第3話 正体ばれました

 ……結局、あたしの体調不良が原因で、出発は翌日に延期することとなった。

 そんなわけで、昨晩はしっかりと晩ご飯を食べ、十分に体を休めて体調も万全整ったあたしは、一路アモハンに向けて街道を歩いていた。

 前にもチラリと話したが、この辺りは比較的治安も良く、道もほぼ平坦であるために、当然ながら、トラブルらしいトラブルもなく、今のところは順調に旅程を消化していた。

 このペースで行けば、明日の昼ぐらいまでには、無事にアモハンに到着出来るだろう。

 まあ、退屈でおもしろみがないといえばそれまでだが、平和なのはいいことである。

「いいですね。この辺りはのどかで……」

 と、あたしの脇から、実にのんびりした声が聞こえてきた。

 ……そう。この声の主は、他でもなくエリスさんである。

 今朝方早く、ハングアップ亭を発とうと部屋から酒場に降りてみると、どういうわけかそこには彼女がいて、今回の旅とも言えぬ外出に同行したいと申し出てきたのだ。

 その意図がよく分からなかったあたしだが、別に断る理由もなく、退屈な道のりを1人で行くよりはマシだろうと思い、さして悩まずその申し出を承諾したのである。

 まぁ、ポート・ケタスからわざわざこんな辺鄙な場所まで来る人だから、その思考パターンなど、あたしには到底理解出来るわけがないが、物好きな人であることは間違いない。

「まあ、この辺りになにか観光名所があるわけでもなし、さりとて、交通の要衝というわけでもなし。比較的旅人も少ないし、それを狙う野盗なんかもほとんどいない。平和なものですよ」

 そう言って、あたしは小さく笑みを浮かべた。

「そう、それなんですよ。私がここに来た理由は。

 事情は良く知らないですけど、とにかく逃げ出した人が隠れるには、やはり人目に付かない所と、誰しも考えることですからね。いくつか目撃情報もありましたし、マール・エスクードさんは絶対この辺りにいると思ったんですけどね」

 と、脳天気な声でそう言って、辺りを見回す仕草を見せるエリスさんの言葉に、あたしの胸中に、なにか冷たいものがわき上がって消えていった。

 エリスさんの目的って、まさか「マールエスクード狩り」ですかい。遠路はるばるやってきて、外れだったらどうするのやら……。

「そうですね。だけど、あたしがもしそのマール・エスクードっていう人だったら、逆にこういう場所は選ばないと思いますよ」

 あたしはエリスさんにそう返した。

「あら、どうしてですか?」

 どうも、この話題に関してはやはり敏感なようで、エリスさんは興味津々といった様子で、すぐさまそう聞き返してきた。

「こういうあまり旅人も来ないような場所に逃げ込んだら、かえって目立っちゃいますからね。田舎の情報伝達の早さを甘く見ちゃいけないですよ。普段見かけない人物が通りか掛かれば、その噂は一晩で隣り村三つ程度は広がるんだから。それに、もう2年も経っていますから、いくらなんでも、アストリア王国内に居るとは思えないですね」

 と、もっともらしい意見を述べるあたし。

 実際、ケタスの街の宿屋など、希に訪れる旅人が歩きで三日ほど離れた隣町に姿を現した段階で、その情報をいち早くキャッチして、営業準備に掛かるほどである。

 こんな場所に、魔道士なんぞ逃げ込んでこようものなら、たちまちその噂は近隣一帯の街や村に伝播することだろう。

 それに、逃亡者の心理として、危険な場所からは遠ざかりたいというのは至極当然のことで、もうとっくにアストリア王国国外に出ていると考えるのが妥当である……と、普通の人間ならこれで十分納得してもらえるはずなのだが。

「なるほど、そういう見方もできますね。だけど、私の勘は探し人がこの地に居ると告げているんです!!」

「にゅぉ?」

 きっぱりはっきり断言してくれたエリスさんに、あたしは思わず変な声を上げてしまった。

 ……カンって。そんなあやふやな根拠で、遠路はるばるこんな場所まで来たんかい!!

