第46話 アリスの遺したもの前編

「……それにしても、読みにくい字ね」

 『遺跡』を後にとりあえずミスティール・シティまで戻ったあたしたちは、竜騎士たちの詰め所にあった空き部屋を借り、そこを簡易研究室として例の本を読んでいたのだが……。

「だから、アリスの字は下手くそなんだって。あたしだって苦労するもん」

 室内で暇そうにしていたエリナが、そう言ってきた。

「もうこれは一種の暗号ね……」

 エリナを無視しつつ、あたしは本の解読作業を続ける。

 本を読み取りそれを紙に現代語訳して書いていくわけだが、あまりに達筆過ぎてこれがなかなか捗らない。

 もう少し読みやすかったら、もうちょっと早いのだが……。

「マール様、エリナ様、お昼の時間です」

「えっ、もうそんな時間?」

 つい没頭しすぎたらしい。

 感覚的には、先ほど朝ご飯を食べたばかりだったのだが……。

「おっ、待ってました!!」

 エリナが真っ先に部屋の小さなテーブルに着く。

「今日はミスティールの代表的庶民料理を作ってみました」

 セシルが小さなワゴンに乗せてきたのは、いわゆる丼というやつだった。

「へぇ、カツ丼なんて久々だわ!!」

 エリナが嬉々とした声を上げる。

「カツ丼っていうんだ。これ」

 丼物はアストリアにもあるが、揚げ物を卵で絡めたこういう丼は初めてである。

「はい、カツ丼です。冷めないうちにお召し上がり下さい」

『いっただきまーす!!』

 あたしとエリナの声がハモる。

 いつもながら、セシルの料理は上手い。

 あたしとて、一応料理は出来るが……このレベルにはほど遠い。

「さて、午後も頑張りますか」

 あっという間に食事を終え、あたしは食後のお茶をすすりながらそう言った。

 前にも言ったかもしれないが、遺跡探査の基本は早飯である。一度付いた癖は、そうそう抜けるものではない。

「はい、ごちそうさま。じゃあ、あたしは外でちょっと遊んでくるから頑張ってね」

 あたしよりやや遅れて食事を終えたエリナは、お茶もそこそこに部屋の外に向かう。

「また派手にぶっ壊さないでよ。復旧・復興の最中なんだから」

 あたしは、そんな彼女に釘を刺しておく。

「分かってるわよ。昨日のはちょっとした事故よ事故!!」

 ……はいはい。

 今のところ次期国王は決まっていないが王宮だけは何とかしようということらしく、アストリアから派遣した魔道士たちの助力の元で、日々復旧作業が続いている。

 そんな中で昨日、エリナがやらかしたのだ。

 またあたしの銃を改造したらしく、空き地で試射をしていたらしいのだが……。

 出力を上げすぎたとかなんとかで発射した瞬間にエリナが吹っ飛ばされ、制御を失った魔道弾はやっと形になってきた城の尖塔の1つを跡形もなく吹き飛ばしたらしい。

 人的被害が出なかったのは幸いだが、あたしが顛末書を書かせたのはいうまでもない。

 しかしまあ、もしあたしがそんな銃を実戦で撃っていたら、一体どうなったのやら。

 もはや、あたしの銃は拳銃ではない。

「さてと、あたしは続きをやろうかな。えーっと……」

 そして、あたしは続きを始める。

 昔はこういう地味な机作業は苦手だったものだが、あたしもだいぶ成長したものである。

 だいぶ、アリスが書いた字の癖は読めてきた。

 サクサクとはいかないが、この分なら三日もあれば『解読』と翻訳作業が終わるだろう。

 などと思った時、窓の外から遠雷のような低い爆音が聞こえてきた。

「あー、またやったわね。やれやれ……」

 ……訂正。一週間は掛かるわね。

 あたしは『穴』に手を突っ込み、魔術筆記不可能な恐怖の紙束を取り出したのだった。


 一週間後……


「ふぅ、終わった……」

 最後にペンを机の上に放り出し、あたしは思い切り深呼吸した。

「お疲れー」

 あたしの隣でひたすら顛末書を書き続けるエリナが、気のない返事をしてきた。

 そんなエリナは無視して、あたしは先ほどまで書いていた紙の山を見る。

「あー、このままじゃ読みづらいわね。まとめないと……」

 これはあたしの不器用なところではあるのだが、「解読」と「翻訳」に集中しすぎて、その内容までは頭に入っていない。

