第42話 ルクト・バー・アンギラス戦後編
「……ん?」
あたしは目を開き、ゆっくりと上半身を起こした。
「おっ、気がついたみたいね」
エリナの声がそばで聞こえた。
「あれ、あたし……」
ゆっくりと見回すと、ここは見覚えのある「祭壇」の上だった。
どうやら地下に潜っているらしく、辺りは暗い部屋。
床には見覚えのある魔方陣が描かれていた。
「あなたの付き人に感謝することね。普通死んでるわよ」
「マール様、お体は大丈夫ですか?」
今度はセシルがあたしの視界に登場した。
セシルの問いにあたしは頷く。
「良かったです。もう三日も目が覚めなくて……」
……三日。
その単語で、あたしは記憶を完全に取り戻した。
「あっ、そういえば『ルクト・バー・アンギラス』!!」
あたしは慌てて立ち上がった。
「あれからどうなったの?」
あたしはエリナに聞いた。
「どうしたもこうしたもないわ。あんたが海に落ちて、それを何とか回収して撤収よ。あたしも甘かったわね。アイツは五百六十年前より確実に強くなっている」
そう言って、エリナは自嘲気味に笑った。
「そっか……」
あたしがつぶいた時、地鳴りと共に床が揺れた。
「アイツはもうやりたい放題よ。この三日でプレセア王国は完全に壊滅。ミスティール大陸もヤバいわね。このアストリア大陸は、少なくとも王都だけは無事よ」
エリナがそう言った時、部屋のどこからともなくカリムが現れた。
「たった今、ミスティール王国王都が壊滅しました!!」
珍しく慌てた様子のカリムに、事の重大性を知る。
「これも、あたしが余計なことしたせいなのよね……」
ミスティール王国と聞いて、あたしは気分が暗くなった。
あそこの『大結界』でミスしたせいで、この事態を招いてしまったのである。
明るく振る舞えという方が無理だ。
「分かった。急がないとまずいわね」
エリナの声に、珍しく焦りがこもる。
……もはや、一刻の猶予もない。か
あたしは自分の体にかけられた『結界』を探った。
三つの結界が複雑に絡み合った難解なものだったが、そのうちの一つは簡単に解き方が分かった。
「マール、変な気は起こさないでよ」
まるであたしの気を読んだように、エリナが声を出した。
「だって、このままじゃ……」
「あなたが例えアリスになっても状況は変わらないわ。もう、アレには真っ向勝負しても人間の力は通用しないから」
「……」
あたしは黙るしかなかった。
いわば、最後の切り札とも言うべき手をエリナが無駄といったのだ。
では、どうしろと。
「『大結界』って今から展開できないの?」
あたしはワタワタしているカリムに聞いた。
「展開はできますが『ルクト・バー・アンギラス』が現出してしまった今、なんの意味もありません」
とカリムが冷たく言った。
「怒ってるわよね……やっぱり」
あたしがそう言うと、カリムは首を振った。
「怒っていませんよ。元はといえば頼んだのは僕ですし。今はそんな事を言っている場合ではありまん。早く何とかしないと……」
タイミングを見たかのように、再び床が激しく振動する。
「……世界は滅びるの時間の問題です」
振動が収まった後、カリムがそう続けた。
「でも、打つ手なしなんでしょ?」
あたしが聞くと、カリムは首を横に振った。
「いえ、あるといえばあります。ですが、自殺行為です」
「いいから言って」
あたしがそう言うと、カリムはため息交じりに言った。
「最上部にある『核』を狙うのです。ここを潰せば『ルクト・バー・アンギラス』の体を覆っている防御結界が解け、通常通り攻撃が効くようになります」
わざわざ『光』で図解してくれながら、カリムが言う。
「なんだ、弱点あるんじゃないの。早く言ってくれればいいのに」
エリナも知らなかったらしい。
そう言って、カリムを小突いた。
「いえ、その核がある場所が問題なんです。『ルクト・バー・アンギラス』の高さは八千メートルを超えます。そこにどうやってたどり着くかが問題なんです。無理をすれば命に関わります」
「なんで。ウィンド・ドラゴンなら十分行けるわよ」
あたしは思わずそう言っていた。
個体差はあるが、ウィンド・ドラゴンの最大飛行高度は八千メートルとも一万メートルとも言われている。
なにも問題ないようだが……。
「マール、高度が上がると空気も薄くなるのよ。八千メートルだと、トレーニング無しで行ったら良くて気絶。悪くて命を落とすわよ」
エリナが困ったようにそう言ってきた。
「要するに、『生身』じゃなきゃいいんでしょ?」
そう言って、あたしは笑みを浮かべた。
『本当に大丈夫なの?』
海上を飛びゆくその途中、エリナが心配そうに聞いてきた。
「大丈夫よ。結界はあたしの専門分野よ」
ワール・ウィンドの背中に厳重に展開した結界の中で、あたしはそう答えた。
そう、生身でダメならガードすればいい。
単純な発想ではあるが、あたしが思いついたのはこれだけだった。
『マール様、くれぐれも無茶なさらぬよう……』
とこちらはセシルの心配そうな声だ。
「大丈夫よ。それより、二人とも頼むわよ」
もう『魔の巣』は近い。
あたしはそう言って、一気に速度を上げた。
空と海が見る間に鉛色になっていき、激しい乱気流が襲いかかってくる。
それを突き、あたしたちは一気に『ルクト・バー・アンギラス』に迫る。
黒いその体が見えた時、いきなり光線の激しい照射に遭った。