「というのは、もちろん冗談で、ちゃんとした根拠はあるんですよ。私が調べた情報によれば、マール・エスクードという人物はアストリア王立魔道院の中でも、かなりドロドロした部署の要職に就いていたようですし、そんな人物が出奔したとなれば、魔道院側もさすがに気が気じゃなかったみたいですね。やはり、すでに国外に逃げ込んだと考えたようで、かなりの数のトレーサーが世界中に散っているようですし、こうなるとかえって知らない土地で身を隠すより、知っている土地の方がなにかと便利ですからね。マリーさんは、そう思いませんか?」

 そう言って、エリスさんはなにか含みを込めた笑みを浮かべた。

 ……なぜ、魔道院の動向まで知っている。旅人が知っていていいことではない。

「……あなた、一体なに者なの?」

 思わず歩みを止め、あたしはエリスさんに低い声でそう問いかけた。

 トレーサーとはその名の通り、誰かを追跡する者。賞金稼ぎなどが代表例だ。 

 そして……マール・エスクード。

 幼くして、世界最高峰といえる魔道教育研究機関である「アストリア王立魔道院」に所属することを認められた人物であり、また、史上最年少にして「最強」の称号を冠された結界魔術のエキスパート……。

 この辺りの事は、アストリア王国で魔道師をやっている者なら誰でも知っている、いわば伝説みたいなものである。

 しかし、彼女の素性に関しては一切不明で、その人物が本当に実在しているのかどうかでさえ、かなり疑わしいものであり、せいぜいアストリア王立魔道院が意図的に流したブラフである。……というのが、マール・エスクードという人物に対しての、一般的な見解である。

 それなのに、エリスさんはなぜかその嘘くさい人物の実在を確信し、しかも、まず表に出ることのない、魔道院の動きまで把握している様子である。

 この事実は、つまり、彼女が「ちょっと育ちの良さそうな、世間知らずの鉄砲玉女」などという身の上ではないことを雄弁に物語っているわけで、もっと端的に言ってしまえば魔道院の関係者だ。

「はい、なんの事です?」

 と、白々しく返してきたエリスさん……いや、エリスの口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。

「……全く、考えてみれば、最初からおかしかったのよね。マール・エスクードの『手配書』なんて、世間一般に出回るはずないし、よしんば出回ったところで、変な冗談だと思われるのがオチよ。ホント、昨日はどうかしていたわ」

 自分の言葉を苦々しく噛みしめながらつぶやくあたしを、ただ笑みを浮かべたまま見ていたエリスだったが、突然彼女は吹き出した。

「あはは。もう、久々に会ったのにそんな怖い顔しないでよ。しっかし、天下のマール様も、「都落ち」してずいぶん鈍ったものね」

 明るいトーンの声でエリスがそう言った瞬間、彼女の体が一瞬淡い光に包まれ、そしてそこには別人の姿があった。

 やや癖のあるシルバー・ブロンドこそそのままだが、いかにも育ちの良さそうなな雰囲気を醸し出していた顔立ちは、やや切れ目のともすればキツイ印象を与えるそれに変わっていた。

「ローザ……。あなただったのね」

 少なからぬ緊張下にあった神経を、思わずゆるめてしまいながら、あたしはそう言って苦笑いを浮かべてしまった。

 ローザ・A・デミオ。これが、彼女の本名。あたしとは親友と言っていい仲だ。

「もう、ちょっと遅すぎるわよ。あたし的には、最初にあのボロ宿で会った時に、気づいて欲しかったんだけどね」

 と、呆れたような表情を浮かべながら、ローザはいきなりそうのたまってくれた。

「なによ、それってもしかして自慢? はっきり言って、あんたが使う『幻影』を見破れる奴なんて、魔道院の中でも数えるほどしかいないわよ」

 言われっぱなしも癪なので、あたしはとりあえずそう反論してやった。

 あたしたちが『幻影』と一括りに呼ぶ魔術は、その対象や影響範囲こそ術によって様々ではあるが、その名が示すとおり、その場には実在しないモノの『幻』を作り出すという共通点がある。

 彼女が使っていた魔術は、魔道士の間では変装用の小道具としてよく使われるポピュラーなもので、誰かの姿をコピーした『膜』を自分の周りに張るという、数ある『幻影』の中でも初級レベルのものである。

 もっとも、初級とはいっても、その効果は術者の資質やセンス、経験などによって大きく事なり、ショボい魔道士が使えば、素直に着ぐるみでも作った方がよほどマシという結果になるし、彼女の様なエキスパートが使えば、『解呪』の魔術でも使わない限りは見破れないという、完全に『別人』に成りすます事もまた可能なのだ。

