5月10日 別人?
宮廷女中の仕事を始めて十日目にして気づいたことがある。宮廷女中は、わたしの天職じゃない。
同時に女中頭補佐の陰謀も見えてきた。間違いなくわたしをクビにしようと目を光らせている。じゃなきゃ、毎日三時間の残業を強いるはずがないもの!
夜十時あがりの遅番の日に三時間もの残業を課せられて、次の日が早番だったらどうなると思う?朝番が始まるのが朝の四時だから、どうしたって二時間半しか睡眠がとれない。(四時半には起床しなきゃだから!)翌日は当然疲れきってるわけだから、早番の仕事が効率よく進むはずもない。
いや、もちろん、わたしの手際が悪いせいもある。他の子なら一時間で終わる仕事でも、わたしがやると三時間かかるから。どうしてなにをやっても、人より三倍の努力をしなきゃ追いつけないのかしら。つらい。
でも、そんなわたしでも誇れることがある。ジャガイモの皮むきだ。だからジャガイモ料理が出る日は、わたしはとても頼りにされている。他の子が一時間で終わらせる量を、わたしは三十分でやっちゃうんだからね。
まあ、誇れるのはそれくらいなんだけど……。
そんなことより、昨日ようやくマシューに再会することができた。城内で見かけることはあったけど、声をかける機会はなかなかなくて。
マシューは昨日わたしと同じ遅番で、夕方からのお勤めだったから、お昼前に会うことができた。ニーノからマシューの予定を教えてもらっていたの。空いている時間は、たいてい練兵場にいるということを。
ニーノの情報どおり、マシューは地面に突き立てられた木の杭を相手に剣をふるっていた。
わたしはしばらく声をかけるのをためらった。だって、そのときのマシューは、地下倉庫で出会ったいたずらっぽい顔をしていた少年とは別人に見えたんだもの。
その理由はたぶん……剣の練習をしているときの表情が、ものすごく真剣だったからだと思う。
兵士服姿で真剣な表情をしているのを見ると、なんだか圧倒された。歳は同じでも、全然次元の違う人みたいで……。
ロラン隊長が目をかけるのも無理はないと思う。すごくがんばってるんだもの。マシューを見てたら、わたしはなんだか恥ずかしくなった。だって、弱音を吐いてばっかり。些細なことに一喜一憂して、怖がってばっかりで……。情けない。
マシューがようやく剣をおろして、一息ついたのが見えた。他にも数人の兵士が訓練を行っていたから、邪魔をしないように近くの騎士の姿をした石像の後ろに隠れて、わたしは声をかけるタイミングをうかがっていた。でも、なんて話しかけたらいんだろう。
わたしはマシューに圧倒されていた。彼と友人になれたあの夜は、もうずっとずっと昔のように思えて、どうやって声をかけたらいいのか分からなかった。
「わっ」
とつぜん、後ろから軽く背中を押されて、わたしは「ひっ」としゃっくりのような悲鳴をあげた。びっくりして振り向くと、おかしそうに笑っているマシューがいた。
「ひかえめな悲鳴だな」
「お、お、脅かさないでよ!」
「いや、つい。下手な隠れかたしてるやつがいるなと思ったら、コレットだったからさ」
うっ。わたし自身は、わたしという存在を限りなく消し去っていたんだけど……。バレバレだとは思わなかった。
「おれになにか用?」
マシューが気さくな少年に戻っていて、わたしは少しほっとしていた。
「クロスタン国の親善試合、ぜったいに出場したほうがいいわ」
わたしは話を切り出した。
「さっきだって、マシューが剣の練習をしてるのを見て圧倒されたもの。わたし、剣術のことはまったくの素人だけど、きっと観客もみんなマシューの剣技に惹きつけられると思う。だから、出場するべきよ」
いま考えると、わたしってどうしてこう考えなしに行動するんだろう。マシューがなぜ出場を拒否しているのか、その理由を探って原因を解消してあげなきゃ、説得したって成功しないことくらい冷静になって考えればよく分かるのに。
マシューはまたか、とあからさまにうんざりした顔をした。
「その話はしたくないんだ」
「どうして?」
「どうしても。それが用件ならもう行くよ」
わたしは立ち去ろうとするマシューを引き止めた。
「待って待って。マシューは、名誉剣士になりたくないの?」
「興味ないな」
「じゃあ、お金。お金は?優勝した国の剣士には、金貨がもらえるって聞いたわ」
「さすが貴族。欲まみれ」
わたしはぐぅっとうめいた。悪かったわね。欲にまみれてて!
