第9話 遺跡へ2

「……なるほど。これは『祭壇』ね」

 ノートに記した記録と、ここからやや離れた場所にある「それ」を交互に見ながら、あたしは誰ともなくそう言った。

「そうだな。今までの石柱群は、この祭壇に通じる道だったってわけだ」

 あたしのつぶやきに答え、お師匠があんまり面白くなさそうにそう言った。

 ・・・まあ、ベテラン揃いの調査隊が失踪したと聞いて、どんなものかと思って来てみた結果がこれじゃ、「濃ゆい」遺跡が大好きなお師匠がこういうのも無理はない。

 そう。最初に調べたものと同じような石柱をいくつも辿っていく内に、あたしたちの目の前に忽然と姿を現したのは、何の事はない、ただの石造りの「台」だったのだ。

 もっとも、「ただの台」といっても、その大きさはかなりのもので、ちょっとした屋敷の玄関ホール程度の面積はあるだろう。

 かなり風化してボロボロになっているとはいえ、よくよく見れば、その「台」にはびっしりと彫刻されていたような形跡があるので、それなりに手間暇かけて作られたのは間違いない。

 これを一目見た瞬間、過去の経験から、あたしは即座に「祭壇」だと推測したのだが、お師匠がそれに異を唱えなかった所からすると、恐らくかなりの高確率で正解だったのだろう。

 もっとも、「祭壇」といっても、この時代のそれは宗教関連の儀式ではなく、通称「儀式魔法」と呼ばれる大規模な魔法を使う際に使われる事が一般的だったようである。

 つまり、見た目はかなり寂しいが、この「祭壇」とてなにかしらの「お宝」が残されている可能性がないわけではないのだ。

 ……まあ、こんな野ざらしの状態では、残るモノも残っていないという可能性の方が、圧倒的に高いのだが。

「ふーん、『宝箱』って聞いていたから、一体どんなものがあるんだろうって思っていたけど、案外ショボイのね」

 と、なんだかぼやくようにそう言うローザの声が聞こえ、あたしははたと我に返った。

 見ると、彼女は完全に油断しきった様子で、朽ちた祭壇跡に向かってトコトコと歩み寄っていたのである。

「あっ、こら。ローザ、危ないからこっちに・・・」

 そんな彼女の様子を見て、あたしは慌ててそう叫んだ。

 しかし、その言葉が終わる間もなく、ローザの姿が忽然と消えてしまったのである。

 瞬間、頭で状況を認識するより早く、あたしは「祭壇」に向かって思い切りダッシュしていた。

 そして、程なく視界に現れた、地面にぽっかり空いた穴へと、躊躇う事無く飛び込んだのである。

 ……ったく、言わんこっちゃない!!

 一瞬にして闇に閉ざされた視界と、強烈な落下感を感じつつ、あたしは胸中でそう毒づいた。

 そう、なんの事はない。完全に油断しまくって「祭壇」に近寄っていったローザは、その途中で突然地面に出現したこの穴に落ちたのである。

 まあ、早い話、彼女は古来から伝わる原始的な罠の一つ、落とし穴に見事にはまったというわけだ。

 しかし、原始的とはいえ、ちゃんと作れば十分な殺傷力を持つ罠である。

 なにしろ、魔法と比べれば遙かに効力が弱い魔術でさえ、その気になれば一瞬で数百メートル程度の深さをもつ穴を掘る事も出来るのだ。

 現に、この穴に飛び込んでからすでに数秒は経っているはずなのに、未だにあたしの体が深い闇の中を延々と落下し続けている事を考えても、この落とし穴はかなりシャレにならない深さがあると判断していいだろう。

 どうにも慣れそうにない落下感と耳に響く風切り音に閉口しつつ、それでもなんとか精神を落ち着かせ、あたしはある「構成」を脳裏に強く描いた。

『……風よ。我が意に従い、足となれ!』

 瞬間、あたしの全身が淡い光に包まれ、落下速度が一段と増した。

 ……いや、「落下」速度というのは間違い。正確には、「降下」速度というべきだろう。なぜなら、今あたしは自然に任せて自由落下しているわけではなく、風の精霊を操る事で空を飛ぶ「飛翔」の魔術を使って、意図的に「急降下」をかけたのだから。

