第5話 魔道院の闇

 ローザ曰く「ペンタム峠越え」を無事に完了し、アストリア王国北部地方に入った列車は、今日も淡々と鉄路を進んでいく。

「……ねぇ、さすがに飽きてきたんだけど」

 元々2脚合わせて4人座れる椅子の片方を占領して寝っ転がりながら、あたしは誰とも無くそうつぶいやいた。

「そんなに暇なら、この客車について技術的な視点から熱く語って上げてもいいけど?」

「遠慮しておきます」

 ローザの有り難くもなければ、鬱陶しいだけの申し入れを即座に却下して、あたしはぼんやりと天井を見つめた。

 途中、ペンタムシティでヒヤっとする事はあったものの、ローザが熱く語るだけの事はあって、ペンタム山脈越えの車窓はなかなかダイナミックで素晴らしかったし、とにかくあたしたちの旅はかなり順調に進んでいる。

 ……そう、順調に進んでいる事に関しては、むしろ有り難いぐらいなのだが、しかし、いかんせん順調過ぎてつまらないのである。

 もちろん、あたしとて厄介なトラブルを望むほど酔狂ではないが、だからといって、北部地方に入ってから延々と続く草原が広がるだけの車窓は1日で飽きるし、このペースで今日を含めてあと2日間もの時間を過ごすのは、はっきり言ってかなり厳しいものがある。とはいえ、ローザの熱いオタク話を延々と聞かされるというのも、それはそれで発狂しそうで嫌だけどね。

 ……あー、こりゃいかん。なんとかして面白いイベントを見つけなくては。

「うーん、客車の話がダメなら、本当にあったかもしれない怖い話……ってのも、あんたには全く効き目がないのよね。うーん、どうしようかな?」

 と、なにやらブツブツつぶやくローザの声に耐えかねて、あたしはため息をつきながらゆっくり身を起こした。

 ちなみに、万が一を考えてあたしはまだ変装したままなので、普段よりも遙かに長く伸びている髪の毛が鬱陶しくて仕方ない。

「そういえば、今までゆっくり話していなかったけど、あたしが魔道院から出たあと、みんなは元気にやってるの? もちろん、これはあなたも含めてね」

 あまりにも時間が余って仕方ないので、あたしはパッと思いついたネタをローザに振ってみた。

「ええ、みんな元気にやってるわよ。クレスタの旦那は相変わらず研究室をぶっ飛ばしてるし、ビトーは地下室にこもりっきりで、なんだか得体の知れない生物の観察をしているし、マリアは澄ました顔してひたすら書類にサインを書いてばかりで、あたしは変わらずお気楽魔道士をやってるわ……。ただね、やっぱりあなたが抜けた穴は大きいわよ。特に、あたしは愚痴と嫌みをぶつける相手がいなくて困ってるしね」

 そう言って、ローザは小さく笑みを浮かべた。

「もう、それは言わないでよ。なんて、強く言えた立場じゃないわね。みんなに迷惑を掛けたとは思うし、いつか謝らなきゃって思っていたのよ。ごめんなさい」

 本心からそう思って、あたしはローザにそう返した。

「まあ、確かに迷惑を被っているのは事実だけど、それはあなたが謝る事じゃないわよ。あたしも噂に聞きかじった程度だけど、あなたが飛び出した理由が理由だしね」

「噂に聞きかじったって、どんな話よ?」

 少し考えてから、あたしは思い切ってローザにそう問いかけた。

 まあ、大方ろくでもない話になっているとは思うが、気になることはやはり解決しておいた方がいい。

「うーん。まあ、他ならぬあなたがそう言うんだから、あたしも遠慮しないで話すわよ。いいのね?」

「ええ、構わないわ」

 なにか、言いにくそうに念を押してきたローザに、あたしは苦笑混じりにそう答えた。

「ふぅ。まず、あなたが魔道院から飛び出した直後は、そりゃ偉い騒ぎになったのよ。まあ、最年少記録を作って就任した魔道院院長がいきなり失踪したんだから、当然と言えば当然だけどね」

