6月24日 呼び出した理由

 よし。そうね。6月22日の出来事について振り返ってみる必要がある。


 わたしはその日早番で、残業なしだと仕事が昼一時に終わるにも関わらず、意地悪で人でなしのレジーナと他二人の宮廷女中に夜九時に第一広間に来るよう言われていた。


 逃げようだなんて思っていなかった。だって、なんで怖がる必要があるの?冷たい亡骸になって井戸に放り込まれる恐れはたしかにあったけど、わたしには―――えへへ。わたしの身に危険が迫ったときは“偶然”通りかかってくれる頼もしい兵士がいるんだもの!


 だから、なんの根拠なく大丈夫だって信じてた。仮にレジーナたちの汚い罠にはまっても、彼が風のように現れて、わたしのこと助けてくれるのよ。キャーっ!それって、舞台の一場面みたい!


 わたしがヒロインで、レジーナたちがわき役。キャーっ!


 とまあ、こっ恥ずかしいバカみたいな妄想に浸ってたのはとても短い間だけ。

 

 なんたってわたしは、悲劇のヒロインになってカッコいい英雄に助け出される前に―――やれやれ、寝過ごして舞台にあがることすらも出来なかったんだから。


 昨日、ぼんやりする頭でむくりと起き上がり、カーテンの隙間からのぞくまぶしい朝の光を目にした瞬間、井戸の中に放り込まれた冷たい亡骸くらい体温が下がった。顔は真っ青。唇の色はベルシーが謎の調合に使っている薬草くらい紫色になってたはず。


 そう、わたしは―――寝過ごしてしまった。


6月22日、夜九時に、レジーナたちに呼び出されていたっていうのに。

 

 しかも、ベルシーはすでに仕事に出ていて宮廷女中棟の部屋にはいなかった(同室なのに、わたしが早番なのも知ってるのに、また起こしてくれなかった)。


 そして早番の仕事を三時間遅れた分は、ありがたいことに五時間の残業になって返ってきた(わたしに久々の休日出勤を命じた女補は、あまりにも勝ち誇っていた)。


 ただ一方で、不幸中の幸いだという気がしなかったわけでもない。だって、寝過ごしたのは事故みたいなものだったし。


6月21日から22日にかけて、わたしは自らの軽率な行動をひたすら後悔していて、一睡もできておらず、ちょっと仮眠をとってから、ちゃんと第一広間に向かおうとしていた。その意思はあった。途中で考え直すことはなかったと、言い切れる自信はないけれど……。


そうよ。べつに、行きたくなければ行かなくても良かったのよ。どうしてそんな柔軟な考えかたもできたなかったのか・・・。


 レジーナたちには怖気づいて逃げだしたとんだ臆病者だって笑われたに違いない(まあ実際、間違っちゃいないけど)。だから、昨日掃除場所だった玄関ホールでばったり彼女たちに遭遇したときは―――そうね。帰らぬ人になる、って思った。


 けど、レジーナたちはわたしをいつも通り無視しただけで、下手な行動を起こしたりはしなかった。レジーナが握っている箒の柄の中に毒を塗ったナイフを隠しているんじゃないかって思って、わたしは戦々恐々としていたけど。


 それで、できるだけ彼女たちとは離れて掃除をしていた。すれ違いざまに刺されたりしたら―――どれほど優秀な兵士でも、さすがにその一瞬の間に“偶然”通りかかることはありえないだろうし―――もうどうしようもなかった。


 そうこうしてたら、掃除が終わった。だけどレジーナたちはいっこうにわたしに構わず、そこから去っていこうとするから、わたしは混乱を極めた。



じつはもう、わたしはとっくの前に刺されていて、いまは亡骸が井戸の中に沈んでるんじゃないかって。ここにいるわたしはもう誰にも見えてなくて、未練だけが残った亡霊なんじゃないかって。


 で、思いもよらない行動に出た。なんと、わたしから、この愚かで臆病者のわたしから―――捨て身で彼女たちに声をかけたのよ。言っておくけど本当に、和解をしようと思ったとか、そんな修道女的慈善活動の一環じゃない。ただちょっと、動揺が止まらなくって―――。


 それでも第一声が「ごめんなさい!」っていうのは、あまりにも卑屈なんじゃないかって今になって後悔してる。ああいう相手には、「すっぽかしたけど、何か文句ある」くらいの強気な態度で行かなきゃならないと思うの。


 もちろん心の中で思うだけで、実際にやるのはとうてい無理。

 

 わたしが謝ったことに対して、レジーナが「はぁ?」って怪訝そうな顔をした。そうね。つまり、彼女たち、ちゃんとわたしのことが見えていたってこと。


「いったい何のつもり?」


 ひと睨みされただけで、心臓がぎゅっと締め付けられた。

 わたしが臆病な赤ガエルなら、レジーナは陰険な金色のヘビだ。


「だって……昨日、夜九時に第一広間って言ったじゃない。わたし、行かなかったのに。怒ってないの?」

「は?なんでわたしに謝るわけ?あれは女中頭からの伝言だったのよ」


 はい?

