第41話 ルクト・バー・アンギラス戦前編
あたしたちは、ウィンド・ドラゴンに乗って、一路アストリア王国を目指していた。
なんでもウィンド・ドラゴンは、1度『主』と決めた者にどこまでもついて行く習性があるそうで、飛行船の乗員の皆様には申し訳ないが、お先に帰途についたというわけである。現在地はアストリア王国 ペンタム・シティ上空。目指すは『大結界』だ。
「しっかし、ずいぶん移動が楽になったわね……」
今まで最速だった飛行船を大きく突き放し、断トツの移動速度で突き進むワール・ウィンドの背にしがみつきながら、あたしは独りつぶやいた。
飛行中に叩き付けてくる風があまりに強烈だったため、あたしはワール・ウィンドの背の上にこっそり結界を張ってある。
これで、一安心といったところだ。
「さて、『大結界』が見えてきたわね……って、あれ?」
上空からでも分かる異変に、あたしは思わず呟いてしまった。
『祭壇』が光ってないのである。
なんとも嫌な予感がして、あたしはワール・ウィンドを急降下させたのだった。
「お待ちしておりました。緊急事態です!!」
カリムが慌てて近寄ってくる。
「『大結界』が完全に消失しました!!」
「え!?」
いきなりのカリムの言葉に、あたしは思わず声を上げてしまった。
「どういうことよ。それ?」
エリナがカリムの返事を待たずに言う。
「数日前、ミスティール王国の『大結界』で強力な魔力を感知しましたが、これはマールさんで間違いないでしょうか?」
いちおう質問ではあるが確信しているという感じで、カリムがそう問いかけてきた。
「多分そうよ。あの場所なら誰も近寄らないでしょうし……」
あたしがそう言うと、カリムは頷いた。
「大変申し上げにくいのですが『術式ミス』です。それも、他の『大結界』にも影響を及ぼすような最悪の……」
「うっそ!?」
カリムの言葉を最後まで聞かず、あたしは反射的に『大結界』を形作っていた魔方陣を思い浮かべる。
『術式ミス』とはその名が示す通り、『魔法』における構文ミスのこと。『ルーン・カオス。ワーズ』の並びをどこか間違えている事だ。それを『大結界』クラスの強力な結界魔法でやれば、最悪発動しないということになりかねない。
あたしの脳裏に浮かんだそれは、間違いのない完璧なもののはずだが……。
「マール様。試しにここの魔方陣を『修理』してください」
カリムの声で我に返ったあたしは、慌てて床の魔方陣を「上書き」した。一見すると完璧なのだが……。
「ここです。これでは逆の意味になってしまいます。しかも、『全ての……』ですか。……なるほど」
そう言って、カリムはあたしを見た。
「マールさんの魔方陣では、全ての結界が一気に消えてしまいます。三十カ所間違いがあり、そのうち三カ所は致命的です」
「嘘でしょ!?」
特に責めるわけではない、ただし、それだけカリムの言葉は重い。
あたしは半ばパニックでそう返した。
つまりこうだ。
特に今すぐ直す必要のない『大結界』の一角を直して、逆に深刻な事態を引き起こしてしまったというわけだ。
「さらに追い打ちをかけるようで申し訳ありませんが、『大結界』に付随していた『もう1つの結界』も消失してしまいました。今、この世界で『ルクト・バー・アンギラス』を防ぐものはなにもありません」
そうカリムが言った時、部屋には沈黙が落ちた。
あたしの胸にあったのは自責の念だけ。余計な事をしなければ……。
「で、どうすればいいの?」
沈黙を破ったのはエリナだった。
気楽な口調ではなかったが、特に焦った様子でもない。いたってごく普通の声だった。
「もはや、『大結界』を再度展開している時間はありません……戦うしかないでしょう。滅びの理と」
「分かった。行くわよマール」
カリムの言葉に淡泊に返し、エリナは踵を返して「祭壇」に乗った。
「行くってどこへ?」
かなり気分がヘコんでいたあたしは、力なくエリナにそう返すのが精一杯だった。
「このアホ。らしくなくヘコんでるんじゃないわよ。そんな暇は……」
エリナがそう言いかけた時だった。
ドンという衝撃を伴って、地面が揺れた。
「ほい来た。マール、あんたの出番よ!!」
エリナがそう言った。
「出番って何するのよ?」
あたしがそう言うと同時に、カリムが声を上げた。
「『ルクト・バー・アンギラス』が現出しました!!」
『光の地図』に大きな赤い点が示される。
そこは、アルシオネ洋のど真ん中。
『魔の巣』と呼ばれている場所だった。
「戦うなら今よ。時間が経つと手間が掛かるから!!」
「わ、分かった」
有無を言わさぬエリナの声に頷き、あたしは「祭壇」に乗った。
「あ、あのさ、今思ったんだけど……」
地上に向かって昇る「祭壇」で、あたしはエリナに声をかけた。
「思うな。どうせロクな事じゃないでしょ?」
「だけど、より確実よ。あたしが『アリス・エスクード』になれば……」
そう、あたしには実際『ルクト・バー・アンギラス』戦った事のある、アリスの経験や知識などが眠っている。それを解放すれば……。
「ほら、やっぱりロクな事じゃなかった。あのねぇ、あんたはマールなの。アリスじゃないわ」
そう言って、エリナはそっぽを向いた。
「でも……」
「祭壇」が地上に着いた。
「えっ!?」
あたしは周囲の景色の変わりように思わず声を上げてしまった。
さっきまで緑に覆われていた地面が、赤茶けた焦げ臭いものに変わっている。
「始まったわね。急ぐわよ!!」