「あーあ、やっぱりそうなったか」

 ローザのちょっとトゲがある言葉に、あたしはまたもや苦笑いを浮かべながらそう答えるしかなかった。

 そう、なにを隠そう、あたしは魔道院始まって初という若干16歳という年齢で、魔道院のトップの地位に就任してしまったのだ。

 別に、これは嫌みでも無ければ自慢でもなく、あくまで単に事実を述べるだけの意図しかないのだが、どうやらあたしは遺跡研究の分野で周囲に一目置かれる存在になってしまったらしく、先代の魔道院院長が亡くなった折りに、あちこちから推薦されてほとんど無理矢理この地位に就かされてしまったのである。

 もっとも、これがあたしが魔道院を飛び出すきっかけを作る事になったのだから、皮肉と言えば皮肉だけどね。

「まあ、そういうわけで、あなたが魔道院を去ったあとは当然ながら色々と噂が飛び交ってね。長老会がいじめたとか、プレッシャーに耐えきれなくて逃げ出したとか、中には酔った勢いで国王を暗殺しかけたから逃げたなんて話まであったわよ」

「うわっ、それはあり得ないわね」

 と、ローザの口から飛び出した珍説に、あたしは思わず吹きだしてしまった。

 ……おいおい、いくらあたしが様々な不名誉伝説を持っているとはいえ、さすがに国王を手に掛けるような、楽しくも恐ろしい事はしないって。

「で、騒ぎが一段落したころになって、あなたの代理として院長代行に就任したマリアが、資料庫で変なモノを見つけたって、あたしにちょっとだけ話してくれたのよ。……その、あなたの両親が亡くなった魔道実験中の事故は、実は長老会が仕組んだ謀殺だった可能性が高い。っていうかほとんど黒ってね」

「……」

 沈痛な面持ちで締めたローザの言葉を聞いて、あたしは思わずコンパートメントの天井を仰ぎ見た。

 ……マリアのバカ。そんなことローザに話したら、二人とも命が危なくなるってのに。これじゃあ、なんのために魔道院を飛び出したんだか分からないじゃないの。

「まあ、最初はあたしもタチの悪い冗談かと思ったんだけど、そのうちマリアが根も葉もない噂なんて絶対にしないだろうって思い直して……。正直なところ、半信半疑だったんだけど、今のあなたの反応を見ると、どうやら図星だったみたいね」

 やりきれないような表情でそう言うローザの顔を、あたしは真正面から見つめた。

「それに関しては、あたしは肯定も否定もしないわ。あくまでも、無責任な噂話よ。それと、今の話、悪いことは言わないからすっぱり忘れる事!!」

 あたしが語気を強くしてそう言うと、ローザは小さく笑い声を漏らした。

「もう、それじゃ肯定しているようなものじゃない。大丈夫。心配しなくても、この話はもう魔道院中・・・いえ、それどころか、王宮内や貴族たちの間にまですっかり知れ渡っているわよ」

「へっ、そうなの?」

 ローザの口から飛び出したあまりにも衝撃的な一言に、あたしは思わずぶっ飛んだ声を上げてしまった。

 ……ちょ、ちょっと待て、いくら何でも、こんな話が表に出てきたらエラい騒ぎになるってば!!

「そうなの。まあ、あたしもこれを話そうかどうか悩んでいたんだけど、実は、あなたの両親に関する件は、突発的に発生した事故ではなく、魔道院の長老会が関与した暗殺であったと、マリアが正式に世間に公表したのよ。もちろん、しっかりと証拠を固めた上でね」

「ま、マジで!?」

 ただでさえ驚いていた所に、さらにローザから追い打ちを掛けられ、あたしは開いた口が閉じられなくなってしまった。

 ……お、おいおい。長老会の面々って、魔道院だけじゃなく国政にまで影響を与えるような重鎮揃いよ!? いくらなんでも、そんなことをしたら、アストリア王国が大混乱になるってば!!