 要するに、術を生かすのも殺すのも術者次第というわけで、彼女がちょっと本気になって変装すれば、あたしが知る限りは、誰もそれを見破る事が出来ないだろう。

「あはは。まあ、あたしの特技といったら、これぐらいしかないもの。少しぐらい自慢したって、バチは当たらないでしょ?」

 と、あたしの反論をいともあっさりと受け流してくれるローザ。

 ……まあ、昔からこーいう性格ではあったが。

「はいはい。それで、その「幻影」の魔術しか取り柄がないとかほざく、現役バリバリの魔道院関係者さんが、片田舎に逃げ出した野良魔道士に一体どんなご用かしら?

 まさか、単に昔の友人の顔が見たかったとか、暇だったからからかいに来たなんて理由じゃないでしょう?」

 思い切り皮肉を込めて、あたしはそうローザに言ってやった。

 ふぅ、『幻影』の魔術しか取り柄がないねぇ。……やれやれ、修行時代の同期が聞いたらなんて言うかしら?

「もちろん、決まっているじゃないの……」

 あたしの問いに、なにやら含みを込めてそう答えながら、ローザは腰の後ろに右手を回した。

 ……ふむ、来るか。

 胸中でつぶやきながら、あたしはさっと右手を腰に付けたナイフに遣った。

 まあ、あたしの手配書なんてものをわざわざ持ち歩いているぐらいだから、彼女の目的はあえて聞くまでもないだろう。

 もちろん、それはあたしも最初から承知していたが、対魔道士、しかもお互いに手の内をよく知っている相手とドツキ合いをやる前に、一呼吸おいて置きたかったのだ。

 こりゃ、久々に手応えがある相手ね……。

 と、気合いを込めて相手を見据えたその瞬間、彼女は腰の後ろからなにやら細長い物を引き抜いた。

 瞬間、あたしもナイフを引き抜き、すぐさま飛んでくるであろう相手の一撃を受け止めるべく構えた……のだが。

「魔道院からこれを預かって来たのよ。ほら、そんな物騒な物はしまって、さっさと受け取りなさいよ」

 あたしの予想に反して、相手から飛んできたのは裂帛の気合いを込めた一撃ではなく、緊張感の欠片もないローザの声だった。

 そんな彼女の手には、どこにでもあるごく普通の封筒がある。

「……へっ?」

 全く欠片も予想していなかった展開に、思わずあたしは変な声を上げてしまった。

「だから、手紙。これを渡しに来たのよ。念のために言っておくけど、別に変な細工はしていないわよ」

 そう言って、彼女はニヤニヤと笑みを浮かべている。

「ふぅん、手紙ねぇ……。誰から?」

 彼女の真意が読めず、警戒心は解かぬまま、あたしはそう問いかけた。

「さぁね。つい三日ほど前に、草の根引っこ抜いてでもあんたを探して、この手紙を渡してこいって、事務の兄ちゃんを通して指示が来たのよ。まあ、知ってるでしょうけど、その指示を出した張本人は不明だし、どんな経緯でこんな指示が来たのかも不明よ」

 そう言って、ローザは肩を竦めた。

 ……なるほど、そういう事か。

 つまり、この手紙を出した誰かさんは、魔道院内の他人に知られないように、あたしにコンタクトを取りたかったというわけだ。

 まぁ、あたしが魔道院に所属していたのはすでに過去の話だが、しかし、決して『円満退社』というわけではなかった。

 それこそ、魔道院内部規定違反で、目の前にいるローザの手によって、ここで暗殺されても不思議ではない程で、ぶっちゃけた話、魔道院とあたしは、敵対関係にあるというわけだ。

 そんな、いわば「敵」であるあたしに手紙を書くなどというのは、確かに魔道院内の他の人に気づかれたらただごとでは済まない話で、この手紙を寄越した誰かさんが用心すること自体はあたしも十分に納得出来る。

 しかし、そこまで苦労してあたしに手紙を出さなければならない理由が、どうにも思いつかないのだ。

 もっとも、一見すると無害な手紙に見えるが、実は何らかの罠が仕掛けられているという可能性も十分にあり得るけど……。

 ともあれ、いつまでもグダグダ考えていたところで、どこからも答えは出てこない。

 封筒の上に手をかざし、静かに精神を集中させた。

 もし、この手紙に何らかの魔術が施されていれば、それをどんなに巧妙に隠そうとしても、魔術特有の独特な『違和感』を感じるものだ。

 しかし、この手紙からは、なんの魔術の痕跡は感じられなかった。

 ということは、この手紙に魔術による物騒な罠は仕掛けられていないというわけで、まずは一安心。……もしかして、魔術なんて高度なシロモノじゃなくて、剃刀の刃とかなんか怪しげな白い粉なんかが入っているなんていう、ベタな展開じゃないでしょうね?

