1章3話 他領からの使者
傷一つない飴色の卓を、さし挟んで座っていた。
華美な客室中央で、エレーンはぶちぶち背後を見る。
そこには、危ういところで難を逃れ、胸なで下ろした老執事。
(もー。なんで、あたしがこんなことをー!)
向かいには、
ディールからの正式な使者。その
「さて、早速でございますが」
使者は口上を述べ終わり、早々に用件を切り出した。
「主より預かりました書状にございます。ご領主様ご不在の由、先ほど確かに承りましたが、なにぶん急を要します故、代わってお納めいただきたく」
「いいえ。受け取れませんわ」
つん、とエレーンは横を向いた。
面食らった顔で、使者は見返す。
「──失礼ながら、何を
「わたくしは当主ではございませんもの。そんな権限、どっこにもございませんことよ?」
手の甲頬に押しあてて、ほほ、とエレーンはお愛想笑い。
故郷を攻めた、当のディールの使者なのだ。歓迎なんかしてやるものか。
しばし、使者は唖然とながめ、さし出した書状を拾いあげた。
「では、仕方がございませんな」
抑揚なく目を向ける。
「それでは誠に残念ですが、私は
ぎくり、とエレーンは腰を浮かした。「──それは!」
「現状での早馬が援軍の要請をさすことは、いくら世事に疎いといえども、お分かりになっているでしょう。それを書状さえ受け取らぬというなら、弓引く意志は歴然です」
淡々と、使者は続けた。結論を出される前に、よくよくお考え頂きたい。我々を敵に回して
エレーンは戸惑い、壁際の老執事を盗み見た。かすかに首を振っている。
小さくそれにうなずき返して、エレーンは顔を振りあげた。
「お引き取りを」
「……ほう」
使者は
「では、やはり、お心は変わらぬと? クレストは我々に敵対すると、こう受けとって
「いいえ? かようなことは申しておりませんわ」
エレーンは微笑み、向かいを見据えた。
「このような大事な書状を、私などが受け取るわけには参りませんもの。当家の意向をと仰るのなら、尚のこと主が戻り次第、出直して頂くのが筋というものではございませんこと?」
「ですから、急を要すると」
「そちら様のご都合でございましょう? 私などに仰られても」
使者は口をつぐんで眉をひそめた。
エレーンは密かにほくそ笑む。こうは見えても元庶民。多くの他人に揉まれつつ世の荒波を渡ってきたのだ。
口先で相手をやり込める事にかけては、ちょっとばかり自信がある。
客間の高い天井に、しん、と静けさが張りついた。
壁一面の大窓から、夏日が白々とさしている。床に黒く窓枠の影。
「──頑固なお方でいらっしゃる」
使者が苦笑いで頬をゆるめた。
「では、こちらも少しばかり、事情を明かすとしましょうかな。ああ、いえ、ここから先は、ありふれた世間話とお聞き流し下さって結構。いやなに、ちょっと耳にはさんだ他愛のない話なのですがね」
仕切り直すように前置きし、使者は礼装の
「実は先日、当方の兵が、ある者を捕らえて参りましてな。それがこちらのご当主様に、とてもよく似た風貌とのこと」
「──主人が!」
鋭くエレーンは息を
やんわり使者は苦笑いする。「いえいえ、かようなことは申しておりませんよ」
だが、射抜くような視線は
唇をわななかせ、エレーンは絶句で目をみはった。
ここ数日の出来事が、目まぐるしく去来する。
ずっと行方が知れないダドリー、見計らったように現れた使者、身柄の拘束をちらつかせる含み。
目の前の使者を凝視した。
ならば、今の「よく似た者」というのは──
使者は反応を楽しむように目を細め、骨張った指をゆっくりと組んだ。
「恐らく、これは人違い、さもなくば誤報の類でございましょうか。しかし、こうしたことは念のため、お耳に入れてさしあげた方が、と思案した次第でございましてな。まさか、北方のご当主が、遠い南のトラビアに、おられようはずもございませんが」
「──た、ただで済むと思ってんのっ! 領主を人質にとるだなんて!」
「はて、なんのことでございましょう。ご非難の意味合いが分かりかねますが」
「だ、だって! 今あんた、ダドリーを!」
「ですから、申し上げておりますでしょう。よく似た者と」
エレーンはへなへな、浮いた尻を座面におろした。
卓で握った手が震える。一体、何が起きているのだ?
こんなことが
だが、今のは紛れもない脅迫だ。
ディールへの隷属を拒むのであれば、領主の命の保証はしない、そう脅されたも同じこと。
領民の命と、ダドリーの命、その二者択一を迫られている。
どちらか一方を選ぶこと
のろのろ卓から手を下ろし、エレーンは奥歯を食いしばる。
「──一体、あたしに、どうしろと」
「おや、急に聞き分けが良くなられましたな。初めから素直に聞いておけば宜しいものを」
使者は哀れむように小さく嘲笑い、先の書状をさし出した。
「奥方様には、援軍をご検討頂きたい。ご当主様はご不在のご様子ですからな」
交渉の続く卓の下、エレーンは拳を握りしめる。
クレスト領家の命運が、思わぬ転落を始めていた。
だが、食い止めようにも術がない。
何事か打ち明けるように、使者が肩を乗り出した。
「我々は兵が欲しいのです。それも、ちっぽけな農民の寄せ集めなどではない。戦地シャンバールでも通用する、遊民どもの戦力が」
「……ゆうみん、の?」
エレーンは面食らって向かいを見る。
「ええ、遊民の」
その名を口にするのも汚らわしいとでもいうように、使者は苦々しく顔をしかめ、ハンカチで口元を押さえた。
「クレストには無論、民兵もご提供いただく。ご存知のように、我々には国境防衛の任がある。だが、軍を商都に留め置いた、この状態が長引けば、守備に支障をきたしてしまう。よって、今、我々は、一人でも多くの兵がほしい」
使者が蔑むように目を向けた。
「我々はそろそろ決着をつけようと思うのですよ。
一段と声を低くして、耳打ちするように顔を寄せた。
「おありになるのでしょう? 特別な伝が。奥方様におかれましては、是非ともそちらの方面で、ご尽力を賜りたい」
エレーンは戸惑い、視線をさまよわせた。
話がさっぱり飲みこめない。
使者の言う「遊民」というのは、どさ回りの旅芸人をさす蔑称だ。
いわゆる混血児の集団で、どこの国籍も有していない。歌や軽業などを披露しながら、幌馬車一つで各地を転々と放浪する。
そんな、歌い、踊り、道化を演じる芸事畑の旅芸人を、なぜ、戦になど駆り出そうとするのか。まさか、兵を慰労するためでもあるまいに。
「……なぜ、私などに手配できると思うのです? 何か勘違いをされているのでは」
"混血"は一般に忌み嫌われる風潮があるため、一段低く見られがちだ。
そんな排他的な存在に、特別な伝など、あろうはずもないのだ。
使者は哀れむように失笑した。
「おやおや、何も知らされてはいないらしい。賤民どもとクレストの親密なる関係を」
「でも、そんな話、あたし、一度も聞いたことは」
「遊民どもにお会いになれば、それはすぐにも、お分かりになること。クレストの頼みとあらば、連中も嫌とは言いますまい。ともあれ」
慇懃に言い捨て、使者は改めて目を据える。
「本来ならば一刻の猶予もないところですが、急な話で驚かれたことでしょう。奥方様におかれましては、よくよくご検討頂いて、返事については明日にでも、改めて伺うことと致しますかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます