6月4日 秘密の逢引

 い―――や――――!!

 

 ない!あれはない!!あんなのってない!!!

 

 いったいなんなのよもう――――!!!


 わたし、生まれ変わったのに!修道女の気高い心を内に秘めながら、清く正しい宮廷女中を目指してたのに!!


 その輝かしい道を歩み始めて翌日にもう挫折!?もう道が行き止まりになる!?


 ありえないでしょ!!


 よーし、落ち着いて。なにごとも冷静にいきましょう。

 それにしたって、今日のことは本当に納得いかない。あれって、わたしのせいじゃない!


 ええい、全部書いてやる。わたしの日記が国宝になった暁には、ユービリア城での悪事はユービリア国民全員に知れ渡るんだから。コレット=マリーの周りにいる全員に告げる。ふだんの行いには十分注意することね!いまに目にもの見せてやる!


 今朝、わたしは早番だった。大変重労働な水汲みが終わったあと、女中頭補佐に、まあいつもみたいに、装飾品室前の掃除を命じられたわけよ。で、はいはい、よござんす、仰せの通りにみたいな感じで、雑巾もってそこへ向かったの。


 そしたら、そこに女中頭がいて、


「今日はここの掃除はいいから、第二応接間の中をお願い」


って頼まれた。


 女中頭のほうが、女中頭補佐より偉い。そうでしょ?だから、もちろん彼女の言うことを聞いた。


 それで第二応接間を掃除しに行ったら、そこにレジーナたちがいて――ああまだわたしってば槍玉だから、露骨に避けられたり、くすくす笑いされたり、聞こえよがしな嫌味を言われたりしてるんだけど、ぜーんぶ無視してますからね。うん。とっても勇敢にね。


 正直いうと同じ場所を掃除するなんて最高に嫌だったけど、逃げるのもなんだかしゃくだから(なんたって、修道女はどんな境遇にいても立ち向かっていかなきゃならないでしょ?)しぶしぶはたきを持って黙って棚の掃除をした。


そこへ、例のごとく女補が見回りに来て、


「コレット=マリー?あなたには装飾品室前の掃除を頼んだはずですが?」

 

 って、いきなり眉を吊り上げ始めるの!わたしが慌てて事情を説明すると、女補は「はあ?」って感じで、


「ここはいいから、わたしが指示した場所を掃除しなさい」


って吐き捨てるように言って、肩を怒らして去っていった。


「あらら、怒られちゃったわね、赤毛ちゃん?」

 

 意地悪レジーナたちのくすくす笑いを聞きたくなかったから、わたしはまた移動して、装飾品室前に戻った(いっとくけど、逃げたんじゃない。指示だもの)。


 すると女中頭が装飾品室の前にいて、


「あなた、いったい何してるのですか?」


って、眉を吊り上げたの!びっくり!ふだんはわりと優しそうな雰囲気なのに。


 それで、また慌てて「女中頭補佐に……」って説明したら、今度は女中頭までキレ始めた。


「あなたは常識がないのですか!?わたしは女中頭、あなたがた宮廷女中を束ねる責任者ですよ!わたしの命令に背くつもりなら、もちろんそれなりの覚悟があるのでしょうね!?」


 いやいやいや、ないないない、覚悟なんてめっそうもこれっぽっちもございません!

 

 へっぴり腰全開で、「申し訳ありません」と慌てて頭を下げて、逃げ出した。


とにかくどこか、女補と女頭がいない世界に逃げようってくらいの機転を働かせることはできた。


 けどね、わたしの運の悪さは並じゃない。

 

 装飾品室前の廊下を横切って、第二応接間に戻るために廊下を曲がろうとしたのら、向こうから女補が再びこっちに歩いてくるのが見えた。


絶体絶命ってまさにこのこと。


だって、来た道を戻れば女頭がいるんだもん!

 

 手に箒も持ってなかったし、見つかったら掃除もせずに遊んでるって思われちゃう。


真っ青になりながら壁にすがった。隠し扉を求めて。

 

 そしたら、本当にあったのよ!

隠し扉が!

 

 そこの壁はずっと眺めてたら目がくらむような黒と白の格子模様が描かれていて、くぼんでいるように見える黒色のひし形の部分が、実際にくぼんでて、扉の取手になっていた。


 何も考えずに壁の扉を開けると、中に子供一人が入るのがやっと、ってくらいの小さな隙間があった。入れないかもって思ったけど、背中から中に入って、首を少し傾けて、膝を抱えたら――ぎりぎり入れた。裏側にちゃんと引き手がついていて、それを引っ張ったら扉が静かに閉まった。


 しかもその扉には、外のようすが分かる小さな穴までついてて!たぶん、ユービリア城にある王家の隠れ場所のひとつだと思う。城って、もしものときのために、秘密の抜け道とかがあるって聞いたことがあるし。


 やがて、タッタッタッと、女補らしき歩き方の人物が、目の前の廊下を通り過ぎていった。穴の位置が低いから、相手の膝丈くらいしか見えなかったけど、あのせかせかした歩き方は絶対に女補だ。


 とにかく、天敵をやり過ごせてほっとした。余裕ができたら、反対側からやってくる女頭と口論が始まったりしないかなって期待した。


ええ。そうよ。共倒れになればいいって思ってたから。だって、どうして何も悪いことしていないわたしが、まるで不法侵入者みたいに、窮屈な思いをして隠れてなきゃならないの。