 などとちょっとビビリつつ、ごくりと唾を飲み込みながら封筒の封を切った。

 すると、封筒の中に入っていたのは剃刀の刃でも無ければ、怪しげな白い粉でもなく、どこにでも売っているような、ごくありふれた白い便箋だった。

 いや、違った。よくよく見ると、ただの便箋などではない。

 厚さ手触り見た目と、全てに置いて最上級である事が分かるご立派な紙に、アストリア王立魔道院のエンブレムが透かし込まれた、歴とした公文書用紙である。

 ……いやー、なんか久々に見ると、いかにも税金無駄遣いって感じの、意味もなく威張り散らしている用紙よねぇ。

 って、まあ、あたしは税金なんぞ払ってないし(悪)、別にそれはどうでもいい。

 さて、わざわざこんな紙まで使って、物好きにもあたしに手紙を寄越した奴は、一体どこの誰ですかねぇ。胸中でこっそり皮肉りながら、あたしは手紙の文面に視線を落とした。


『前略、親愛なるマール・エスクード様



 お久しぶりですね。お元気ですか?


 私も色々と書きたい事はあるのですが、時間的な余裕がありませんので、用件のみ記させて頂きます。


 様々な伝手を使い、現在、あなたがいわゆる『何でも屋』のような事をされていると知りました。


 そこで、このような手紙では失礼かと思いましたが、私も仕事を依頼させて頂きたいと思います。


 依頼の内容は、ローザの護衛と彼女が受けた任務の補佐です。


 詳しいことは、彼女から説明を受けて頂き、その上で結果、この依頼を受けて頂くか拒否されるかご判断下さい。


 なお、報酬の件ですが、とりあえず諸経費込みで1万クローネと提示させて頂きます。


 もし、この額に不服がありましたら、多少上乗せも可能ですのでご相談下さい。


 それでは、これにて失礼させて頂きます。お風邪など召さぬよう、ご用心下さいませ。



早々


 マリア・コンフォート


 P.S

 この手紙をローザに見せる事は構いませんが、読後直ちに焼却処分して頂きますよう、お願い致します』


「……はぁ!?」

 手紙の内容があまりに突拍子ない事だったので、あたしは思わず目を擦って読み直してしまった。

 しかし、何度読み直そうが、その内容は変わりない。

 ものは試しと、斜め読みや縦読み、さらには上下をひっくり返して読んでみたり、太陽にかざしてみたりしたのだが、ただ得体の知れない文章になっただけだった。

 つまり、この手紙に記された事は、いたって真面目というわけで・・・。

「あれま、もしかしてラブレターだったとか?」

 余りのことに、思わず唖然としてしまったあたしの様子を見て、ローザが素っ頓狂な事を問いかけてきた。

「ち、違うって、ちょっとこれ見てよ!!」

 そんなすっとぼけたローザの問いに真面目に答える気が起きず、あたしは問題の手紙をパタパタ振りながらそう言ってやった。

「あら、いいの?どれどれ……って!?」

 あたしが差し出した手紙を興味深そうに受け取ったローザだったが、次の瞬間、顔の骨格が変わったんじゃないかと思うほど、もの凄い驚愕の表情を浮かべた。

 ・・・そりゃ、まあ、驚くわよね。普通。

 なにしろ、マリア・コンフォートは、他でもないアストリア王立魔道院の院長代行。つまり、暫定ナンバー1の地位にある人なのだ。

 実のところ、あたしとローザ、そしてマリアは同期である。

 その後の進路選択で、今となっては立場が色々変わってしまったが、今のあたしは単なる野良魔道師だ。

 通常なら魔道院の依頼など、まずあり得ない。

「い、一万クローネぇ!?」

「だぁぁぁぁ、そこで驚くなぁ!!」

 いきなりボケた事を抜かしてくれたローザに、あたしは反射的にツッコミを入れてしまった。

「い、いや、だって一万クローネよ。こんだけあれば、向こう十年は遊んで暮らせるわよ!!」

