6月6日 襲撃

 その日、ユービリア城の空は重く、まだ夕方前にもかかわらず地上には暗い影が落ちていました。生ぬるい空気は湿っていて、いまにも雨が降ってきそうな気配です。


 ただ、赤毛を二本の三つ編みしている丸鼻の宮廷女中にとっては、いつもと変わりのない日でした。いまだに名前も知らない他の新米宮廷女中二人と一緒に、仕事をしていました。


 彼女たちは主城の一階にある、第二広間の掃除を行っていました。天井の高いこの部屋には、東側と北側に扉があります。東側の扉は、向かいあう大理石の獅子が大広間へと続く通路を、北側の扉は、向かいあう装飾用の木製の槍を握った青銅の甲冑が、奥の回廊へと続く通路を守っています。


 いまは広間として使用されていますが、かつては賓客用の寝室だったということもあって、部屋の中央には寝椅子が、部屋の隅には中に何も入っていない大きな衣装ダンスがそのまま置かれています。紗のカーテンがかかった張り出し窓は、いつもなら明るい陽光を反射しますが、やはりその日は灰色に沈んだ景色を映していました。


 宮廷女中たちは、絨毯の汚れを濡らした雑巾で拭きとったり、壁にかけられている風景画の額縁にたまったほこりをはたきではらったり、飾り棚の上の銀食器を丁寧に磨いたりしていました。あいかわらず言葉を交わすことはないけれど、レジーナというとびきり意地悪な新米宮廷女中がいないときは、赤毛の子はあからさまな敵意を向けられるわけでも、露骨に無視されるわけでもないので、大した疎外感はありませんでした。

 

 掃除がようやくひと段落しそうな頃合いでした。騒がしい足音は、東側の通路に繋がっている扉の向こうから聞こえてきました。バタバタと無遠慮で、いかにも行儀の悪い足音です。

 

 両開きの扉が、バンッ!と乱暴に開けられました。第二広間になだれこんできたのは、枯れ葉色のぼろきれのような外套を身にまとった背の高い男たちでした。四人とも仮面で顔を隠しており、その手にはギラリと光る抜き身の剣が握られています。

 

 賊の襲撃です。


 宮廷女中の二人が甲高い悲鳴をあげました。赤毛の宮廷女中は、真っ青になってただただ立ちつくしています。

 

 血のように赤いマントを身に着けた頭領格らしい男が、宮廷女中らに剣の切っ先を向けて、こう脅しました。


「死にたくなければ、両手を上げて、部屋の中央に行き、膝をつけ!逃げようとすれば、斬るぞ!」

 

 宮廷女中たちは怯えた顔で、雑巾を投げ出し、のろのろと部屋の中央ある寝椅子の前に集まると、崩れるように床に膝をつけました。丸鼻の宮廷女中コレット=マリーは、体温が急激に下がって、いまにも放心しそうになっていました。

 

 何が起こったのか、さっぱりです。

 

 やがて東側の扉から、同じような奇妙な仮面をつけた男たちが二人合流しました。その二人の賊は短剣と弓を携えています。


 彼らは赤マントの男に、


「入城門、見張り塔、大広間、第一応接室、食堂、大回廊、制圧しました」


 と恐ろしい報告をしました。


 赤マントの男がうなずくと、弓を持った賊は再び東側の扉から外に出ていきました。東側の通路は大広間に続いています。他の仲間と合流するつもりでしょうか。


 賊の頭はこちらに近づいてきて、茶髪の宮廷女中の一人に剣を突きつけました。


「この部屋にいるのは、お前たち三人だけだな?」

 

 剣を突きつけられた茶髪の宮廷女中の子は、恐怖で声が出ないようでした。赤マントは「どうなんだ!答えろっ!」と声を荒げます。その子の唇は震え、いまにも失神しそうです。

 

 体温が急激に下がっていたコレットの精神は、思った以上に混乱を極めていたに違いありません。彼女は両手をあげたまま、信じられないことを口走りました。


「い、いいえ。この部屋にいるのは、わたしたちだけじゃありません……」

 

 剣を握った赤マントの賊が、こちらを向きました。コレットは震えた声で答えます。


「向こうの、あの、衣装ダンスの中……中に、兵士が二人、隠れてます。武器を持っています」


 他の宮廷女中の子たちが、「え?」という表情で赤毛の子を見つめるのが分かりました。しかし、賊の頭は気づいていないようすです。


 頭領格の男は、どこか緊張したように他の配下二人に指示を出して、部屋の隅の衣装ダンスを包囲させました。

 

