第48話 アリスイズム

 作戦開始の前日、あたしはワール・ウィンドに乗り当て所なく飛んでいた。

 目的地は特にない。

 ただ、明日には無くなってしまうかもしれないこの世界を目に焼き付けておきたかったのである。

 アストリア、プレセア、ミスティール、エバァ、エスト……。

 各大陸を回るそのうちに、あたしはとんでもない事を実行しようとしている事を改めて実感する。今ならばまだ中止出来る……。


『マール様。明日に差し障りますので、日暮れまでには戻りましょう』

 無線からセシルの声が聞こえ、あたしは我に返った。

「え、ええ、そうね。戻りましょうか」

 気がつくとあたしたちはアルシオネ洋の真上にいた。

 現在地を見失ってしまったが、特に問題はない。

 あたしのやや後ろにはセシルが付いているし、ワール・ウィンドに「戻れ」と念じれば勝手に帰ってくれる。

「セシル、今どこにいるか分かる?」

 あたしはわざとそう問いかけた。

 ついつい弱気になるのを防ぐためだ。

『そうですね……。私の感覚が狂っていなければ『魔の巣』上空です』

 セシルからの返答に、あたしは思わず苦笑してしまった。

 よりによって、『魔の巣』とは……何の因果だろうか。

「分かった。ありがとう」

 セシルに短く返し、あたしは『魔の巣』上空を何度も旋回する。

 明日、ここで世界が破滅するかどうかの戦いが行われる。

 サイコロを投げるのはこのあたし。

 全世界の総意ではない。中にはこの仮初めの平和でいいという者もいるだろう。

 カリムに聞いたが『大結界』の状態は良好で、あと数百年はもつだろうということなのだから……。

 果たして、あたしの我が儘を押しつけていいのだろうか……。

『マール様、どうされました?』

 再び無線からセシルの声が聞こえた。

「あー、何でもない。セシル、飛ばすわよ!!」

 そう言って、あたしは「全速力で戻れ」 とワール・ウィンドに念じた。

 一気に速度を上げ、ミスティール大陸に向かうその中で、あたしは一切の迷いを吹っ切った。悩むなんてあたしらしくもない。正しい信じる事をやるだけである。


 翌日早朝……


 あたし、セシル、エリナに加え、エリーゼさん率いる百六十名の竜騎士たちが一斉に飛び立った。

 目指すはアルシオネ洋の中心にある「魔の巣」。

 連絡伝達に困らぬよう、エリーゼさんにも無線の機械を渡してある。

「みんな、聞こえる?」

 あたしはマイクを持ち、作戦に関わるみんなに声をかけた。

『無線チェックよし』

「聞こえます」

「マール殿、よく聞こえております」

「マール様、こちらは準備完了です」

 エリナ、セシル、エリーゼさん、カリムがそれぞれ返してきた。

 ここから目的地である『魔の巣』までは約二時間。

 作戦はそう複雑なものではない。

 あたしたちが所定の場所に到着した段階で、カリムが『大結界』を解除。

 『ルクト・バー・アンギラス』が現出したら、まず六十名の竜騎士が一気に上昇して『核』を破壊し、その瞬間を狙って百名の竜騎士が一斉攻撃を仕掛け、同時にあたしがアリスの本に記された結界魔法でトドメを差す。まあ、こんなところである。