「ま、まあ、そりゃそうだけど……。って、そうじゃなくて。あんた、その手紙の差出人を誰だと思ってるのよ?」

 一瞬、ローザのペースに巻き込まれそうになったあたしだが、なんとか気を取り直し、自分でもばかばかしいと思いつつ、この手紙の最大の問題点を指摘してやった。

「誰って、マリアでしょ? 別に珍しくないじゃない」

 さも当然と言わんばかりに、ローザはきっぱりとそう答えてくれた。

「あ、あっ、そう……。じゃあ、なんでそう平然としていられるのよ。当然分かってるとは思うけど、マリアは魔道院の院長代行。つまり、偉い人なのよ。アンダースタン?」

 相手のあまりの鈍さに頭を抱えたくなりながらも、あたしはなんとかそう言い返した。

 ……ったく、なんでこんな事をいちいち解説せにゃならんのよ。ふぅ。

 国民のほとんどが魔道師であり、魔道王国の別名を持つアストリア王国にとって、魔道院はただの魔道師養成学校ではない。

 一定の制限はあるが、王令から独立した独自の法が制定され、ある意味でもう一つの王国とも言える。

 そこの院長代理ということは、魔道師に取っては国王代理といってもいいのだ。

「ええ、もちろん分かってるわよ。で、それがどうかしたの?」

 しかし、あたしの懇切丁寧な(?)指摘にも関わらず、ローザはこちらの意図を全く察してくれなかったようで、きょとんとした表情で再び問いかけてきた。

 ……この瞬間、あたしの精神的耐久度は限界を迎えた。

「だぁかぁらぁ、実質魔道院トップのマリアが、あたしにこんな手紙を送ってくるって事は、つまり規定を無視して魔道院を飛び出した、不良野良魔道師に仕事を出したって事。非公式にね。これがばれたら、あたしはともかく、マリアもあんたもヤバいって事!!」

 そこまで怒鳴り散らして、あたしは肩で激しく呼吸した。

「はいはい、そんなに怒らないで。ゴメン、ちょっとからかい過ぎたわね」

 激しく上下する視界(呼吸のせいだけど)の中で、ローザはそう言ってペロリと舌を出した。

 ……こ、こいつ、最初から全部分かっててボケたフリしていたわね。

 くっそぉ、なんか悔しいけど、言い返すだけの肺活量がない!!

「ああ、もうそんなに睨まないでよ。ほら、お菓子あげるから」

「……い……要るか。……ンなモン……」

 身振りで「まぁまぁ」などとやりつつ、本当に派手な色彩をした糖菓子と思われるものを差し出してきたローザに、あたしはなんとかそれだけ言い返した。

 もしかして……、いや、確実にバカにされてるわね。あたし。

 まあ、昔からコイツはこーいうヤツではあったけど。

「あっそ、これ結構おいしいんだけど……」

 そう言って、ローザはこちらに差し出していた糖菓子(多分)を自分の口に放り込んだ。

 ……こぬやろ、一発派手な花火上げたろか?

 などと、どす黒い感情を煮えたぎらせながら睨むそのうちに、彼女は咀嚼も素早く飲み下すと、サッと表情を変えた。

「とまあ、冗談はさておき、実際の話、マリアは内心ではあなたの規定違反を容認しているみたいよ。ただ、自分の立場もあるし、なによりも『長老会』がうるさいから、そんな事は間違えても大きな声じゃいえないでしょうけどね。

 だから、こんな面倒くさい手段を使ってあなたに手紙を出したのも、いい意味でマリアなりになにか心づもりがあるんだと思うわ」

「ふーん、なるほどね……」

 ローザの話に、あたしは短くそう返して考え込んだ。

 この執行部というのは、魔道院院長の補佐という形で、実質的に魔道院を動かしている部署のことである。

 そして、『長老会』というのは、正式には『執行部顧問会』といって、その名を聞けば無く子も黙る名うての魔道士で構成されていて、その役割は、前途の執行部に対してアドバイスし、適正な運営を補助するためにある。

