第4話 大陸縦断鉄道の車窓から

「へぇ、これが噂の大陸横断鉄道ってやつねぇ……」

 目の前にあるチョコレート色の客車を見つめつつ、あたしは思わず感嘆の声を上げてしまった。

「もう、違うわよ。これは大陸縦貫鉄道。アストリア大陸を南北に貫いてるの。東西に貫く横断鉄道は、王都の駅で乗り換えよ」

 と、脇でローザがいちいちツッコミを入れてくれるが、それは完全に無視して、あたしは改めて目の前の見慣れぬ物体を見つめた。

 ここは、クランタの中心部から少し外れた場所にある、アストリア大陸横断……いや、縦貫鉄道の駅である。

 このアストリア縦貫鉄道というのは、機械大国の異名を誇るミスティール王国の援助の元で、とかく時間が掛かる徒歩や駅馬車に変わる交通手段として設けられたものである。

 これは、なんでもアストリア大陸の北端に位置するポート・ケタスからほぼ中央部にある王都ペンタムシティーを経由し、南端のポート・ファルシオンまでを、線路という一定間隔を開けて平行に並べた2本の鉄棒で結び、その上を列車という車輪のついた大きな箱をいくつも連ねて移動するものらしく、この車輪付きの箱には主に人が乗るための客車と、荷物を載せるための貨車というものがあるらしい。

 そして、この鉄道というもので最も特筆すべき事は、ポート・ケタスからポート・ファルシオンまで移動しても、僅か1ヶ月足らずしか掛からないという高速性にある。

 とまあ、あたしもその程度の認識はあり、以前から興味を持ってはいたのだが、この鉄道を利用するための料金が恐ろしいほど高額で、さらに頭に来ることに、列車に乗らずただ駅の中に入るだけでも、冗談かと思うほど法外な料金をふんだくってくれるのだ。

 その上、まだ列車の数がそれほど多くないようで、地面を這う線路とやらは見ることがあっても、その上を列車とやらが走っている様子は見たことがなかったのだ。

 そんなわけで、あたしは今までそこらに転がっている木箱が連なって線路の上を走っているような光景を勝手に想像していたわけだが……。

 なるほど、法外な料金を取るだけのことはあって、これから乗り込む列車はなかなか快適そうである。

「もう、そんないかにも珍しそうにしないでよ。一緒に行動するあたしが恥ずかしいわ」

 と、隣でため息混じりにローザがそんな事を言ってくれた。

「しょうがないでしょ。本当に珍しいんだから。……でも、まあ、マリアもよくこんな大金を出したわね」

 視線をあきれ顔のローザに移し、あたしは心底感心してそう言った。

 そう、普段なら端から移動手段の選択肢に入らなかったであろう列車を使える事になったのは、他ならぬマリアのお陰である。

 急ぎ足で手紙を届け、クランタへと戻る道すがらにローザから聞いた話によると、今回あたしに仕事を依頼するに当たって、マリアは色々と配慮したようで、ポート・ケタスまでの移動手段として、決して安価とは言えない鉄道の乗車券を二人分用意してくれたらしいのだ。

 その資金の出所は聞いていないが、あたしの推測では、魔道院院長代理の立場をフルに生かして、きっちり経費扱いになってるだろう。

 まあ、それはともかく、あたしにとっては、こうして鉄道に乗れるだけで、すでにこの依頼の元は取れているのに、さらに1万クローネの依頼料が出るとなれば、もはや文句をいうつもりはない。