 ちなみに、『核』を破壊したタイミングが重要なのであたしは核破壊組の竜騎士60名と共に高みに上り、エリナとセシルは残り百名と共に下で攻撃を仕掛ける手はずだ。

『マール様、『大結界』に異常あり。『ルクト・バー・アンギラス』が過去最大級の『力』で結界を打ち破ろうとしています!!』

 カリムからそんな声が飛んできた。

「ずいぶんタイミングいいわね……」

 まるで、こちらを狙っていたかのようなタイミングである。意地でも「この時代」を破壊しなければ気が済まないか……。

『恐らく『大結界』はもってあと三十分です。急いでください!!』

 続けてカリムが叫ぶ。

 ……三十分。このままじゃ間に合わない。

「エリーゼさん、速度上げられますか?」

 なにせ百六十人の大所帯である。

 難しいだろうなと思っていたのだが、エリーゼさんの答えはあたしの予想と違っていた。

『マール殿、お任せ下さい』

 無線からエリーゼさんの声が聞こえた途端、眼下を飛んでいた百六十人の竜騎士たちが一斉に速度を上げた。

 その一糸乱れぬ動きに、あたしは一瞬、我を忘れて関心してしまった。

 ……さすが、世界に名だたる竜騎士ね。

『マール、遅れてるわよ!!』

 エリナの声であたしは我に返り、慌ててワール・ウィンドを加速させた。

 それにしても速い。追いついていくだけで精一杯だ。

 これが日頃の鍛錬というやつか……。

「カリム、そっちはどう?」

 関心ばかりしていてもどうにもならない。

 あたしはカリムに状況報告を求めた、

『はい、なんとか制御しておりますが、あと二十分が限界かと……』

 ……二十分。

 こちらはようやくアルシオネ洋上空に差し掛かったところである。

 どう考えても、あと一時間は掛かる。

『先を越されたわね。まあ、こうなったらやるしかないけど』

 エリナがそう言ってきた。

 そう、やるしかない。サイコロはもう投げられたのだ。

「みんな、一気に突っ込むわよ!!」

『突撃ねぇ。やれやれ……』

『かしこまりました』

『了解です』

 エリナ、セシル、エリーゼさんの声を聞きながら、あたしはワール・ウィンドを最高速まで引き上げた。

 青い海原の上を飛ぶうちに、徐々に雲行きが怪しくなってくる。

「もうすぐ『魔の巣』よ!!」

 あたしが叫んだ時だった。

 いきなり前方から強烈な光線が飛んできた。

 幸いあたしたちの一団からは大きく外れていたが、いよいよ気が引き締まる。

『さあ、おいでなすった!!』

 エリナの声と共に光線の乱射が始まった。

 狙いが不正確なのが幸いだが、うっかり当たればただでは済まない。

 その上この前の時よりも激しい嵐があたしたちの眼前に迫っていた。

『マール殿、嵐を避けましょう。もう少し上昇して雲の上へ……』

 エリーゼさんがそう言ってきた。

「了解。上昇しましょう」

 あたしよりも飛行経験が長い竜騎士団長の言葉である。

 素直に従って、あたしはワール・ウィンドを上昇させた。

 それに続き、全く乱れぬ隊形で上昇してくる百六十人の集団は、ほれぼれするくらい格好いい。

 ……おっと、見とれている場合じゃなかった。

 あっという間に眼下は黒い分厚い雲で覆われ、時折雷が発生しているのが分かる。

 そのまま突っ込んだら、今頃は大変な事になっていただろう。

『マール、見えたわよ』

 エリナの声に、あたしは反射的に前方を見た。

 すると、黒い雲の雲海に異様な黒い柱が立っているのが見えた。

「目標確認。みんな、打ち合わせ通りに動いて!!」

 あたしがそう言うと、竜騎士の一団が2つに割れた。

 片方はそのまま水平飛行し、もう一団は遙か高みに向けて急上昇していく。

 あたしもその急上昇組だ。

「エリナ、セシル、エリーゼさん、あとはよろしく!!」

 あたしは風の結界で自分の体を覆いつつ、無線に向かってそう言った。

 ちなみに、竜騎士は普段から高所訓練をやっているらしく、生身でも大丈夫だそうで……凄い。