 ・・・となっているが、本音と建て前が違うのはどこの世界でも同じで、『アドバイス』という形で執行部に対して絶対的な権限を持っているのが実情だ。

 それこそ、「執行部ってのは執行部顧問会の略称だろ?」とか「魔道院に執行部なんていう部署はない」という者もいるほどである。

 もっとも、規定では、魔道院の中で絶大な権限を持つ執行部、いや、正確には『長老会』が出した裁定であっても、最終的に魔道院の最高責任者である院長の承認を得なければ発効しない事になっている。

 しかし、これは政治的な問題なのだが、蒼々たるメンツを揃えた『老人会』に対しては、魔道院院長といえどもそうおいそれと口を挟めるものではなく、よほど突拍子もない話でもなければ首を縦に振るしかない。

 さもなければ、たちまちその地位と一緒に命を失う事にもなるのだ。

 ゆえに、魔道院の中では、『院長なんぞなるもんじゃねぇ。あんなもん、長老会の操り人形か生け贄だ』と公言してはばからない者が少なからずいたりする。

「あっ、やっぱり疑ってるわね。まあ、もし立場が逆だったらあたしも疑うだろうし、無理もないけど」

 あたしの様子を見て胸中を察したらしく、ローザがそう言って苦笑を漏らした。

「まぁね。魔道院が相手じゃ、誰だって用心するわよ」

 ここで下手な芝居をしても意味がないと判断したあたしは、ローザの言うことを素直に認めて苦笑を返した。

 魔道院を飛び出てから2年ちょっと。現役魔道院長の前代未聞の不祥事ということで、最初は追っ手も凄かったし、露骨に攻撃されたものだが、今はもう平和なものだ。

 そこにきて、いきなりの『来訪者』。罠であると考えるのが普通だ。

「そりゃごもっとも。で、あえて聞くけど、マリアからの依頼はどうしますか?」

 と、冗談めかして言うローザに、あたしはひょいと肩を竦めて見せた。

「こらこら、説明もなしに決められないでしょ?」

 あたしがそう返すと、ローザは一瞬ポカンとした表情を浮かべ、次の瞬間、ポンと両手を打った。

「あっ、そうだった。あなたを探すのに夢中で、すっかり忘れていたわ……」

 などと、マリアが聞いたら泣き出しそうな事をつぶやきつつ、彼女は右手の人差し指を自分の目に突き出し、虚空に小さな円を描いた。

 すると、彼女が描いた円の内側の風景が一変し、さながら黒インクを垂らしたかのように『闇』が出現した。

「さっき渡した封筒と一緒に、この命令書を受け取ったんだけど、ポート・ケタスの近所で『遺跡』らしきものが見つかったらしくて、例によって研究部の連中が調査に出かけたらしいのよ。

 だけど、ポート・ケタスに到着したっていう連絡を最後に、この連中の消息がプッツリ途切れちゃったらしくて、あたしにお鉢が回ってきたってわけ」

 そう言って、ローザは自らが生み出した『闇』の空間に無造作に手を突っ込み、ぶ厚い紙束を引っ張り出した。

 これは、遠方にある物体を瞬時に手元に呼び寄せるという、魔道士の間では『召還系』と呼ばれる魔術の一種で、かさばる物を持ち運びするときに重宝する。

 まあ、これは余談だけどね。

「よいしょっと。これがその詳細資料ね。あたしも全部読んだわけじゃないけど、そこそこ優秀な連中が調査に向かったみたいよ」

「どれどれ」

 そう言いながら、ローザが捧げ持つぶ厚い紙束を受け取り、ぱらぱらとページをめくってみると、確かに、遺跡の調査に向かった名簿の中に、かなり腕利きの魔道師たちの名前がいくつも見つかった。

「えっと・・・、総勢10名ね。なんだか知らないけど、この規模の遺跡調査としては、ずいぶん気合いが入ってるわね」

 その『調査隊名簿』というタイトルが記されたページで手を止め、あたしは独り言のつもりでそうつぶやいた。

「まあ、最近はてんで『遺跡』なんて発見されてなかったから、研究部の連中も気合いが入ったんじゃないの?」

 と、なぜか妙に嬉しそうにローザがそう言ってきた。

「なるほどね……」

 と、ローザに適当に答えながら、あたしは再び資料のページを繰った。

 ・・・あたしたちが『遺跡』と呼びならわしているそれは、正式な書類上では『古代遺跡』と記述されるのだが、要するに、この世界に存在した過去の文明が残した遺物のことである。

