第35話 『大封印』起動

 飛行船の旅は恐ろしく快適……ではなかった。

「あ、あの、メチャクチャ寒いんですけど!!」

 乗員から借りたもこもこコートを着込んでいるが、それでも寒いものは寒い!!

「地上から離れると、気温が下がるからね。窓ガラスないし寒くて当たり前よ」

 こちらはあらゆるものを着込み「完全武装」のエリナが、そう言って笑った。

 ちなみに、セシルは普段着のまま文句も言わない。

 寒いこと以外は特に問題もなく、飛行船は順調に航行を続けている。

 眼下はすでにアルシオネ洋だ。確かに速い。

「で、どういうルートだっけ?」

 出発してから間もなく説明されたのだが、寒さのあまりど忘れしてしまい、あたしはエリナに聞いた。

「全く、大丈夫?」

 呆れ半分にそう言いながら、エリナが地図を開いた。

「本当は一直線に向かいたいんだけど、アルシオネ洋の真ん中は『魔の巣』があるから、ミスティール大陸寄りをこうやって回っていくのよ」

 エリナは説明しながら、地図に書き込んでいく。

 『魔の巣』とはアルシオネ洋のど真ん中にある海域だ。

 常に大嵐が吹き荒れていて、ここを好き好んで通る船舶はまずいない。

 だから、あたしたちもこの海域を大きく迂回し、西のミスティール大陸寄りにぐるりと回ってエスト大陸に行く事になる。

「この『魔の巣』って『大結界』の中心よね」

 地図を見ながら、あたしはそう言った。

 アストリア、プレセア、ミスティール、エバァ、エストの各大陸にある『大結界』を線で結ぶと、その中心には「魔の巣」がある。

「今頃気づいたの?」

 と、エリナが呆れたように言った。

「いわゆる『魔の巣』は『ルクト・バー・アンギラス』が封印されている場所よ」

「えっ?」

 あたしは思わず聞き返してしまった。

「今は封印が怪しい状態になってるから、その力の一部が流出しちゃってるってわけ。『大結界』が復旧すれば『魔の巣』ももう少しは大人しくなると思うけど、完全にはなくならない……。それくらい、『ルクト・バー・アンギラス』は強大な力を持っているのよ」

 これだけ強大な封印をもってさえ、完全には封印しきれない『ルクト・バー・アンギラス』。それが地上に現出した時、一体世界はどうなってしまうのだろうか……。

 改めて、『大結界』復旧の意味を噛みしめる……。

「それより、問題はエスト大陸の『大結界』の位置なのよね……」

 そう言ってエリナは地図を指差した。

「エスト大陸の北西部なんだけど、今はちょっときな臭いから……歓迎されるとは思わない事ね」

「そうなの?」

 あたしがエリナに聞き返すと、セシルが口を開いた。

「ミスティール王国は、元々ミスティール大陸にあったのですが、王家のお家騒動で2つに分裂してしまい元は第3王子だったパシェロ殿下が国王です。

 元々国王だったランサー陛下と第2王子は親交のあったエスト王国に逃れたのですが、3年ほど前に突然ランサー陛下率いる旧ミスティール軍がエスト王国からの独立を宣言。現在に至ります」

「まっ、要するに恩を仇にして返したわけよ。エスト大陸の元ミスティール国王は真・ミスティール王国を名乗り、ミスティール大陸側のミスティール王国を敵としてあからさまな攻撃を仕掛けているし、同時にエスト王国に対してもさらに侵攻を加えている。