 もっとも、もしこれが何らかの罠であるなら、当然依頼料は欠片も出ないだろうが、それでも、あたしは全てを許してしまうだろう。……多分ね。

「それについては、あたしもかなり驚いたわよ。正直言って、あとがちょっと怖いわね」

 そう言って、ローザは小さく肩を竦めた。

 ……ふむ、オイシイ話には裏がある。貴族のご令嬢も、世の中の摂理ってやつが分かってきたわね。

「まっ、これだけの待遇をしてくれたんだから、それに見合った働きはしないとね。まっ、あたしは魔道院と関係ないからいいけどさ」

 あたしがそう言うと、ローザは思いっきり嫌そうな表情を浮かべ、ベーっと舌を出して見せた。

「さて、そろそろ発車時間だし、列車に乗り込みますか」

 軽くため息をついてから、ローザはそう言ってポケットから乗車券を取り出した。

「ええ、そうね。なんか、ちょっと緊張してきたわ」

 そんな彼女にうなずいてからそう答え、あたしたちは目の前の客車の端にある乗降口へと向かった。

「ほぉ、中も豪華ですなぁ」

 乗降口のステップを上った瞬間目の前に飛び込んできた景色に、あたしはまたもや簡単の声を上げてしまった。

 綺麗な木目が刻まれた壁は、なにか透明な塗料が塗られているようで、顔が映るほどピカピカに磨かれているし、足下の床にはつまずきそうになるほど毛足が長い赤い絨毯が敷かれている。

 そして、客車内をやんわりと照らす照明には、いかにも高価そうな凝った意匠が施されたカバーが掛けられ、とにかくひたすら高級感に溢れていた。

 正直な話、普段は傾き掛けたボロ宿に寄生している身にとって、ここはあまりにも身分不相応な空間。こうして立っているだけで、体が萎縮していくのが分かる。

「えっと、一応解説しておくけど、ここはデッキ。まあ、玄関みたいなものよ。客室はそこのドアを開けて入った先にあるの。ボケていないで付いてきて」

 なぜか、妙に偉そうにそう言って、さっさと客室内に入ってしまったローザのあとを、あたしはおっかなびっくり付いていった。

 ローザの言うデッキにあるドアを開け、客室内に入ると、駅のホーム側に寄せるようにして細い通路が延び、その通路に面してずらりと小部屋が並んでいた。

 もっとも、小部屋と言っても、気のせいかあたしが泊まっているボロ宿の部屋よりは少し広そうに見えるし、何より、開け放たれた小部屋のドアからのぞき見た室内は、はっきりいって滅茶苦茶豪華である。

 ……ほ、ホントにこれでポート・ケタスまで行くわけ。なんか、着く頃には精根尽き果てていそうなんですけど。

「えっと……。よし、この部屋みたいね。ほら、冷や汗流していないで中に入って」

「は、はい……」

 ちょうどこの客車の真ん中辺りにある小部屋の前で足を止めたローザに促されるまま、あたしはその室内に入った。

 そのあとに続いてローザも室内に入り、後ろ手でそっとドアを閉めた。

「ほら、立っていないで座ったら?」

「そ、そうね。ふぅ、なんかどっと疲れたわ」

 ニマニマ笑みを浮かべるローザに勧められるまま、目の前にあったベンチのようなシートに腰を下ろすと、あたしは思い切り深くため息をついた。

 まあ、ベンチと言っても、それはあくまでも形だけで、ふかふかのクッションといい見た目の質感といい、公園にあるそれとは全く別物だけど。

「もう、このぐらいで情けないこと言わないでよ。あっ、そうそう。もう一度解説しておくけど、この小部屋のことはコンパートメントっていうのよ。それと、あなたが座っている椅子のそばにあるドアを開けるとベッドがあるから、寝るときはそっちね」

 なにやらローザがそう言った時、ガクンという衝撃と共に、窓の外の景色がゆっくり動き始めた。

「おっ、発車したわね。これは特別急行だから、次に止まるのはペンタム・シティよ」

 徐々に動きが早くなっていく窓の外の景色を眺めながら、ローザが妙にはしゃいだ声を上げた。

「そういや、ずいぶん列車に詳しいみたいだけど、前にも乗ったことあるの?」

 あたしがそう問いかけると、ローザはなんだか小さい子供のような笑みを浮かべた。

「まさか、これが初めてよ。なにしろ、この鉄道が開通したときはもう魔道院にいたし、ほら、ウチってああいう家だから、まさか鉄道に乗りたいから小遣い寄こせとも言えないでしょう?」

「あっ、そう言う事ね」

 ローザのちょっと含みを込めた答えに、あたしは思わず苦笑してしまった。

 実のところ、魔道士の中には、最近になって急に世間に普及し始めた機械技術に対して、かなり否定的な意見を持つ者が多いのだ。

 彼ら曰く、「機械技術などというわけが分からんものなど信用できん」とか、「あんなもの金持ちがさらに金を儲けるための手段でしかない」などなど、まあ色々言っているが、その根底にあるのは、今まで自分たちが占有してきた「魔術を使うことによって、人が持つ力を遙かに超越した『力』を顕示する」という事で得た、いわばその特権的な立場が地に落ちてしまうという危機感だろうとあたしは思っている。

