6月25日 女中頭からの依頼

 ついに、ついに見つけた。


 ユービリア城からひそかに城下町へと抜け出せる秘密の通路。

 

 実際に入ってみたけわけじゃないけど、確信している。あれは絶対に秘密の通路だ。だって、装飾室に飾ってある絵画の裏に扉のようなものがあったんだもの。自分の命が危険にさらされているような緊急時に、宮廷画家の絵をのんびり鑑賞しようなんて思う人がいる?

 

 そうよ。いるわけない。少なくとも、生きることをあきらめていないかぎり。

 

 やれやれ。ユービリア城にやってきて、今日ほど城内の掃除をがんばったこともない。大広間、厨房、回廊、そして装飾室―――塵を掃き、床を磨き、蜘蛛の巣をはたきでからめとり、足元を探り、絨毯をめくり、壁を叩き、天幕のほころびを調べ、ほこりをめちゃくちゃ丁寧に拭き取るふりをして(いや実際に拭き取ったわけだけど)こそこそと壁にかけられている絵画をひっくり返して―――そう、ついに探り当てた。

 

 うう、泣きたくなる。全身が痛くなるほど、必死に掃除した甲斐があったというものだ。

 

 逃げ道さえ確保しておけば、あとは気持ちの問題。いつ、どうやって勇気をふりしぼって、齢十六にして逃亡生活を送る覚悟を決めるということだけど……。

 

 それにしたって、いったいなんで、どうしてこんなことになったの?

 

 どうして誰もわたしを平穏に働かせてくれないのよ―――!!

 

 べつにわたしは、死ぬほど労働が好きってわけじゃない。むしろ、働かなくてすむならそれに越したことはない。

 

 そうじゃなくて、わたしはただお金が必要なだけ。稼がなくちゃならないだけ。実家がものすごい勢いで傾いているんだから。子爵家の長女として、できることはしなきゃならない。


 たとえ勤務場所がどれほど自分の精神に悪影響や心身の負担を及ぼすところでも―――(一部の意地悪な)宮廷女中や(一部の女補という名の)陰険上司の嫌がらせや嫌味に耐えながら―――雑務をこなして対価と衣食住が得られるのなら、そこにとどまる必要があるというだけ。生きるために。


 それなのに―――――!!!!


 必死でやってるのに――――――!!!!!!


 ダメ。ダメだ。抗えない。だってわたしの周囲で、ひどくオカルトめいた呪力が働いているとしか思えないんだもの。それが嵐の夜に荒れ狂う波のように押し寄せてきて、なにもかもいっぺんにひっくり返したかと思うと、わたしの将来の尊い目標(人を呪わず相手を憎まず、心清らかで気高い修道女になる)や日々をただ穏やかに平和に過ごしたいっていうささやかで健気な願いまで全部黒い渦の中にのみこんでいってしまう。


 勇気のない臆病者が引き寄せる呪い。不運。そうとしか思えない。


 でなきゃ、とうていいまの状況が説明できない。


 というのも、今日、厨房でお皿を洗いながら、ニーノが来月訪れるクロスタン国の賓客にふるまうごちそう作りの一員に選ばれたことを一緒に喜んでいたの。

 

 彼、こつこつ頑張ってたものね。これまでの努力が認められて、そんな風に抜擢されるって、そうとううれしいはず。


 わたしは改めて努力することの大切さを感じながら、ニーノが作ろうとしている壮大な料理の構想に聞き入っていた。ええと、たしか色とりどりの野菜のカクテルサラダ、黒鶏の香草焼き、ヤギのチーズとイチジクのタルトといった……(ああ、そんな美味しそうな料理を口にできるのなら、そのときだけでいいから賓客になりたい)。


 ニーノが作ろうとしている料理をうっとりと想像していたら、あの四角張った顔で眉が太く、物見の塔のように背の高い料理長がやってきて、


「女中頭が呼んでるぞ」


 って声をかけられた。5月25日の夜、酔っぱらっていたときのおやっさん並の威圧感。


 べつに失敗をしでかして怒られたわけじゃないのに、体温は下がるし、いまにも口から「申し訳ありません」の一言が飛び出しそうだった(というか、ニーノってふんわりした雰囲気の少年なのに、あの豪傑のような料理長の下でよく怯えずに働けると思う。彼って、じつはすごい胆力の持ち主なのかも……)。