なんとか無事だった自分のウィンド・ドラゴンに跨がり、エリナが声を上げる。
「一体、どこに向かうの?」
あたしも慌ててワール・ウィンドに跨がると、エリナに問いかけた。
「いつまでボケてるのよ。決まってるでしょ、アイツのところよ。黙って付いてきて!!」
エリナはそう言ってウィンド・ドラゴンを高く飛ばした。
あたしもそれに続き、しんがりはセシルだ。
「うぁ、酷いわね……」
思っていたより地上の被害は甚大だった。
そこら中が焼け焦げた地面に変わり、完全に破壊された街もちらほら見える。
なんとかしないと……。
その思いだけ噛みしめながら、あたしはエリナに続いてワール・ウィンドをひたすらとばす。
眼下にはすでにアルシオネ洋が広がっているが、青い海が急速に鉛色に変化していき『魔の巣』まで間もなくである事を示していた。
『マール、セシル、聞こえる?』
唐突にエリナの声が聞こえてきた。
もちろん、直に聞こえたわけではない。
かすかに感じるエリナの魔力から、それが『転移』の魔法だと分かった。
なるほど、無線と同じ原理か……。
「聞こえるわよ」
『はい、聞こえます』
あたしの声とセシルの声がダブった。
『OK。まずあたしとセシルが突っ込んでなるべく気を引くから、マールはその間に召喚術よろしく!!』
『承知しました』
「分かった……」
そして、あたしたちは『魔の巣』に到着する。
いきなりの突風に、さすがのワール・ウィンドも飛行姿勢を乱した。
『この先荒れるわよ!!』
「分かってる!!」
猛烈な嵐の中、あたしたちはただひたすら突き進む。
そして……。
『五百六十年ぶりね。会いたかったわ!!』
エリナの声が聞こえた。
目の前に現れたのは、巨大なグロテスクな黒い柱のようなものだった。
「これが、『ルクト・バー・アンギラス……』」
その圧倒的な姿に、あたしはしばらく思考が停止してしまった。
『マール、ぼけっとしてないでやることやる!!』
はたと我に返ると、すでに戦闘は始まっていた。
エリナが無茶苦茶な勢いで攻撃魔法を放ち、セシルが剣で切りつける。
大して効いている様子ではなかったが、それでも鬱陶しかったのだろう。
『ルクト・バー・アンギラス』から純白の光が生まれ、エリナたちを排除すべく撃ち出されている。
っと、観察している場合ではない。
あたしは『穴』からサマナーズ・ロッドを取り出し、呪文の詠唱に入る。
呼び出すのは、当然ラグナ君だ。
あたしの術が完成し、召喚円からラグナ君が出現した。
『うわ、姐さん。こんなところで何やってるんすか?』
いきなり雨で水浸しになり、驚いたラグナ君がそう問いかけてきた。
「説明はあと。とりあえず、アイツをブチ倒して!!」
そう言って、あたしは『ルクト・バー・アンギラス』を指差した。
『アレですか。ちょっと手間取ると思いますよ』
そう言って、ラグナ君は口を大きく開けた。
カオス・ドラゴンの最強技。
あらゆる物を消失させるという、強力なブレスが今まさにはき出されようとしていた。
「エリナ、セシル、離れて!!」
巻き添えを食って消されたのではたまらない。
2人はパッと『ルクト・バー・アンギラス』から離れた。
瞬間、ラグナ君から強烈なブレスがはき出される。
「おっと!!」
衝撃すら伴う光の奔流の余波で、ワール・ウィンドは大きく体勢を乱したが、なんとか持ちこたえた。
ブレスの直撃を受けた『ルクト・バー・アンギラス』だったが、さして効いた様子はない。
さらにもう一発ブレスを放つが、これまた大して効いた様子はなかった。
『……姐さんすまねぇっす。コイツは倒せないっす』
と、恐る恐るこちらを見ながら、ラグナ君が言う。
「アホ、諦めるな。ブレスがダメなら突撃!!」
『……了解っす』
あまり気乗りしない様子だったが、それでもラグナ君はけなげに『ルクト・バー・アンギラス』に向かって突撃していき、前足の強靱な爪をお見舞いした。
『ルクト・バー・アンギラス』からの光線が次々にラグナ君に命中するが、その全てが弾き飛ばされる。
『マール、大丈夫なの?』
エリナがそう聞いてきた。
「善処はしてるわ」
あたしはそう答えるしかなかった。
ラグナ君対『ルクト・バー・アンギラス』の戦いはこちらが劣勢だった。
なにしろ、『ルクト・バー・アンギラス』には一切の攻撃が効かないのだ。
ラグナ君も善戦はしているが、とても攻撃が効いているとは思えない。
「……無駄ね。ラグナ君、もういいわ」
あたしは見切りを付け、召喚の術を解いた。
これ以上は魔力の無駄である。
『姐さん、すまねぇっす』
そう言い残し、ラグナ君は消えた。
『やれやれ、カオス・ドラゴンならあるいは……と思ったんだけどダメか。次の策は……』
とエリナが言った時だった。
唐突に『ルクト・バー・アンギラス』から放たれた光線が、あたしに向かって飛んできた。
「しまっ……!?」
何とか直撃だけは避けたが、全身を痺れるよう感覚が駆け巡る。
「くっ……!?」
あたしもかなりダメージを食らったが、ワール・ウィンドも同様だったようだ。
いきなり飛行姿勢が乱れ、がくんと高度が下がっていく。
どうやら、気絶してしまったらしい。
『マール、ちょっとマール!?』
慌てた様子のエリナの声が聞こえたが、返事している余裕はない。
あたしとワール・ウィンドは、そのまま突き刺さるように、嵐の海面に激突した。
残っている記憶は、そこまでである。
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