 そんな事を言っているうちに、あたしの全身を覆う淡い光に照らされ、なんとも情けない格好で落下していくローザの姿が見えた。

 さして広くないとはいえ、この落とし穴は、あたしたち二人が横に並んで通れる程の幅がある。

 あたしは魔術をコントロールして、変な格好で宙を舞うローザの脇に並び、左手を彼女の腰に回す様にしてしっかりと抱え込むと、同時に地上方向に向かって「急上昇」をかけた。

 そう。ローザが落とし穴に落ちた瞬間、あたしが反射的に思いついた「作戦」は、こうやって「飛翔」の魔術を使って、ローザを地上まで引き上げようというものだった。しかし、あたしたちの「降下」は止まらない。

 一応、地上に向かって「上昇」しようとする力がブレーキとなったらしく、速度こそ急速に減じたものの、ただそれだけである。

 ここにきて、あたしはようやく致命的なミスを犯していたことに気が付いた

「ちっ、なにやってるのよ。あたしは……」

 ちらりと眼下を確認しつつ、あたしは思わずそう毒づいてしまった。

 幸い、まだこの落とし穴の底までは距離があるらしく、あたしの目に映るモノはひたすら奥が深そうな闇しかないが、だからといって、このまま永遠にこの落とし穴が続いているはずもない。

 あたしとて、命と引き替えにこの落とし穴の深さを測るつもりも義務もないので、一刻も早く「上昇」するに超した事はないのだが、しかし、あたしの技量ではこれが限界なのである。

 なにしろ、この「飛翔」はあたしが単身で空を飛ぶように創った、いわば「一人用」なので、今回は完全に「荷重超過状態」なのだ。別にローザがむやみやたらに重いと言っているわけではない。むしろ、彼女は標準よりやや痩せ気味ですらある。しかし、元々空を飛べないはずの人間が、半ば強引に空を飛んでしまおうというのがこの魔術ゆえに、その扱いは大変難しいのだ。

 過去に体を張って実験した結果によると、この魔術が真の力を発揮できるのは、あたし自身の体重プラス十五キロ程度まで。

 これ以上重い物を持って飛ぼうとすると、極端な話、コントロール不能になり、どこに吹っ飛ぶか分からないという状況にすら陥りかねない。

 いかなローザがややスレンダーとはいえ、まさか体重が十五キロという事はあり得ないし(なお、正確な数値を本人に確認するほどあたしは無謀ではない。念のため)、正直なところ、こうして曲がりなりにもまともにコントロールしているだけでも、すでに奇跡に近い状態なのである。こんな事、他でもない自分が一番よく分かっていたはずなのに……。

って、悠長に(?)落ち込んでいる場合ではない。確かに、過去を省みるのは重要な事ではあるが、しかし、それは現状で最優先されるべき事ではない。

 「飛翔」がダメなら、あとは……。

 と、急速に高まろうとする焦燥感を何とか抑え込み、あたしは次の策を講じるべく思考を巡らせた。

 まず、真っ先に思いついたのは、問答無用でローザを「投棄」することだったが、これでは、そもそもあたしがこの落とし穴に飛び込んだ意味がないので即時廃案とした。そして、次に思いついたのは、この穴の底に向かって「爆発系」の攻撃魔術をたたき込んでやることだった。こうすれば、爆発によって発生する衝撃波によって、あたしたちは地上に向かってはじき飛ばされ、なんとか脱出出来るかもしれない。しかし、これもすぐさま廃案となった。

 というのも、あたしの攻撃魔術はどれも凄まじく破壊力がある。なぜか知らないが、そういったものしか発動しない。こんな密閉空間でそれをやるには、まだ私は命の方が惜しい。そんなわけで、この案もボツというわけだが、そうなると、あとは……。さらに脳みそを高速回転させ始めたときだった。

 不意に、誰かが背後からあたしの服の襟元を思い切り引っ張った。

「うぐえっ!!」

 襟元を背後から引かれた事で、結果的に首締め状態になってしまったあたしは、思わず踏みつぶされた蛙のような声を上げてしまった。

 反射的に、喉に食い込んでいる服の襟に両手をやりそうになったが、危うい所でローザを左手で抱え込んでいた事に気づき、空いている右手だけで喉に食い込む服を引き離そうとした。