 この辺りは、特にアストリア王国で有力な立場に居る魔道士ほど、機械技術を忌み嫌う傾向がある事からも容易に察しが付くだろう。

 そして、ローザの家は紛れもなくその有力な立場にある名門貴族。しかも、別名「魔道士の高級専門店」と言われるほど、有能な魔道士を多く輩出する事でも知られている、ガッチガチの魔道一族なのだ。

 となれば、もしローザが鉄道に乗るからお小遣い頂戴なんて言い出せば、その後の展開は火を見るより明らかだろう。

 なにしろ、時として実の娘より世間体を気に掛けるのが貴族というもの。良くて勘当。悪ければ、冗談抜きに抹殺されかねない。

「……でも、それにしては、列車に乗れてヤケに嬉しそうだし、第一、やたら知識が豊富よねぇ」

 あたしが我ながらもっともだと思う事を問いかけると、彼女はビシッと人差し指を立ててニヤッと笑った。

「いい、マール。知らないものに対して興味を抱くのは、人間として当然の摂理よ。その素直な欲求に従えないほど、あたしは石頭じゃないわ。あのクソ親父と一緒にしないで」

「……つまり、興味本位でひたすら知識ばかり増やした挙げ句、それで全てを知った気になっているただのオタクってことね」

 声高に叫ぶローザにすかさずツッコミを入れてやると、彼女は椅子から盛大にずり落ちた。我ながら、この上なく正確で分かりやすい解釈である。

「あ、あんたねぇ、そのすっごく頭に来ることをさらって言ってのける癖、まだ直ってなかったの?」

 ズリズリと体を引きずるようにして座り直しつつ、ローザはジト目でそんなことを言ってきた。

「癖って、単に自分に素直なだけよ。……まあ、それはともかく、ペンタム・シティに着くのはいつなの?」

 ローザの言葉を軽く受け流しつつ、あたしは次の質問を投げかけた。

「ふぅ……。そうね、遅くても明日の昼ぐらいには着くと思うわよ」

 一瞬、なにか言いたげな表情を浮かべたローザだったが、しかし、すぐに諦めた様子でそう答えてきた。

「明日の昼か。噂には聞いていたけど、随分早いわね……」

 そうローザに返しながら、あたしは思考を巡らせた。

 ちなみに、余談だが、クランタからペンタム・シティまでは、一般的な移動手段である徒歩で十日、お金があるとき専用の駅馬車を利用しても約五日ほどの時間が掛かっていたから、同じ距離を正味一日掛からずに駆け抜けるというこの列車の早さは実に画期的である。

 さて、それは別にどうでもいい話。問題は、この列車がペンタムシティに着いたときだ。

 このアストリア王国の中心部であり、他国と比べればさほどでもないが、一応立派な王宮があるこの大都会には、あたしにとっては鬼門とも言える王立魔道院も存在する。

 となれば、手配書が出回っている事もあるし、当然監視の目もかなり厳しいだろう。

 いかなまだ庶民には高嶺の花とはいえ、その監視の目は列車にも向けられていることは容易に察しがつく。

 もし、このまま何の対策もせず、徒然なるままに列車に揺られて行けば、あたしにとっては余り好ましくない結果になる可能性が高いだろう。

 となれば、まず考えつくのはアレか……。

「ねぇ、ローザ。一つ頼みがあるんだけど、ペンタムシティに着く前に・・・」

 とあたしが切り出すと、彼女は皆まで言うなとばかりにサッと手を挙げた。

「そのぐらい分かってるわよ。列車がペンタム・シティに入る前に、この変装のカリスマ魔道士があなたを見違えるような姿に変えてあげるわよ。しかも、今回は無料サービスでね」