 ここで、「なんだよ、言葉そのままじゃねぇか!!」と、律儀にツッコミを入れて下さったあなた。……まさしくその通りです。申し訳ない。

 まあ、こんな洒落も飾り気も無いネーミングが施されてしまった遺物たちではあるが、あたしたち魔道師たちにとって、その存在は決してバカに出来るものではない。

 というのも、世界中で度々発見される遺跡には、記録も残っていないような遙かな大昔に生まれ、あたしたちが使っている魔術の源流になった「古代魔法」に関する貴重な資料が眠っている事があるからだ。

 もっとも、この古代語魔法を使うノウハウは完全に失伝してしまっているため、それそのものを使う事は出来ないが、これらの資料から新たな魔術を生み出すヒントを得たり、未だに解明されていない魔術の謎を暴くきっかけにもなる。

 もし、これらの『遺跡』が存在しなければ、恐らくこの世界に魔道師などというものは存在しなかっただろう。

 とまあ、そういうわけで、昔からアストリア王立魔道院は熱心に古代魔法の研究を行っていて、国内外を問わず例えどんなにしょぼそうなシロモノであっても、『遺跡』らしきものが発見されれば必ず調査隊を送り込むのが慣例になっている。

 とはいえ、もちろん毎回毎回『お宝』が発見されるわけではなく、むしろ大ハズレというパターンが多い。

 今回、ローザの持ってきた資料にある遺跡も、それだけ見ればさほど大したものではなく、大ハズレ組の一員のように思えるが、調査隊が忽然と消えてしまったというのがちょっと気になる。

 すぐに考えついた事は、遺跡を調査している途中で、誰かが致命的な罠を作動させてしまったということ。

 これは、別に考えすぎでも何でもなく、見た目がどんなにショボショボな遺跡でも、ひっそりと致命的な罠が仕掛けられていたりすることはままある。

 それを調査中に誰かがうっかり作動させてしまえば、最悪の場合、一瞬にして調査隊が全滅する可能性もあるし、実際、過去にそうやって命を落とした魔道師たちはかなりの人数に上る。

 もっとも、先ほど名簿で確認した面々は、全員が全員とも遺跡調査のベテランだし、遺跡の怖さを十分に知っているはずなので、余程の事がなければそんな事態にはならないだろうが……。ともあれ、これは遺跡調査に関わった事がある者なら誰でも思いつく事だし、それで納得出来ないからこそ、こうしてローザを派遣する事になったのだろう。

 その理屈はあたしにも容易に理解出来るが、ただし、これはあくまでもこの資料が事実に基づいているという前提があっての事。

 あたしがいくつか考えついた中で、一番信憑性が高いと思う仮説は、この資料にある遺跡など存在せず、代わりに、魔道院の中から選りすぐりの魔道士たちが大勢でお出迎えというパターンだ。

 なにしろ、表向きは平和的な研究機関兼魔道士養成施設である魔道院だが、その裏側では、どうにも目障りな奴を「狩る」ことを専門にしている、極悪非道の暗殺チームが編成されているのだ(もちろん、これは一部の人間しか知らないけど)。

 実のところ、あたしもそこそこ戦える自信はあるが、この連中が相手となると、はっきり言って勝ち目はない。

 つまり、考えるまでもなく、この依頼はさっさと蹴飛ばしてしまうのが最良の策なのだが・・・。

「あれま、その顔。ま~た疑ってるわね。心配しなくても大丈夫よ……なんて、あたしの口からは気安く言えないけど、少なくとも、あたしが命令を受けたことは本当よ。って、いくら言っても信じてはもらえないだろうけど」

 あたしの心境を敏感に察したらしく、ローザはそう言って苦笑を浮かべた。

 やれやれ、勘の鋭さは昔と変わらないわね。

「……質問その1。遺跡調査なのに、なんで畑違いのあんたにお鉢が回ってきたのか?」

 しばし考えてから、あたしはあえてトーンを低く抑えた声でローザにそう言った。

 実は、これがあたしが疑念を抱く最大の要因だったのだが、少なくともあたしが知る限り、ローザは遺跡調査に関しては完全に素人なのである。例え大したことがなさそうな遺跡であっても、そこに危険が潜んでいる可能性が否定できない以上、ずぶの素人を単独で派遣させるとは考えにくい。しかも、ベテラン揃いの正規調査隊が失踪したあととなれば、なおさらだろう。