 しかし、あたしの襟元を引く力は尋常ではなく、とても片手でどうにか出来るレベルではない。例え両手が使えたとしても、恐らくこの首締め状態からは解放されなかったに違いないだろう。

「……くっ!」

 あまりの息苦しさと喉を締め付けられる痛みに、あたしは声にならない悲鳴を上げてしまった。

 もはや、ここから脱出するための次善策を考えるどころの騒ぎではなく、あたしに出来る事と言えば、無駄と知りつつ右手の指を喉と服の間に差し込む事と、抱えたローザを落とさないよう、左腕に力を込めるだけ。

 しかし、程なくそれも限界に近づいてきたようだ。

 酸欠によって、意識が急速に失われていく中、あたしの視界に最後に飛び込んできたのは、一面に広がる真っ白な光だった。


「……ん?」

 小さく声を上げながら、あたしはゆっくりと目を開けた。

 すると、まず視界に飛び込んできたのは、薄暗いオレンジ色の明かりに照らされた、白っぽい色をした天井だった。

 まだ寝ぼけているのか、どうにも記憶がハッキリしない。

 ……はて、ここはどこだ?

 胸中で何となくそうつぶやきながら、あたしはゆっくりと上体を起こした。

 そして、辺りを何気なく見回してみると、ここはちょっとした部屋ぐらいはある、かなり大きなテントの中のようである。

 あたしは、その大きなテントのほぼ中央部分に寝かされていたようで、テント内の所々にぶら下げられたオレンジ色の光の中に、あたし以外の人の姿はない。

 しっかし、なんか頭が重い。それこそ、今すぐもう一度横になって目を閉じれば、何の苦もなく「二度寝」出来るだろう。

 ……っと、待てよ。そういや、あたしはいつ寝たんだっけ?

 不意に胸中にこの疑問がわき上がった事をきっかけに、今までぼんやりしていた頭の中が、まるで霧が晴れるかのように、急激にクリアになってきた。

 ……思い出した!!

 そういえば、あたしは落とし穴に落ちたローザを拾い上げるべく、なにも考えずその後を追ったまでは良かったが、頼りにしていた『飛翔』がイマイチ効果を出さなくて……。

「あ~っ!?」

 ようやく記憶の糸が繋がった瞬間、あたしは思わず声を上げてその場に立ち上がっていた。

 その勢いで、あたしの体に掛かっていたボロ毛布が勢いよくすっ飛んでしまったが、それはどうでもいい。

 ……そう、あの時、自分の失策に気が付き、焦りに焦りまくって次に打つ手を考えていたとき、いきなり背後から服の襟元を思い切り引っ張られたせいで、危うく窒息死しかけたのである。

 というか、あたしはてっきりもう死ぬものだと思ったのだが、こうして自分の足で立っている以上、どうにかこうにか命は取り留めたのだろう。

 それはともかく、冷静になって考えてみれば、落とし穴の奥深くを落下している最中に、いきなり誰かに背後から引っ張られるというのは、どう考えてもおかしい話である。

 まあ、唯一可能性があるとしたら、それはあたしのすぐ脇にいたローザなのだが、あたしが左手で抱えた時でさえ、彼女はピクリとも動かなかったし、恐らくは気絶していたはずである。

 まあ、落下中にいきなり正気を取り戻した彼女が、パニックを起こしてあたしの服を力任せに引っ張ったという可能性もなきにしもあらずだが、それだと、あたしが寝ている場所は、こんな快適なテントの中ではなく、尖った杭が一面に埋められた落とし穴の底だろし、そもそも、二度と目を覚ます事はなかったはずである。

 となると、これは一体……?