 そう言って、ローザはニッと笑みを浮かべたのだった。


「へぇ、さすがに大したものねぇ」

 小部屋もとい、コンパートメントに備え付けの鏡に映った自分の姿を見ながら、あたしは思わず感嘆の声を上げてしまった。

 その鏡に映っている姿は、見知ったいつもの顔ではない。

 見た目はちょっとキツそうなつり目に、腰まで伸びるサラサラのシルバーブロンド。

 年の頃は、恐らく二十代中盤から後半に掛けてといった所だろう。

 服装こそ全く変わらないものの、オリジナルのそれとは似ても似つかないこの顔なら、まずあたしだと思う者はいないだろう。

 これは、言うまでもなくローザの手によって施された変装処置の結果である。

 前にも述べたような気はするが、ローザの使う「幻影系」の魔術は掛け値抜きの一級品。同じ魔道士として、認めるのは小癪に障るが、本当にさすがとしかいいようがない。

「へへへ、今日もいい仕事したわ」

 と、あたしの様子を見て満足したらしく、ローザが得意げにそんな事を言ってきたが、しかし、不意にハッとしたような表情を浮かべた。

「……って、そうそう。これを忘れちゃ完成じゃないわね」

 そう言って、彼女は自分の目の前の空間に小さな『穴』を開け、そこに右手を突っ込んだ。

「えっ、なんかマズイ事でもあるの?」

 ちょっと不安になり、ローザにそう問いかけると、彼女は返事の代わりに『穴』から何かを取り出した。

「これを忘れちゃ格好が付かないわね。はい、どうぞ」

 そう言って、ローザが差し出してきた物を見た瞬間、あたしはいきなり冷水を掛けられたような感覚に襲われた。

「こ、これって……」

 『それ』を凝視しながら、あたしは我知らずそんな声を上げていた。

 その声が、微妙に震えているのが分かる。

「まさか、見覚えがないとか言うわけないわよね? これから行くところは魔道院が監視下に置いている遺跡なんだし、絶対に必要なものよ」

 あたしの気持ちを知ってか知らずか、ローザは無邪気とも思える声でそう言ってきた。

 その彼女が差し出している物は、三角形を二つ組み合わせたいわゆる六紡星に、アストリア王国の紋章である図案化したドラゴンを組み合わせた意匠が施された、一目で手間暇掛けて作られたと分かる銀色のペンダントだった。

 これを持つことが出来るのは、世界広しといえども少数。すなわち、アストリア王立魔道院に所属する、上級魔道士の資格を持つ者だけである。

 もちろん、見覚えがないなどということはない。むしろ、忘れられるなら忘れたいほどなんだけどね。

「……ふぅ、きっちり処分したつもりだったんだけど、わざわざ見つけて持ってきてくれるとはね。ホント、有り難くて泣きそうよ」

 しばしの沈黙の後、ようやく気が落ち着いてきたあたしは、ローザにそう言って苦い笑みを浮かべてしまった。

「まぁね。中庭に穴掘って埋めてあっただけだから、あなたが魔道院を飛び出してすぐに発見できたわ」

 そう言って、ローザはなにやら含みのある笑みを浮かべた。

「そう言わないでよ。なにしろ、これってやたら固くて何やっても壊れなかったし、時間もあんまりなかったんだから・・・。ところで、ローザ。あなたはあたしがこれを捨てた理由を知ってるの?」

 言葉の後半を改まったものに変え、あたしがそう問いかけると、ローザは小さくうなずいた。

「まっ、少なくとも、単に魔道院の生活が嫌になって飛び出した。っていうわけじゃない事ぐらいは、分かっているつもりよ」

 わざとらしく冗談のような口調でそう言ってきた彼女に、あたしはまた苦笑を浮かべるしかなかった。

「なるほど。それで、なおかつ『それ』をあたしに渡すっていうんだから、あんたもホントに酷い人よね」

 半ば諦めたような気持ちでそう言って、あたしはローザが差し出しているペンダントをそっと受け取った。

 久々に持つと、見た目の大きさ以上にずしりと重く感じるこのペンダント。

 凝った意匠が施されたその裏面には、小さな字ではあったが、紛れもなくあたしの名前が刻印されていた。

 そう、これは紛れもなく、あたしが魔道院で上級魔道士資格を取った時に渡された物である。色々あって、魔道院を飛び出す時に、全ての縁を切るつもりでこのペンダントを捨ててきたのだが、やれやれ、因果なものよね。