 そこで読み直す必要があるのだが、このバラバラの紙のままでは何とも……。

「マール様、お任せ下さい」

 とりあえず紙の山を揃えていると、セシルがそう言ってきた。

「ん?」

 あたしが聞き返すと、セシルはなにやら自信ありげな笑みを浮かべていた。

「机の上に紙を置いて下さい」

「え、ええ……」

 あたしが言われた通りにすると、セシルは紙束の上に手を置いた。

『製本!!』

 瞬間、あたしの机にあった紙が室内に舞い上がる。

「えっ!?」

 見たことない魔術に、あたしは思わず声を上げてしまった。

 舞い上がった紙束は次々に適度なサイズにカットされ、綴じられ……。

 ものの数秒で、表紙のない本のようなものが出来上がる。

「す、すご……」

「まだです。仕上げの『装丁』!!」

 瞬間、どこから材料が出てくるのか、あっという間にご立派な革表紙の分厚い本が出来上がった。

「お待たせしました。うっかりご希望をお聞きしなかったので、表紙などは魔道院標準で作成してしまいましたが、よろしかったでしょうか?」

「……」

 セシルに問われ、あたしは何も言えなかった。

 あたしが使っていた机の上には、ご丁寧に魔道院の紋章まで押された本が1冊。

 タイトルは「『ルクト・バー・アンギラス』の倒し方についての考察」。

 ちゃんと『アリス・エスクード著 マール・エスクード訳』との記述まである。

「あの?」

「あっ、ええ、申し分ない出来よ。どこでこんな魔術を……」

 不安そうに聞いてきたセシルに、あたしはそう言った。

「魔道院の資料保管部じゃ必須の技能よ。セシル、もしかして所属してた?」

 エリナが口を挟んできた。

 そ、そうなんだ。恐るべし魔道院……。

「はい、ずっと事務方ですので……」

 あたしが驚愕してしまっていると、セシルがそう言って小さく笑った。

「なるほど。ならあたしの顛末書も……」

「ダメです。それは自分でお書きください」

 調子に乗ったエリナの言葉を遮って、セシルがあっさり却下した。

 ……アホ。

「とりあえず、ありがとう。ホントお嫁に欲しいわ」

 あたしは冗談めかしてそう言った。

「ありがとうございます。ですが、お嫁さんは無理です。私にはすでに旦那がおりますので……」

 ん?

『ぶーっ!!!』

 あたしとエリナが同時に吹いた。

「ちょ、ちょっと、旦那がいるってマジ!?」

「うっそ……」

 よく考えたら大変失礼なことではあるのだが、あたしとエリナが口々に言う。

「はい、子供も1人おります。よく若く見られるのですが、これでも二十二才ですので……」

「こ、子供まで……」

「あ、あはは、あたしとしたことが見誤ったわ……」

 絶句するあたしとエリナ。

「あ、あの、セシルさん、それでいてこの仕事大丈夫なの?」

 なにせ、あたしに付いていたら、それこそ家に帰る暇などないだろう。

 あたしは恐る恐る聞いてみた。

「はい、大丈夫です。旦那が見ていますのでなんの問題もありません。家は魔道院の近くですし、帰れる時はちゃんと帰っていますので……」

 ……うわ、なんか知らないけど、セシル凄すぎ。大人過ぎる。

「あの、皆さんどうされました?」

 あたしとエリナの様子がよほど変に見えたのだろう。

 セシルは小首をかしげながら、そう問いかけてきた。

 瓢箪から駒が出てしまった。めったな事をいうものではない。

「ち、ちなみに、旦那さんとお子さんの写真ってある?」

「マール、それは悪手!!」

 落としどころはここしかないと放ったあたしの攻撃は、エリナにインターセプトされかけたが……。

「はい、これです」

 セシルに着弾し、彼女は懐から写真を……くっそ、やってらんねぇ!!

「……ちょっと寝るわね」

「……もう夜も遅いし寝よ」

 とどめの一撃を食らい、あたしとエリナは轟沈したのだった。

「あの、どうされましたか?」


 ……その夜、あたしはなぜか変な夢を見たのだった。

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