第4話 砂城の星(2)
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この事件の中核には、ふたりの男が登場する。そういえば伊路地店の君。君の名前は何と言ったかな。
そうか、浅葱くんか。それじゃ仮に、物語の男も「浅葱」と呼ぶことにしよう。……そんな不服そうな顔をしないでくれよ。それにはきちんと理由があるんだ。
なぜならこの物語に出てくる男たちは、万年筆屋の男と、占い師の男、だからだ。覚えやすいように万年筆屋の男は「浅葱」とした方が、君も助かるだろう。え? 電子虫が録音しているから関係ない? まぁそう言わずに。
それに彼らの本名で語ったとして、もし書き上げた原稿が宛先人以外の人間に見られてしまったら、プライバシーに関わるだろう。この話を聞かせてくれたのは、登場人物の一人である占い師の男だけど、教えてくれるときに「この話は絶対に口外しないように」と言っていたんだ。だから万年筆屋の男の方は「浅葱」と呼び、占い師の方は……そうだね、「先生」とでも呼ぶことにしよう。そうすればもし彼にバレたとき、僕だって言い訳のしようがある。「君から聞いた話と似ているけど、別の人間の話だよ」とね。
大丈夫、登場人物が仮名であったとしても、宛先人だけは誰のことを言っているのか、必ず解ってくれるから。
きっかけは、浅葱が先生に万年筆を売りに来たことだ。
君も見たとおり、占い師は今でも万年筆を使う。古い人間が多いせいかな、電子虫を利用して、脳裏に星の配置を映すことも出来るんだけど、「手書きの方が答えが見えやすい」って人が多いんだ。僕も含めてね。だから、万年筆屋が占い師のところに営業に来るのは、別段珍しいことではなかったよ。今はめっきり来なくなったけれど。
先生は当時、駆け出しの占い師だった。まだ一生のパートナーと呼べる万年筆を一本も持ってなくて、そろそろ良いヤツが嫁に来ないかなぁと考えていたらしい。主人より目立たない控えめさを持っていて、でもよくよく見るとおしゃれで、飽きずにずっと使えるようなものが良いなと日々夢想していた。新人のくせに生意気だね。
「新人占い師が嫁探しをしている」
そんな噂を聞きつけて、大小さまざまな万年筆屋が先生の元にやってきた。
当時からもう、万年筆なんてほとんど売れなかったから、客の奪い合い、というヤツが始まったのさ。あわよくばその占い師が一躍有名になれば、「彼が使っているのは、うちで買ったものなんですよ」と広告に使うことが出来るだろう。そんな皮算用をソロバンで弾いた業者が、毎日のように押し寄せたわけだ。……ソロバンって知らない? いや僕だって詳しい使い方は知らないけどね、古い電卓のことじゃないかな。僕のひぃ祖父さんが子供の頃は、それをスケート靴の代わりにしていたって言っていた。知らないかぁ。これも時代の流れだなぁ。
ともあれ、情報網、というのは凄いものだね。
接待だ何だとチヤホヤされていた先生も最初のうちはまんざらでもなかったが、客より頻繁に、ひっきりなしにやってくる押し売る気満々の万年筆屋たちに、一月も経つ頃にはいい加減飽き飽きしていた。
そんな、ある日だった。
「万年筆屋、伊路地店の、浅葱と申します」
浅葱も例に漏れず、先生の嫁探しの噂を聞いてやってきたうちのひとりだった。当時、浅葱も店を引き継いだばかりの駆け出し店主で、初々しさが残っていたようだね。今日日珍しい黒髪をきっちりと撫で着けて、パリッとしたスーツに着せられ、緊張した面持ちで先生の元を訪れた。飛び込み営業なんて失敗して当然のものなんだ、もっと気を楽にすればいいのに。先生はそう笑っていた。きっと出会った頃から真面目な人だったんだろうね。
そしてそんな浅葱に、先生は運命を感じたそうだよ。
……浅葱くんは運命って信じるかい?