 超高速で思考が堂々巡りを始め、あたしの脳みそが灼熱し始めた時である。

 あたしのすぐ背後に、なにやら人の気配を感じた。

 反射的に振り向こうとしたその瞬間、首筋にちくりと痛みが走り、あたしはそのまま動けなくなってしまった。

「チェック・メイト。どんな時でも油断してはいけませんよ」

「なっ……。そ、その声は、もしかしてマリア!?」

 まるで、囁くかのような小さな声が背後から聞こえた瞬間、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 そう、忘れるはずもない。

 このなにか、思わず抱きしめたくなるようなかわいらしさを感じる独特の声は、今まで散々名前だけ登場してきたマリア・コンフォートその人に他ならない。

 本当は、ここで背後を振り返って顔を確認したい所なのだが、なぜだか体が動かない。

「あら、覚えていてくださったのですね。とても嬉しく思いますわ」

 と、背中越しに返ってくる小さな声。

 しかし、そのかわいわしい声とは裏腹に、背筋がゾクゾクするような異様なプレッシャーを感じるのは気のせいだろうか?

「そりゃ覚えてるわよ。……それにしても、久々に会ったっていうのに、いきなり人の背後に張り付いて囁くなんて、なかなかいい挨拶じゃないの」

 思わず背筋に冷や汗を流しつつ、しかし、内心を表に出さないようにして、あたしは平然とした風を装ってそう返してやった。

「あっ、ごめんなさい。最近、魔道院ではこういう挨拶が流行っているもので、つい……」

 と、そんなマリアの声が聞こえ、同時に背後の気配が消えた。 

 瞬間、背中に突き刺さっていた異様なプレッシャーが消え、体の硬直が解けたあたしは、勢いよく体ごと振り向いてみたが、そこには人の姿などどこにもなかった。

「マールさん。私はこちらですよ」

 と、一瞬困惑してしまったあたしの耳に、再び背後……つまり、ついさっきまであたしが向いていた方から、いきなりマリアの声が聞こえてきた。

 慌ててもう一度回れ右をすると、そこには一人の小柄な女性の姿があった。

 長く伸ばしたサラサラのシルバー・ブロンドを頭の後ろで一つに括り、少しつり上がった、なんとなく強気そうな感じのする二つの目。

 緑と茶色がまだらにちりばめられたズボンと、おそろいの柄をしたタンクトップが妙に似合っている彼女は、間違いなく噂のマリア・コンフォートだった。

 ……むぅ、面妖な。いつの間に移動したんだ?

「それでは、改めて、お久しぶりですね。マールさん」

 そう言って、彼女はニコリと笑みを浮かべ、右手を差し出してきた。

 こうしてみると、彼女はまだ20代前半くらいしにしか見えないが、実はあたしの同期では最年長。確か、今年で28才になったはずである。

 ……なんというか、詐欺よね。女として。

「ふぅ、気配を消して背後に佇んでみたりする努力するなら、最初から素直にそうすりゃいいのよ……」

 と、思わず苦笑などをうかべつつ、彼女が差し出してきた右手を左手で掴もうとして……。

 あと数センチでお互いの手が触れるというところで、あたしは慌てて自分の手を引っ込めた。

 これは、特に明確な理由があったわけではなく、ただの直感なのだが、なぜか彼女と握手してはいけないという警告が脳裏に浮かんだのだ。

「なるほど。先ほどといい今回といい、さすがはマールさんですね。私としては、この仕込み針には自信があったのですが……」

 そう言って、マリアはあたしの目の前に、自分の右手の手のひらを突き出すようにしてかざしてみせた。

 すると、その手の人差し指の付け根辺りに、ランプの光を反射してきらめく何かがある。

 よくよく目をこらしてみると、それは極小さな針である事が分かった。

 ……って、おい!!

「ちょ、ちょっと、やっぱりそういうつもりだったわけ!?」

 思わず半歩ほど後じさってしまいながら、あたしは我ながら悲鳴のような声を挙げてしまった。

 マリアの手にあった針は、注意して見ないと分からないほど、短く細いものである。

 もちろん、こんな針が刺さったところで、せいぜいちょっと痛いと感じる程度。

 はっきり言って、よほど特殊な事情でもない限り、まず人が死ぬような事はないだろう。

 しかし、もしこの針に強力な毒薬が塗られていたとしたら、話は大きく変わる。

 あたしも、魔道師と名乗って恥ずかしくない程度に魔法薬の知識を持っているのだが、数あるそれらの中で、数種類ではあるが極微量で人を死に至らしめるという凶悪なシロモノがある。これらのうち、どれか一つの薬を塗っておけば、取り立てて殺傷力がないはずのこの小さな針は、類い希なる必殺兵器となるのだ。

 実はこれ、昔から暗殺の古典的な手法として使われているもので、あたし自身、かつて一度だけこれで危うく命を落としかけた経験があるので、マリアと握手する寸前に、なんとなくピンと来たのだ。

 ……ったく、現実に遺跡が存在したので油断していたけど、やっぱり今回の依頼は罠だったか!