「お金はないよりあったほうがいいじゃない!だいたい、お金が必要ないなら、宮廷女中なんかやってないわよ」
開き直って怒ると、マシューは吹きだした。
「単純だなぁ」
正直、マシューが笑ってくれてうれしかった。ロラン隊長がいった、マシューは自分の身分に負い目を感じてるっていう言葉が、気にかかってたの。身分が違うってだけで、希望がもてなくなるっていうのは、やっぱり不公平だし、あまりに悲しすぎる気がするから。
とはいえ、実家の屋敷や資産を失ったり、不吉な予言にさいなまれるのも、そうとうつらいものがあるけど……まあ、それとこれとはべつの話。
わたしは気を取り直して、ここぞとばかりに力強い説得を試みた。
「労働階級だからって、気後れすることないよ。身分なんて飾りみたいなものなんだから。それに、親善試合なんて最高にカッコいいじゃない。誰でも出場できるってわけでもないんでしょう?国の代表者として選ばれないと出場権すらもらえないことを思うと、ねえ、自分は名誉ある責任を担う、誇り高き一国の剣士なんだなーって、こう、心が燃えてこない?」
「ああ、コレット。かわいそうに。単純ゆえに、ニーノと隊長に影響されちゃって」
マシューはわたしの心からの激励をさらっと無視し、どうしようもない子を慰めるみたいにわたしの頭をポンポンと叩いた。
「残念ながら、親善試合はきみのように単純じゃない。お偉いさんたちのうっとおしい政治的な思惑はからんでくるし、妙な儀式への参加を強要されるんだ。なにより、試合の勝敗は相手国の審判に左右される。たとえ決定的な一撃を相手に叩き込んでも、審判がたまたま自分の靴についてた泥を眺めてたらパァさ。バカバカしいったらないだろ。そんな試合、出るだけ無駄だって」
マシューって、ひねくれ病にかかってる。しかも重症。
「誰の眼にも結果が明らかな試合を見せればいいじゃない。相手の手から、剣を飛ばしちゃうとか」
マシューは勤務時間が終わったのに、ジャガイモの木箱を目の前にドサっと置かれて、オイルランプと皮むきナイフを手渡された、みたいな顔をした。
「どうしてそんなに出てほしいんだ?おれが試合に出ることで、コレットに何か良いことでもあるのか?」
とつぜん疑わしげな視線を投げられて、わたしは思いっきり動揺した。後ろめたいことなんかなんにもなかったのに、めちゃめちゃ動揺した。
「まさか!純粋な応援よ!それ以外に何があるっていうの?」
マシューは半眼になってわたしを見た。
「……ははあ。ロラン隊長か」
「はい!?」
「なにか心躍るような約束でもしたんじゃないか?」
したっけ?いや、してない。仮にもし心躍る約束をしていたら、“オカルト主義”に走ってでもマシューを親善試合に出場させてみせるけど。
「まあ、隊長がそんなことするわけないか」
マシューは一人納得して、わたしはちょっと落ちこんだ。そっか。ロラン隊長は、心躍るような約束を簡単にしてくれるような人じゃないのか……。
でも、そこがまた、素敵。ものすごく誠実な感じがして。
マシューはとつぜん「昼食はすませたのか?」と訊いてきた。
「ううん、まだだけど」
「じゃあ、一緒に行く?」
とくに抵抗もなかったから、素直にうなずいておいた。貴族だとか、労働階級だとか関係なく、誰だってお腹はすくものね。
って、何でもないことみたいに思えてたのは、使用人用の食堂でおなじみのスライスバケット二切れとコーンスープ、それとブルーチーズを一切れのせたお盆を持って、マシューと一緒にテーブルにつくまでの話。
早番だった新人宮廷女中たちも、給仕役も、他の兵士も、珍しいものを見るような目を私とマシューに向けてきた。わたしたちは食堂の長テーブルでも、一番端っこの席に座っていた。マシューは他のテーブルに背を向けるように座っていたから気づかなかったみたいだけど、わたしはマシューの向かい側に座っていたから、周りから向けられる好奇の視線に気づいてた。
え、え?
新人宮廷女中って、兵士の友人と一緒のテーブルで食事をしてはいけないとか?
わたしはできるだけ頭を低くしながら、マシューに訊いた。
「ねえねえ、わたしたちって、一緒に食事しちゃダメなんじゃない?」
「なんで?」
「だって、なんだか……」
マシューが怪訝そうに後ろを振り返るときには、なぜだかみんな、いつもの感じに戻っていた。ふつうの平穏な食堂にあれっていったい、どういうこと?