 女中頭は厨房の外の誰もいない食堂でわたしを待っていて、わたしが厨房の扉から出てくると、静かにこっちに顔を向けた。


 びっくりした。だって、その顔が、ものすごく疲れていたんだもの!三十代後半か、四十代前半だと思うのに、まるでおばあさんみたいに老けたように見えて―――驚いた。たぶん、クロスタン国の王様を迎えるための準備で酷使されてるんだと思う(ていうか、来月は、わたしたちもあれくらいくたびれるくらい、酷使されるってこと?)。


「コレット=マリー。大事な話があるの。少し、よろしい?」

 

 わたしは「はい」と返事しようと思ったのに、声が出なかった。だから小さく頷いて、女中頭についていった。


 向かった先は、第一広間だった。予想はしてたけど。


 だって、わたしは6月22日の夜、わけあって第一広間に行くことができなかったから(レジーナの怠慢のせいということにしておく)。これでも一応、女中頭に会うために動き回ったんだけど、今日まで会えなかったし。


 第一広間は温かかった。新調されたカーテンが美しく窓を飾っていて、磨き上げられた樫製の板張りの床がつやつやしていた。棚に飾られている花瓶や鮮やかなグラスを見ると、着々と賓客を迎える準備が整いつつあるのが分かる。


 女中頭は広間に着くなり、おもむろに口を開いた。


「あなたを呼んだのは他でもありません、コレット=マリー。覚えてるかしら?前に、あなたには今後重要な仕事を任せるかもしれないと言ったことを」

 

 うっ。じつは珍しく覚えていた。6月6日の例の出来事のあと、女中頭はわたしを過大評価していて……実際に、重要な仕事を任されたら真剣に嫌だなあって思ってたから。


 というか、頭ごなしに怒られることを覚悟していたから、彼女の言葉には完全に不意を突かれた。6月22日の呼び出しをすっぽかした件で、当然お叱りを受けるのだと……。


「あの……はい。覚えております」


 正直に答えた。覚えてないという不用意な発言で、減給されたら困るもの。


「良かった。あなたにぜひ、引き受けてもらいたい仕事があるの」

 

 女中頭はようやく安心したように微笑んだ。わたしのほうといえば、何を頼まれるか気が気じゃなくて、立っているのが精いっぱいだった。


「来月の11日より、クロスタン国から賓客をお迎えすることは聞いていますね?そこであなたには、案内女中の役を任せたいと思っています。本当は22日の夜にその話をしようと思ったのだけど、連絡が伝わらなかったみたいね。ごめんなさい、わたしも忙しくて。あらあら、そんなに緊張しなくても大丈夫よ」


 たぶん、死人みたいな顔してたんだろうな。


「案内女中といっても、そこまで大変な仕事ではないわ。クロスタン国の賓客室の前で待機して、担当のお客様をご希望の部屋にお連れする仕事です。たとえば、お手洗いや、大広間へ。主城側、城の外はまたべつの者が担当します。この仕事は、どんな状況下においても機転が利く、礼儀正しい女中に任せることにしているの。あなたは誰よりも適役だと思っています」

 

 わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。来月の最大の危険はこれだ、と思った。賓客の案内女中を務めるにあたって、なにか取り返しのつかない失態を侵して、公式に斬首台行きになるんだって。

 

 正直、案内女中が必要なのは、お客様ではなくむしろわたしのほう。

 

わたしには、わたしを確かに安全で平穏な未来に導いてくれる誰かが必要だ。


「お、お言葉ですが……そのような重要な仕事、わたしの身に余るかと存じます」

 

