3章14話 戦後の町 2

 エレーンは耳を疑った。

 全身の血が引いていく。


 名指しされたローイらは、いや、住民も含めた誰もが戸惑い、互いに顔を見交わしている。


 それは立派な口ひげをたくわえた警邏でさえも同様だ。

 あわてた様子で割って入った。「しかし、チェスター侯、彼らは今回の殊勲者で──」


「何をしている。さっさとしたまえ」


 顎でさし、チェスター侯は促す。

 だが、誰も動こうとしない。

 チェスター侯は不思議そうに警邏を見た。


「戦はとうに終っている。武器などなくとも問題はなかろう」

「た、確かに、それはそうですが、捕虜の収容が完了しておりませんし、それに──」

「なんてこと言うの!」


 憮然と、エレーンは立ちあがった。

 やぐらの上から、チェスター侯をねめつける。


「恩知らず! 無事でいられるのは誰のお陰よ! みんなが守ってくれたからじゃないの! それを」

「──誰かと思えば」


 怪訝そうに視線をめぐらせ、チェスター侯が櫓を仰いだ。

 不愉快そうに鼻を鳴らして、整ったひげをわずかにゆがめる。


「領家の奥方ともあろう者が、そんな所で何をしている。即刻そこから降りてきたまえ。それとも、私を見下ろすのが楽しいのかね」


「その高慢ちきな態度はなによ! みんながどれほど、がんばってくれたと──」


 チェスター侯はかたわらの警邏に振り向いた。


「何をぐずぐずしているのだ。早く武器を取りあげたまえ」

「ふざけんじゃないわよっ!」


 エレーンは気色ばんで乗り出した。

 立派な口ひげをたくわえた件の警邏をねめつける。


「さっさと、ここから引き揚げなさい! 自分の持ち場はどうしたの! みんなに手なんか出してみなさい、後でただじゃおかないわよ!」


 口ひげの警邏は困惑し、二人の警邏と見交わした。

 頭上を乱れ飛ぶ真逆の指示を──櫓上と侯爵を交互に見やって、おろおろと決めかねたように右往左往している。

 チェスター侯が業を煮やして舌打ちした。


「私の指示が聞こえないのかね。これらの武器を、さっさとこの連中から──」

「あーそーかい! わーったよ!」


 気色ばんだ大声があがった。

 人垣の肩を掻きわけて、すらりとした遊民が現れた。


 派手な衣装の若い男、遊民の長、あのローイだ。

 ローイはチェスター侯の前で足を止め、いぶかしげに見返す彼を、腕をくんで、ねめつけた。

 人垣に混じった舞台衣装の面々も、腹にすえかねた面持ちだ。


 エレーンはおろおろ彼らを見る。「ロ、ローイ、違うの、これは──」


「そんなに心配しなくても、あんたらにみんな、くれてやるよ!」


 チェスター侯は平然と、フロックコートの腕をくむ。


「そうしてくれると助かるな」

「お義兄さまっ!」


 あわててエレーンはたしなめた。

 だが、時すでに遅かった。


「あーあー、やめだやめだ! くだらねえ!」


 やりとりを見ていた遊民たちが、たまりかねたように騒ぎ出した。

 軍兵からとりあげた得物を、地面に乱暴に叩きつける。


「冗談じゃねえよ、胸くそ悪い。さんざん利用しといてこのザマかよ。終った途端にお払い箱たァ、ありがたくて泣けてくるねえ。姑息なあんたらの考えそうなこったぜ!」

「どうせ、お偉いさんのすることだ。そんなこったろうとは思ってたけどよ」

「これだから、あんたらは信用できねえってんだよ!」


 忌々しげに唾を吐き捨て、次々街路に踵を返す。

 目をすがめた胡乱な態度で、肩で風切って歩いていく。

 思わぬ展開に、エレーンはあわてた。


「ま、待ってみんな! どこへ行くの! ね、ローイ!」


「決まってんだろ、帰るのさ。俺たちのねぐらにね」

「待ってよ! まだ終ってないわ!」

「終わったろ。なに言ってんだ」

「まだ後始末が済んでないでしょ!」


「──後始末だァ?」


 立ち去りかけた足を止め、ローイが呆れたように振り向いた。


「おいおい、勘弁してくれよ。俺らは十分働いてやったろ。あんたの言うとおり戦ってやった。敵襲から守ってやった。青軍服を叩き潰して、けちょんけちょんに伸してやった。これでもう満足だろ」


 隣にいた彼の仲間も、憮然としてそっぽを向く。


「片付けは市民さまにやらせろよ。どうぞ勝手に、ご自由に」

「違うわっ! この街を立て直す、という後始末よ!」

「……あァ?」


 舞台衣装の一団が、怪訝そうに足を止めた。


 各々不貞腐った体勢で、一斉に櫓を振りあおぐ。

 いくつもの胡乱な視線──エレーンは思わずたじろいだ。


 だが、ここで引いては台なしだ。

 萎えそうな足を叱咤して、彼らの顔を真摯に見つめた。


「ここが故郷だって言ってたでしょ。だから、一緒にやるのよ、あんた達も! として!」


 やりとりを見ていたチェスター侯が、驚いた顔で目をむいた。


「──な、なんと」


 ステッキの先を、櫓上のエレーンに突きつける。


「な、何を勝手なことを! 何を言ったか、わかっているのか!」


「ええ、もちろん、わかっているわ」

「遊民に居住を許可するつもりか!」

「そうよっ!」

「──許さん! 勝手な真似は許さんぞっ!」


 チェスター侯が手にしたステッキを振りまわした。

 真っ赤な顔で、わめき散らしている。

 背後に控えた取り巻きも、唖然とした顔つきだ。

 