「ほら、自分の物なんだから、遠慮しないでちゃんと首に掛けなさいよ」

 そう言って、ローザは自分の首に掛かっているあたしのそれと同じペンダントを揺らして見せた。

「はいはい。あんたって、マジでいじめっ子よね」

 ため息混じりにそう返しつつ、あたしはペンダントに付いている、その見た目よりは遙かに頑丈な細い鎖を首の後ろに回し、留め金を引っかけた。

 もうしばらくこれを付けていなかったのに、その装着手順を体が覚えているところがちょっと悲しい。

「はい、これで完成よ。ほら、まともな魔道士になったじゃない」

「あー、もう放っておいてよ」

 茶化すローザを適当にあしらいながら、あたしは椅子に腰を下ろした。首にぶら下がって揺れるペンダントが、なんだか本来の重量以上に重く感じる。

「さて、そろそろペンタム・シティね。ここでしばらく停車するけど、このコンパートメントから無闇に出歩かなければ問題ないと思うわよ」

 そう言いながら、ローザはコンパートメントの通路側にあるドアの小窓と、反対側の大きな窓のカーテンを手早く閉めた。

 すると、間もなく通路側から足音が聞こえてきた。瞬間、思わず息を潜めてしまうあたしとローザ。

「ご乗車のお客様にご案内申し上げます。間もなくペンタム・シティ中央駅に到着します。当駅で下車されるお客様はご準備をお願いします」

 と、同時に図太い男性の声が聞こえ、同じセリフを繰り返しながら、足音は急速に遠くなっていった。

 どうやら、この列車の車掌さんだったらしい。

「ふぅ、なんかいいタイミングで来たわね。ちょっとドキドキしちゃったわ」

 足音と声が完全に聞こえなくなると、ローザはそう言って小さく笑みを浮かべた。

「なんか、いかにも逃亡者って感じで肩身が狭いわね」

「もう、これも誰のせいだと思ってるのよ」

 ……はい、あたしのせいです。ごめんなさい。

 ともあれ、時として耳障りだと思うほどのガタガタという列車の走行音と揺れが、徐々にスローテンポになってきた。

 カーテンの隙間からそっと覗くと、外を流れる景色が目に見えてゆっくりとした速度になってきている。どうやら、本当にペンタム・シティが近づいてきたらしい。

「さて、ここがまず第一関門ね。まあ、小耳に挟んだ情報だと、街道筋の監視は結構厳しいみたいだけど、鉄道の方はそうでもないみたいだから、なんとかなるとは思うけどね」

 声をやや低めのトーンに落とし、つぶやくようにローザがそう言った。

「まっ、いざとなったら、街ごと消すつもりで暴れるから覚悟はしておいてね」

 あたしがそう返すと、ローザは引きつった笑みを浮かべた。

「ちょっと、それをあんたが言うと洒落にならないわよ」

「まあ、それは相手の出方次第ね」

 あたしがそう言うと、ローザは心底嫌そうな表情を浮かべてため息をついた。

 ……やれやれ、やっぱりあたしの『伝説』はそう簡単に消えないか。

 実はこのあたし、全く不本意ながら(ここ強調)、攻撃系の魔術で町や村を根こそぎ吹き飛ばしてしまった事が二、三回あるのだ。

 そのせいで、その昔は『魔道院の最終兵器』とか『全自動粛正システム』などと、不穏当なあだ名を頂戴していた時期もあり、少なくともあたしが魔道院を飛び出すまでは、この逸話は伝説として脈々と語り継がれていたのだ。

 なんというか、関係者の皆様。その節は大変ご迷惑をおかけしました。謝るので損害賠償請求だけは止めて下さい。お願いします。

 とまあ、我ながら誠意があるお詫びを済ませたところで、列車の速度は見る間に遅くなっていき、やがてペンタム中央駅へと滑り込むと、最後にガタンと大きな揺れを残して停車した。

 すると、通路を歩くたくさんの足音が聞こえてきて、それに混じって、外のホームの喧噪まで聞こえてくる。

「マール。この駅を発車すると、いよいよこの大陸縦貫鉄道のハイライト、ペンタム山脈越えに入るわよ。その関係で、ここで先頭の機関車を山岳路線用の強力なタイプに交換して、さらに背後から急坂を押し上げてやるために、列車の最後部に機関車を2両連結するのよ。うーん、なんかゾクゾクしちゃうわ」