僕は信じている。
見た瞬間、この人は違うと、解るものなんだ。
占い師のくせして占いもせずに断定するのか、って。そう言われればそうだね。でも、こういうのは理屈じゃない。
「僕が女性だったら、僕は彼と結婚したのだろう」
先生も、占い師のくせして直感的にそう思えるほど、先生の目には、浅葱が、光り輝いて見えたそうだよ。
先生は勿論、浅葱から万年筆を購入した。彼が紹介した万年筆は、時代遅れな形で古くさいもので全く趣味とは合わないものだったけれど、浅葱と何かしらの関係が持てるなら、それがたとえペン先を素人が研いだものだったとしても購入しただろう。まぁ幸いにも、ダサい見た目とは裏腹に書き味はすこぶる調子が良くて、最終的には浅葱とは関係なしに「よい買い物をした」と、先生も思ったみたいだけどね。
そうやって買い物をしてからも、先生はことあるごとに浅葱を呼びつけた。
インクがなくなった、ペン先を研いで欲しい、お得意様に差し上げる万年筆を見繕ってくれ。
そのどれもは口実で、ただ浅葱の横顔を見ていたかっただけなんだ。
浅葱はとても真面目な男だったみたいだね。何事にも全力で、冗談も通じず、石のように硬い意思を持っていたようだ。……つまらない? 君も冗談が通じないな。
まぁ君みたいな若者や、ノリに乗っている人間には、浅葱みたいなタイプはそれこそ古くさくて好みじゃない、と思っただろう。でも先生は違った。
どんな職業でもそうだけどさ、人と人とは利害関係や損得勘定抜きでは繋がれないんだ。ましてや占いの世界ってのは、人の醜い所がよく現れる世界だし。
結局さ、こういう場所に来る人間は、「自分たちの人生がどうやったら最高になるか」を聴きたがっている。自分たちが幸せになるためなら、他の誰かを出し抜き、他の誰かを蹴落とすことだって厭わない。そういう人間が、高い金を支払ってあるかどうかも解らない天啓を請う。そういう世界なんだよ。そういった意味じゃ、占い師に必要なのは強い精神力かもしれないね。強い精神力がなかったら、醜い大人たちのいいように扱われて、食い荒らされるだけだろう。
そんな、嘘と欺瞞と化かしあいで溢れている中に、浅葱だけは嘘を吐かず、誰も騙さず、自分に正直に生きていた。
真っ直ぐ前を見据えるその横顔を、先生が見ていたいと思う気持ちは、よくわかる。
「浅葱くんは悩みとか、ないかい。仕事の悩みとか、家庭の悩みとか。僕が占ってあげるよ」
先生にとって、生年月日さえ判れば、彼の全てを知ることは難しくなかった。彼のことをもっと知りたいと願う先生はそうやって、占いの話を浅葱に持ちかけたことが何度かある。
しかし、先生の下心を読んでか、浅葱はいつも首を横に振っていたみたいだね。
「今でも充分幸せな家庭を築いています。しいていうなら、跡継ぎがいつ生まれるか、ですね」
ってね。
浅葱は結婚してから五年経つが、子供には恵まれなかったらしい。多くは語りたがらなかったけれど、自分か奥さんのどちらかに、身体的な問題があるようだった。いや、どちらか、ではないね。浅葱はどちらに問題があるのかということも、知っていた。
それでも浅葱は気にすることなく、奥さんとうまくやってるみたいで、いつも楽しそうに話していたよ。先月はふたりで旅行をした、先週末はふたりで花を見に行った、昨晩はふたりで久しぶりにゆっくりと食事をした。等々……
先生には、全く面白くなかったようだけれど。
先生は自然と、浅葱を自分のものにしたいと考えるようになっていた。
今だって自分の都合で昼夜問わず浅葱を呼び出して、商談以外でものらりくらりと無駄話をして長時間拘束しているんだから、もう私物化しているようなものだと思う。
でもそれだけでは足りない。そういうのではない。もっと深いところで、浅葱を自分のものにしたいと、考えていた。
そのためには、浅葱の妻の存在は酷く邪魔なものだった。
彼女が居る限り、彼の心は彼女に向いたままだろう。いや今は仲睦まじい夫婦であっても、いつかは仲違いして別れる日が来るかもしれない。そうは思っても、そんないつ来るかも解らない日まで待っていられるほど、先生は悠長な性格をしていなかった。今、この瞬間さえ、浅葱は彼女へ笑顔を見せているのだろうと思うと、身が焦げるような嫉妬に苛まされた。
何とかして今すぐにでも彼女を浅葱の周りから、消すことが出来ないものか。
