マリアはなぜか嬉しそうにそう言った。

「な……なぁに……この程度は……文字通り朝飯前……うっぷ」

 もはや、限りなく臨界点に近いお腹をさすりつつ、あたしはどうにかこうにかそう言い返した。

 ……うーむ、ちと調子に乗りすぎたかも。うっぷ。

「うふふ、頼もしいですわね。ですが、残念ながら、先ほどお出しした分で食材が尽きてしまいましたので、これで打ち止めです」

 と、マリアはそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 ……ふぅ、とりあえずあたしの勝ちって事ね。

 とはいえ、こちらも全く無傷の完全勝利というわけではなく、それなりの「勝利の対価」を支払う事となった。

 なにしろ、あたしが食べ尽くした料理は、少なく見積もっても二十人前以上はあろうかという勢いなのである。そして、その膨大な量に及ぶ料理を一人で平らげたのは、他でもないこのあたし。いかに人より強靱な胃袋を持つと自覚しているとはいえ、さすがにこれはちょっと無茶というものである。はっきり言って、もう水を一口飲むのも不可能なほどの超満腹状態だ。

 なんだか、鳩尾の辺りを触ってみるとぽっこりと膨らんでいるような感じだし、お腹がきつすぎてちょっと動くのもイヤだし、なにより、息苦しいのがかなり辛い!

 ……それにしても、今さらだけど、こんな事を争ってなにか意味があったのだろうか?

 そもそも、この勝負に勝とうが負けようが、どのみち苦しい思いをする事に変わりないし、例え勝った所で、なにか賞品とか賞金が出るわけでもないし……。正直、こんな事は言いたくないけれど、あたしって思いっきりバカかも?

「あの、酷く顔色が悪いようですけれど……もしかして、胸焼け全開逆噴射秒読み段階だったりしますか?」

「まあ、なんとか大丈夫よ。少し休めばどうにかなるし」

 ちょっと困った様子でそう問いかけてきたマリアに、あたしは極力平静を装ってそう答えてやった。

 もっとも、正直な所、決して心の底から「大丈夫」だと言えるような状況ではないのだが、こんなものあと十五分も経てばどうにかなるだろう。

 ……しっかし、どうでもいいけど、『逆噴射秒読み段階』とは、また微妙な表現ねぇ。

「そうですか。もし、危なくなったら、最優先でそう教えてくださいね」

 と、妙に真面目な顔でそう言いながら、マリアは指をパチンと鳴らした。

 すると、テーブルの上を占領していた皿が一瞬にして消え失せ、代わりにティーポットやらカップやらという、お茶セット一式が出現した。

 うん、これぞまさに魔術って感じね。しかも、野暮ったい「呪文」をつぶやく代わりに、指なんぞ鳴らしてさりげなく決めてくれる辺り、いかにもベテランっぽくていい感じだわ。

「さて、お話は変わりますが、これからどうなさいますか?」

 手慣れた様子でお茶を淹れつつ、マリアがそう問いかけてきた。

「うーん、どうするもなにも、とにかく様子を見に行かない事には、なんとも言えないわね。……ただ、これは、今のところあたしの勘でしかないんだけど、この遺跡は、楽観的に見ても『一級』クラス、下手すれば、『特一級』クラスに該当する可能性もあるわ。念のために確認しておくけど、それでもあなたは同行するのね?」

 と、わざと声のトーンを低めにして、あたしはマリアにそう言った。

 この「一級」だの「特一級」だのというのは、こういった遺跡に対する魔道院式の分類方法の一種で、いわば「遺跡の格付け」みたいなものだ。

 これは、実際に調査を行った調査隊が、その規模や探索する上での危険性、さらには重要度などから総合的に判断し、最終的に提出する報告書に必ず記載しなければならないもので、正式には一番下の「四級」から最上級の「一級」までの四段階がある。

 これを目安に、場合によっては編成されるであろう、追調査隊のメンバーを決定したり、その遺跡の調査優先度が決まったりするので、実はかなりシビアに考えなくてはならないのだ。

 ちなみに、「1級」クラスの遺跡というのは、「人口数万人程度の都市に匹敵する規模。もしくは、十分な経験を積んだ者が入念な準備を行っていても、人的損害が発生する可能性が極めて高い」というのが、おおよその判断基準である。

 このクラスに分類された遺跡は、よほど重要度が高いと思われる場合を除いて、原則的に調査断念という扱いになり、軍の協力の下で厳しい立ち入り規制が行われる事となる。

 これが、公式記録上では難易度最上級の遺跡となるわけだ。

 しかし、これは今も恐らく継続されている「伝統」だと思うが、遺跡探査の実働要員の間では、その「一級」の中でも、とりわけ危険かつ厄介なものを、あえて「特一級」という非公式なランクに分類している。

 この「特一級」というのは、「例えその遺跡がどれだけ重要度が高くとも、絶対に足を踏み入れてはならない」。つまり、「正真正銘、調査不能」というわけだ。

 まあ、ここまで色々と話してしまったが、つまり、あたしがマリアに言った事は、見た目は大したことがなさそうなこの遺跡。その実、半端な装備と覚悟では絶対に足を踏み入れてはならない、超危険地帯だという事である。