「回答。率直に言って不明。ただし、あなたと面識があり、接触を試みても不用意に警戒されないという思惑があったと推測される」

 突然問いかけたにもかかわらず、ローザは驚いた様子もなくそう答えてきた。

「質問その2。あんたが受けた命令の発令者は?」

「回答。命令書の署名は執行部ではなくマリア・コンフォート本人。ちなみに、この命令書には非公式の極秘任務だと明記されている」

「質問その3。もし、あたしがマリアの依頼を断ったら、あなたはどうする?」

「回答。どうするもなにも、あたしは任務を全うするのみ」

 そう言って、ローザはちょっとだけ胸を張った。

 つまり、もしあたしがこの依頼を断れば、ベテランの調査隊でさえ失踪した遺跡に、素人のローザが単身で乗り込むということだ。これは、すなわち、ほぼ確実に彼女も失踪するという事を意味しているのだ。

 ……うーむ、マリアの奴。確信犯的にローザに命令を出したわね。

「ふぅ、なんか填められているような気がするけど、そういう事ならこの依頼は断れないわね。ただし、遺跡の代わりにコワイ魔道士さんたちが待ちかまえていたら、あんたは一生後悔することになるわよ」

 半ばやけくそ気味に、あたしはローザにそう言った。

「もちろん、その点は心得ているわよ。でも、良かった。正直な話、一人で遺跡調査しろなんて命令が来たときは、真面目にマリアの首をへし折ってやりたくなったのよね」

 冗談めかしてそう言って、ローザは屈託のない笑みを浮かべた。

「こらこら、そんな事大声で言ったら不幸になるわよ」

 かなり不穏当なローザの言葉を聞いて、あたしは反射的に辺りを見回してしまったが、しかし、視界に入るのはのどかな片田舎の光景だけ。

 これなら、このローザの発言が誰かに聞かれたという恐れはないだろう。

「もう、相変わらず心配性ね。大丈夫よ。いくら魔道院でも、そう簡単にあたしにケンカを売るようなマネはしないだろうし」

 そう言って、ローザは楽しそうに笑い声を上げた。

 ……そういや、今まで完璧に忘れていたけど、コイツってアストリア王国じゃあ超が付くほどの名門貴族の出身だったのよね。

 確かに、いくら魔道院とはいえ、そうおいそれとローザに手を出すわけにはいかないか。ふぅ、政治ねぇ。

「……たまにだけど、バックに有力な親が付いてるのって羨ましくなるわ」

 ケラケラと笑っているローザをジト目で睨みながら、あたしはそうつぶやいてこっそりため息をついた。

 ……ふぅ、世の中って不公平よね。

「まあ、それはどうでもいいわ。それより、マリアの依頼を受ける前に、もう一つ条件を付けさせて貰うわよ」

 すぐに気持ちを切り替えてあたしがそう言うと、ローザは笑い声を引っ込めた。

「ん、条件?」

 キョトンとした表情で聞き返してきたローザに、あたしは一つうなずいて答えた。

「実はね、もう一つ仕事を抱え込んでいるのよ。内容は大したことじゃないんだけど、期限が迫ってるからこっちを優先させる事を承諾する。これがもう一つの条件よ」

 あたしがそう言うと、ローザはニヤッと笑みを浮かべた。

「ああ、そういう事ね。了解したわ。じゃあ、あたしはクランタのあなたが泊まっていた宿で待っているから、とっとと用事を済ませて来ちゃって」

 そう言って、さっと踵を返し、元来た道を引き返していく彼女の背中を眺めているうちに、あたしは忠告しておかなければならぬ事がある事を思い出した。

「あっ、念のために言っておくけど、あのボロ宿って夜中になると色々出てくるわよ。例えば、あんたが苦手な黒くて艶やかなアレとか」

 あたしがそう言い放った瞬間、まだそれほど遠くへと行っていなかったローザの背中ががピクリと震えた。

「……って、言うのは冗談で、やっぱり久々に会ったことだし、あなたに支障が無ければ、あたしも同行しようと思うんだけどいいかしら?」

 クルリとこちらを振り向き、引きつった笑みを浮かべる彼女に思わず苦笑してしまいつつ、あたしは手で「付いてこい」と合図して、ハングアップのオヤジ経由で依頼された手紙を届けるべく、アモハンの町へと向かったのだった。

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