日に日にその思いは増していったんだ。
さてそんな先生だけれど、仕事の方は順調そのものだった。
先生は当時、複合商業施設の一角を借りて出店していた。最初のうちは知名度もなく、人通りも少なく、赤字の日々が続いていた。そんな中でも先生を見つけてやってくる万年筆屋っていうのは、本当に凄いね。どういうツテがあって、どういう嗅覚をしているんだろう。私も知りたいものだよ。浅葱くん、是非ともご教授願えないかい? ……冗談だよ。
商売のノウハウはなく、経営的なところは余りうまくなくても、占いの腕前は確かなものだったから、一ヶ月、二ヶ月、と過ぎるうちに、噂が噂を呼び、客が客を呼んで繁盛し始めた。そこの家賃を支払っても食うには困らない程度に、稼げるようになった。水商売でそこまで稼げたなら、もう一人前だ。
こうなったのも浅葱のおかげだろう、万年筆を選んでくれた礼に、浅葱を食事にでも誘おうか。
そう考えていた矢先、ひとりの客がやってきた。
「主人が、『ここの占い師さん、良いよ』って教えてくれたんです」
浅葱と同い年ぐらいの、柔らかな目をした女性だった。ピンク色のカーディガンと、フレアスカートがよく似合う、お淑やかな女性だったよ。十人が十人振り返る、とまでは行かないけれど、多分一人か二人は振り返るんじゃないかな。クラスで五番目にかわいい子、みたいな雰囲気が漂っていて、僕もそうだけど、男っていうのはどちらかといえば、こういう人をお嫁さんに選ぶものだと思うね。飛びぬけた美人だとさ、隣に立つと、自分が翳って見えるから。
ともあれ、そんな万人受けするような見目の女性だったけれど、先生は、なぜかその女性を見て、とても嫌な気分になったそうだ。
彼女を向かいの席に座らせて、生年月日を訊く。そうして割り出した彼女の人星を見て、先生は吐き気を覚えるほどに気分が悪くなった。既視感を覚えたんだ。
どこかで見たことある人星だ、誰かに似ている。
そうしてそれが誰のものか気付いたとき、先生は思わずあっと声をあげた。
自分だ。
他人の空似なんてものではない。
生き別れた双子ではないかと思えるほどに、似ていた。
これは同属嫌悪なのだ。
勿論先生は自分の出自に明るかったし、生き別れた双子なんてものは居ないと知っていたけれど、にもかかわらずそうと思えるほど、ふたりは似ていた。
その事実に気付くと同時に、先生はぴんと来た。
『僕が女性だったら、僕は彼と結婚したのだろう』。
目の前には、自分と同じ人星を持った、女性が居る。
おそらく彼女が、浅葱の奥さんだ。
■
翌日。私は朝からずっと、ひとつの言葉の意味を考えていた。
「ジンセイって何ですか」
どんなにひとりで考えても答えが全く出てこなかったので、漸く起きてきた先生に、その質問をぶつけてみる。
「朝から随分哲学的な質問だね」
先生はまだ眠たげな目を擦り、欠伸を零した。彼の答えは「どうでもいいけどまだ眠い」らしい。
「人が生きる方ではなくて、その、先生が昨日仰られていた方です」
昨日は到着した時間も遅かったせいか、先生は話を途中で切り上げた。その最後で、「浅葱」の奥さんがやってきたけれど、そこで「先生」は「彼女のジンセイを見て驚いた」と言っていた気がする。そのジンセイとは何だろうか。
ちなみに今は昼過ぎで、朝ではなかったりする。先生としては、今起きてきたのだから、今が朝だと言いたいのだろう。
昨晩帰宅を申し出る私に、先生は「泊まっていきなよ」とソファを提供してくれた。そのお言葉に甘え、それじゃあ明日は朝早くに起きて、てきぱきと録音を済ませ、さっさと帰ろうと考えていた。
しかし時既に十四時を回り、きちんと朝から起きていた私は、飲まず食わずで今に至っている。人の家の冷蔵庫を勝手に漁るような非常識さは持ち合わせていない。だからもう一度言う。飲まず食わずで、今に至っているのだ。
「そのジンセイ、ってどういう意味なんですかね」
「あぁ人星のことか」
私の視線から何かを察してくれたのか、先生が冷蔵庫から食パンを二枚取り出し、オーブントースターへ放り込んだ。トースターがパンを焼いてくれている間、今度は卵とベーコンを油の敷かれたフライパンに乗せる。それに蓋を閉めたと思ったら、さらにカップを用意し、湯を注ぎ、紅茶を淹れ始めた。
