第37話 ルクト・バー・アンギラスとマール(後)

「お待ちしておりました」

 『大結界』に到着すると、いつもと変わらずカリムが迎えてくれた。

「挨拶は抜きでどうしたの?」

 エリナがそう聞くと、カリムは真面目な顔になった。

「『大結界』の一部が破られました。もはや猶予はありません」

 そして、いつものように『光の地図』が表示される。

 赤い点が示す位置は、アルシオネ洋のど真ん中。

 『魔の巣』として忌み嫌われるのそ場所だった。

「いよいよね……。マール、準備は出来ている?」

 エリナにそう問いかけられ、あたしは自分に問いかける。


 アリス・エスクードの遺した『もう1つの結界』を発動させる呪文……OK

 魔法の結界を弄る感触……概ねOK


「出来るかどうか分からないけど、多分大丈夫よ」

 あたしが言うと、エリナは1つうなずいた。

「じゃあ、さっそく取りかかるわよ。あの『結界』は『大結界』の内側ならどこでも使えるし、どこかの頂点の1つで使うならベストよ」

 てっきり『魔の巣』に向かうのかと思いきや、なんとも親切な設計である。

 そして、ここはまさに『頂点』の1つ。言うことはない。

 エリナに続きあたしは『祭壇』を降り、部屋の床一面に描かれた魔方陣の真ん中に立った。

 油断すると吹き飛ばされそうな、強烈な魔力の流れを感じる。

「ここがいいわね。さっそく始めてちょうだい」

 エリナにうなずき、あたしはスッと意識を集中させた。

『世界の力の源たる4つなる全ての精霊よ。

 異界よりこの地に現れし忌まわしき者を全て排せよ……』

 ここに記しているのは、『呪文』を現代語訳したものだ。

 本来は舌を噛みそうな発音が続く『ルーン・カオス・ワーズ』という、魔法を使うための一種の特殊言語である。

 長い呪文を唱え終え、あたしは一気に魔力を放出した。

『……施錠!!』


 瞬間、『大結界』の光が増し、吹き飛ばされそうなほどの強烈な魔力の奔流が部屋の中を荒れ狂う。

 あたしが放った『魔法』は無事に成功した。

「カリム、どう!?」

 実体化するほどの強力な魔力に吹き飛ばされぬよう、しっかりと身構えたエリナが問う。

「まだです。確かに『もう1つの結界』は発動していますが、『ルクト・バー・アンギラス』の力が強力過ぎて!!」

 その声を聞き、あたしはさらに魔力を込めた。

 実体化を通り超えて放電すら伴いながら、魔力の光が室内を煌々と照らす。

「す、すごい、人間でこれだけの魔力とは……」

 カリムの呟く声が聞こえたが、それに返している余裕はない。

「そりゃあんた、魔道院の最終兵器だもん」

 なにやら勝手に会話を進めるエリナだがこちらも当然無視。

 というか、喋っている余裕がないのだ。

 限界一杯、ギリギリ……というとき、カリムの声が聞こえてきた。

「成功です。『ルクト・バー・アンギラス』が撤退しはじめました!!」

 カリムの声が聞こえ、あたしはこっそりホッとする。

 これでダメなら、あたしじゃもうダメである。

「あと一息よ。マール!!」


 エリナが叫んだ瞬間、バキーンという金属質の音が聞こえ、あたしは部屋の端まで吹き飛ばされた。

「痛たたた……で、どうなった?」

 とりあえず、痛む全身に回復魔術をかけながら、あたしはカリムに聞いた。

「成功です。『ルクト・バー・アンギラス』は完全に消失しました。『もう1つの結界』も正常に展開されています」

 カリムはそう答え、いつもの『光の地図』を虚空に浮かべた。

 アルシオネ洋のちょうど中心辺りに、緑色で三角錐の形をした結界が展開されているのが分かる。

 魔法による結界の『重ね掛け』……結構強烈だった。

「これで、少なくとも数百年は大丈夫だと思うのですが油断は出来ません。引き続き、僕が監視致します」

 とカリムが言った。

「分かった、任せるわ。それにしても、マール。よくやったわね。いやー、あたしの魔力じゃ発動すら出来ない代物でさ」

 いつものお気軽魔道師の口調に戻り、エリナがそう言ってきた。

「さすがにちょっと辛い。少し休ませて……」

 そう言って、あたしは床に大の字になって寝た。

 魔力の大量使用は、肉体に対してモロに影響を及ぼす。

