3章15話 戦後の町 3

 大人の足の間をぬって、それらは、ひょっこり顔を出した。


「お兄ちゃんたち、おひっこし、してくるの? いつ?」


 子供の甲高い無邪気な声。


 柔らかそうな癖っ毛が、ローイを見あげて衣装の裾を引いていた。

 五歳くらいの男の子だ。

 その仲間もいく人か、いつの間にかまぎれている。

 

 数日にわたった避難生活が解除され、飛び出してきた子供らだった。

 この街の小さな住人は、渋い顔の面々に、いかにも不思議そうな顔つきだ。


「ねえ、父ちゃん! どうして、こわいお顔なの?」


 父親の手を、子供の一人が無邪気に引っぱる。


「みんなも、ここにすむんでしょう? だったら、お祝いしないとさ」

「──い、いや、坊主。まだ、そうと決まったわけじゃ」


 父親は困った顔で言葉を濁した。

 子供は事情がのみこめず、ぽかんと顔を見あげている。

 一同、漠然と聞き耳を立て、苦々しい沈黙に包まれた。

 だが、子供の追求は容赦ない。

 ローイの隣の癖っ毛の子供が、怒鳴るようにして、わめきたてた。


「なんでー? なんでいけないのー? そしたら、ずうっとおまつりだよ? そのほうが、いいじゃない。お客さんがいっぱいくるし! そしたら、ぼく、お兄ちゃんに、馬ののりかた、おしえてもらう! それから、いっぱい、あそんでもらう!


 それから、お兄ちゃんのおうちにもあそびにいく! あとね」


「──も、もう、いいよ坊主」


 ローイがたまりかねて割りこんだ。


「俺らは、ここにはいられない」


 長身の背をかがめ、癖っ毛の頭に手の平を置く。

 にっか、と破顔し、笑いかけた。


「ありがとな坊主。嬉しいよ。だがな、俺らは、ここには住めないんだ」


 幼い顔は、きょとんと見あげた。


「なんでー?」

「そりゃあ、俺らみんなで居ついちまったら、お前らの食いもんがなくなっちまうからさ。そんなことしたら、坊主の晩飯まで、み~んな俺らが食っちまうぞぉ?」


 おどけた調子で、子供を脅す。


「……そっか」


 子供は大きく目をみはった。

 今、気づいたというように。

 考えこむように首をかしげ、ローイに顔を振りあげる。


「それなら、ぼくのぶん、わけてあげるよ。おなかがへっても、がまんする。だから、馬ののりかた、おしえてよ。それだったら、いいでしょう?」


 交換条件を突きつけて、子供は得意げに笑っている。

 ローイの顔が強ばった。


「……坊主の飯だけじゃ足りねえよ。大体、そんなことをしたら、あんたらに迷惑がかかる。だって俺らは……」


 ようやく声を押し出して、苦々しげに目をそむける。


 戦後の街路が、水を打ったように静まりかえった。

 誰もが彼らから目をそらし、言葉の先を引きとる者は現れない。

 誰もが知る、その先を。


 ローイは子供に笑いかけ、小さな頭に手を置いた。


「じゃあな、坊主」

「──でも、お兄ちゃん!」

「もう、じきに日が暮れる。お前らも早く、うちに帰れ。そろそろ寒くなっからよ」


 話を打ち切り、かがめた長身を引き起こす。

 舞台衣装の遊民たちも、それにならって踵を返した。

 軍服の捕虜を促がして、人垣から次々離れていく。


 群れは、北に向かって歩き始めた。

 子供は納得いかない顔つきだ。

 立ち去る遊民をあわてて見まわし、かたわらの父親をじれったそうに引っぱった。


「ねえ! いいの? いっちゃうよ?」


 街を守っていたのは遊民だ。

 子供らは避難しながらも、ちゃあんと、それを知っていた。

 そして、毎年行われる豊穣祭でも、華やかにしなやかに舞い踊る彼らは、いつでも子供らのヒーローだ。

 つまり、彼ら子供にとって、ローイたち遊民が悪い敵をやっつけるのは、しごく当たり前のことなのであって、手柄を称えて感謝しこそすれ、疎む対象では決してない。


「ねー、なんでー? なんで、すんじゃいけないのー? みんないっしょのほうが、たのしいよ? そしたら、まいにち、とっても、たのしいまちになるのに」


 子供らはわめきたて、執拗に大人を問い詰める。

 彼らは自分たちを守ってくれた。

 なのに、どうして仲良くしてはだめなのか。優しくしてはだめなのか。


 容赦のないまっすぐな問いは、重苦しい夕暮れの街に、いやによく響きわたった。

 だが、答えられる者はない。


 橙色の夕陽を浴びて、街中が引き揚げ始めていた。

 後味の悪い思いを味わって、どの顔も苦虫噛み潰したように陰鬱だ。

 戦の勝利の余韻など、とうの昔に色あせている。


 薄絹の衣装が風にはためき、夕陽に虚しくさらされていた。

 遊民たちは居たたまれない様子で、天幕群へと引き揚げていく。


 立ち去るその背を壇上で眺めて、エレーンは成す術もなく立ちつくしていた。

 彼らに掛けられる言葉など、もう、どこにも残っていない。


 無力感にさいなまれ、唇を強く噛みしめる。

 しょせん自分は留守番で、領主に成り代われはしないのだ。

 彼らに報いるなんの術も、なんの権限もないのだから。

 義兄が今しがた言った通りに。

 自分が何をどう言おうが、彼らは決して、


 ──信じない。


「やっぱ、だめ、かあ……」


 厳しい現実に打ちのめされて、エレーンは深く嘆息した。


 世の中は、そんなに甘くはない。

 己の希望ばかりが都合よく罷り通るはずもなかった。

 むしろ、自分の無謀な試みが、遊民という不当な身分を、住民、遊民双方に再認識させてしまった。


 遊民たちの肩を落とした落胆振りが、目に焼きついて離れなかった。

 これと同じ提案がダドリーの口からなされたならば、それが領主の言葉であれば、彼らも喜んで受け入れたろうに。


「……もう、疲れた」


 積もりに積もった数日の疲労が、津波となって押し寄せた。

 この時を狙い澄ましていたかのように。


 かくり、と膝から力が抜けた。

 あわてて体のバランスをとるが、よろけた足が支えきれない。


(しまった──!)


 足が、舞台の縁を踏みはずす。

 ぐらり、と視界が大きく揺れる。


 二階建てを優に越えるこの舞台は、熟達した踊り子のみが、舞うことの許される栄えある場。

 手すりなどという艶消しは一切ない。


 視界に割りこむ木床の縁。


 はるか眼下の通行人の頭──。


 異変に気づいた周囲から、驚愕のどよめきが湧き起こった。

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