「大マジ。ほら、あなたの両親って魔道院やペンタム市民にシンパが多かったし、王族や貴族たちともかなり太いパイプを持っていたでしょう?」

「えっ、そうなの?」

 ローザの口から飛び出した意外な言葉に、あたしは思わず驚きの声を上げてしまった。

「な、なによ、知らなかったの?」

 しかし、驚いたのはローザも同様だったようで、逆にそう聞き返されてしまった。

「知らなかったの? って言われてもさ、あたしの両親が亡くなった時はまだ四歳になったばかりだったし、正直、顔すらあまり覚えていないぐらいだから・・・」

 そうモゴモゴと言い返すと、ローザはハッとした表情を浮かべた。

「……あっ、そうか。ゴメン」

「別にいいわよ。それで、話に続きがあるんでしょ?」

 ちょっと重くなった空気を払拭すべく、あたしは意図的に明るい声でそう言った。

 実のところ、これは別に強がっているわけではない。

 というのも、両親が事故で亡くなったという事実は、あたしが十五歳になったときに初めて聞かされた事なのである。しかも、これはかなり恣意的なモノを感じるが、『本当の両親』であるガルシア・エスクードとマリー・エスクードについては、資料がほとんど残っていないのでほとんど知ることが出来なかったし、正直言ってあまりピンと来ないのが実情なのである。

「そ、そうね。で、当然と言えば当然だけど、魔道院はもちろん、王宮や貴族たちまで巻き込んで大騒ぎになっちゃってね。

 魔道院やペンタム・シティでは連日暴動や抗議集会が起こるし、長老会のメンバーが何者かに暗殺されるわ、とばっちりでマリアが暗殺されそうになるわ、血の気が多い貴族が暴走して魔道院に大軍を率いて突っ込むわ、その暴走した貴族軍を追い返すために国王軍が出動するわ、おまけになぜかあたしのクソ親父が、いきなり街中で裸踊りを始めるしって、そりゃもう大混乱になったのよ」

 と、話の内容とは裏腹に、なぜか妙に楽しそうにローザはそう言った。

「そ、そりゃ、そうよね。……まあ、あなたのお父さんが裸踊りをぶちかましたのは謎だけど」

 その時の王都の混乱ぶりを想像して、あたしは冷や汗混じりにそう返した。

 いや、全く、あたしが片田舎でほけら~っとしているうちに、なんかとてつもない大イベントが発生していたのね。

「まあ、あのクソ親父はどうでもいいとして、あたしもこの時はマリアってば、こんなスキャンダルを気易く発表するなんてなに考えてるのよ!?とか思ったんだけど、事態を重く見た国王が、あなたの両親を謀殺した長老会メンバー全員を処刑した途端、驚くほどあっさりと収束したのよ」

「えっ、そうなの?」

 なにやら意味深な笑みを浮かべているローザに、あたしは思わず声のトーンを跳ね上げて聞き返してしまった。

 ……普通、こういった騒動が起こると、連鎖的に日頃の鬱積した感情も暴発して、もうどうにもならない事態に発展するものなんだけど。

「そう、嘘みたいに急速にね。これがなにを意味するのか、あなたならすぐ分かるでしょう?」

 そこで言葉を止め、ローザは先ほど食堂車で調達してきた瓶詰めの水を口にした。

「……もしかして、マリアお得意の『根回し』ってやつ?」

 しばし考えてから、思いついた事をそのまま口にすると、ローザはニヤッっと笑ってコクリとうなずいた。

「はい、正解。つまり、マリアがあなたの両親について発表した直後に起こった大混乱は、実は彼女が事前に貴族や王族、さらには一部の一般市民たちに『仕込み』を入れておいて作為的に発生させた騒動だったって事よ。『邪魔者』を一掃するための、いかにももっともらしい理由付けをするためにね」

 ……アストリア王国の王族や貴族に深い繋がりを持ち、また魔道院やペンタム市民の間にもシンパが多かったというあたしの両親の死が、実は魔道院の長老会が仕組んだ謀殺だった。