 今のあたしでは、立ち上がる事すら困難だろう。

「はいよ。お疲れ!!」

 気軽な調子で言うエリナの声を聞きながら、あたしは静かに目を閉じたのだった。


「しっかし、この目で見ないと納得しないって、あんたも仕事熱心というかなんというか……」

 隣のエリナが呆れたようにぼやく。

 ここはアルシオネ洋のど真ん中。『魔の巣』と呼ばれていた海域である。

 セシルに頼んで『大結界』まで飛行船を呼び寄せるのに3日、ここまで4日の距離だが……。

 天気は快晴。眼下に見える海も青く平穏なものだった。

「アフターサービスがいいのよ。あたしは」

 エリナにテキトーに返しつつ、あたしは静かに目を閉じる。

 『結界』を目視することは出来ないが、確かに強力な魔力を感じる。

「とりあえず、結界は展開されているみたいね」

 魔術の話ではあるが、結界の中に結界を張るというのはなかなか難しい。

 お互いに変な干渉をしてしまい、両方とも壊れてしまうのが常である。

 これだけでも、アリス・エスクードの腕が相当なものだったと考えられる。

「あれだけ魔力つぎ込んで発動しなかったら、もう人間じゃ無理よ」

 とエリナが笑う。

「そういえば、ずっと気になっていたんだけど、この結界をカリムが発動させればもっと早く片がついたんじゃないの?」

 あたしがそう言うと、エリナは首を横に振った。

「エルフが使う魔法と人間の使う魔法は違うのよ。互換性がないっていうか……まあ、根本的に言語が違うのよ。

 だから、カリムはアリスが作った結界魔法を発動出来ないわけ」

「ふーん……」

 それならそれで、最初からカリムが作っても良さそうだが……。

「なにか言いたげね?」

エリナがそう言ってきた。

「いや、なんで人間であるアリスが、こんな『大結界』とか『もう1つの結界』なんて作ったのかなぁってね」

 あたしがそう言うと、エリナはここぞとばかりに解説を始める。

「確かに、エルフや他種族の方が魔力は高いんだけど、どの種族も基本的に人間の世界には不干渉という態度なのね。

 中でも1番保守的なエルフ族は『ルクト・バー・アンギラス』によって、新たな世界が創世されるために今の世界が破滅させられるのは世の理。阻止するなんてもってのほかって考えなわけ。カリムはごく少数の例外よ」

「そっか……」

 まあ、確かにあたしはあまり他種族に出会った事がない。

 魔法生物は人間が作り出したものだし……ああ、召還魔術で呼び出すラグナ君がいたけど、あれは特殊なので例外か。

「まあ、あまり異種族に会わない方がいいわよ。価値観違うから下手するとケンカじゃ済まなくなるし……」

「エリナは他種族と繋がりがあるの?」

 あたしが聞くと、エリナは苦笑した。

「まあ、そこそこにね……でも、誰かに紹介しようとは思わないわ」

「なんで?」

 聞くとエリナはため息をついた。

「アブナイから。一歩間違ったら、種族間大戦争になっちゃう」

「うげ……」

 いちおう、お気楽平和主義のあたしである。

 戦わないで済むならそうしたいし、大戦争などまっぴら御免である。

「てか、どんな繋がりよ?」

「秘密」

 エリナはそう言ってあたしから視線を逸らした。

「あっそ……」

 なんとなく気になるが、どうも嫌な予感がしてあたしは会話を打ち切った。

 飛行船の窓から入ってくる風が、なんだか一気に寒くなったのは気のせいだろうか?

「まあ、いいわ。さて、現場確認も終わったし帰りましょうか」

「そうね。帰りましょう」

 エリナが操舵室に手でサインを送ると、飛行船の向きがゆっくり変わり少しずつ加速していく。

 決して『ルクト・バー・アンギラス』を倒したわけではないので、あくまでも一時的ではあるが、あたしが生まれる前から存在していた『魔の巣』まで綺麗に消滅した。

 まだまだ油断できないとカリムが言っていたのが気になるが、世界は押し並べて平和である。

 さぁ、魔道院に戻るぞ!!

 あたしは胸中で呟いたのだった。


 この後まさかとんでもない事をやらかしてしまうとは、まだこのときは知るよしもなかった。

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