第38話 魔法のお稽古
アストリア王立魔道院に戻って二ヶ月後……
あたしは魔道院の中庭に立っていた。
「ファイア・ボール!!」
呪文と共に解き放ったそれは、しかし、無駄に魔力が放出されただけで何も起こらない。
「だから、無駄だって……。あたしが教えたのは、アリスの結界を発動させるために必要な呪文と必要最低限の基礎だけ。攻撃魔法なんて怖いもの、あんたに教えるわけないでしょ」
そう、あたしが試しているのは『魔術』ではなく『魔法』である。
『ルーン・カオス・ワーズ』の綴りさえ間違えず、正しい『印』が切れていれば魔法は発動するし、コントロールのコツはアリスが遺したあの結界を発動させる時に掴んだつもりである。しかし、発動しないということは……。
「『ルーン・カオス・ワーズ』の組み合わせが違うのかな。それとも、『印』か……」
空っぽの手を見つめてから、あたしはもう一度呪文の詠唱を行い……
「ファイア・ボール!!」
前方に突き出した両手のひらの先に、凄まじく巨大な火球が生まれた。
「うぉっ、あんた天才!?」
エリナが驚きの声を上げる。
「……で、どうしよ。これ」
そう、火球が生まれたのはいいが、意図とは違って飛んでいかないのである。
「どうしよって知らないわよ。こんな魔法見たことないし……」
どこでどう間違ったのか、あたしが生み出した火球はただそこに佇むのみ……。
「危険だから触っちゃだめよ。多分、爆発するから!!」
「分かっているけど、魔力が……」
その時だった。
どこからか木の葉が舞い込み、火球に触れた。
「げっ!?」
あたしの声と、大爆発が発生したのはほぼ同時だった。
練習というか実験にあたり、事前に防御結界を張っておいたので、あたしとエリナ、そしてセシルは吹き飛ばされずにに済んだが、代わりに魔道院の建物が景気よくぶっ飛んだ。
「あーあ、しーらない」
「……」
ごっそり崩壊した魔道院の建物を眺めながら、あたしはただ冷たい汗を流すだけだった……。
三日後……
「外なら問題ないでしょ。外なら!!」
あたしは街から出て、馬車で一時間という大草原のど真ん中にいた。
幸いというかなんというか、魔道院半壊の件で死者は出なかった。
これも、魔道院の建物がある程度の防御結界で包まれていたからなのだが……。
「なんでまた、急に魔法なんて覚えようと思ったわけ?」
心配だからと同行してきたエリナが、ため息交じりにそう言ってきた。
「だって魔法を完璧にしたら、あたしが魔術ではできない『弱い魔法で威嚇』って出来るでしょ。それに、万一『ルクト・バー・アンギラス』が結界を破って出てきたときに、役に立つだろうし……」
あたしがそう言うと、エリナは半眼でこちらを見た。
「ふーん……」
そして、普段の彼女が見せない素早い動きで、あたしの耳をギュッと握る。
「あだだだだ、痛いって!!」
「本音を言いなさい。本音を!!」
「分かった。分かったから!!」
バタバタ暴れながらそう言うと、エリナは手を離してくれた。
「新しい力を知ったら試したくなる。魔道師の性くらい分かるでしょ……」
あたしがそう言うと、エリナは納得したらしくうなずいた。
「やっぱりね。予想はしていたけど……。まあ、あたしに止める権利はないから警告だけしておくけど、魔法……特に攻撃系は扱うのが難しいから気をつけてね」
「分かった」
心配そうなエリナの声を背後に、あたしは精神を集中させた。
無論、万一の場合の防御魔術は展開済みだ。こんな屋外で練習なんて、何年ぶりだろう……。
「ファイア・ボール!!」
前回とは『ルーン・カオス・ワーズ』の並びを変え、あたしは前方に両手を前方に突き出した。
瞬間、両手の平から火球が撃ち出される。
火球の大きさは大人の人間の頭くらい……。
「おっ、これいいんじゃない……」
そう言った時だった。
意に反して火球は一気に急上昇し、上空で無数の小さな火球に分裂。
地面に達するや否や次々と爆発を起こし大草原を炎上させた。
「セシル、水!!」
エリナの声に、当然のように同行していたセシルが素早く『水』の魔術を放つ。
「ある意味、かなりの上級テクニックよ。意図してやったなら、もうマスターよ」
半眼でこちらに向かって言うエリナに、あたしは乾いた笑いを返すしかなかった……
十日後……
「いい加減諦めたら?」
最近すっかり半眼のままなエリナが言った。
「な、なんのこれしき……」
本日三発目のファイア・ボールを失敗したあたしはエリナにそう返す。
なぜ『ファイア・ボール』にこだわるのかというと、これが一番簡単な攻撃魔法だからだ。
魔術でも「似たようなもの」はあり、これは中位と上位の境目くらいなのだが、さすが魔法というところか……。