一人暮らしも長そうだし、恐らく家事には慣れているのだろう。それでも手際のよさに、私は驚かずにはいられなかった。ユリナさんの言葉を信じるなら、先生には金など有り余っているだろうに、思えば室内には家政婦タイプを含め、アンドロイドはひとつも置いていない。
「アンドロイド、いないんですね」
「電子虫もそうだけどさ、何でも他のものに任せっきりっていうのは良くないよ。たまには自前の脳みそや身体をも使わなきゃ」
温かくおいしそうな匂いが部屋を満たすと、私の腹の虫が遠慮なく鳴り響く。どんなに脳内が電子化されたとしても、睡眠欲求と食事欲求だけは昔から変わらないなと、私は思った。
「君は、パンにはマーガリン派かい? ジャム派かい?」
「どちらでも」
「どちらでも、って答えはあまり感心しないな」
そんなことを言いながら、先生はパイン材の丸テーブルに、焼き立てのパンが乗った皿を置いた。そして私の前に、イチゴジャムの小瓶を置く。先生はマーガリン派なのか、テーブルの向こう側にはマーガリンが置かれていた。
「それから君は、目玉焼きにはソース派かい? しょうゆ派かい?」
「どちらでも」
「どちらでも、って答えはあまり感心しないなぁ。コーヒーと紅茶は?」
「どちらでも」
「さては君、優柔不断に見えてその実頑固だね」
そうして出てきた目玉焼きの隣には、しょうゆさしが置いてある。紅茶のカップはふたり分だ。先生のその行動が、なんとなく義母を思い出させて、私は面映い気持ちになった。
頑固で好みに煩い義父は、パンならマーガリン、目玉焼きにはソース、と決まっていた。その反対に私は、「何食べたい?」という言葉にも「何でもいい」と答えるような人間だった。義理の両親に遠慮していたわけではなく、本当にそう思っていたのだ。
曖昧な回答をする私は、主婦から見れば酷く面倒だっただろう。しかし義母はいつだってぱっと料理を決め、「じゃあ今夜はカレーね」なんて笑っていた。
用意を終えた先生が向かい側に座る。私はもう限界だった。
「どうぞ。食事が遅くなってすまないね」
「いえ……いただきます」
散々待たされた挙句、出てきたのが食パン一枚と目玉焼きとは泣けてくるが、依頼主によっては食事どころかトイレに行く暇すら与えないことを思うと、先生はまだ良心的なほうだ。そう思わないとやってられない。
私は出された食パンにかぶりつく。その途端、ふんわりと鼻腔を抜けるほのかな甘い香りに、思わず「美味しい」と呟いていた。バターをたっぷりと使用して作られた食パンは、外はカリッ、中はふわっとした食感だ。ジャムなどつけなくても、そのまま食べられる。この美味さを感じるのは、私が空腹だからだけではないだろう。
ひとくちひとくち大事そうにパンを食べる私とは反対に、普段から食べなれているのか、先生は掃除の片手間のようにパンを齧りながら、ノートを開いた。
「先ほどの質問に答えよう。人星とは名の通り、その人が持って生まれた星のことだよ」
万年筆のキャップを緩め、ノートの上に「人星」と書く。
「占いには色々方法がある。カードを切ってその配置を見るとか、目に見えない世界のものと交信して情報を得る、とかね」
「はぁ」
「僕と『先生』が使う占い方法は、誕生日から人星を割り出して、その星の流れを見る方法なんだ」
そうして万年筆を置き、今度はフォークに持ち変える。ノートに何かを書く、のではなく、隣の皿の上に手を伸ばし、目玉焼きの黄身を割った。とろりとした半熟の卵黄が、カリカリとした表面の、肉厚なベーコンに掛かる。この食パンにソイツを乗せてかぶりついたら最高だろう。ここが自宅なら間違いなくやっていた。これだから仕事上の会食と言うのは面倒くさい。
「『自分をあらわす星』五つと、『その時期にやってくる星』三つ、これらで人の人星は成り立っている」
先生が広げたノートには、昨日書かれた「井」の記号があった。その中に埋まる、八つのマークが恐らく、「その人の人星」だ。……という話なのだろうが、私は口の中で暴れるベーコンを取り押さえるのに必死だった。
「それぞれの欄が、目上から見た自分・目下から見た自分・外側から見た自分・内側から見た自分、そして自分から見た自分、という風に分かれている」
先生が、フォークの尻で、「井」の上下二マス、左右二マス、そしてど真ん中の一マスを順番に示す。