 と、声のトーンは抑えたままだが、今にも爆発しそうなはしゃぎぶりで、ローザが早口でそう言ってきた。ここまでの道すがら、ローザからそれとなく聞いた話によれば、機関車というのは列車を牽引するために一番先頭に連結されている『箱』で、なんでも魔道工学とかいう怪しい学問の粋を結して作られた、エンジンとやらから動力を得ているらしい。

 この話を聞くまで列車は馬が引くものだと思っていたのだが、うっかりそれを言うとローザにバカにされそうなので、そっと心にしまっておいたことは内緒である。

 まあ、それはいいとして、ペンタム山脈とは、ペンタム・シティの北に横たわる長大な山々の連なりで、ここから北に向かうには、険しい山道をひたすら登るか、時間の大幅なロスを覚悟で大きく迂回するしかない難所である。

 これもローザから聞いた話だが、普通に街道を歩いても難儀な場所であるのと同様、鉄道にとってもここは難所のようで、ペンタム・シティを発車した列車がこの山脈を越えて北部地方に入るまではほぼ一日かかるらしい。

 もっとも、ペンタム山脈越えの街道は、通常は徒歩で一週間以上かかるのが相場なので、これでも速い事に変わりはないけどね。

「へぇ、なんかよく分からないけど、とにかく凄そうだっていうのは分かったわ」

 妙に熱が入っているローザに適当に答えつつ、あたしはカーテンの隙間からこっそり外の景色を覗いた。

 すると、さすがに王都らしく、ここはかなり大きな駅のようで、ここから見えるはんいだけでも4つのホームがあり、あたしたちとは反対方向に向かう南行きの列車の姿も見える。

 うーむ、さすがに活気は王都なりにあるわね。あんまり好きな街じゃないけど。

 などとぼんやりと思っていると、突然コンパートメントのドアがノックされた。

 瞬間、浮かれていたローザの表情はスッと引き締まり、あたしはさりげなく腰のナイフに手を掛けた。

 そして、お互いに軽くうなずき合ってから、ごく自然な口調でローザが応答した。

「はい、どなたですか?」

「ペンタム警備隊の者です。ただ今、ある事件の捜査を行っています。ご協力をお願いします」

 ローザの声に、ドアの向こうの相手は穏やかな声でそう答えてきた。

 その声の様子からして、まだ若い男性のようである。

 それにしても、『ある事件の捜査』ねぇ。……こりゃ来るべきモノが来たかな。

「はい、分かりました。今ドアを開けます」

 そう応えながら、ローザはあたしの顔をちらりと見た。

 そんな彼女に、あたしはすかさず小さくうなずいた。

 はっきり言って、好んでお会いしたい相手ではないが、だからといって、ここで変な理屈をこねて追い払おうものなら、それこそ自分からクロだと言っているようなものである。

 しゃあない。覚悟を決めますか。

 ナイフの柄を握る手に力を込めたその前で、椅子から立ち上がったローザはドアの掛け金を上げ、ドアを開けた。

「恐れ入ります」

 と、開いた間口から覗いた顔は、予想通りまだ若い男性だった。

 しかし、ペンタム警備隊と名乗った割には、一般の兵士が着ている皮鎧ではなく、見た目ちょっと高級そうなダーク・グレーのスーツ姿である。

 ……ふむ、ペンタム警備隊という身分は詐称で、実際は魔道院の擁する水面下の組織。

 恐らく、魔道院の内部では嫌われ度トップクラスの特別監査室辺りから派遣された奴ね。

 うーむ、最悪、コイツを街ごと消すっていう選択肢も考えなきゃまずいかな?

「いえ、ご苦労様です。それより、ある事件の捜査というのは?」

 相手の素性に感づいているのかいないのか、ローザは至って平然と自称ペンタム警備隊の男性と応対している。

「あっ、これは上級魔道士の方とは知らず失礼いたしました。それで、現在、我々はこの人を捜しているのですが、ご存じないですか?」

 一応、魔道院の慣例に従ってローザに敬意を表してから、自称ペンタム警備隊君はスーツのポケットからなにやら紙を取り出した。

「はい、拝見します。さぁ、私は存じませんわ。あなたはどう?」

 そう言って、ローザは自称ペンタム警備隊君が差し出した紙をあたしの前に持ってきた。

 その瞬間、思わず吹き出しそうになってしまったが、それは何とか堪えた。

 ……そう、もう話すまでもないとは思うが、ローザがあたしに差し出した紙は、まさにあたしの手配書だった。

 それに描かれたあたしの似顔絵がまた酷いもので、目つきがいかにも「二、三ぐらい、軽く殺っちゃってます』という凶悪な感じになっていたが・・・。

 ええい、誰が描いたか知らんが、絶対に見つけ出して目玉ほじくり出してやる!!