「うわっ、アブな!?」
光線の一筋があたしが展開している結界に当たり、どこかあさっての方に飛んでいく。
『みんな大丈夫?』
エリナの声が聞こえてきた。
「大丈夫よ」
『こちらも』
あたしとセシルが同時に答える。
『じゃあ、マール。あとは頼んだわよ!!』
「了解!!」
激しい光線の嵐の中、あたしは『ルクト・バー・アンギラス』の体に沿って一気に急上昇をかけた。
どこまでも続きそうな黒い体すれすれに、あたしを乗せたワール・ウィンドは垂直に上昇していく。
「さて、頑張んないとね」
あたしは自分を鼓舞すべくそう呟いた。
これでもし失敗したら、それでもう本当に打つ手がなくなってしまう。
と、徐々にワール・ウィンドの上昇速度が落ちてきた。
「ほら、もう少し。頑張れ!!」
あたしはワール・ウィンドに話しかける。
今の高さが分からないが、もう相当来たはずである。
と、不意に黒い体がなくなった。
「何あれ……」
あたしは思わず息を飲んでしまった。
そこにあったのは、巨大な人の首と顔だった。
血管らしきものや筋肉らしきものがむき出しで、はっきり言ってグロい。
子供が見たら泣くレベルである。
「『核』ったってこれじゃ……」
無難に考えれば首を飛ばせば良さそうだが、それを躊躇わせるほどのグロさである。
と、閉じていた目がいきなり開き、あたしの方を見た。
瞬間、あたしは咄嗟にワール・ウィンドを急旋回させた。
そのいなくなった空間を、強烈な光線が灼く。
「危ないわね……」
今ので踏ん切りが付いた。
あたしは魔法版のファイヤ・ボールを放った。
「ちっ、効かないか……」
命中した火球は派手に爆発したが、全く手応えがない。
それで怒ったのか何なのか、『ルクト・バー・アンギラス』は次々と光線を放ってくる。
「こんのぉ……メガ・ブラスト!!」
あたしが使える最強の攻撃魔術が、『顔』を吹き飛ばす……はずだったのだが。
「うそ……」
全く効いた様子がない。
どーしろって言うんだ、このバケモノ……。
しばらく逡巡したのち、思いついたのはこれだった。
あたしは、ワール・ウィンドに防御魔術を張った。
「突撃!!」
そして、そのまま顔面めがけてワール・ウィンドごと体当たりしたのだった。
……いや、正確にはしようとした。
『全く、無茶は私譲りね』
脳裏に響く女性の声。
『さて、やる事やっちゃいましょう。私の指示通りに『呪文』を』
「だ、誰だか分からないけど、分かった!!」
その時だった。『ルクト・バー・アンギラス』が吠えた。その声は、とっつもなくもの悲しいものだった。一瞬、攻撃の手を休めてしまうほどに……。
……悪いわね。こっちも命かかっているんでね。生みだしたヤツに文句いいな!!
ディ・アリュス・ゲイル・ディメンスション・アル・クラビティカル!!
私の口からこぼれ落ちた『呪文』は、果たして意図的に発音したのか、勝手に出たのか……。
ともあれ、肉がひしゃげる嫌な音と、なんだか知りたくもない体液を盛大に吹き出し、『ルクト・バー・アンギラス』の「顔面」は大きく拉げた。さすがにこれは効いたか、『ルクト・バー・アンギラス』が苦悶する声が聞こえた。
しかし、これは致命傷にならなかったようで、ヤケクソにでもなったか、四方八方に光線をまき散らし始めた。
「さすがに、しぶといわね……」
余裕があれば、召喚魔術を使うところだが、光線を避けるのに精一杯でそんな余裕はない。
次の手を模索していると、『ルクト・バー・アンギラス』の顔面が、急速に地面に向かって高さを下げ始めた。
慌ててあたしもそれを追いかけるが、相手の方が早い!!
目前にあっという間に海面が見えてきて、あたしは慌てて急制動をかける。
かくて、『ルクト・バー・アンギラス』は再び海の奥底に消えたのだった。
「はい、これでよし。カリム、よろしく」
あたしがそう言うと、カリムは頷いた。
「では、『大結界』を再起動します」
瞬間、部屋の魔方陣が光り輝き始めた。
「問題ありません。正常に展開されました」
カリムの声に、あたしはほっとした。
ここは、アストリアの『大結界』だ。
あたしたちは、『ルクト・バー・アンギラス』を倒してはいない。
ただ、一時的に撤退させただけである。
そこで、世界中の全ての『大結界』を書き換え、こうして最後にアストリアで起動させたのだ。
これはあたしのオリジナル。アリスの遺産ではない。
少なからず不安はあったが、こうして無事に起動したのでまずは一安心だろう。
「マールもついに『大結界』を張れる魔道師になったのね。大した進歩だわ」
とエリナが関心したように言う。
「あんたが魔法教えてくれたお陰よ。魔術じゃどうにもならなかったわ」
そう言って、あたしはエリナに笑みを浮かべた。
「あらま、お世辞も覚えたのね。まあ、素直に受け止めておくわ」
そういってカラカラと笑うエリナ。
世界各地の被害は甚大だが、とりあえず元凶は絶った。
『ルクト・バー・アンギラス』を倒せなかった事は残念ではあるが、また出てきた時は粉砕するのみである。
そのときに備えて、あたしももっと鍛錬せねば……。
そんな思いを秘めつつも、あたしは床に大の字になって寝っ転がったのだった。
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