 いま、なんて?

このバラの甘い香りをさせている金色のヘビはいまなんて言ったの??


「女中頭からの、伝言?」


 バカみたいに繰り返した。体温がぐんぐん下がっていく。


「そんなこと、ひとことも言ってなかったじゃないの!」

「めんどくさかったから」

 

 レジーナは金髪をかきあげながらしれっと言った。


 わたしが受けた衝撃ときたら、正直、5月25日や、6月6日、6月19日の事件に匹敵するほど。


 ありえない。


 そもそもわたしを呼び出していたのは、レジーナたちじゃなかった。


 彼女たちはしがない伝言役だった。わたしはまた、恐怖に憑りつかれた臆病者が生み出した渾身の妄想にとりつかれて―――てっきり6月21日の暴挙の報いで、彼女たちに締め上げられるんだとばかり―――一人で勝手に勘違いして、眠れないくらい怯えてたってこと?


 当然だけど、しばらく放心せずにはいられなかった。前も後ろも完全に無防備だった。あのときだったら、喜んでナイフを体で受け止めたはず。


 レジーナは他の二人を先に行かせると、ひどく不機嫌なようすで、かつ世界で一番嫌っている者にしかたなく向き合っているような感じで、ぶしつけに訊いてきた。


「あんた、トマス=レオルトとつきあってるわけ?」


 察して。


 お願いだから。本当に。


「つきあってない」


 うんざりしながら答えた。ていうか、わたしはもしかして、不運な未来を予測する達人かもしれない。だって、6月21日、トマス=レオルトと二人で連れだって中庭を歩いていたとき、またそういう勘違いをされて悪意あるうわさを流されるような気がしていたんだもの。

 

 で、ほらね。見て。この通りよ。


 それにしたって、どうしてレジーナのやつはいつもいつも、こういうことばっかり訊いてくるわけ?


 レジーナはまじまじとわたしを見つめると、眉をしかめた。


「なんであんたみたいに冴えないのが、兵士たちの話題に出てくるのかさっぱりだわ」


 誰か教えて。

 彼女、どれほどわたしに恨みがあるの?何回わたしにケンカをふっかけてくるの?

 

 で、どうしてわたしはその意地悪な小娘に嫌味のひとつも言い返すことができないのよ?


「なんであんたなんかがいいのかしらね」


 レジーナは一人こぼした。うらやましいくらいの輝く金髪をかきあげながら。彼女の動作一つ一つか、わたしへの当てつけにしか思えないんだけど。

 

「田舎者っぽい鈍重さが珍しいんでしょうね。それ以外に、あのマシュー=ガレスがあんたに惚れる理由がないもんね」


 本日何度目か、世界がひっくり返った瞬間だった。

 

 ぐっすり気持ちよく眠ってる夜に、かなりきんきんに冷やした水をかけられたら、きっと同じ衝撃を覚えるはず。


「……はい?」


「田舎者はいいわよね。そうやって、ぽかん、っていう表情してたら、みーんなに可愛がられるんだから。ああうらやましー」

 

 吐き捨てるように言って、レジーナはきっとわたしを睨みつけた。


「あんたみたいなやつを、ここじゃ“悪女”っていうのよ。あんたにはマシューがいるでしょ!だったら、トマス=レオルトにちょっかい出さないでよね。分かった!?」


 ふん、と高飛車に鼻を鳴らして、レジーナは玄関ホールから去っていった。


 状況を整理しよう。


 だから、つまり、レジーナは―――。


〈回答〉

・自称とびきり良い男トマス=レオルトが好き

・それでわたしが昨日トマスと二人っきりで中庭で話をしてたから嫉妬した

・嫉妬からいままでさんざんわたしを悪女呼ばわりし、なけなしの名誉を傷つけて、悪評を広めて陥れた

・嫉妬と怠慢から、6月22日の夜の件は女中頭からの伝言だということを省略し、わたしを恐怖のどん底に突き落とした


 そう。つまり、そういうこと。


 彼女って、とびきり性格悪くて陰険で人でなしだけど、恋する可愛い女の子だったのよ。





















 な―――――――んていうわけないでしょ―――――――が――――――!!!!!!


 なんなのあの自分勝手な小娘は――――!!!

 

 むしろわたしがレジーナを締め上げないと気がすまないわよ!!!


 恋する女の子!?わたしの知ったことか!好きにすればいいじゃないの!

 

掃除する場所を間違ってる!どうしてこれまで、自分の汚れた性格のほうを念入りに磨いてこなかったのよ!?


 ああ言ってやりたい!

 本人直接言ってやりたい!!

 ユービリア城の見張り塔の上から大声で叫んでやりたい!


 レジーナの大バカ意地悪陰険女―――――!!!