 つまり、かなりきな臭い情勢なわけよ」

「なるほどね……」

 エスト王国にしてみれば、店子に母屋を取られたという形か……。

「大丈夫かな。こんな目立つ乗り物で乗り付けて……」

 はっきり言って飛行船は目立つ。

 そんなきな臭い国に乗り付けたら、それこそ問答無用で楽しいことになりそうだが……。

「大丈夫よ。『真・ミスティール王国』にしたら、『魔道大国』とまともに張り合う余裕まではないわ。むしろ、魔道師の来訪は喜ぶと思うわよ。だから問題なのよ」

 そう言って、エリナは顔をしかめた。

「大歓迎はしてくれるけど、同時に取り込みにかかってくるわよ。魔道師は貴重な存在だからね」

「なるほど……」

 つまり、あまり深入りするなということか。

「マール様、折衝は全て私が行います。よろしいですか?」

 セシルがそう聞いてきた。

「任せるわ。あたしの仕事は、あくまでも『大結界』の修復のみだからね」

 政治的な面倒くさい折衝など、あたしの管轄外である。

 いざとなったら、メガ・ブラストで全部ぶっ飛ばすのみ。

 今は『大結界』の修復が最優先である。

「さて、小難しい話はこのくらいにして、今は空の旅を楽しみましょう。滅多に乗れないんだから」

 そう言って、エリナは小さく笑ったのだった。


 あたし達がエスト大陸に着いたのは、アストリア王国を出発してから三日目の事だった。

 『遺跡』近くの適当な平地に着陸してもらい、地面に降り立つ。

 慌ただしく飛行船の係留作業が行われる中、あたしたちは周囲の警戒に当たる。

「とりあえず、大丈夫そうね……」

 あたしは呟いた。

 飛行船は目立つからという事で、下手に刺激しないようにエリナが到着前に『不可視』の魔法をかけたのだがどうやら上手くいったようだ。

「油断はしないでよ。ここは紛争地域からは外れているけど、なにがいるか分からないから……」

「分かってる」

 エリナの声に、あたしは『穴』からライフルを取り出した。

 相手が敵意むき出しで向かってくるならともかく、そうじゃない相手にいきなり攻撃魔術を放つわけにはいかないだろう。

 ちなみに、エリナは拳銃ではなく、あの六つ銃身がついた極悪な外見を持つ銃を手にしている。ガトリング砲というらしいが、あたしに扱えるような代物ではない。

「さて、行きますか」

 とにかく、今回は早さが勝負である。

 あたしたちは『大結界』に向けて歩いて行く。

 ここからは、片道30分ほどの距離である。

「久々に歩きね」

 周囲の警戒を怠らないようにしながらも、あたしはそう呟いた。

「まあ、たまにはいいんじゃない?」

 エリナがそう返してきた。

 時刻は昼頃である。

 『大結界』を修復して、早急に帰るには時間的余裕はあまりない。

「少し急ぎましょうか」

 あたしがそう言うと、エリナはうなずいた。

 魔道師の支援施設である『支店』がないこの国に長居するつもりはない。

 あたしたちは歩く速度上げた。

 しばらく行くと、あたしたちは細い道に当たった。

「道を使うのは危険だけど、時間短縮にはなるわね」

 エリナの言葉で即決し、あたしたちは道を進むことにした。

 舗装はされていないが、未整地の草原を歩くよりは格段にマシである。

 自然と歩く速度が上がる。

「そういえば、ここって魔法生物の被害がないのね」

 あたしはエリナにそう言った。

 プレセア王国の時は、遺跡の防御システムが暴走して大変な事になっていたのだが……。

「全部が全部ああなるわけじゃないわよ。

 ここの場合、『大結界』どころか防御システムすら停止している可能性があるわね」

 と、難しそうな顔エリナが言う。

「それって……」

 あたしの声にエリナは頷いた。

「最悪、『遺跡』丸ごとの修繕が必要かもしれない。

 まあ、『大結界』を復帰させてみない事には、なんとも言えないけどね」

 あたしが使える魔術の中には『復元』というものがある。

 生まれ持った魔力の高さに物を言わせれば、ちょっとした地方領主の城くらいなら瓦礫の山状態からでも『復元』出来る。

 しかし、『遺跡』の復元などやったことがない。

「いずれにせよ、急ぐわよ」

「分かってる」

