1章「嵐の前」

1章1話 暗雲

 部屋に飛びこみ、執務机つくえにつめ寄り、エレーンは年下の夫をねめつけた。


「なんで、使者に会わないのよ!」


 クレスト領主ダドリーは、椅子の背にもたれかかり、書類に羽根ペンを放り投げる。


「書状を受けとっちまったら、人を出さなきゃならなくなる」

「助けに行かないつもりなの!」


 往生したように顔をしかめて、ダドリーは癖っ毛の頭を掻いた。


「ここは国境のない片田舎だぞ。領民は戦の素人だ。訓練された軍兵と、一体どうやって、わたり合う」

「でも!」

「どだい無茶な注文だ。万に一つの勝ち目もない。向こうの連中を助けるどころか、こっちこそ格好の標的だ」

「だけど、ダド! それじゃあ商都が──!」


 首都「商都カレリア」で、大変な騒ぎがもちあがっていた。

 西方にあるディール領家が、国土の中央ラトキエ領家の「商都カレリア」を急襲した、というのだ。


 ここ「カレリア」国は、国王サディアスの執政下、三つの領家が分割統治する国だ。


 南北に長めの国土のうち、三領家── 「ラトキエ」「ディール」「クレスト」が治める領土は、それぞれ国土の、中央、西方、北方となっている。


 三領家の筆頭「ラトキエ」が、「商都」と呼ばれる、国名と同名の首都「カレリア」を含む国土の中央、

 それに次ぐ「ディール」が、隣国との国境、および主都「トラビア」を含む国土西方、

 そして、ここ「クレスト」が、旧港湾都市「ノースカレリア」を含む国土北方だ。


 ちなみに、この国は開闢かいびゃく以来、政権強奪をもくろむような大規模な騒擾そうじょうとは縁がない。


 急襲されたラトキエは、この事態を収拾すべく、ここ北方のクレストに、協力を要請する使者を送った。

 ところが、こたび領主に就任したダドリーが、使者に門前払いを食らわせた、というのだ。



 執務机のダドリーを見据え、エレーンは憤然とつめ寄った。


「お願い。ラルとエルノアを助けてよ。ラトキエの人たちを助けてよ! あんたになら、できるでしょう!」


 渦中の商都カレリアは、ダドリーと出会ったよしみのある土地。

 エレーンの生まれ故郷でもある。当然、友人も数多い。


 執務机の椅子にもたれて、ダドリーは無言でながめている。

 言葉をつくして説得するも、動く様子はまるでない。

 相手の意図をようやく悟り、愕然とエレーンは見かえした。


、つもりなの?」


 机の上においた手を、ダドリーはゆっくり組みあわせた。


「なんと言われようとも、人は出せない。俺には俺の領民を守る義務がある」

「──あんたって人は」


 エレーンは絶句で見返した。かたく握った拳がわななく。


「人でなし! 自分さえ良ければ、それでいいの? あんたはそれで満足なのっ!」

「それは、今、説明したろう。エレーン、俺は」

「触らないで!」


 なだめる手を振り払い、すぐさま彼から飛びのいた。


「ダドのばかっ! だいっ嫌い!」


 ののしり、扉へ憤然と走る。


 ガタン、と椅子の足が鳴り、彼が立ちあがった気配がした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る