 と、内心怒りが沸々とこみ上げてきていたが、それを我ながら感心するほどの自制心で何とか押さえつけ、表向きは平静を保って首を横に振った。

「いいえ、あた……私も存じませんね。これほど目つきが悪い方なら、一目見れば分かると思いますけどね」

 そう言って、あたしは見るのも忌々しい自分の手配書をローザに突き返した。

 あたしは嘘は言っていない。確かに、似たような顔は毎日見ているが、その人はこんなに目つきが悪くない!!

 ……ああ、あとで塩でも撒いておくか。いや、これは我が家の風習で、魔よけになるらしいのよ。嘘かホントか知らないけど。

「と、そういうわけです。お役に立てずに申し訳ないです」

 あたしが差し出した手配書を自称ペンタム警備隊君に返しながら、ローザは本気で申し訳なさそうにそう言った。なんというか、大した演技力である。

「そうですか。どうもお手数おかけしました。それでは、これで失礼します」

 そう言って、自称ペンタム警備隊君は一礼してコンパートメントのドアを閉めた。

 瞬間、ローザがため息でもつきそうな表情で肩をなで下ろした。

「あっ、申し訳ありません。最後に一つよろしいですか?」

 まさに絶妙のタイミングで再び自称ペンタム警備隊君の声が聞こえ、ドアが開いた瞬間、あたしは危うく声を上げそうになった。

 ……うわっ、アブねぇ!!

「は、はい、まだなにか?」

 さすがにこれには驚いたようで、ローザも一瞬言い淀んだものの、それでもあまり不自然には聞こえない声でそう応えた。

「いえ、うっかり忘れてしまっていたのですが、この列車にはどちらまで乗車されますか?

 不躾なことをお尋ねして申し訳ありませんが、上司からの命令でして……」

 と、申し訳なさそうに頭を掻きながらそういう、自称ペンタム警備隊君。

「ああ、なるほど。分かりました。ですが、残念ながらそれはお答えできません。極秘任務ですので」

 そう言って、ローザは自分の首に掛かってるあのペンダントをちらつかせて見せた。

「あっ、これは大変失礼致しました。それでは、お邪魔いたしました」

 いささか乱暴なローザの答だが、しかし、自称ペンタム警備隊君はそれで納得したようで、もう一度一礼するとコンパートメントのドアを閉めた。

 そのまま落ちた息が詰まるような沈黙の中、足跡が遠ざかって行くことを確認してから、あたしたちは同時に大きなため息をついた。

「……あいつ、あの年でなかなか大したものよ。一度油断させておいて奇襲をかけるのは、聞き取り調査の基本だもの」

 額に浮かんだ嫌な汗を拭いながら、あたしは小声でローザにそう言ってやった。

「全く、さすがに特別監査室の一員ね。若くても油断しちゃいけないわ」

 あたしの向かいの椅子にぐったりと腰を下ろしながら、ローザも小声でぼやいた。

「あっ、あなたもあいつが特別監査室だって気が付いていたのね」

「当たり前でしょう。目つきを見ればすぐに分かるわよ。でも、まあ、なんとか誤魔化せたかな」

 思わずあたしの口から飛び出した言葉に、ローザはさも当然と言わんばかりにそう返してきた。

「だといいけどね。まあ、もしバレてちょっかい出してきたら、その時はあたしも真面目にぶっ飛ばすけど」

「……だから、笑えないって、それ」

 などと、それから一時間ぐらい適当なやりとりを続けた頃だろうか。

 もういい加減慣れてきたガクンという衝撃と共に、列車がゆっくりと動き始めた。

「ふぅ、とりあえず第一関門突破ね。ペンタム山脈を越えれば、あとは三日ぐらいでポート・ケタスよ」

 そんなローザの解説が聞こえる中、列車は徐々に速度を上げ、昼下がりのペンタムシティを抜け、その外に広がる大草原を突き進んで行ったのだった。

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