第三章:ルクト・バー・アンギラス
第36話 ルクト・バー・アンギラスとマール(前)
飛行船でそのままアストリア王国の『大結界』に乗り付けたのは、エスト大陸を発ってから20日後だった。
本来なら1週間ほどのはずなのだが、上空の気流が悪かったとかなんとかで、大幅に遅れての到着である。
適当な空き地に降りてもらい、あたしたちは急ぎ「祭壇」に向かった。
「これはマール様。どうぞ」
と相変わらずの顔パス状態で門を抜けると、そこには光り輝く「祭壇」があった。
「大丈夫そうね」
あたしがそう言うと、エリナが小さく笑った。
「まーだ分からないわよ」
まあ、そうなのだが……。
「じゃあ、行きますか」
あたしとセシル二人が「祭壇」に乗ったのを確認してから、エリナがオーブをセットする。もう見慣れた光景だ。
「あれ?」
エリナが間抜けな声を上げる。そう、「祭壇」が下がらないのだ。
「カリムのやつなにやってるのよ……。それ!!」
無駄に気合いを入れて、エリナがオーブをセットし直した瞬間、足下の「祭壇」が消えた。
……いや、消えたのではない。猛烈な速度で降下していったのだ。
ということは……。
「当然落ちるわけでぇぇぇぇ!!」
「誰に喋ってるのよぉぉぉ!!」
一瞬宙に浮いたあたしたちだったが、次の瞬間には急降下していた。
あたしは慌てて魔術の『構成』を練り上げ、三人前の『浮遊』の魔術を放った。
落下速度が急激に落ち、普通に喋れる程度の降下速度になった。
「あーびっくりした」
あたしが言うと、エリナも頷く。
「遺跡調査部が弄ったせいかしらね。心臓に悪いわ……」
セシルは何も言わない。
ただ静かに目を閉じ、なにやら瞑想に耽っている。
……あれ、こんなキャラだったっけ?
そうこうしているうちに、あたしたちは先に到着していた「祭壇」の上に降りた 。
部屋の床に描かれた魔方陣が明るく黄色に光り、力強い魔力を感じる。
「お待ちしておりました」
とカリムがいつも通り出迎えてくれた。
「あのさ、この「祭壇」エレベータ直しておいてくれる。びっくりするから」
開口一番、エリナがカリムにクレームを付けた。
……エレベータってなに?
「申し訳ありません。すぐに直します。それより、大変なことになりました」
そう言って、カリムはまた「光の地図」を虚空に浮かべた。
「この点を修復して頂いた事で、『大結界』は正常に機能するようになりました」
地図上で赤く点滅していた『点』が青くなり、アルシオネ洋を中心をした逆正五角形の結界が生まれているのが分かる。どこも不具合はなさそうだが……。
「結界の力に比べ『ルクト・バー・アンギラス』の力が強大過ぎるのです。僕の方で調整しましたが、抑えられなくなるのも時間の問題です」
地図の赤い点が、5つの大陸に囲まれたアルシオネ洋の中心に移り点滅している。
「取れる対策は?」
エリナより先に、あたしが問いかけていた。
「最善の策は、もう一度『ルクト・バー・アンギラス』を倒して頂くことです」
……やはりそうか。
「無茶言わないでよ。あれともう一回やり合うなんて勘弁だわ」
すぐさまエリナが声を上げる。
「分かっております。魔法なきこの時代、『ルクト・バー・アンギラス』を倒す事はかなり難しいでしょう」
カリムはそう言った。
魔法も魔術も四大精霊力を使う事には変わりないが、魔法が「世界を流れる精霊力」を使うのに対し、魔術は「体内に存在する精霊力」を使うという大きな違いがある。
だから、自分が持つ属性以外の魔術は使えないし、魔法と比べても威力は格段に劣るというのがまず最初に教わる事だ。
「じゃあどうするの?」
あたしが聞くと、周囲に沈黙が落ちた。
「カリム……なにもないの?」
あたしはそう問いかけた。
「そもそも『ルクト・バー・アンギラス』って何者なの?