 はっきり言って、どれほど遺跡調査の経験を積んだ魔道士であっても、「一級」とか「」特一級」クラスの遺跡が相手となれば、誰でも決死の覚悟で挑むものである。もし、ここでマリアが尻込みしたとしても、それを責める者は誰もいないだろうし、それどころか、賢明な判断だと褒められてしかるべき事ですらある。

 しかし、彼女から返ってきた答えは、ある意味であたしの予想通りだった。

「もちろん、私もご一緒しますよ。これでも、マールさんの足を引っ張らない程度の自信はあるんです」

 そう言って、マリアはビッと親指を立てて見せた。

「ふ~ん、言ったわね。あとで後悔しても知らないわよ」

 と、思わず苦笑してしまいながら、あたしは冗談めかしてマリアにそう言った。

 まあ、どうも彼女は「経験者」らしいし、遺跡に潜るというのがどういう事なのかは、恐らくちゃんと分かっているだろう。

 ただ、「一級」クラス以上の遺跡など、そうゴロゴロしているわけではなし、マリアが過去に潜ったという遺跡に、果たしてこのクラスの凶悪無比な代物があったかどうかは、ちょっと疑問である。

 はっきり言って、「一級』クラスの遺跡と比較すれば、その大多数を占める「二級」以下の遺跡など、ちょっとした「冒険ゴッコ」が出来る遊び場みたいなもの。そこに潜む危険度がまるで違うのだ。怖さを知るだけに、正直、出来ることなら、あたしだってこのままさっさと帰りたいぐらいである。

 もし、マリアが過去に潜ったという遺跡に「一級」レベル以上の凶悪なものがなく、その上で甘く考えているのなら、ここは無理にでも思いとどまらせた方が、マリアやあたし自身の為というものだ。

 なにしろ、うっかり罠を発動させてしまったら、その発動させてしまった本人だけでなく、ほぼ確実にその連れも巻き添えを食らうのだから……お互いにね。

「後悔などしませんよ。実は、こう見えても私、あの「レビィ・サップ」で、地下二十八階まで潜って生還した、数少ない人間の一人ですからね」

「『レビィ・サップ』!?」

 心なしか、ちょっと胸を張って言うマリアの言葉に、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 「レビィ・サップ」というのは、お隣のミスティール王国領にある巨大な遺跡である。

 ここは、地上部分だけ見れば、さほど凶悪な罠などもない、比較的安全に探索できる遺跡の一つといえる。

 しかし、この遺跡の地下階層に一歩足を踏み入れると、それは見事なぐらい一転する……生還率0.0001%。

 この数字が示すとおり、「レビィ・サップ」遺跡の地下階層は、おびただしい数の凶悪な罠が配され、「守護者」として放たれた凶暴な魔法生物たちが跳梁跋扈する、まさに死の世界なのである。

 その上、さらに厄介な事に、この地下階層は掛け値抜きに広大なのだ。

 一応、現段階で確認されているのは地下二十八階まで。

 ただし、一階降りるごとに凶悪さを増していく罠と魔法生物たちに阻まれ、この階はまだ探索が完了していないので、さらに深い階層がある可能性は否定できない。そんなわけで、この遺跡の別名は「無限迷宮」。

 発見されてから十年以上の歳月が流れ、記録に残るだけでも十万名以上の魔道師たちが命を落とした「レビィ・サップ」は、文句なしに「特一級」クラス。

 そんな遺跡の「暫定最下層」まで潜り、なおかつ生還したなどという猛者中の猛者は、あたしが知る限りでは、この階層の「第一発見者」でもある、自分自身とお師匠の二人しかいない。

「マリア。冗談なら、もっと笑える事言いなさいよ」

 「あの場所』の恐ろしさを知っているあたしは、当然ながらマリアの言葉をにわかに信じられず、思わずそう返してしまった。

「うふふ、そう言うと思いましたよ。でも、これは下手な冗談や嘘ではありません。・・・地下二十七階から降りてきた階段そばの壁に、『二十八階到達記念 M・クレスタ F・クレスタ』と彫り込んであるのを確認しましたし」

 そう言って、マリアは片目を閉じて見せた。

「……なるほど。信じるしかないわね」

 そんなマリアに、あたしはそう言って思わず苦笑してしまった。

 そう。これは当然ながら報告書にも記していない事なのだが、散々苦労した末に地下二十八階の床を踏んだ瞬間、その嬉しさのあまり、あたしは思わず手近の壁にメッセージを彫り込んでしまったのだ。

 この事は、あたしは誰にも話していないし、お師匠も知らないはずなので、このメッセージは、本当に地下二十八階まで到達した者でなければ、まず知らないだろう。つまり、マリアは本当に地下二十階まで潜り、そして、無事に生還した三人目(但し、あたしが把握している分だけ)の人というわけだ。

「そう言う事なら、「一級」クラス以上の遺跡がどういうものか、ちゃんと理解しているし、十分な覚悟も出来ていると思っていいわけね。言っておくけど、自分の身は自分で守るしかないわよ」

「もちろんです。ここのところ、ずっとデスクワークばかりでしたし、ちょうどいい刺激ですよ」

 あたしの言葉に、マリアは事もなげにそう答えて来た。

「いい刺激ねぇ……。鈍った体を解す運動にしては、ちょっと過激だとは思うけど」

 静かな口調の裏に、揺るぎない自信を見せるマリアの様子に、あたしはまたもや苦笑してしまいながらそう答え、すっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干したのだった、

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