 そんな事を言っているうちにも、『ルクト・バー・アンギラス』はどんどん迫ってくる。

 その攻撃もどんどん苛烈さを増し、光線の雨をかいくぐりながらあたしたちは接近する。

 そして、ついにあの『顔』とご対面した。

 相変わらずのグロテスクさだったが、竜騎士たちはひるむこと無く攻撃を開始した。

 それを見ながら、あたしは結界魔法の準備を開始する。


「ウォルド ポウゥア アト インヴェルノ

 イツ シーティーフォア ヴァル イル ゼン

 タブ アル エクス エホリューシ スラ トラス

 イト マク ワパ ガワチ ミモト……」


 あえて現代語に訳していない。

 『呪文』と共に『印』を切り、アリスが遺した魔法が具現化していく。

 そして、『核』となっていた『ルクト・バー・アンギラス』の顔が完全に破壊された。

「ボードボ・シャーナクリアズム!!」

 間髪を入れずにあたしは結界魔術を発動させた。

 瞬間、網状の光の結界が現れ『ルクト・バー・アンギラス』の全身にまとわり付く。

「こんのぉ!!」

 あたしはもう命を落としてもいいというくらい、本気で魔力を流し込む。

 『ルクト・バー・アンギラス』にまとわり付いていた『結界』が光を増し、その体に食い込み始めた。

 やったか・・・?

 そう思った刹那、いきなり結界が崩壊してしまった。

「えっ!?」

 そう思った瞬間、魔力の異常使用で悲鳴を上げていたあたしの意識は暗転し……「私」目覚めた。ほぼ「完全な形で」。

「全~く、あの本をちゃんと最後まで読んだのかしら。正しくは……こうよ!!」

 「私」は改めて呪文を紡ぐ。

 瞬時にして網状の結界が『ルクト・バー・アンギラス』を包み、一気に締め上げていく。そして、『ルクト・バー・アンギラス』の体が、爆発するように四散した。

『わぁお、成功しちゃった。ちょっとビックリ……コホン。マール、聞こえてる!?』

 ……どこからともなく、聞き覚えのある声が聞こえた。

 ……えっと、エリナね。

「聞こえるわよ。久々ねエリナ」

 この体。「私」の子孫にあたる、マール・エスクードの記憶もちゃんとある。これまでの事全てのね。

『久々って……。もしかして、アリス!?』

 エリナが素っ頓狂な声を上げた。

「他に誰がいるのよ。あの結界魔法のお陰で『目覚め』ちゃったみたいね」

 「私」は思わず苦笑してしまった。

『じゃあ、マールは……』

 珍しく深く沈んだ声。よほど「マール」が大事なのね。

「安心なさい。やることやったからもう戻るわ。ここは、『私』の住むべき時代じゃない。そのくらいの分別はあるわよ。ちょっと待ってね……」

 「私」は目を閉じ、自身に対して結界魔法をかけた。これでも、そこはかとなく器用なのだ……そして、「あたし」は目を覚ます。

「ふぅ、また美味しいところ持って行かれたわね……」

 「アリス」の記憶はある。また、シメを持って行かれてしまった。未熟。そして……。

『はい、お疲れさん。倒したわよ。『あんた』の魔法でね』

 エリナの言葉に私は苦笑してしまった。

「こら、えりな『あたし』じゃなくて『私』の魔法。間違えないでね」

『うげっ!?』

 エリナの声が無線から飛んできた。

「あはは、この馬鹿が結界張り損ねた挙げ句、なんか混ざっちゃったみたい」

「馬鹿とは何ですか馬鹿とは!!」

 私の口から立て続けに言葉が漏れた。

『……あのさ、聞きたくはないんだけど、最後にきてまさかのアリスイズム?』

「なんですか。その『アリスイズム』って。今、すっごい馬鹿にしたでしょ!!」

 ……はあ、なにかこう頭痛いが、『ルクト・バー・アンギラス』を倒したのならそれでいい。

 見ると、眼下の嵐も無くなり、平穏な海面が広がっている。

 ……やったんだ。あたしたち。

 この時になって、あたしは初めて実感したのだった。

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