「あっ、誤解しないでくださいね。これは、単なる挨拶の一環で、私はマールさんと事を構えるつもりはありません。その証拠に、ほら……」

 思わず身構えてしまったあたしの様子を見て悟ったか、マリアは少し慌てた様子でそう言って、彼女は躊躇う様子もなく、先ほどの針が仕込んであった右手を自分の左手の甲に思い切り押しつけて見せた。

 つまり、この針に毒薬の類は塗っていないという意思表示なのだろうが……。

「……あ、あんたねぇ、挨拶の一環って、いきなり『仕込み針』なんぞ食らいそうになったら、いくらなんでもぶち切れるわよ。普通」

 言い訳というには、あまりにもお粗末過ぎるマリアの弁に、あたしは思わずジト目で彼女を睨みながらそう言った。

 はっきり言って、毒が塗ってあろうがなかろうが、普通に神経がある人なら、針が刺されば当然痛みぐらいはある。

 それを、友好の印である握手の時にいきなりぶちかまされた日には、どんなに寛大な人でもほぼ確実に怒るだろう。

 まして、自慢にもなんにもならないが、人一倍堪え性がないと自覚しているあたしの事。もし相手がマリアでなかったら、今頃は完膚無きまでボコボコに叩きのめしているところである。

「そうですか。とりあえず、これで掴みはOKだと思ったのですが、お気に召さなかったようですので謝ります。ごめんなさい」

 と、わけの分からない事を交えつつも、マリアはそう言って意外にも素直に謝ってきた。

 ……もしかして、マジで『挨拶の一環』だと思っていたわけ?

 思わずそうツッコミそうになったが、何となく怖い回答が返ってきそうだったので、止めておいた。

 そういや、マリアって、どこか人と違う価値観を持っているというか、ボケているというか、なんかそういう面があったわね。 

 そのくせして、実はやたら太い人脈を持っていたり、いきなり魔道院の実権を握ったりしてしまうのだから、やはり表向きだけで人を評価してはいけないということか。

「ま、まあ、分かってくれればいいのよ。それより、なんだっていきなりあなたがここに現れるのよ?」

 とりあえず、マリアの謝罪を素直に受け取ったあたしは、話題を変えるべくそう問いかけた。もちろん、言いたい事は山ほどあったが、仕込み針を真面目に挨拶の一環だと言い切る彼女にぶつけた所で、ただ不毛な結果が待っているだけだと察したのだ。

 まあ、世界各地には色々な風習があるし、友好の証に仕込み針を突き刺すという地域があっても不思議ではない。うん、きっとそうだ。

「『現れる』だなんて……。もしかして、私がここにいるのは迷惑ですか?」

 と、いきなり目を潤ませて聞き返して来たマリアに、あたしは咄嗟になにも言い返せなかった。

 ……う、うわぁ、そんな「信頼していたのに、思っクソ裏切られた」とでも言いたそうな目であたしを見るなぁ!!

 っていうか、なんでそーなるのよ。あんたは!?

「と、少し調子に乗りすぎましたね。実は、先日このような物が届いたのですが、心当たりはありますか?」

 いきなり「素」に戻り、マリアはそう言って自分の目の前の虚空に「穴」を開き、その中からまだ新しい木箱を取り出した。

 横幅は大体あたしの肩幅程度、厚さは十数センチといった所で、それほど大きな箱ではないが、そのあちこちに「壊れ物」だの「危険物」だの「取り扱い注意」だのと朱書きされていて、サイズに見合わない妙な威圧感のようなものさえ感じる。

 ……はて、なんだこれ?