 そして三人の賊が、コレットたちに背を向けて、衣装ダンスに近づいていきます。


 体温が下がった赤毛の宮廷女中は、ほとんど狂っていました。素早く立ち上がると、赤マントの無防備な背中に、渾身の体当たりをかましたのです。


 赤マントの男が不意をつかれて体勢をくずしたすきに、コレットはゆいいつの逃げ道となった北側の扉を指して、他の宮廷女中たちにこう叫んでいました。


「あそこから出て!隣の部屋の窓から中庭へ!」

 

 怯えていた宮廷女中たちはうなずいて、北側の扉から飛び出していきました。コレットは彼女たちの後を追うと同時に、扉の両脇を守っていた置物の甲冑の手から夢中で装飾用の長槍をもぎとりました。


 そして、追いかけてくる賊に向かって青銅の甲冑を蹴り倒しました。驚いた賊が怯んでいるすきに、コレットもすぐに第二広間から逃げ出しました。


 心臓が口から飛び出そうになっていました。いったい何をしているのか、分かりません。頭の中がぐるぐる回り、いったいどうして、ユービリア城がとつぜん賊の襲撃を受けたのか、分かるはずもないのに考えていました。


 ベルシー、ニーノ、マシュー、ロラン隊長。

 皆のことを思うと、泣きそうになりました。

 

 後ろからすぐに賊が追ってきました。コレットは中庭につながっている隣の部屋に入らず、そのまままっすぐ廊下を走り抜けました。


「待て!止まれ!」

 

 そんなことを言われて、足を止める者がいるはずありません。

 

 コレットは四つの通路に分かれている大回廊へ続く通路を選んで、ひたすら走って逃げました。

 

 しかし、大回廊で待ち構えていたらしい賊の一人が飛び出してきて、コレットの逃げ道を阻みました。賊の男は容赦なく剣を抜いて、コレットにじりじりと迫ってきます。


 コレットは木製の飾り槍をかまえようとしますが、手が震えてうまくいきません。ボロをまとった賊はついに一歩前に踏み出し、迷うことなくコレットの心臓めがけて剣を突き出してきます。

 

 キィン!

 

 鋼の剣がぶつかりあう音が廊下に響きました。

 

 コレットは目の前の光景に、言葉を失って立ちつくしていました。背後の応接室から、風のように飛び出してきて、賊の剣を弾き返したのは――。


 なんと、マシュー=ガレスだったのです。

 

 マシューは、急いで駆けつけてきたのか、息を切らしていました。彼はコレットを背後にかばい、賊に剣先をぴたりと突きつけたまま、怒ったように叫びました。


「どこ見て剣振ってんだ!相手はどう見たって兵士じゃないだろ!!」

 

 賊は分が悪いと見たのか、剣を引いてさっと身をひるがえすと、大回廊の奥へ走り去っていきました。


 マシューは「待て!」と憤然としたようすで賊を追おうとしましたが、へなへなと床に座り込むコレットを見て、足を止めました。

 

 彼は、握っている槍を支えにその場に崩れ落ちたコレットの肩に手を置いて、


「大丈夫か、コレット。ケガはないな?」

 

 と、優しい翡翠の瞳で、心配そうに顔をのぞきこんできました。


 もう、感極まって、思わず彼に抱きつきそうになりましたが――彼女は自制心を働かせました。忘れてはいけないことがあったのです。後ろからまだ賊が追ってきているということを、早く伝えないと。賊はもう、すぐそこまで迫ってきていて――。


「おい、どういうことなんだ!?誰も部屋から出さないって話だろ!」

 

 マシューが、後ろから追いかけてきていた賊の一人を叱咤する光景に、コレットは目を疑いました。


 しかもその賊が、仮面をとって、マシューに頭を下げるのです。


「すいませんでした!不意を突かれてしまって、上手に逃げ出されてしまったんです」

「そっちにはロラン隊長がいたんじゃないのか」

「いやあ、隊長も彼女にしてやられてしまって」


 賊は困ったように頭を掻き、マシューは呆れたようにため息を吐きました。


わけが分からなくて、ひたすら呆然としてたら、マシューが恐ろしい真実を告げてきました。


「これさ、襲撃訓練なんだ。抜き打ちの」

 

 ありえない。

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