 この事実を、ほかならぬ魔道院院長代理が公式に発表したことで、その犯人である長老会に対して多くの人たちが強い反感を覚え、その感情は程なく暴動という形で爆発する。

 そして、急激にエスカレートする暴動をなんとか沈める方法を模索した国王は、その暴徒たちの怒りの集約点である長老会メンバーの処刑を断行し、結果、一連の暴動は収束することになった。非常に大まかではあるが、これがマリアの描いたストーリーだろう。

 もちろん、アストリア王国の王族や貴族は決して一枚板ではないし、実際にこのストーリー通りに事を運ぶのは、普通に考えればまず不可能と言っていいだろう。

 しかし、マリアには他の誰もが決して持つことが出来ないであろう、ある意味で世界最強の武器がある。その「武器」とは、とてつもない充実度を誇る人脈の広さ、つまり強大なコネクションである。なんだ、そんな事かと言う無かれ。

 なにしろ、あたしが知っている範囲だけでも、アアストリア王国の王族や有力な貴族、国内の主たる街や村の領主はもちろん、周辺諸国のお偉いさんやエルフなどの異種族の間にまで、実に広範囲に渡って太いパイプを張り巡らせていて、また、この貴重な「資産」を運用する事に関して類い希な才能を持っているのだ。はっきり言って、彼女がその気になれば、全世界レベルの大戦争を起こすことさえ、決して不可能な話ではない。

 そんな彼女にとって、適切なタイミングを狙えば、魔道院の老人会メンバーを一掃することなど、さしたる苦労はないだろう。

 ……「姿無き魔王」、マリア・コンフォート。その才は未だ健在というわけね。

「それで、その「邪魔者」を一掃したあと、マリアは院長代理という立場を最大限に利用して、徹底的に魔道院内の組織再編成にかかったわ。いちいち全部話すのも面倒だから、すこしだけ具体例を挙げると、長老会こと執行部顧問会は完全に廃止。旧老人会に取り入ることで甘い汁を吸っていた連中を全員更迭。それに、魔道院に所属する各人の能力を考慮した、大規模な人事異動ってな感じね。きっぱり断言するけど、今の魔道院はあなたが知っている魔道院じゃないわよ」

「はぁ、なんか目眩がしてきたわ・・・」

 さらなるローザの言葉に、あたしはもはや、なにも言うことが出来なかった。

 あたしが魔道院を飛び出してから、およそ二年余り。院長という立場を経験したことで、あたしは『長老会の、長老会による、長老会のための魔道院』という現状を嫌でも認識することになったし、その長老会が持っていた絶大な権力と怖さは十分理解しているつもりだ。だからこそ、あたしは両親の事故についての真相を知ってしまった時、一目散に逃げ出してしまったのである。

 この時に胸中にあったものは、両親を「殺した」長老会に対する憤りなどといったものではなく、純粋な危機感と恐怖のみ。続いて、周りを巻き込む恐怖。

 なにしろ、あたしの両親の件に関しては、当然、長老会としては決して表に出すことが許されない極秘事項である。それなのに、よりによって実の娘がこの真実を知ってしまったというのだから、長老会がどんな動きを見せるかは、さして考えなくても容易に察しが付くというものだろう。 

 それだけに、あの老人会をあっさりと打ち倒し、僅か二年で魔道院を再編してしまったというマリアには、正直、恐れすら感じてしまう。

「まあ、ごちゃごちゃと話したけど、要するにあなたの両親に関する件はすでにみんなが知っていることだから、別に大声でしゃべっちゃってもどうってことないわけ」

 あまりの事に、ほとんど思考能力が停止してしまったあたしの様子を、なんだか面白いモノでも見るかのような様子でしばらく眺めていたローザだが、やがて、そう言って長い話を一方的にまとめてしまった。