ちらっと聞いて、分かってるような分かってないようなって感じなんだけど……」
続けていうと、カリムが口を開いた。
「『ルクト・バー・アンギラス』というのは、古代エルフ語で『破壊と創世を司る者』という意味です。数千年に一度現出し、世界を破壊して新たな世界を創るとされています」
カリムは静かに語り始めた。
「前回現出したのは約五百六十年前……そう、アリス・エスクード殿とエリナ・グランフォート殿が『ルクト・バー・アンギラス』を収めた時です」
「どうやったの?」
カリムの語りを遮って、あたしはエリナに聞いた。
「これ魔道院の最高機密文書扱いの事よ。って、院長殿に言うことじゃないけど……」
そう言って小さく笑い、エリナが口を開く。
「あの頃って魔法全盛期だったんだけど、その中でもアリスって結界魔法を得意としていた変わり種でね。異界から現出しようとしていた『ルクト・バー・アンギラス』を、頭から結界で強引に抑え込んだのよ。
で、その隙にあたしがひたすら攻撃魔法をぶち込んで、ヘロヘロになったところを『大結界』でトドメっていう感じかな。だから、正確には倒したわけじゃないのよ」
「……つまり、『ルクト・バー・アンギラス』を強引に押し返しただけなのね。要するに」
エリナが攻撃魔法を使える事にも驚いたが、それ以上に対『ルクト・バー・アンギラス』戦の様子がなんともはや……。
まあ、あたしの祖先のやることだ。あまり期待する方がおかしい。
「押し返したって簡単に言わないでよ。結構大変だったんだから」
心外だと言わんばかりに言うエリナはとりあえずいいとして、あたしはカリムを見た。
「カリム。ごめん続けて」
あたしがそう言うと、カリムは頷いた。
「はい、その『ルクト・バー・アンギラス』ですが、端的に言って『倒す』事は不可能です。五百六十年前に現出した時『押し返せた』だけでも奇跡です。今までそんなことに成功した例はありませんので……」
「ほらみなさい。だから……」
「エリナ、ハウス!!」
とりあえず、割り込んできたエリナを黙らせる。
「で、押し返したはずの『ルクト・バー・アンギラス』が、現在また現出しかけている……」
あたしがそう言うと、カリムは頷いた。
「その通りです。『大結界』のお陰でかなり速度は遅いですが、いずれ現出して世界を破滅させるでしょう。これは、この世界の理。避けようがありません」
なるほどね……
「って事は、あたしが世界中を飛び回って『大結界』を復帰させた意味ってなんなの?」 結局破られるのでは、わざわざ『大結界』を復帰させた意味がない。最初に言ってくれればいいのに……。
「それはあたしから解説するわね」
と、エリナが言った。
「『大結界』にはちょっとした仕掛けがあって、数百年かけて溜めた精霊力を使ってあらゆる『異界』との接続を完全に遮断出来る機能がある。それを使うには、『大結界』を完全な形にしておく必要があったのよ」
「どんな結界よそれ!?」
あたしは思わずツッコミを入れてしまった。
「だから、アリスは変わり種って言ったでしょ?変な結界を作る事だけは天才的だったわ」
「変な結界って……」
どうすれば、そんな代物が作れるというのか……。
あたしの知識ではちょっと思いつかない。
「まあ、それはともかく、発動タイミングはたった1度だけ。『大結界』がこの五百六十年で溜め込んだ精霊力を使って、あなたが魔法で発動させるのよ。あたしは結界よく分からないからね」
そう言って、エリナはにやりと笑った。
「なんであたしなの。結界魔術の使い手は、ほかにも腐るほどいるわよ」
あたしは結界魔術を専門としているが、あたしより上手の結界術師など星の数ほどもいる。
しかも、使ったこともない魔法だなんて……。
「アリスの結界には癖があるのよ。あなたじゃないと、多分使いこなせない」
あたしの疑問をエリナが即答で答えた。
「まあ、あなたが言うんだから間違いないけど、あたし魔法なんて使った事無いわよ」
そう言うと、エリナは小さく笑みを浮かべた。
「大丈夫。そこはあたしがちゃんとフォローするから」
「分かった。そこまで言うなら頑張るわよ。で、問題のタイミングは?」
あたしが言うと、カリムが難しい顔で言ってきた。
「少なくとも、現状では早すぎます。まだ、『大結界』が安定していないですからね……もう数ヶ月お待ち頂けますか?」
急ぎということは分かるが、準備が出来ていないのなら待つしか無い。
「分かったわ。あたしはその間に、エリナからきっちり魔法のレクチャーを受けるわ」
「任せなさーい。手取足取り教えてあげるわ」
いまいち信用出来ないノリで、エリナがそう言う。
「さて、とりあえず魔道院に戻りましょうか。いい加減、マリアがやきもきしているだろうし」
そう言って、あたしは軽く目を閉じた。
とにかく、やること満載である。
「よし、いい調子ね」
目の前に出来た小さな三角錐の結界を見て、エリナがそう言った。
ここは魔道院の中庭である。
その片隅で、あたしは結界『魔法』の練習をしていた。
「結構バランスが難しいわね……」
結界の維持に必死になりながら、あたしはエリナに言う。
魔術と違い魔法はちゃんとした意味を持つ『呪文』の詠唱が必須になる。
逆に言えば、『呪文』さえ唱えればいいのだが、その後の『維持』については別問題だ。
「そうでもないわよ。三回目でこれだけ使えれば十分早いわよ」
エリナはそう言うがあたしは満足していない。
攻撃系の魔法ならそれこそ数瞬でケリがつくが、結界はある程度の時間状態を維持しなければならない。
