6月8日 状況の激変

 ありえない。


 6月6日の衝撃が、まだ続いている。


 そうね。先に良いことを挙げるとすれば……まず、わたしを取り巻く状況が激変した。


 コレット=マリー、16歳の夏。6月6日の死に物狂いの暴挙以来、宮廷女中たちの半数がわたしを露骨に無視するのをやめた。廊下ですれ違うとにっこり笑ってくれるし、食堂に行ったら「一緒に食べない?」って席を開けてくれる。


 それにはもう、ただただビックリ。「ありがとう」と答えつつも、わたしは彼女たちとは昼食をとらなかった。だって妙にこっ恥ずかしいし、落ち着かないから。ついこの前までくすくす笑いしてた子たちが……なんで急にって、思うじゃないの。わたし、人間不信なのかも。


 とにかく、焼きたてパンとタマネギとジャガイモのスープをトレーにのせて、わたしがこそこそと向かった先は、窓際の席で一人昼食をとっていたベルシーの隣(彼女と勤務の時間帯が被るなんて、稀すぎる!)。

 

 べつに、ベルシーが人間じゃないから安心してるって意味じゃなくて。彼女にはなんというか、同世代を超越した魔女的な安定感があるから。っていうか、同室だし。楽しいおしゃべりがなくても、ユービリア城にいるときはベルシーの隣が一番落ち着くのは、わたしがオカルト慣れしてきたって証拠かもしれない。


「ちょうど良かった。あなたを占ってたの」

 

 と、ベルシーも快くわたしを迎えてくれた(同時に、ものすごく奇妙な生き物を見るような目を向けられたけど、それって歓迎されてるってことよね?)。


 彼女は昼食をとる傍らで、なんとタロットカードを切っていた。多いときは八十人くらいの使用人や兵士が集まる公共の食堂でよくもまあ、堂々としたものよ。


 とにかく、ベルシーは右手に収まった二枚のカードをわたしに見せてきた。


 逆さまにひっくり返った、ものすごーく頭の悪そうな道化師のカード。


 と、三日月型の大きな鎌をにぎった、黒フードを被った不気味な死神のカード。


 ふーん。

 

 それで?何が言いたいの?(と訊いたりしてはダメ。絶対にダメ!!)


 前言撤回。オカルト慣れなんて一生無理。

 

 妙に落ち着かない事態は続く。6月6日以降、他の宮廷女中と同じで、食堂にいるとき、水汲みをしているとき、掃除の最中でさえ、見回りの兵士たちがやたら気さくに声をかけてくるようになった。


 中でも、自称とびきり良い男のトマス=レオルト。


 彼は昼食のとき、わたしとベルシーの向かいの席に座ってきた。しかも、左腕を真っ白な包帯で吊りながら。


「どうしたの、それ」


 思わず訊ねると、自称とびきり良い男はふっと得意げに笑った。


「名誉の負傷さ」

 

 ったく、頭に包帯まいたらいいのに。


 いわく。


 先日の襲撃訓練のとき、ものすごい勢いで走ってきた兵士の一人に体当たりされ、運悪く腕を柱にぶつけて骨にヒビが入ったとか(とびきりおしゃべりの報いかもね、とひそかに思ったのは秘密)。ついでに、彼が弓兵だということも初めて知った。


 本人はケガをしたことなんかなんでもないように、相変わらずの調子で「すごいな、コレット嬢!」となれなれしく声をかけてきた。


「まさか賊に扮したロラン隊長に体当たりかますなんて!これはユービリア城の伝説に残るだろうね」

 

 はあ~。そうなの。

 わたしが背後から渾身の体当たりをした赤マントの頭領格の賊って、ロラン隊長だったの。


 それを聞いたときが一番卒倒しそうだった。もうわたし、自分が自分の手に負えない。どーして声で気づかなかったの?どーして匂いで分からなかったのよ?


 いや、無理。無理だってば。それは。かなり体温下がってたし、あのときのことを思い出すといまでも震えが止まらないもの。


 ぶっちゃっけ、あの襲撃が前々から予定されていた“訓練”だと知っていたとしても、冷静に行動できていたとは思えない。体温が下がって真っ白になってる姿がありありと浮かぶ。わたしをいったいどこの臆病者だと思ってるの?