 心の底からすっかり震え上がっていた。なけなしの勇気を振り絞って伝えなきゃ、本気で死んじゃうって思った。


「わたしは本当にただの臨時で、しがない宮廷女中で、半年間の仕事を終えればこの城を離れますし、それに、他の者なら絶対しないような……恐れ多くも、国同士の友好関係にヒビを入れるような恐ろしい失敗をしでかす恐れが……いいえ、するに決まっています。ですので、わたし、そのような重要なお仕事をお受けするわけには……」

 

 これで女中頭にも、わたしがいかに臆病で自信のない卑屈な赤毛かってことが伝わったはず。


 なのに―――女中頭は顔をしかめるどころか、にっこりしたの。


「謙虚な人。わたしの眼に狂いはないわ」

 

 彼女は、優しく肩に手を置いてきた。


「あなたのような人柄が良いの。失敗を恐れるから、そうしまいと努力する。国を思うから、他の者に迷惑をかけまいと努力する。あなたは尽くす人ね。あなた以上の適任は見つからないわ」

 

 いや、甘いってば――――――――!!!


  前々からちょっと思ってたけど、女中頭は甘すぎるってば―――――――!!!!


 もう、それって、大変危険な勘違いだって思った。


 謙虚で人柄が良い!?違う違う、へっぴり腰で臆病なだけだってば!!


 わたしは考え直してほしい旨を女中頭に訴え続けていたけど―――まるで効果はなかった。


「他の宮廷女中にも話しているのだけど、クロスタン語を覚えてもらうために、これから毎日一時間、基礎会話の講習を受けてもらいます。羊皮紙も一緒に渡すので、必要があれば会話用紙をつくると良いでしょう。案内女中は勤務時間がかなり不規則になってしまうから、体調には十分気を配りなさい。それから……伝える必要はないとは思うのだけど、女中頭補佐はあなたにこの仕事を任せることにかなり反対していたの。もし彼女が何か言ってくるようだったら、わたしに教えてちょうだい」


 あ。これ。女中頭と女補、かなり仲悪そう。そういえば6月4日、女中頭が浮気相手(と思われる男の人)に、女補が女中頭の地位を狙ってるって言ってたものね(ってことは、裏ではかなり陰湿にやりあってるのかしら。ひえぇぇ怖いよう)。

 

 とにかく、わたしには拒否権もなすすべもなかった。第一広間からようやく解放されたときには、魂も一緒に抜け出ていった。

 

 で、夕食の時間。とんでもなく恐ろしい大役を任された緊張と不安と恐れと不安のせいで、またもや食事がノドを通らなかった。ニーノお手製のバターロール一個だけ持って女中棟に帰った。

 

 部屋に戻ると、ベルシーがすでにクロスタン語の勉強をしていた。わたしが青くなりながら、案内女中の仕事を引き受けることになったというと、


「あら。責任重大ね。下手をすれば命はないわ」

 

 と、同室の予言者が容赦なく死神の鎌を振り下ろしてくれた。クロスタン語の書物を広げる傍らで、この前買っていた赤黒い爪っぽいものを、書き物机の上に並べながら。


「ただ、給仕を任されるよりはましかもしれない。もしクロスタン国の国王陛下や彼の側近、親善試合に出場する剣士たちの料理に毒が盛られていたら、たとえ無実でも宮廷女中は責任をとらされるから」

 

 うう。あのベルシーでさえ懸念している……。


 無理もない。ユービリア城には、もうこんな恐ろしいうわさが広がってるんだもの。クロスタン国王陛下がユービリア国を来訪されるのは、一時避難が目的だとかって……。


 現在十六歳という若きクロスタンの国王陛下が、国王の座についたのはつい先月のこと。そのせいで情勢は不安定で、よく暗殺者に命を狙われているとか(けっこうドロドロな権力争いか何かがあったと思われる)。


 そのため、親善試合と称してユービリア城に身を寄せようとしているらしい。暗殺者から身を守ってもらうために。


 それが本当なら、ユービリア城の者が、神経張りつめて護衛を行わなければならない。もちろん、賓客たちの食事に、毒を盛られないようにも気をつけなければならない。

 

 そうね。人でなし発言を許してもらうと……ユービリア国が必死こいて異国の国王を守る理由ってある!?