「……なるほどね。ちょっと話が大きすぎて混乱してるけど、結局、コソコソ逃げ回っていたあたしは、マリアにとっては絶好の踏み台だったっていうわけね」

 ごちゃごちゃになった思考回路を何とか整理整頓して、どうにかこうにかそう言うと、ローザは力強くうなずいた。

「まあ、端的に言ってそういう事ね。実際、マリアの企みが成功した裏には、長老会に対する反発心だけじゃなくて、あなたに対する同情も少なからずあったと思うし」

 なんのフォローも躊躇もなく、ローザにきっぱりそう言われてしまい、あたしは真面目にへこんでしまった。

 勝手に祭り上げられて院長にされた結果、知らないなら知らないで済む事を知っちゃったがために逃げ出すハメになった挙げ句、それをエサにかつての同僚はおいしい魚をたんまり釣り上げている。

 しかも、こうして列車で旅をしているのは、他でもないそのマリアの依頼によって、かなりヤバそうな臭いプンプンの遺跡調査なんぞを押しつけられたからであって、悔しいことにあたしはその依頼を断る事が出来ない状況にある。

 よ、世の中って、あまりにも過酷で不条理すぎる。もう、誰も信じたくない……。

「あ~あ、こりゃちょっと効き過ぎたかな。もう、仕方ないわね。これあげるから元気だして」

 そんなローザの声に釣られて、俯いていた頭を上げると、彼女の手には小降りのリンゴ大の大きさに膨らんだ、いかにも頑丈そうな革袋があった。

「本当は、ポート・ケタスに着いてから渡そうと思っていたんだけど、中に1000クローネ入っているわ。前金として渡しておくわね」

 瞬間、脳が行動を指令するより早く、あたしの右腕はローザの手から革袋をひったくっていた。

 そして、その革袋の口をきつく縛っている革ひもを解くのももどかしく、その中を確認すると、目が眩みそうな光を放って佇むクローネ金貨がずらりと勢揃いしていた。

「あ、あはは、お、お金だ……」

 我知らず、そんなことをつぶやいてしまうと、ローザが盛大にため息をついた。

「ああ、もう嫌になるわね。あたしって、こんな情けない奴と張り合っていたのね」

 ローザのそんなぼやきが聞こえた途端、あたしははたと我を取り戻した。

 ……い、いかん、久々に大金を見たもんだから、理性がすっ飛んじゃったわ。

「コホン……。そ、それにしても、マリアの奴、あなたに前金まで渡してるなんて、ずいぶん露骨な事をやってくれるわね」

 何となく気まずい空気を追い払うべく、あたしはあえて口調を荒くしてそう言った。

「やれやれ、文字通り現金なものね……。まあ、いいわ。露骨って言うなら、先にこの列車の乗車券を二人分用意していた事もそうでしょう。結局の所、今回のあたしの任務は、最初からあなたを巻き込むように計画されていたって事よ。あっ、そうそう。もう前金を渡したんだから、この期に及んで断るってのはナシだからね」

「あ、あはは、言われなくても分かってるわよ。ちゃんと料金なりの仕事はするつもりだから安心して」

 なにやらトゲがある声で返してきたローザに、あたしは乾いた笑い声を上げながらそう応えるのが精一杯だった。

 ううう、なんか決定的に不信感を与えてしまったみたいね、あたし。

 もう、ちょっと取り乱しただけじゃないの。ローザってば了見が狭いわよ!!

「ふーん。もし手抜きしたり逃げ出したら、あたしにも考えがあるわよ」

 しかし、あたしの誤魔化しはかえって彼女の不信感を煽ってしまったようで、不信感に満ちた目であたしをにらみ付けた。

「か、考えって?」

 なにか、とてつもなく嫌な予感を覚えながら、あたしは思わずそう聞き返してしまった。

「……八年前の『あの事』をみんなにバラす」

 低く押し殺した声でローザがそう言った瞬間、澄んだ音すら立てて時間が止まった。

 、あたしの脳裏に、今まですっかり忘れていた過去の忌まわしい記憶が次々とフラッシュバックしていく。

「そ。そりゃもう死ぬ気で働きますから、『あの事』だけはどうかご内密に!」

 ようやく時間が流れ始めた次の瞬間、あたしは椅子から転げ落ちるようにして、床にひれ伏していた。

「うむ、分かればよろしい!」

 その間にも、列車はゴトゴトと暢気な音を立てて走ってゆく……。

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