 怪訝に思いつつも、とりあえず彼女が差し出して来たその木箱を受け取ってみると、これがかなりずしりと重い。

 そして、その箱をよくよく見ると、きっちりと釘で留められた箱の蓋に『アストリア王立魔道院 マール・エスクード殿 親展』などと記されている。

「あれま、確かにあたし宛ね」

 思わず首をかしげてしまいつつ、あたしはぽつりとそうつぶやいてしまった。

 ……うーむ、あたしが魔道院を出てからすでに二年近く経っているのに、なんだって今さら魔道院に荷物が届いたんだか。

 と、不審に思いつつさらに箱のあちこちを眺めて見たが、これを送ってきた相手の名はおろか、それを察する手がかりとなるようなものは何一つなかった。

 はっきり言って、この上なく怪しいシロモノである。

 もしかして、これって……。

「あっ、念のため断っておきますが、これは私が用意した悪戯ではありませんよ」

 と、あたしが声に出すより早く、こちらの胸中を察したようで、マリアがそう言って小さく笑みを浮かべた。

 ……ふーん、悪戯ねぇ。

 なんとなくツッコミの一つでも入れてやろうかと思ったが、いちいち反論されても面倒くさいのでやめておいた。

 それよりなにより、目下の所一番気になるのはこの箱の中身である。

 そこそこ重たいので、さすがに片手で軽々というわけにはいかなかったが、両手で抱えるようにして問題の箱を軽く揺すってみたが、中で何かがカタカタ鳴るような事はないので、恐らく中身一杯に何かが詰まってるのだろう。

 しかし、当然だが、それで箱の中身が分かるわけでもなく、ここはやはり開けてみるしかない。少なからぬ警戒感を抱きつつも、あたしは箱を静かに床に置き……そして、いきなり困り果ててしまった。

「……あのぉ、釘抜き持ってます?」

 しばし硬直したのち、あたしは頭をポリポリ掻きながら、すぐ隣に佇んでいたマリアにそう問いかけた。

 まあ、我ながらもっと早く気が付くべきだったのだが、この木箱の蓋は何本もの釘で頑丈に固定されている。

 つまり、この蓋を開けるためには、「バールのような物」が必要となるわけだが、残念ながら、あたしの手持ちの道具の中に、そんな都合のいい物はなかった。

 一瞬、どこかその辺の壁とか床に、思い切りこの木箱を叩き付けて破壊してやろうとも思ったのだが、「壊れ物」とか「危険物」などと書かれている以上、そんな手荒な事は出来ないだろう。

 とまあ、そんなわけで、何となく感じる気まずい気持ちを抑え、あたしはマリアに救助を求めたというわけだ。もっとも、あまり期待していたわけではなかったのだが……。

「いえ、申し訳ありませんが、私もそういう便利な道具は持って来ていません」

 案の定、すまなそうに答えてくるマリア。

 ……やっぱりね。

 仕方ない。こうなったら、まずはこの遺跡の調査を済ませて、あとでポート・ケタス辺りの道具屋で道具を調達してから開けるか。

 などと、胸の内で決めかけていたあたしだが、しかし、次のマリアの行動でそれはご破算になった。

「……ですが、この程度の箱なら、道具がなくてもなんとかなると思いますよ。ちょっと貸してください」

 と、自信たっぷりに言い放ったマリアは、あたしが答える間もなく問題の箱に自分の右手を当てた。

「ちょ、ちょっと、一体何を……!?」

 予想外の事に、あたしが思わずそんな声を上げてしまったが、しかし、その言葉を途中で飲み込むハメになった。

「せーの!!」

 どこか暢気さを感じさせるマリアのかけ声と共に、バリバリと乾いた物が引き裂かれる音が響き渡る。

 なんというか、あたしもちょっと信じられない光景なのだが、いともあっさりと砕け散ったのは、問題の木箱の蓋。

 そう。実に非現実的かつ怖い話だが、なんと、マリアったら、右手一本でこの木箱の蓋を引きはがしてしまったのである。

 もちろん、この木箱は蓋も含めて、決してペラペラの薄い板で作られていたわけではなく、その厚さは少なく見積もっても3センチはある立派な物。人の力で引き裂けるようなシロモノではない。そして、箱の注意書き読んだか!?

「フッ、他愛もないですね」

 両手をパンパンと打ってゴミを落としながら、なぜか決めセリフなどをつぶやくマリアを、あたしはただただ見つめているしかなかった。

 ……い、いや、ちょっと待て。いくらなんでも、これは無茶だって。ねぇ?

「あら、そんなに驚かれていかがなさいました?