 

 とにかく、いくらロラン隊長がわたしの愚行を寛大な心でお許しになってくださったとはいえ、後悔の念がハンパない。いつでも魂が抜けそう。

 

 しかも。襲撃訓練のとき、賊に扮したユービリア兵の命令に逆らって暴挙に走った宮廷女中、何人いたと思う?

 

 わたしだけだって。

 

 城内で集計された装飾品の破損報告は?


 一件だけだったって。


 装飾品の破損については、訓練の事故として処理されるみたいだから、弁償はなし。これがゆいいつの不幸中の幸い。


 でも、ねえ?よく考えて。肩当てと胴回りがべこべこに凹んだらしい青銅の甲冑。あれほどの衝撃で壊れるってことは、まがいものすぎていざというとき使い物にならない証拠じゃないの。


 その事実を暴き出した宮廷女中を評価してくれる人は?


 そうね。たぶん城内にはいない。


 も――やだ―――!!


 なんでこう、愚かなの!?なんでこう、どうしようもないの!?


 訓練を受けてる兵士はともかく、他の使用人たちはどうして装飾品を一つも破壊せずにいられたの?そうね、でも、ああいうときは反撃しないのが正解よ。大正解!下手な行動に出るのは、愚か者印のコレット=マリーだけですとも!


 故郷のお母さま、お父さま、娘はいま、かなり恥の多い人生を歩んでいます。

本当、わき道それずに、ひたすら恥じ道直進してます。


 ただ、抜き打ちの襲撃訓練におけるわたしの愚かな行動に対する周りの評価は二つに分かれている。


 ニーノとか、他ならぬロラン隊長、大多数の兵士たち、半数の宮廷女中仲間は、「勇敢だ!」って、ものすごく誉めてくれる。


「仲間を逃がして自分一人で足止めしようとするなんて、見直した」とか「きびきびと退路を指示する姿勢がカッコ良かった」とか、「ユービリア城が誇りに思う宮廷女中のふるまいだった」とか。

 

 わたしが褒められるなんて、尋常じゃないけど。


 しかも、女中頭からも「素晴らしいわ、コレット」と称賛の言葉を授かった。


「あなたには今後、重要な仕事を任せるかもしれません」

 

 とかって、言われちゃうし。


 うう。卑屈なのは分かってる。でも、正直、遠慮したい。重要な仕事って、とんでもない責任がともなうものだもの。わたし、そんな器じゃない。わたしには、悲しいかな、厨房の地下貯蔵庫でひっそりこっそりジャガイモの皮むきを命じられるくらいがちょうどいいの。

 

 もちろん、わたしがそんな器じゃないってちゃんと気づいてくれている、ありがたーい人たちもいる。


 今回のわたしのふるまいに対して、やたら批判的な二人。


 そう。マシューと女中頭補佐。


「訓練だから、良かったものの……」

 

 久しぶりに食堂に顔を出したマシューは、自称とびきり良い男のトマス=レオルトの隣の席に座った。ていうか、わたしの顔を見るなり、いきなり責めてくるのもどうかと思う。


 最近ずっと城内で姿を見かけなかったのは、7月にご来訪されるクロスタン国の賓客(なんと、クロスタン国の若き国王陛下が初めて来国されるとか!びっくり!)と、来月の剣術大会に出場するための剣士たちの護衛役の一人に抜擢されたらしくて、ロラン隊長と他の兵士たち一緒に、街はずれの林の中で集中訓練を行ってたからなんだって。


「あのときコレットに剣を向けてきた相手は、本物の賊だったかもしれないんだぞ」


 いわく。


 うわさでは、一部の者にしか公表されていなかった襲撃訓練だったにも関わらず、情報が漏れて、本当に侵入者が紛れこんでいたとか。トマスはその侵入者にぶつかってケガを負わされたんじゃないかって言われてる。


 マシューはしきりに、わたしに向かって剣を突き出して来た人物はユービリア国の兵士じゃないと断言して、二日目のいまでもわたしを恐怖のどん底に突き落としてくれる。やめてほしい。忘れたいんだから。城の中で通り魔に遭遇したなんて、本当にかんべんしてよ。