 けど。待って。

 そうなの。

 そんなことより、レジーナったら、ものすごい衝撃的なことを口走っていた。


 マシューが……わたしに……なんとかって……。


 いや、まさか。まさかでしょ。それは。さすがに。正気じゃない。ありえない。ちゃんちゃらおかしい。


 正直、そうね、なにかをとびきり恐れているときは、わたしはものすごくたくましい妄想力を発揮することができる。それこそ、日常生活に悪影響を及ぼし、自分の意思で行動を制限できなくなるほど。


 でも、マシューに関することは?


 よし。いいわ。

さあ、コレット=マリー。

 いまこそ妄想力を発揮してみなさいよ。


 彼が“偶然”通りかかってきた。危険から救い出してもらった。


 そのあとは?


 そのあとは?どうしたいの。どうしてもらいたいのよ?


 ……6月23日から今日まで、その件についてずっとずっとずっと考えてた。


 これほどまでに仕事に集中できなかったの初めて。いや、初めてじゃないか。たいてい注意散漫ですからね。

 

 でも、そろそろ……動揺がおさまってもいいころじゃない?

 レジーナの衝撃的な発言を聞いてから、まる一日が経過してるっていうのに……。


 それなのに、妄想がちっとも進まない。


 それって、そんなことありえるはずがないって、わたしが思ってるから?

ものすごく嫌な目に遭うことについて思いをめぐらすと、もう勘弁してって思うくらい想像が止まらないのに。


 マシューのことに関しては―――なんで?どうして何も思いつかないの?


 ……ま、まあ。レジーナの言葉だったし。あんな子がいうことを真に受けるなんて、いつも死神に目をつけられているって怯えるくらい、どうかしてる。


 けど、昨晩、夕食は全然ノドを通らなかった。あきらかにレジーナの発言を引きずっていた。その日はベルシーと一緒に食堂の席につけて本当に良かった。


わたしの寝坊を放置することに関しては、いつかちゃんと話し合いたいけど、とにかく動揺が止まらないとき、彼女が隣にいると精神がとても落ち着く。無理に会話しなくても平気だもの(わたしがスプーンでクリームスープをすくっては戻し、すくっては戻しを繰り返してたら、さすがにうっとうしそうな顔してたけど)。


 はあ。いま思い出しても、とびきりおいしそうなスープだったのに。もったいないことをしてしまった。


 うう……全部レジーナのせいだ。おかしなこと、言うから。


 というのも、マシューがトマスと一緒に食堂に入ってきたのを目にした瞬間、わたしはなぜかものすごい過剰反応しちゃって、腕がぶつかって、スープのお皿ごとトレーをひっくり返して床にぶちまけてしまった。食堂にいた使用人たちの半数以上の視線を集めながら。


 わたわたしながら雑巾で拭いていると、ベルシーがため息を吐きながらも片付けを手伝ってくれた。彼女は厳しいけど、なんだかんだで優しい。隙あらば死神死神言うけど。


「手伝おうか?」


 雑巾で床を拭きながら顔をあげると―――そこにマシューがいた。無造作な茶髪をした、青と白のユービリア国の兵士服を身に着けた少年が。


 ありえないくらい、心臓が狂った。

 

 彼の翡翠色のきれいな双眸を直視しただけで、顔が火照るのが分かった。


 酔っ払って“悪魔の誘惑”に乗りこんでいったときのおやっさんくらい心が乱闘騒ぎを起こしてた。


「だ、大丈夫。平気」


 わたしは短く答えると、驚くべき早さでその場を片づけ終えて、あんなに会いたかったマシューとろくに会話もせず、逃げるようにその場を去った(マシューともっと、ちゃんと話したかったのに……これもすべてレジーナのせいにしておく)。


 それだけで終わってくれないのが、わたしの一日というものだ。

 

 あのあとわたしは、さりげなくベルシーが浴場へ向かう時間に合わせて湯を浴びにいって―――部屋に戻ってからは、明かりを消した部屋でベッドに転がり、枕を抱いてぼんやり宙を見上げていた。


 ベルシーはまだ起きていて、書き物机の上で灯していた三本のろうそくに見入っていた。わたしは必死にマシューとの妄想力を働かせようとしていたんだけど、気づけば目を閉じてまどろんでいた。


「……そうね。彼女、やっぱり興味深いわ。哀れなくらいツイてないけど、なんとか生き延びてる」


 ベルシーがぶつぶつ独り言をつぶやいている。


「ひょっとすると、悪運があるのかもしれない。でも、死神もまだあきらめてないようだから。―――見て。この暗闇とヘビのカードは、何を意味するのかしらね。とにかく、来月になってしまうと、わたしができることはもうあまりない。あとはすべて彼女次第」

 

 そんなことを言っていたような気がするけど……うん。たぶん夢よ。


 だって、壁に映っていた黒い影は、まるで背を丸めたあの黒フードの不気味なおばあさんそっくりで―――ろうそくの明かりで浮かび上がっている華奢な女の子の影とは、とうてい思えなかったんだもの。


 だからそう。うん。忘れないとダメ。ベルシーの独り言と、暗闇とヘビが気にかかっても―――あれは臆病者の妄想の産物に違いないんだから。


〈明日の目標〉

マシューとの楽しい妄想に全力を注ぐこと

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る