その動きに合わせて、もぐ、もぐ、もぐ、とベーコンを咀嚼する。途端にはじけ飛ぶような肉汁が口内一杯に広がった。
「たとえば昨日の彼女、ユリナさんだっけ? 彼女の『自分をあらわす星』なんかはとても面白い星の配置をしている」
「井」の中に書かれたうち、右側のマークと左側のマークをフォークの尻が突っつく。この余韻を忘れないようにしつつ、私はその箇所を覗き込んだ。
「外側は燃え盛る火のような星だ。彼女の持つ輝く光に人々は寄ってきて、彼女の言葉に耳を傾けるだろう。アグレッシブで行動力もあるね。しかし内側では海のように深い水の星を持っている。これは思慮深く膨大な知恵を持っている、とも言える」
「そんな正反対の星を、ひとりのひとが持つことがあるんですか」
「勿論あるよ」
忘れずに合いの手を入れたことが功を奏したのか、話の半分も聴いていなかったことはバレていないようだ。先生は満足げに言う。
「よく犯罪者を取り上げるニュースで、『明るく元気な挨拶をする旦那さんでした、あんな人が家庭内暴力をしていたなんて』というご近所さんのコメントがあるだろう。あれも外側ではユリナさん同様火の星を持ち、内側では闘争本能を掻きたてる鋼の星を持っている人のやることなんだ」
幸福な時間というものはアッという間に過ぎるようで、気付けば私の前に置かれた皿は、空になっていた。
「むしろユリナさんみたいな、沢山の種類の星をひとつずつ持ってる人というのは、意外と安定した人生を送ることが多い。バランスというのは大事なのさ。……美味しかったかい?」
「えぇとっても」
「ならいいんだけど。……反対に、ひとつの種類の星を五個持って生まれちゃったりする人は波乱の人生を送ることが多いね。この五つの欄全てが火の星、という人も居るんだけど、そういう人は天才と呼ばれる代わりに、病気がちになるか短命だ」
暗闇の中に、家の明かりがひとつ浮かんでいるだけでも、人の心は休まるものだ。夜の荒野で迷っているとき、人里の明かりを見つければほっとするだろう。
そんな風に、どの方向から見ても明るく華やかな人というのは、まるで太陽のように人々を照らし、導き、そして崇められるに違いない。
しかしその反面、燃え盛る炎に自分自身が耐え切れず、焼け焦げ、擦り切れ、ボロボロになる。
身体が灰になってまで才能を燃やすことに、果たして意味などあるのだろうか。
先生はティーカップに口付けた。
「勘違いしないでほしいんだが、その星を持っていることが悪いことなんじゃないよ。周りの環境と時代さえ合えば、どんな人間だって輝ける。たとえばユリナさんだって、弁護士や探偵になれば大活躍できるんじゃないかな」
「探偵、ですか」
「そう。内側というのは身内、つまり会社内という意味もあるから。どこかの会社の雇われ探偵になって、海のように豊かな発想で事件を解きあかし、その事件を持ち前の伝達能力で告発する。そのうち大きな館で、容疑者と思わしき人々を集めて、『さて』と言うんじゃないかね」
ユリナさんが「犯人はぁ、あなたですぅ」と指差すシーンが脳裏に浮かぶ。どう考えてもコメディ路線に思えるのは、私の発想力が貧困だからだろうか。
私が知らず知らずのうちに、懐疑的な顔をしてしまったようだ。おや、と眉を上げて先生は言った。
「信じられないなら、君の『自分をあらわす星』も教えてあげようか」
「結構です」
自分の性格を他人から指摘されることほど、気分の悪いことはない。自覚していない、内面的なものなら尚更である。たとえそれが、どんな褒め言葉だったとしても、だ。身包み剥がされ、冷静な視線で検分されて、「ふむふむ君の下肢は実に凛々しいな」などと言われて喜ぶ人間がいるのだろうか。少なくとも私は露出狂ではない。
「つれないなぁ。僕の腕前を見てみたくないかい」
この占い師の腕前など実にどうでも良かったが、この話が終わらないと昨晩の続きも話してくれそうになかった。贅沢な食事を終えた今、この部屋に居座る理由などない。可能な限り早く録音し終えて、自分の部屋でゆっくりと紙に向き合いたかったが、先生は譲る気などないようだ。
仕方ない、これも付き合いの一環だ、誰か生贄を差し出そう。
「それでは、……」
渋々と、私はある男の生年月日を告げる。すんなり出てきたその記憶に、彼とは暫く会っていないが、案外忘れていないものだな、と思った。