 それに、忘れちゃいけないことがある。


 わたしが悪女で、マシューをうんたらかんたらっていう無実の罪で槍玉最前線だったとき、マシューは城にいなかったってことだ。


「聞いてるのか?正直、賊にぶつかっていくなんて勇敢でもなんでもない。戦えもしないくせに飾りの槍振り回すなんて、酔っ払い以上にタチが悪いし、ただの愚か者だ」

 

 これって批判を通りこして暴言。


 当然ながら、言い返さずにはいられなかった。


「マシューがいなかったとき、わたし、悪女呼ばわりされてたのよ!?マシューの問題発言のせいで!」


 幾度となく助けてもらった事実も、5月25日におけるすべての元凶が自分にあったことも忘れて、わたしはかの一夜のことを持ち出した。


するとマシューは、さすがに申し訳なさそうな顔をした。





 







 



 って、思うでしょ?とんでもない!ありえない!


 マシューのやつ、まさか、爆笑するなんて!


「ああ、その話!悪女!聞いた聞いた!おっかしいよな。なんでそんなことになったんだ?コレットがおれをたぶらかして?ははは。あれは笑わしてもらったよ。ありえないって。なあ?」


 誰か教えて。

 マシュー=ガレスって、いったいどーゆー神経してるの?


 ちなみに、最後の最後まで、誤解を招いたウソ発言についてマシューの心からの謝罪は一切ナシ。5月26日の日記において、わたしはマシューをかなり、かなーり高く評価していたけど。


 今日において、撤回する。


 いったいなんなのアイツは―――!!

 ほんの少しでもカッコイイと思ったわたしこそ、真の愚か者よ!


 本当に、あのとき抱き着かなくて良かった。そんなことをしてたら……もう、本当に取り返しのつかないことになってたに違いない。色々な意味で、状況も激変してたでしょうよ。


 あの場面で理性的にふるまったのは、此度の出来事におけるわたしのゆいいつの英断といえる。


 だとしても!廊下ですれ違った女補にはさぁ、ネチネチ説教されるし!


「コレット=マリー。あなたにあんな一面があったとは驚きです。しかし、よく考えてごらんなさい。あなたは、『隣の部屋の窓から中庭へ』と指示を出したそうですが、中庭もすでに占拠されているとは考えなかったのですか?自分を犠牲にし、仲間を庇う姿勢は、まあ、悪しき行いではないとしても、あまりに浅はかで無謀です。逃がした先に、賊が待ち構えていたら、元も子もないのです。もう少し冷静に周囲の状況を観察して……」


悪かったわよ―――っ!!


 ホントそうです!その通り!女補の仰る通りでございますよ!!っていうか、悪しき行いではないって、どれだけわたしを誉めたくないわけ?悪しき行いではないって、ふだんの生活でなかなか出ない言葉だと思いますけど!!


 いいわよ!ユービリア城で起こるすべての問題の元凶がコレット=マリーにあることを全面的に認める!


 だからも―――許してぇぇぇ!!わたしを放っておいて―――!!さらし者にするのはやめて―――!!


 はい、で、今日という日を締めくくってくださったのは、我がすばらしき同室仲間たるベルシー=アリストンからのこのお言葉。


 やり場のない憤りに悶えながら、わたしが午後の勤務を終えて宮廷女中棟の部屋に戻ると、


「いったい、あなたってなんなの、コレット=マリー。悪魔の化身なの?死神にそこまで接近されながら、まだ生存しているなんて!これはほとんど、オカルト主義上における歴史的快挙よ。お願いだから、その理由が分かるまでは死なないように。さあ、頭蓋骨を抱いて、魔法陣の真ん中に立ってちょうだい。魔除けの呪文を唱えるから」

 

 誰か教えて。

 ベルシーって、そんなにわたしのこと嫌いなのかな。


 従順で臆病で愚かなコレット=マリーは強制的に頭蓋骨を持たされて、六芒星が描かれた絨毯の上に立たされて、十時近くまで「ムシカムシカハバラガーダ」を何回も聞かされた。明日もね、早番なんだけどなー。


 ていうか、本当に、いったいなんなのこの状況。

 心がすさむ。心清らかな修道女になるという夢がどんどん遠ざかっていく。


 6月に突入したばっかりだってのに……やれやれ。

 驚くほどさい先悪すぎ。

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