 こう見えても、ちょっと前に重歩兵用のプレート・アーマーに素手で大穴を開けましたし、それに比べればこんな木の箱などどうという事はありませんよ」

 思わず口をパクパクさせてしまったあたしの様子を見て、マリアは事も無げにそう言って小さく笑みを浮かべた。

 ……これはハッタリじゃない。マジだ。

 そんなマリアの様子を見て、心の奥底からそう確信したあたしは、思わず身震いをしてしまった。

 ……プレート・アーマーというのは、全身を覆う金属製の頑強な鎧の事。

 もちろん、こんなもんを普通の剣で一生ブッ叩いたところで、せいぜいちょっと傷が入る程度で、逆に剣が受けるダメージの方が大きいだろう。

 しかも、重歩兵用のプレート・アーマーとなれば、機動力など完全にそっちのけで、とにかくひたすら防御力を重視した、ほとんどの鋼の固まりみたいな代物である。そんなモノを素手でぶち破るとは……ダメだ。全く想像出来ん!!

「まあ、それはいいとして、箱の中身を確認しなくてよろしいのですか?」

 完璧にビビってしまったあたしを面白そうに見つめつつ、マリアがそう促してきた。

「そ、そうね。早いところ確認しましょう」

 そんな彼女に、あたしはすかさずそう答えた。

 言うまでもないとは思うが、あたしの胸中には、瞬時にしてツッコミが1000ダースほど浮かんだのだが、それは絶対に口に出してはならない。猛烈にそんな気がする。そう、この『エハンスド』という世界は、狭いようで実に広いのだ。

 旅を続けていると、改めてそう実感する機会が多々あるものだし、それは事実として素直に受け入れる事もまた重要な事である。

 とまあ、先ほどの「異常現象」は気にしない事にして、あたしは改めて問題の箱を見やった。

 その瞬間、時間に埋もれていたあたしの記憶の糸が、不思議なぐらいスムーズに一本の線となっていく。

「こ、これは……」

 そして、全ての記憶が完全に蘇った瞬間、あたしの口から自然とそんな声がこぼれ落ちた。

 思い出した。そういえば、魔道院を飛び出す1月ほど前に、あたしは確かに「これ」を……。

「あっ、うっかり申し忘れましたが、この荷物の送り主は……」

「……『金属の化身』エルダー・トマホーク。凄腕の武器・防具職人として世界に名を馳せるが、特にミスリル銀の加工においては、比肩する者がないと言われている名工」

 慌てた風を装ったマリアの言葉を遮り、あたしはつぶやくようにそう言った。

 もちろん、わざわざマリアにフォローして貰わなくても、あたしは全て分かっている。

 木箱の中に入っていたのは、恐らく緩衝材として詰められたのであろう。艶を抑えた黒い布をバックに、ランプの薄暗い光の中でも鋭い銀色の光を放つ強力な武器だった。

「もう、困りますよ。幸い、今回はいち早く私が気が付いたから良かったものの、魔道院に「こんな物」が送られてきたら、普通はとんでもない騒ぎになります」

 と、マリアは呆れたようにそう言って、大きくため息をついた。

「あ~、ゴメンゴメン。うっかり忘れていたわ」

 思わす苦笑を浮かべてしまいつつ、あたしはマリアにそう返した。

 ……確かに、『コレ』を魔道院に送ってもらうなど、控えめに言っても正気の沙汰じゃないわね。今から思えば、あたしも随分思い切った事をしたもんだ。

 なにしろ、マリアが持ち出した箱に入っていた物は、魔道士、特に魔道院に所属する者の間では、蛇蝎のごとく忌み嫌われている代物なのだから……。

 と、こう言えば、魔道士とその歴史を知る向きなら、あるいはピンと来たかも知れない。

 そう。マリアが持ってきた箱に収められていたのは、六連装の開放型回転式弾倉を備えた、いわゆるリボルバー・タイプの拳銃だった。

 この拳銃という武器は、経済的に余裕がある旅人なら、護身用として持ち歩いている人も少なからずいるだろうし、少し大きな武器屋であれば、刀剣類と共に売り場に並んでいるので、恐らく知らない人はほとんどいないだろう。