その数字の羅列を聞いて、先生は「よしきた」と腕を捲くった。のではなく、酷く冷静な目で私を見つめた。
仕事のことになると、こんなにもスイッチが切り替わるものなのだろうか。
寒気すら覚えるその視線に、私は唾を飲み込む。
「死んだ人間を占っても、仕方ないだろう」
「やっぱり、知っていらっしゃるんですね」
私のことは事前に調査したと言っていた。私が義父を殺した犯人を追っているのも知っていた。それなら義父の誕生日を知っていても、なんら不思議ではない。
私は食後の紅茶を啜る。
「生きている人間だと、今度その人に会ったとき、色眼鏡を使ってしまいそうですので。義父の性格を当ててみて下さいよ」
「成程ね」
先生は再び万年筆を手に取り、ノートに「井」を描く。そしてユリナさんのときとは違い、迷わずに八つの空欄を埋めた。相変わらず意味のあるものとしては読めはしないけれど、その半分ぐらいが同じ記号で埋まっているのが、私にも解る。
先生の瞳にはどんな星模様が浮かび上がったのだろうか。
私がそう思う間もなく、彼はふっと穏やかに微笑み、目を細めた。
「この人はね、鋼の星ばかりを持つ凄く頑固な人だ。白なら白、黒なら黒、好みが凄くはっきりしている」
私は空になった皿を見て、食パンと目玉焼きを思い出した。当たっている。
「そしてこうと決めたら岩のように動かない。身内のことなら特にそうだね。君を養子に取ったときもそうだったんじゃないかな」
正解だ。
実は義母は、私を養子に取ることに反対していた。別に私と仲が悪かったわけではない。そもそも私たちは、養子縁組をする前は師弟関係だった。修行のため出入りしていた私を、義母も実の子供のように可愛がってくれたものである。
高齢のためかふたりには子供が出来ず、私を養子にとる話が浮上した時、彼女は離婚を持ち出した。勿論義父に愛想をつかせたわけではなく、自分と別れて、若い嫁を貰い、実の子を産ませて店を継がせるべきなのでは、という考えのもとだったようだ。
しかし義父は既に、私を養子に取ることで決めていたらしい。言い募る義母を抱き締め、伊路地店の店内で「俺の嫁はお前だけに決まっているだろうが!」と叫んだ事件は余りに有名だ。あれは見ていたこちらが恥ずかしくなった。
先生は得意げに続ける。
「さらに言うなら、ひとつの目標に対する決意が非常に固い。その反面、複数のことを平行してやるのは苦手だったろう?」
「……」
私を弟子に取った頃から、義父は仕事の第一線から退いていた。大得意様の元にだけは万年筆のメンテナンスに行っていたようだが、その他の時間は全て私につぎ込み、一から十まで熱心に教えてくれた。きっとその当時からもう、私を跡継ぎにすると決めていたのだろう。私が何度同じ場所を失敗しても、何度同じ事を尋ねても、ひとつひとつに根気良く対応してくれた。
生真面目で、文句ひとつ言わずにもくもくと仕事をこなす。
大きな岩のようにどっしりと構え、私のちっぽけな力なんかでは、押しても引いてもびくともしない。
そうだった。
そんな義父の背中に、私は憧れていた。
「当たってる?」
「……それなりには」
「良かった」
食事の感想を聞いたときはうってかわって、先生は心底ほっとしたような顔をした。仕事に賭けるプライドというものが、彼にもあるらしい。
私は少しだけ、先生に対する見方を変えた。
「まぁ、『自分をあらわす星』に関しては、こんなところだね」
先生が万年筆の蓋を閉める。
「もうひとつの『その時期にやってくる星』について話そう。その時期、というのは幼少期、青年期、晩年期で分けられる」
ペン先の代わりに指先で、あまった三箇所をとん、とん、とん、と紙を叩いた。ノートに書いたインクが滲み、先生の指先を汚す。
「『その時期にやってくる星』にも種類はいろいろあるんだけれど、その中でもひとつだけ、異常な星がある。これを持っている人はなかなか稀で、その持ち主は何か大きなものを成し遂げることが多い」
彼が抱えていた大物政治家や、有名芸能人とやらには、その星を持っていた人もいたのだろうか。いずれにしたところで、自分とはまるで縁のない星には違いない。
「その星は、砂城の星と呼ばれているよ」
「砂城の、星」
しかしその名の響きに、私の胸はざわついた。
突然、砂嵐が吹き荒れたような眩暈に襲われて、私は目を閉じる。