 だって、異国の王様を護るために危険に身をさらすのは、ユービリア国の兵士たちなわけでしょ。マシューや、ロラン隊長たちなわけでしょ。


「ユービリア国はクロスタン国に恩を売っておくことで大きな利点があるの。あの国は経済面においても、軍事面においても、他の国より圧倒的に強い。海があるから資源も豊富。今回若き国王陛下の申し出を受けて、ユービリア城で親善試合を開くことで、何らかの交易的、または軍事的有利な条件を約束されているはず」

 

 待って。そんなことより、ベルシーって本当に何者?


 ユービリア国で、そんな裏事情まで把握してる宮廷女中いないと思う。

(※というより、一応言っておくと、わたしはわたしの人でなし発言を口に出したた覚えはない。それなのに、なんでわたしが心の中で思っていたことに対して、こんな的確な返答できるの?お願いだから、わたしを震え上がらせるのはやめてほしい。わたしにはニーノの十分の一ほどの胆力もないんだから……)


「クロスタン国の国王、マウロ=イータ=クロスタンは覇気のない王といわれているけれど、その参謀で、伯父にあたるサンドロ=トエニスはこの周辺国ではかなりの切れ者といわれている」

 

 ベルシーは淡々と告げた。


「その参謀が、若き国王を異国に避難させている間に、暗殺者たちを一掃する計画を練っているというわ。さて、どうなるのかしらね」

 

 わたしはもう、ポカン。


 いったい彼女は、そういう話をどこで仕入れてくるの??


 いや、決して知りたいわけじゃない。というか、聞かなくてもだいたい分かる。


 定期的な魔女集会だ。絶対そうだ。そうに決まってる(もしかして、魔女崇拝の皆さまって……ユービリア国のスパイ集団なんじゃないの?)


 とにかく、わたしは異国の裏事情まで知りたくないので、話題を変えた。


「ちなみに、ベルシーは何の仕事を任されたの?」

「給仕よ」


 うん。怯えたようすもなくしれっと言えるベルシー=アリストンは、この国で一番勇敢で気高い女の子かもしれない。

 

 ベルシーは糸と針と例の赤黒い爪(のようなものに見えるけど、あれは絶対血がついた爪とかではない。絶対違う)を使って、世にもとんでもないブレスレットを作ろうとしているようだった。それから、枕を抱いてベッドの上に座っているわたしをちらっと見て、


「女補が正しいかもしれないわね。あなたに案内女中が適任とは思えないもの。クロスタン国の来賓対応を任された他の宮廷女中たちは、掃除中も、食事中も、おそらく今このときも、クロスタン語を必死に勉強してるでしょうね」

 

 わたしはベッドから飛び出して、書き物机に向かった。書物室から借りた基本的な会話を複写した羊皮紙を広げて、羽ペンを握りましたとも。


 ベルシーは自分の机の上に置いていた、火のついた紫色の蝋燭を私の机の上に静かにのせてくれた。その小皿に六芒星が描かれているのを見ると、なんだかげんなりした。


 ベルシーは自分の作業を終えると、二段ベッドの上にもぐりこんだ。


「忘れないで、コレット=マリー。あなたには死神の影がつきまとっている。失敗すれば、今度こそ命はないわ」


 なるほど。

 

 つまりわたしに、徹夜で勉強しろって言ってるのね。

 

 ありがとう、ベルシー。おかげでもう、一生眠れそうにありません。


〈現在の悩み〉

・全力で掃除をして疲れているのに、恐ろしい仕事を任されて眠れそうにない

・ユービリア城を抜け出して、逃亡生活を送ることになったときのことを想像すると泣きそうになる

・同室の子が精神的恐怖を与えることをやめてくれない

・マシューとの妄想が一向に進展しない

・今日もマシューに会えてない

・マシューに会って、ちゃんと治療が進んでるか聞きたいのに、彼を前にして動揺せずに会話できる自信がない

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