 膝を抱えてうずくまり、おまけに長い間首を左側に傾けていたから、首が痛くなってきた。早く出たかったけど、いつまでたっても女頭がやって来ない。


装飾品室は奥部屋で、通路はひとつしかないし、女頭がここを通ってないということは、まだ装飾品室の中にいるってことよね。


ヘンなタイミングで外に出て、見つかったりしたら……そう、本気でクビ。


 わたしは狭い場所でじっと耐えた。


 しばらくしてから、女頭らしき人物が目の前の廊下を歩いていくのが見えた。


「まったく、嫌な女」

「疑われているのか?わたしたちのことを」

 

 と男性の声が聞こえたときにはびっくりした。女頭の後ろからもう一人、男の人が歩いてきたの。光沢のある黒いズボンが見えた。


「分からないわ。でも、狙っているのよ。女中頭の地位を。ったく、澄ました顔で食えない女」

 

 女頭はふんと鼻を鳴らして、男の人と歩き去っていった。もう、心臓がバクバクしちゃった。

 

 あれってさ、いわゆる逢引!

秘密の逢引!


だって、こんな昼間から人気のない装飾品室で男女が二人で何するっての!?


 とんでもないものを目撃してしまった。逢引のことがあったから、女頭はちょっと神経質になっていたみたい。


 で、わたしってどうしてこう、領主のぶっちゃけ悪徳発言を耳にしたり、誰かの浮気現場にいあわせたり、秘密の逢引を目撃しちゃったりするの?


神様お願い。もうかんべんしてください。お墓にもっていくことが多すぎて、当の本人が入れなくなりそうです。


 とにかくようやく外に出たわたしを、またもや悲劇が襲った。外に出て、立ち上がろうとした瞬間、腰がつった。「ギャッ」って情けない声を出して、廊下に突っ伏した。

 

 本当に、なんて間が悪いんだろう。

 

 廊下の角に、まだ女頭がいたの。わたしの姿を見たときの彼女の顔と言ったら、死ぬ前みたいに蒼白になってて――もちろん、わたしの顔も負けないくらい蒼白になってたと思うけど――お互い、声も出せなかった。


 言い逃れは出来ない。だって、壁の隠し扉は開いたままだったし。


「あなた…そこで…何を……」

 

 今にも失神しそうだった。そうだよね。秘密の逢引の瞬間を、わたしみたいなわけの分からない新米宮廷女中に見られたんだから。でもわたしも失神しそうだった。クビにされちゃうって思って。


「と、閉じ込められちゃって……出られなくなって……」

 

 苦しい言いわけだってことは分かってた。けど、他に何て言えば良かったの?


「それは――災難だったわね」

 

 わたしたちの間に、暗黙の約束が交わされた。わたしは何も見てないし、聞いてないし、女頭はわたしをクビにしない。ただし、逢引のことを誰かに話せば、末代まで祟ってやるぞっていう、ものすごい眼力ではあった。


「……装飾品室の掃除をお願いね」

 

 女頭はスカートを翻して去って行った。わたしは隠し扉を閉めて、腰を抑えて立ち上がると、よろよろしながら箒を取りに行った。

 

 それで今日の災難は終わると思ってたのに。

 

 夕方になって洗濯場で衣服やら毛布の水気を必死で絞ってたら、女補に休日返上の残業を命じられた。昼間、掃除もせずにふらふら歩き回ってたからって!


おかしくない!?


こんなひどい話ってない!


 わたし、二人の言うことを忠実に聞いただけ!今回はぜったい犠牲者でしょ!だって、女頭と、女補の間で、宮廷女中管理ができてなかったって話だもの!たらい回しにされたのはわたしのほうよ!誰にどこを掃除させるかくらい、上司がちゃんと決めておくべきでしょうが!


 この前の非番だって殺人的に広大な中庭の草むしりさせられたばっかなのに、次は第一から第五まである備品庫の整理整頓だって。ふーん。で、その次は?


 ユービリア城の天井からぶらさがってるシャンデリアをすべて一本一本解体して磨きあげる作業ですか?何十本もあるのに?もーやだ何この仕打ち!


 日記にとても書き残せそうにないののしり言葉を吐きながら、最悪な気分で女中棟の部屋に戻ったら、まさか、よ。


 ベルシーがびっくり仰天、みたいな感じでわたしを見た。


「コレット=マリー。どうしたの?あなたの後ろに死神が見える」

 

 とか言い出すしさぁ!


 もうやめて――っ!許して――っ!わたしが悪かったからぁ――っ!

 

お願いだからなぞの頭蓋骨をわたしのベッドの枕元に置くのはやめてぇ――っ!魔除けと称した嫌がらせはやめてぇ――っ!


 修道女になるってそうとう大変かも。清らかな心を維持するってどれだけ難しいの?つらいときの笑顔ってなに?ユービリア国の修道女たちは、いったいどうやって激しい呪いの衝動を抑えこんでいるの?


 それともわたし、修道女より魔女崇拝のほうがあってるのかしら。そうね。そうかも。もしこの城の連中を呪えるなら、なんだってするわよ。もちろん、ニーノは呪わないけど。マシューは……。


 そういえば、マシューも、ロラン隊長も、城内にいないみたい。ベルシーに聞いてみたけど、彼女も知らないっていうし、いったいどこに行ってるんだろう。兵士の遠征の話なんか、聞いてないけど……。

 

 うう、とにかく、理不尽なことが多すぎる。


 なにが死神よ――!もうたくさん!!


 これ以上なにか起こったら、今度こそ絶対大声で叫んでやる。しゃっくりみたいな悲鳴じゃなくて。

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