1章4話 崖っぷち

「ちょっと見たあ~? 今の態度!」


 歩く肩越しに見やった詰め所に、エレーンはぶちぶち毒づいた。


「無責任じゃないよ、どーみても!」

「良い勝負でございますな、奥様と」


 ちろ、と老執事は横目で見る。


「使者の要請を突っぱねたのは、そもそも奥様ではありませんか」

「あっ。そーゆーこと言ってくれちゃう~? よせ、って言ったのじいじゃない」

「はて。かようなことを、いつ申しましたか」

「合図したでしょー!? 首振って!」

「あ、いや、あの時は」


 しれっと空を見る老執事。


「ちょっとこう、首の周りがかゆかったものですから」


 エレーンは拳をわななかせる。

 そういや、こいつはそういう奴だ。

 なにせ (たぶん内緒だったのだろう) ダドリーの妾宅の所在地を、いともあっさりバラした輩だ。


 何をそんなにもめているのかといえば、言わずと知れた要請──あの使者に言い渡された、ディールへの援軍検討の件である。

 ちなみに、何とかしてもらおうと街の詰め所に駆けこんだのだが、実にあっさり追い返された……。


 こほん、と執事は咳払い。


「警邏と軍では、そもそも似て非なるもの、管轄違いもいいところですな」

「今ごろ言う~?」


 部下を左右に従えた警邏を取り仕切る長官は、白ひげの顎をあんぐり落として、事の次第を聞いていたが、にこやかに回答を促した途端、そそくさ壁に目をそらした。


『 そ、そうした一大事は、私などの一存では──。出動にはやはり、ご領主様のご裁可がございませんと 』


 さんざん渋るも、要するに、こうだ。


「我々の任務は、街の治安を守ることであって、断じていくさ をすることではない」


 そして、回答を要約すれば


 ── あんたに警邏を動かす権限はないよ。


「ここはやはり、グレッグ様にご相談なさるべきでしょうな」


 老執事はおもむろにうなずいた。


「あの使者とのやり取りを、包み隠さずお話し、適切な指示を乞うのです。チェスター家を継いだとて、グレッグ様も宗家の一員、宗家存続の危機となれば、知らん顔もできますまいて」

「そ、そうよねっ?」


 瞳を輝かせてがぶり寄り、エレーンはコクコクうなずいた。


「いくら(意地悪な)お義兄様だって、いつまでもすっ呆けてられないわよね? 我がままな子供じゃあるまいし。さっすが爺!」


 ……ん? と見やった老執事は、得意満面、高笑い。


「──いやいや、なんの!」


 足取りも軽く、いそいそ件の屋敷に向かう。


 ところが、であった。



「いない!?」


 ダドりーの兄、チェスター候の屋敷の門前で、エレーンはあぜんと固まった。


「誠に申し訳ございません。旦那様はご不在です」

 対応に出向いた黒服の執事は、背筋を伸ばして慇懃に告げる。


「どこへ行ったの、こんな時に!」


 いらいらエレーンは爪を噛んだ。


「一刻を争う緊急事なの。さっさと捜して連れてきてちょうだい!」

「いえ、なんでも商都が心配なので、様子を見に行かれるとかで」


 絶句し、エレーンは額をつかんだ。つまり、それって、


 ──まだ、そこらにいるってことか?


 なんということ。すねてしまったお義兄様は、子供より質が悪いらしい。

 己の屋敷の奥の奥へと、お隠れあそばしてしまったらしく、こうなると、呼ぼうが脅そうが出てきやしない。


 そして、対応にあたる「執事」とは即ち、アポなしの客を追っ払うプロフェッショナルの別名である。

 

 


 赤く染まった夕刻の道を、エレーンはとぼとぼ歩いていた。

 執事にゴネるもどうにもならず、にべもなく門前払いを食らったんである。

 敵はどうやら意地悪く、高みの見物を決め込む腹でいるらしい。


「……しかし、旦那様がご不在というのに、助言もして下さらぬとは」


 横を歩く老執事が、嘆かわしげに首を振った。


「これは、やはり我々は、相当な恨みを買ってしまったようですな」

「でも、あたしにそれ言われたって~」


 げんなり、エレーンは顔をゆがめる。


 先年、クレスト領家では、先代当主と嫡男が、急逝する不幸が相次いだ。

 そして、その際開示された、当主の遺言が問題だった。

 家督相続者として綴られていたのが、末子ダドリーの名だったのだ。

 つまり、領家の次子たるチェスター候グレッグにすれば、満を持して立ちあがった途端、頭上を飛び越えられた格好になる。


「でも、そんなの、あたしのせいじゃないのにぃ。もう。あたしに、どうしろっていうのよ……」


 大きな溜息でしゃがみ込み、エレーンは道端で膝をかかえた。

 世に聞こえた街の権威は、誰もかれもが無関心。

 身内でさえも、そうなのだ。それでどうにかなるとは思えない。

 他に相談しようにも、この土地には来たばかりで、知り合いさえ、いないのに。


 向かいから来た一団が、怪訝そうに見やって、避けて行った。

 うつぶせた視界を行きすぎたのは、黒革のごつい編みあげ靴。街では見ない種類の靴だ。

 通り過ぎた道の先で、足を止めて見ているらしい。

 道をふさがれて邪魔だったのか、こんな往来の真ん中で、座りこんだ様が不審だったか──

 じっと膝にうつぶせたままで、エレーンは顔もあげなかった。

 彼らがどう思おうが、そんなことはどうでもいい。


 ああ、どうしたら、いいのだろう。

 いや、すでに万策尽きている。

 右も左もわからない。これ以上、何も思いつかない──。


 老執事が心配し、顔を覗きこんでいるようだったが、応える気力さえ失せていた。


 道の先で足を止め、見物していた一団は やがて動いて歩み去った。

 声をかけてくれるでもなく。


 道でうずくまったまま、エレーンは腕に力を込める。

 そうした態度一つにも、無関心さが身にしみる。


「……なによ。みんな、逃げちゃって」


 食いしばった奥歯から、こらえた本音が、ついにこぼれた。


「できるわけ、ないじゃないよ、あたし一人で」


 物資、財力、技量、人材、すべてを取りそろえた権力に、素手で立ち向かえ、と言われているようなものだ。

 そもそも荷が重すぎる。

 あの領邸に入ってから、まだ何日も経ってない。

 まだ何も教わっていない。

 正夫人としての身の処し方も。貴族たちのしきたりも。

 こうした事態の対処法も。


 けれど、現に自分は、クレスト領家の正夫人。


(……あたし、なんとかしなくちゃいけない)


 絶望に、目がくらんだ。

 元より政治には疎いから、判断材料など何もない。

 夫は敵地で捕らわれている。

 この地方には軍などないし、警邏も義兄も知らんぷり。

 味方はいない。頼れない。


 けれど、猶予は今夜かぎり。


 明日には使者がやってくる。

 クレストとしての回答を聞きに。


 顔をしかめ、かかえた膝にすりつけた。

 こんな難題、なんで押し付けられなきゃならないのだ。そんなの無理に決まってるのに──


 ふと、エレーンは眉をひそめた。


 そう。

 初めから無理な話だ。

 、そう思う。


 脳裏をかすめた誘惑に、血の気が引いたのを、どこかで感じる。


 どくん、どくん、と鼓動が脈打つ。

 のぼせきった頭の中、そこだけが妙に冴えている。文句を言われる筋合いはない。


 みんなして丸投げしたんだから。

 そうしたらきっと、楽になれる。いっそ、ディールに


 ──降参すれば。

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