「べつにいいんじゃないか?」
「そう、だよね」
でも、注目されていたのは気のせいなんかじゃない。わたしのような臆病者は、周りの視線にはひどく敏感なのだから。
「そういえばコレットって、早番ばっかり?」
「ううん。遅番もあるよ。なんで?」
「いや、夜の食堂であんまり見かけたことなかったから」
それはしかたない。夜ってたいてい食べてるヒマがないのだから。手際の悪さが災いして、掃除であれ雑務であれ、終わるころには夕食の時間も過ぎていることが多い。だから働きながら女中服のポケットにつっこんだ乾パンをむさぼる感じ。こんなはしたないことをやってることバレたら、女補は嬉々としてわたしをクビにするに違いない。
と、そこへ、つまりわたしとマシューが座ってるテーブルに、見たこともない兵士が近づいてきた。短い黒髪で、なんとなく自分に必要以上の自信を持っていそうな兵士は、親しげにマシューの肩に腕を回しながら、わたしに理由の分からない笑みを投げてきた。
「どーも初めまして。相棒がお世話になってます。トマス=レオルトです。伯爵家次男、十七歳のとびきり良い男です」
自称とびきり良い男の(正直、舞台俳優の容姿を基準にするならば、中の中くらいだ)貴族出身の兵士にちょっと気圧されながらも、わたしはぺこりと会釈を返した。
マシューはうっとおしそうにトマスの腕をはずしてた。
ええっと。覚えてる限りの、二人の会話。
「なんなんだよ、とつぜん」とマシュー。
「お前こそ、急にどうしたんだ?やけに積極的じゃないか」とトマス。
「べ、べつに、違っ、そんなんじゃ、たまたま……」ちょっと赤くなって、マシュー。
「ふーん。たまたま。お前からそんな言葉が聞けるとは」にやにや笑いながら、トマス。
「よく言うよ。お前だって、この前、声かけてたくせに……」声を低くして、マシュー。
「おれはふだんからそうだから、いいんだよ。でもお前は硬派だと思ってたのに……」あっけらかんと、トマス。
まだ何か、二人して静かに言い合っていたけど、覚えてない。
あの二人の会話って、つまり、いわゆる、ちょっと女の子には聞かせられないような野暮な話かと思われる。そんな話を目の前でされることになるなんて。かんべんしてほしい。
トマスは再び、わたしに理由なき笑みを投げた。
「コレット嬢、こいつのことよろしく頼むよ。じゃーな。しっかりやれよ」
自称とびきり良い男のトマスは思いっきりマシューの背中を叩いて去っていった。マシューは顔をしかめて、彼をにらみつけていた。わたしはというと……なんだか、いやあな気持ちになっていた。
フィエンがオリエントに住むいとこから聞いた話によると、主都の男はその……節操がないって聞いたことがあるの。もちろんわたしなんかは、女の子としても見られてないだろうけど(なんといっても、おやっさんですからね)。
というより、マシューは友人だもの。わたしはそういう、その、そういうつもりじゃなくて……。
「……あ、じゃあ、もう行くね」
いたたまれなくなって席を立った。食堂にいたみんなの視線の意味に気づいたから。ありえない。わたしとマシューが。“不釣合い”って言葉がお似合いなのに。公共の場で友人の顔をしているだって、気が引けたくらいなのに。
「あ、待って。コレット」
マシューが慌てて呼び止めてきた。
「あのさ、おれ、今度町に行く用事があって……良かったら、一緒に行かないか?」
このタイミングでいうんだもの!マシュー、どうかしちゃったんじゃないの?
わたしは――いいわ、嘘偽りなく、正直に書こう。うぬぼれだといわれても。
マシューがわたしのことを誘ったのは、どっかの宿屋か花館に連れこもうとしてるんだと思った。田舎者をからかってるんだって。そうよ。だって、フィエンが言ってたもの――二十歳以下の男なんて、そういうことしか頭にないんだって。
「わたし、行けない。仕事があるから」
そういって、わたしはマシューの顔も見ずに、負け犬のごとく食堂を後にした。なんだか見世物にされたような気分。
ええ、そうですとも。わたしのような仕事のできない新人宮廷女中が、マシューみたいな周りから有望視される兵士と一緒にいちゃダメだったのよ。たとえ友人同士だとしても。
やっぱりわたし、女の子の親友をつくりたい。女の子の親友さえいれば。フィエンさえいれば。野暮ったい話を目の前で展開されて居心地悪くなる女の子の気持ち、理解してくれるのに。
まかり間違っても純情そうな見習い料理人ニーノに相談するわけにはいかないし。ああ、わたしったら、ロラン隊長に約束したにも関わらず、マシューを剣術大会に出場させることに失敗してるし。こんなんじゃ、ロランさんにも呆れられる。
いまになって、マシューにあんな態度をとったことも、めちゃくちゃ後悔してる。一緒に町に出かけるくらい、いいじゃないの。友人なんだもの。怖がりで臆病で、これといった取り得もないわたしに、あんなに親切にしてくれた異性の友人なんて、これまでいなかったのに。
ああ、いやになる。どうしてこう、なにもかもうまくいかないんだろ。
〈今日の反省〉
うむむ。ちょっと感じ悪かったかも。
〈明日の目標〉
女の子の親友を作る!明日は同室のベルシーと勤務時間が一緒だから、勇気を出して話かけてみる。それから、例の黒フードの悪徳商法おばあさんについて何か知ってるか訊いてみる。(もしかしたら、五万リギーを取り戻す方法を知ってるかもしれない)
〈特記すべきこと〉
来週から仕事内容に加わるクッションカバーの縁取りの針仕事をどうやって回避するか……考える。
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