 警戒は解かずに、あたしたちは道を急いだ。

 すると、ほどなく『遺跡』が見えてきた。

 相変わらずの荒れっぷりだが、周囲に人の気配はない。

「とりあえず到着ね。あとは、直して帰る。それだけよ」

「分かってる」

 あたしたちは、休む間も惜しんでそのまま『祭壇』に向かった。

「はいみんな乗ったね。じゃあ、いくよ!!」

 いつも通りエリナがオーブを置くと、振動と共に『祭壇』が下がり始める。

 特に異常はなく、『祭壇』は最下層に到着した。

「ではマール先生。お願いします」

 とエリナに茶化されながら、あたしは魔方陣の真ん中に立ち魔術を放った。

「……在るべき物を在るべき姿に」

 瞬間、『遺跡』全体が震え、床の魔方陣から淡い緑色の光が放たれ始めた。

「おっと!!」

 プレセアの時は一瞬だったが、非常に長く強い揺れが続く。

 あたしはよろけてしまい、その場に片膝をついてしまった。

「さあ、『大結界』の復帰よ!!」

 エリナの声に呼応するように、魔方陣の光が一気に強くなった。

 そして、爆発でもしたかのような衝撃ととともに光は落ち着いた。

「マール、お疲れさま。これで大丈夫よ」

 『祭壇』の上からエリナがそういう。

「あーびっくりした」

 まあ、考えてみれば世界規模の他に類を見ない『大結界』だ。

 それが復帰したとなれば、このくらいの事は当たり前だろう。

「さて、帰りましょうか。長居は無用」

「分かってる」

 あたしは『祭壇』に戻ると、それはゆっくりと上昇を始めた。

「お待たせしました。地上でございます」

 どこかおどけた様子で言うエリナは無視して、あたしは『祭壇』から降りた。

「へぇ、凄いわね……」

 『祭壇』全体が光り輝き、空に向かって光の帯が伸びている。

 これが『大結界』か……。

 と、感慨にふけっていたときである。

「動くな!!」

 男のそんな声が聞こえ、あたしは回れ右をした。

「だから、動くな!!」

 ……あっ、動いちゃった。

 って、そんな事はいい。

 すっかり気が緩んで気がつかなかったが、あたしたちは軍服を着た連中に取り囲まれていた。

「そこの怪しいお前ら、一体何者だ!?」

 恐らく連中の中では1番偉いのだろう。

 あたしの正面にいたオッサンが声を張り上げる。

「真・ミスティール国軍です。下手に刺激しない方がいいですよ」

 セシルが耳元でささやいてきた。

「アストリア王国王立魔道院院長のマール・エスクードとその連れです。なにか問題ありましたか?」

 あたしは極力丁寧な言葉でそう言って、首から提げている上級魔道師証を掲げてみせた。

「なんだと……」

 これは予想外だったか、偉そうな人がひるんだ。

「国王陛下にご挨拶が遅れた事、平に謝罪いたします。なにぶん、急ぎの用事でしたので」

 その隙にあたしはたたみかける。

「い、いや、待て。変な嘘をつくな。なぜアストリアの魔道師がここにいる。しかも、魔道院院長だと……信じられると思っているのか!?」

 ……ちっ。やっぱり怪しいか。

「信じるも信じないもご自由ですが……。アストリア王国と事を構えるおつもりでなければ今すぐ包囲を解いて頂きたい。すぐに立ち去ります」

 そう言いながら、あたしはこっそり防御魔術を展開する。

 障壁を張るタイプではなく、個人個人に薄い膜状の『結界』を張るタイプだ。

 けっこう手間が掛かるのだ。このタイプは……。

「いや、怪しい。おい、連行しろ!!」

 と部下らしき人におっさんが命じた瞬間、あたしたちはパッと散開した。

「おりゃぁぁぁぁ!!」

 叫びながら、エリナがガトリング砲を四方八方に撃ちまくって威嚇する中、あたしは出力を最小威力に抑えたライフルを撃ちまくる。

 相手もメチャメチャに射撃してくるが、先の防御魔術によりその全てが弾かれる。

「何をやっている。相手はたった三人……」

 オッサンが最後まで言葉を発する事はなかった。

 セシルがその背後に立ち、彼の首筋にロング・ソードの刃を当てていた。

「はい、チェック・メイト」

 かくて、戦闘とも呼べない戦闘は終わった。

「お前らは一体……」

 冷や汗をだらだら流しながら、オッサンが言う。