これが実にシビアで難しいのだ。
「五百六十年も溜め込んだ精霊力を使うんでしょ? これじゃ『魔法』に負けてあたしが吹っ飛ぶわ」
そう言って、あたしは苦笑した。
「まあ、練習あるのみよ。『魔法』なんて、唱えて発動させて維持するだけ。簡単なものよ」
とエリナは言うが、これがどうしてなかなか……。
「あと三十秒維持出来たら、今日は終わりにしましょうか」
「分かった」
エリナの言葉に頷き、あたしは発動中の魔法に集中する。
ずっと三角錐を維持していた結界だったが、やがて徐々に形を崩しはじめ、そして消えた。
「三十六秒。課題クリアね」
そう言って笑うエリナ。
「人に教わるって久々ね。修業時代を思い出すわ」
あたしはそう言って、過去の記憶を掘り起こす。
……まっ、ロクなもんじゃないわね。
ちなみに、あたしがエリナから教わっているのは初歩的な結界魔法のみ。
攻撃魔法などのアブナイものは教わっていない。
「修行時代みたいに暴走させないでよ。結界系って後始末大変だから」
エリナが茶化すようにそういってくる。
「分かってるわよ。あたしだって、これでも結界術師よ」
エリナに返しつつ、あたしは空を見上げた。
太陽はちょうどお昼くらい。
朝早くから始めたので、半日くらいは練習していた事になる。
「さてご飯ね。今日は何かしらねぇ」
魔道院の大食堂で、一番人気は日替わりランチである。
お昼時になると大混雑だから、早めに行かないと売り切れの憂き目を見る。
「さあ、覚えてないわね。あたしも行っちゃおうかな」
あたしは小さく笑った。
魔道院院長の権限は多岐にわたるが、その中に専用の食事が用意される事がある。
豪華で美味しいのだが、たまには一般食堂に紛れて食べたくなる時もある。
「じゃあ、善は急げ。さっそく行くわよ!!」
恐ろしく早く駆けだしたエリナに、あたしは必死についていく。
中庭から建物内をひた走り、一階にある食堂に着いた時にはすでに人の山だった。
「しまった。出遅れたか……」
そうつぶやきつつも、めげないエリナは人混みの中に突撃していく。
あたしも必死に食らいついていくが、これはなかなか大変だ。
それでも何とか注文カウンターにたどり着き、日替わりランチを二名分注文する。
「あいよ。日替わり二丁!!」
威勢のいいおばちゃんの声と共に、食器が載ったトレーが渡される。
「おつり要らないわよ」
そう言って、あたしはクローネ金貨を1枚出してカウンターに置く。
「ちょっと待った。こんな大金……」
「いいのよ。取っといて」
そう言って、あたしはカウンターから離れた。
「さすが魔道院院長殿。羽振りいいわね」
と、エリナが茶化す。
「どうせ給料日に返ってくるからいいの。さぁ、食べちゃいましょ」
ちなみに、日替わり定食は銅貨3枚である。
「あんた、貯金出来ないタイプでしょ?」
食べるというより流し込むという感じで、エリナがあっという間に食事を終える。
「うるさいわねぇ。奢ったんだから素直に感謝しなさい」
あたしも負けじと食事を流し込む。
なにも張り合っているわけではない。
遺跡調査部のメンツなら、恐らく例外なくこうなる。
味よりも量。早食いは遺跡探査の基礎である。
「さてご飯食べたし、もう一回練習いきますか」
あたしがそう言うと、エリナは苦笑した。
「相変わらず根を詰めるわね。……いいわ、付き合う」
再び中庭に戻ると、あたしは先ほどの結界魔法を放った。
何度やっても不思議だが、魔力が放出される独特の感覚はあっても、精霊力が増加する感覚がない。
この違和感を自然のものとしないと、とてもではないが『ルクト・バー・アンギラス』封じの際に使う魔法には耐えられないだろう。
小さな結界が足下に生まれ、先ほどよりは安定した状態になった。
「さすがというか、覚えが早いわね。これなら、もう大丈夫だと思うけどね」
と、エリナが言った。
「そうかなぁ。まだ自信ないけど……」
あたしがそう言うと、エリナが小さく笑った。
「そのくらいでいいのよ。下手に自信満々になられるよりよほどいいわ」
エリナがそう言った時である。
「マール様!!」
セシルが珍しく慌てた様子で駆け寄ってきた。
「カリム殿より手紙です」
そう言って、彼女は封筒をあたしに渡した。
「カリムが手紙なんて珍しいわね」
エリナが怪訝そうな顔をして封筒を見る。
「とりあえず、開けてみますか……」
『風』の魔術で封筒を開け、あたしは中の紙を取り出した。
『『大結界』に異常あり。早急に来られたし』
書いてある内容はそれだけだった。
「いよいよかしらね」
エリナがぽつりと言った。
「そうね、いよいよ出番かな」
覚悟を決め、あたしはセシルに言った。
「列車の手配をお願い。今から1番早いやつで」
「分かりました。手配してきます」
あたしの指示で素早くセシルが魔道院の建物に消えて行く。
飛行船が1番早いのだが、再び砂漠の実験場に戻ったため今は使えない。
またもや列車の旅である。
「さて、あたしはこっちの事務処理してくるわ。まあ、マリアに押しつけるだけなんだけどさ」
あたしがそう言うと、エリナは小さく笑った。
「マリアも不幸ね。
それじゃ、あたしは先に駅に向かっているわ」
こうして旅立ちの準備は終わった。
旅に出るのは嫌いではないが、今回はそうお気楽な事は言っていられない。
『大結界』に異常あり。
カリムのこの言葉は、あたしの心を一気に引き締めたのだった、
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