「まあ、気持ちは分かるけどさ、これ以上地形変えたらさすがに怒られると思うわよ」
「うっ……」
あたしたちの周りは、無数の巨大なクレーターだらけである。
ここは街道からも離れているし、特に問題はないと思うのだが……。さすがにこれ以上やると、噂を聞きつけた警備兵がやってくるかもしれない。
「分かった。これで出来なかったら、もうすっぱり諦める」
そう宣言して、あたしは精神を集中した。
世界を統べる四つなる力よ
猛り狂う赤き者よ
我が意に従い焼き尽くせ
そして、両腕を前方に突き出す。
「ファイア・ボール!!」
もう何百回と並び替えたルーン・カオス・ワーズに従い、あたしの魔法は発動した。
突き出した両手のひらに魔力が収束し、大人の頭サイズの火球が生まれる。
そして、その火球は猛スピードで、約四百メートル先に設置してある的に命中し、小さな爆発を起こして消えた。
「おめでとう。成功よ」
エリナが、拍手しながらそう言ってきた。
「ふぅ、やっと出来た……」
喜びより先に疲労感が立ち、あたしはその場にへたりこんでしまった。
エリナに正しい『ルーン・カオス・ワーズ』を聞けば早かったのだが、なぜか彼女は『魔法』については一切教えてくれなかった。しかし、ようやく1つ使えるようになったのだ。
「言っておくけど、乱用はしちゃダメよ。それと、今のはギリギリOKって感じだから、調子に乗らないこと」
まるで師匠のように、エリナが釘を刺してきた。
「大丈夫。これじゃ実戦じゃ使えないし、よほどの事がなければ、魔法は使わないから……」
あたしはそう言って、手をパタパタ振った。ただ試してみたかった。それだけである。
そのために魔道院をぶっ飛ばしたり地形を変えてしまうのは、なにも今に始まったことではない。
「さて戻りましょうか、院長殿。仕事溜まってるでしょ?」
そう言ってエリナは笑った。
「うっ、書類仕事は苦手なのよね……」
苦笑しながら、あたしは馬車に乗った。
エリナとセシルも馬車に乗り、そしてガタガタと動き出す。
「そういや……」
とエリナが切り出した時だった。いきなり馬車が急停車した。
「な、なに!?」
思わず声を出してしまった時、馬車のドアが外から強引に開けられた。
「魔道院院長殿とお見受けいたしました。ご無礼を承知で私たちとご同行願いませんか?」
そう言って、慇懃無礼な態度で顔をのぞかせたのは、銀髪で長身のの知らない男だった。
窓の外を見やると、武装した男たちがちらほら見える。
「おっと、お嬢さん。下手に動くと馬車ごと吹き飛びますよ」
セシルが剣を鞘から抜きかけていた。
彼女の動きに気がつくとは……並の野盗じゃないわね。
「私は荒事が嫌いです。出来れば穏便に済ませたいのですが……」
「馬車を襲っておいて、今さら穏便にって事でもないでしょうが」
ため息交じりにあたしがそう言ってやると、男は小さく笑って礼をした。
「あー、分かった分かった。ご一緒させて頂くわよ」
「マール様!?」
声を上げるセシルを片手で制し、あたしは男にそう言った。
「ただし、この二人は無事に王都に帰す事。それが条件よ」
あたしがそう言うと、男は小さく笑った。
「もちろんです。ご用があるのは魔道院院長のみですから。ご賢明な判断、感謝致します」
「じゃあ、行って来るから」
まるで買い物に出るようにでも言って、あたしは馬車を降りた。
外に出ると、あたしはようやく自分たちのおかれていた状況が分かった。
馬車を取り囲んでいた人間は全部で二十名。
姿格好はそのまんま典型的な野盗であるが、魔力の気配で全員が魔道士であることが分かる。
一人一人は大した事なさそうだが、この人数の魔道士である。もし、あたしたちが変な行動をしていたら、一体どうなったか……。
「では、こちらに……」
あたしは男に案内されるまま、馬車に乗った。
「大変申し訳ありませんが……」
言うわりにはあまり申し訳なさそうに、男はあたしの両手を背中で縛り目隠しをする。
抗魔力縄ね。生半可な魔術では切れないか……。
ちゃっかりそんな分析をしているうちに、馬車がかなりの速度で走り始めた。
さて、面白くなってきたわね……
あたしは胸中でそう呟いた。
魔道院院長を誘拐したとあっては、重罪は免れない。
それをおしてまで、この男たちは実行したのである。
デスクワークよりこういう展開の方が、あたしには向いている。
馬車は急速に速度を上げながら、ひたすらどこかに向かっていくのだった。
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