「先ほども述べましたが、アストリア王立魔道院院長マール・エスクードです」

 そう言って嫌みだなぁと思いつつ、あたしは一礼してやった。

 あたしやエリナの弾を食らって、倒れている兵士たちが数名いたが出力は最小。

 痺れることはあっても怪我をすることはないだろう。

「くっ、覚えていろ。撤収だ!!」

 オッサンはそう言って、部下を率いて撤収した。

「あーあ、典型的な負けセリフ言っちゃって……」

 とエリナが呟く。

「さて、行きましょう。また戻ってきたら面倒だし」

 こんな国に長居は無用である。

 あたしは皆を促し、さっさと『遺跡』をあとにしたのだった。


「やっぱり、寒いわねぇ」

 飛行船に乗り込み、高度が上がるにつれて寒くなる。

 これは帰りも同じだった。

 まあ、当たり前だけど……。

「これくらいどうってことないじゃない。修行が足りないわねぇ」

 とエリナが言う。

「何の修行よ……。しかしまあ、なんとか『大結界』を復帰出来て良かったわ」

 あたしがそういうと、エリナが少し難しい顔をした。

「喜ぶのは早いわよ。まず、カリムのところに行って状況見ないと……」

「そっか……。ずっと気になっていたんだけど、何でアストリアの『大結界』しか『管理人』がいないの?」

 あたしがそう聞くと、エリナはため息をついた。

「昔はいたんだけどね……。亡くなったり管理できる精神状態じゃなくなったりで、今は唯一アストリアのカリムが全ての『大結界』を管理しているのよ」

「なるほどね」

 『休暇』があるのかどうか分からないが、あんな地下にずっといたら調子が悪くなって当然である。

 それも世界を護っている『大結界』の管理となれば、少しのミスも許されない。

 少なくとも、同じ事をやれと言われたらあたしには難しいだろう。

「じゃあ、もしカリムがいなくなっちゃったら、大結界はどうなるの?」

 あたしがそう問いかけると、エリナはあたしから目線をそらした。

「『大結界』が完全に戻った今なら人間の魔力でもコントロールは出来ると思うけど……あまり考えたくないわね」

 声のトーンを落として、エリナが返してきた。

 ……つまり、カリムがいなくなれば『大結界』の維持は難しいということか。

「なんか危ないわねこの世界。けっこうすれすれで維持されてるのね」

 あたしがそういうと、エリナが頷いた。

「何でもない日常ほど貴重なものはないわよ」

 ……確かにそうかもしれない。

「いっそのこと、『ルクト・バー・アンギラス』倒しちゃえば?」

 そうすれば、こんな危ない状態で生活しなくてもいいと思ったのだが……

「出来たら五百六十年前にやってる。出来ないから、強引に封印したのよ」

 まるで可哀想な子でも見るかのような目で、エリナはそう言った。

「まあ、それもそうか……」

 なにせ、世界レベルの結界を張っちゃうような、無茶苦茶な古代魔法時代ですら倒せなかった相手である。

 通常の魔術ではまず難しい。召喚魔術なら……うーん、自信はない。

「まあ、余計なこと考えないで、現状維持がベターよ。倒せればベストなんだけどね」

 そう言って、エリナは笑った。

「そうね、下手に刺激しない方がいいか」

 『大結界』が復帰した今、下手な事をして刺激をしない方がいい。

 実は、『魔の巣』にラグナ君を召還したらどうなるかって、ちらりと考えもしたのだが、実際に戦ったエリナの様子を見る限り、やめておいた方が良さそうだ。

「そういうこと。どうせ、召喚魔術でなんかやろうと思っていたんでしょ?」

 ……うっ、バレてた。

「あれはね、もう別次元よ。封印出来ただけでも奇跡ね」

 何か考えるようにして、エリナが言った。

「あたしたちの次の行動は、カリムのところに行って状況確認。大丈夫だとは思うけど、念のためね」

「はいはい」

 エリナの言葉に、あたしはいい加減な返事を返した。



 アストリア王国までは約1週間。

 カリムから状況を聞くまでは安心出来ない。

 あたしの気が気ではない旅は、まだ始まったばかりである。

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