「砂漠の真ん中で、砂の城を作るような星なのさ。自分がやればやっただけ、どんなに巨大な城でも作ることができる」
瞼の裏に、果てしない荒野が広がる。
どこまで見渡しても焼けるような砂ばかりで、緑のひとつも見当たらない。そのくせ空はどこまでも青々としていて、まるで万年筆のインク瓶をひっくり返したみたいだ。
その真ん中で、砂場遊びをする子供のようにしゃがみこみ、砂を必死に掻き集める誰かが居た。
あれは誰だろう。
先生の声が、遠くで聞こえる。
「その城の王様は勿論自分だ。城の中ではどんな人間だって自分の思う通りに動かせるし、命令に従わない人間を排除することも簡単にできる」
どんな冷酷無慚な暴君であろうと、城の中で王を裁けるものなど誰も居ない。
「『先生』も、青年期の場所に、砂城の星を持っていたんだ」
■
さて、昨日はどこまで話したっけね。
そうだ、浅葱の奥さんが先生のもとにやってきたところまでだった。
「私、どうも、子供が出来ない体質みたいなんです」
彼女は座ったまま、自分のスカートを握り締めて言った。ずっと自分ひとりで抱えてきた問題なのだろう、その言葉を吐き出しただけでも、彼女がほっと息を吐くのが、先生にも解った。
「彼は、もう何代も続くお店の主をやっています。このまま跡取りが産まれなければ、……」
話を聞いて、先生は彼女がやはり浅葱の妻であることを確信した。なんという偶然だろう、なんという、天からの采配だろう。喜びの余り舞い上がりそうになるのを必死に抑え、神妙な顔つきで彼女の言葉を聴く。
その裏で、このチャンスをものにして、なんとか彼女から浅葱を奪えないものかと、先生は思考を巡らせていた。
「養子を取ることも考えました。でもやっぱり、彼は、実の子供にお店を継いで欲しいと思うんじゃないかって、気になっているんです」
彼女には悪いけれど、天はどこまでも先生に味方しているようだった。これこそが天啓だ。ただし彼女にとってではない、自分にとっての、天啓だ。
逸る気持ちを抑えて、なんでもない素振りを装って、先生は言った。
「彼の人星も見てみましょう。旦那様の生年月日はいつですか」
ふたりの人星をつき合わせて、その歪みに気付かせよう。養子のことだけではない、彼女が浅葱に対して疑心に思っていることを、さも有り気に語ってやろう。そうすれば、ふたりは別れて、浅葱は自分の方を見てくれるかもしれない。先生の中の悪魔が、そう囁いていた。
でもね、
「……」
そうやって浅葱の誕生日を知り、浅葱の人星を知った先生だったけれど、返り討ちにあってしまったんだ。
この夫婦の星々は、浅葱の足りないところを奥さんが補い、また奥さんの足りないところを浅葱が補う、そういう星々で、付け入る隙など欠片も見当たらなかったんだよ。双子座のポルックスとカストルのように寄り添いあい、支えあい、長い時を一緒に生きていく。そんな星々だった。
たとえ自分が割って入ったところで、ふたりはその障害すら乗り越えて、むしろ自分が惨めな噛ませ犬になることが目に見えている。今、こうやって相談しに来ている養子のことだって、もう数ヶ月もしないうちに解決し、より愛情を深めることが判りきっていた。
そしてそれは、彼女同様に、彼女と似た人星を持つ自分だって、浅葱との相性が良いことを示している。
生まれた性別の違いだけ。
男か女か、たったそれだけが、明暗を分けた。
そのことが、先生には悔しくて悔しくて仕方なかった。
「どうですか、先生」
彼女が不安そうに先生を覗き込んだ。先生があまりに真剣な顔をしていたせいだろうね、きっと自分たちの未来が、余程良くないものに見えたのだ、と勘違いしていたかもしれない。そんな不安げな瞳だった。
先生は逡巡した。
ここで嘘を言うことは出来る。
しかし占いというのは信用を売る商売だ。「よく当たる」という噂が客を呼び、またその客たちが「あの占い師はよく当たるよ」と噂を流してくれる。
そうやって回っていくものなのに、嘘を教えたら今まで築き上げてきた信頼が崩れる可能性がある。
仕事を取るべきか、欲望に身を任せるべきか。
「先生?」
彼女の瞳に見つめられて、先生はつい、答えを焦ってしまった。
「あなたたちは、……やはり、別れるべきかと、思います」
気付いたら、そんな風に言っていたのさ。