 それほどポピュラーな武器だけに、たかが拳銃程度でなにを大げさな話を……と思われるかもしれないが、実は魔道士にとって、この拳銃……いや、「銃」と名の付く全ての武器は、まさしく不倶戴天の天敵といってもいい。とにかく問答無用で、ひたすら嫌われまくっている代物なのである。

 というのも、銃という武器は、元々は魔術という圧倒的な力を持つ魔道士に対抗すべく、機械技術の粋を結して開発されたというだけの事はあって、実に恐るべき武器だからだ。

 なにせ、携帯性には優れるものの、見かけとは裏腹に意外に扱いが難しい拳銃でさえ、しっかりと腕を磨けば数十メートル先の目標を正確に撃ち抜く事も可能だし、あたし自身はまだ使った事はないが、より大型の狙撃銃と呼ばれるものになると、それこそ数百メートル先の目標を撃ち抜く事が出来るという。

 しかも、銃から高速で発射される弾丸を目で捉える事など不可能だし、もし頭や心臓などの急所を撃ち抜かれれば、それこそ一撃で即死である。

 もっとも、一撃で致命傷を負うというのは攻撃魔術でも同じだし、その破壊力は一発の銃弾がもたらすそれよりも大きい。

 しかし、攻撃魔術の場合は、その発動前に漏れ出す相手の微かな魔力によって、ほぼ確実にそれを事前に察知することが出来るが、銃の場合は、相手の殺気でも感じなければ、いきなりそこで人生が強制終了されてしまう。

 そんなわけで、「魔術に対抗できるのは魔術」のみとされていた常識を呆気なく瓦解させた銃というものには、機械技術に対する反感もあって、一般的な魔道士たちは強烈なアレルギーを持っているというわけである。そんなものが、よりによって魔道士たちの枢軸である魔道院に届いたらどうなるか。これは、あたしがあえて述べるまでもないだろう。マリアが呆れるのはごもっともである。

「まあ、結果的に問題にならなかったのでよしとしましょう。それにしても、なんでわざわざ魔道院にコレを送ったのですか? まさか、単なる嫌がらせというわけでは無いとは思いますけど」

 と、もう一度ため息をついてから、マリアはそう言って小首をかしげた。

「うーん。実を言うとね、これって今から三年ぐらい前、まだ魔道院にいた頃に、エルダー・トマホークに注文したものなのよ。ほら、銃を持った魔道士なんて他にいないだろうし、なんとなく面白そうだったから……」

 と、あたしがそう言うと、マリアは小さく肩をすくめた。

「なるほど。つまり、ちょっと目立ってやろうというわけですね。まあ、整備された道を素直に歩くより、道がないところに道を造る事を好むあなたらしいですけど」

「うっ……。もしかして、ちょっと怒ってる?」

 思いっきり呆れた声で返してきたマリアに、あたしは思わず冷や汗など流しながらそう問いかけた。

「いえ私はただ他ならぬあなた宛のこの荷物をなんとか隠匿しようと粉骨砕身誠心誠意頑張ったのにそれが単にあなたの下らない自己主張のとばっちりを受けただけでぶっちゃけこんな荷物なんかあっさり捨てちゃおうが送り返そうが無問題だったというこの上なく非人道的かつ無情な現実に対して強い憤りと抗議の念を覚えた事を暗に表明しようとしたに過ぎず別に怒っているとかそんな単純な事ではありませんよ」

 にこやかな笑みを浮かべつつ、マリアは棒読み口調でわけの分からない答えを返してきた。

 ……ほら、怒ってた。

「い、いや、そ、その、マリアに迷惑を掛けてしまった事は、あたしとしてももの凄まじく遺憾に思う所であり、また深く謝罪致しますので、なにとぞご容赦をよろしくお願いされて頂くと、とっても恐悦至極かと……」

 ただ静かに笑みを浮かべているマリアに、あたしは得体の知れない恐怖を感じ、思わず変な事を口走ってしまった。こ、怖い。マジギレだ!!

「うふふ……天誅(はぁと)」

「う、うわっ、は、話せば分かるぅぅぅ!!!!」

 

 ……そして、連続する爆発が百花繚乱咲き乱れ、このあたし、マール・エスクードは遠い夜空のお星様となったのだった。(合掌)

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