 遊民たちは呆然としていた。

 住民たちも隣と見交わし、予期せぬ事態にざわめいている。


 前代未聞の事態だった。

 威厳大事の領家の者が、公衆の面前で罵り合うなど、未だかつてなかった珍事。

 いや、それ以前に、今は内容が問題だった。


「一体、何を考えておるのだ」


 チェスター侯は嘆かわしげに眉をひそめ、白手袋の指を額に当てる。


「我がノースカレリアの居住権を、野犬にくれてやるというのか。まったく、理解しかねる。一体、何様のつもりなのだ」


 エレーンは無視して、ローイの驚いた顔に目を戻した。


「心から、あなた方を歓迎するわ。もしも、みんなが望むなら、どこに住んでも構わない。街に帰ってきてくれるなら──」

「勝手なことを言うんじゃない!」


 チェスター侯がたまりかねたように一喝した。


「なんという厚かましさだ。高々使用人あがりの分際で。少しは分をわきまえたらどうだね。そもそも、なんの権限があって──」


 くるり、とエレーンは振り向いた。


「うっさいわねっ! あんた、ちょっと黙っててよっ!」


 あんぐりと口を開け、チェスター侯は絶句した。「……あ、んた?」

 エレーンは構わず目を戻す。


「あなた達は古い仲間よ。古い傷を乗り越えて、あたし達と共に戦ってくれた。街と市民を守ってくれた。だから、この街に住む資格があるわ。──いい? みんながここに住む事を、このあたしが許可します。これは領主代行としての決定よ。誰にも文句は言わせないわ。これからは、みんなでこの街を盛りあげ──」


「へえ、ありがたいねえ」


 冷ややかな嘲笑がさえぎった。


 ローイがうつむき、くつくつ、おかしそうに笑っている。

 荒んだ目を振り向けた。


「それはつまり、こういうことか? "居住区"って名前の体のいい檻を、進呈して下さるって寸法かよ」


 遊民の間に、嘲笑が広がる。

 ローイは腕組みをおもむろに解いて、刺すように鋭い目を向けた。


「悪いが、辞退させてもらうぜ。俺らは家畜じゃねえからなァ」

「あんた、なにを聞いてたの。"どこでもいい" って言ったはずよ」


 ローイが胡乱に目をあげる。

 エレーンも挑むように睨み返す。


 夕暮れの街に、西風が吹いた。

 ぬるい夏の夕風が、二人の髪をなびかせる。

 どちらも目をそらさない。

 ローイの顔に目を据えて、エレーンは下腹に力をこめた。


「いつまで、いがみ合っているつもり? 同郷どうしで反目するなんて、これほど馬鹿げた話はないわ。さっさとみんなと和解して、ここで楽しく暮らすのよ。手を携えて盛りたてるのよ。いつかじゃなくて、今すぐに! もう、どこにも行く必要はないわ」

「──いや、あんたは簡単に言うけどよ」


 戸惑ったような声がした。

 ローイではない、遊民の一人だ。エレーンは怪訝に目を向ける。


「こんなに土地があるんだもの。ここにいれば、いいじゃない。ここで暮らせば、いじゃない。旅になんか出なくても、みんなと田畑を耕せばいい。街で商売したっていい。だって、みんなの故郷でしょう? だったら、何をためらうことがあるの。大手を振って、ただいまって帰ってくれば、それでいいのよ」


 普段着姿の住民たちも、無言で話を聞いている。

 エレーンは視線をめぐらせた。


「一緒に街を創りましょう。あたし達と暮らしましょう。ね、お願い。戻ってきて!」


 遊民たちは目をそらして沈黙した。

 いずれの顔にも、困惑と躊躇が張りついている。

 それは住民たちも同様だ。反対もしないが、賛同もしない。


 ローイが力なくうつむいた。

 その首をゆるゆると振る。


 応えは「否」


「──ど、どうして!? みんな!?」


 エレーンはおろおろ見まわした。


「か、帰ってくればいいじゃない。ここで暮らせばいいじゃない。なんで、それじゃ、いけないの?」


 芳しからぬ反応だった。

 信じられない思いで、拳を握る。「ねえ、なんで!」


「──なんでって、あんたなあ」


 遊民の一人が、たまりかねたように舌打ちした。

 隣と苦々しげに目配せする。


 西風吹きわたる夕刻の街路に、白けた空気が立ちこめた。

 重苦しいわだかまりは宙にほうられ、誰もが理由を語らない。


 その時だった。

 鬱々とした人込みの中から、小さな拍手が聞こえてきたのは。

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