「おふたりのご関係には、ささやかな歪みが見えます。このまま別れずにいれば、亀裂は大きくなって、夫婦のどちらかがその亀裂に飲み込まれるでしょう」
そこからはもう引き際を見極めることも出来なくて、嘘に嘘を重ねて取りつくろうことしか出来なくなっていた。
「特に旦那さんの外側が今も壊れかけています。ほら、ここ」
そんな兆候はひとつもなかったのに、先生はご丁寧に適当な星に丸印を示して言う。きっと素人には解るまい。その証拠に彼女は酷く気落ちした声で、「そうですか……」と俯いていた。
「あなたは身を引くべきです。それが旦那さんの、そしてあなたの、最高の幸せに繋がるでしょう」
この調子なら彼女は先生を信用しきって、浅葱に別れ話を切り出すだろう。次から次へと偽の鑑定結果を並べ立てながら、しかし先生の内心は焦っていた。
どの道この夫婦は別れはしない。こんなにも奇跡のように合わさった夫婦なのだ。よく当たる占い師とはいえ、赤の他人からの言葉で簡単に離れられるわけがない。「占いなんて外れることもあるよ、当たったところで、私はそれで構わない」などと浅葱が言って彼女を励まし、そうして養子を取り、店を引き継がせ、順風満帆の人生を送る。間違いようがなかった。
そうなれば今の今まで外れたことがない、という店の評判に、傷が付くことになる。
どうすれば良いのか。彼女が酷く傷ついた様子で立ち去った後も、先生はそのことを考えていた。
考えに考え、限界まで考えたとき、迷う先生の頭の中に、一筋の光明が差した。
「そうだ……」
自分が告げた彼らの未来を、自分の手で作れば良いのだ。
先生は自分の人星を改めて見直し、実行に移すのに最適な日を考えた。そこで先生は、自分が持っていた砂城の星が、一年後に輝きだすのを見つけてしまった。
このチャンスを逃すわけにはいかない。
ここで事を起こせば、自分がルールだ、誰にも責められることがなく、誰にも咎められることなく、完遂できるだろう。
「先生。この間は、妻の相談に乗ってくださってありがとうございました」
ある時浅葱が先生の万年筆を研ぎながら言った。よく使い込んでいたせいかその頃には、口実ではなく、本当に研磨が必要なほど、ペン先は磨り減っていた。
「たいしたお役には、立てなかったかも、しれないけれど」
ペン先をルーペ越しに覗き、浅葱はいつものようにもくもくと作業をしている。太く不器用に見える指先は、その実、酷く繊細に動いた。もう何の注文をつけなくても、浅葱は先生の好みの書き味に調整することが出来るようになっていた。
先生は思わず、その横顔から視線を逸らした。
そんな様子が自信なさ気に見えたのか、浅葱は笑った。
「妻は、先生が何とアドバイスをしたのかは、教えてくれませんでしたよ」
だから当たってるかどうかは私には解らない、と。
そうして万年筆を先生に返すと、浅葱は先生の目を見て、はっきりと告げたんだ。
「私たちは、養子を取ることにしました」
ほらやっぱり。
先生は苦虫を噛み潰したにも関わらず、一生懸命平常心を装った。
これ以上聴いていたくない、逃げ出したい。そんな気持ちで先生の胸は一杯だった。
「どんな未来が待っていても、私の妻は、彼女だけとしか思えません。彼女とならどんな人生だって、構わないんです」
人星を見た今なら良くわかる。本当に石頭だし、本当に融通が利かない。そして本当に、どこまでも真っ直ぐで、本当にどこまでも正直者だ。
だから先生は、彼を好きになった。
先生の気持ちも知らないで、彼は「自分は世界で一番の幸せ者だ」という顔をして言った。
「それに丁度、弟子を養子に取ろうと思っていたところなんです。あの子は仕事にはちょっと不真面目なところもあって、やる気のない部分もありますけど、腕はとても良いんですよ」
「今度、先生にも会わせてあげますね」
……何でも思い通りに事が進む。自分が王様。そんな砂城の星には、大きな欠点があるんだよね。でも当時の先生は、それに目を瞑ってでも、その事件を起こすことを選択した。
僕はその選択を、間違ってるとは思わないよ。「他人事だからそう言える」って? 浅葱くんは、今まで欲しい物を苦労せずに手に入れてきたんだね。羨ましいよ。
そうして一年後のある日、先生は浅葱を殺害した。
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