3章13話 終戦の町 1

 さらさらした黒髪が、夕暮れの風になびいていた。


 夕陽が照らす細い背は、放心したように動かない。

 彼女はやぐらの縁に座りこみ、足を子供のようにぶらつかせている。

 さすがに疲れてしまったか、それとも気が抜けてしまったか。


「──終ったな」


 その背中をしばらく眺め、デジデリオは微笑んで近づいた。


「さ、戻ろうか、奥方様」


 黒髪が身じろいで、ふと、肩越しに振り向いた。

 領家の正妻、エレーン=クレスト。


「あ、いえ。あたしは、もう少しここで。みんなにお礼も言いたいし」

「そう? じゃあ、僕はお先にね」


 お疲れさま、と手をあげて、はしごを伝って地面に降りる。

 暮れゆく街をそぞろ歩き、デジデリオは天を仰いで、口笛を吹いた。


「──勝っちまったよ」


 あの新米の奥方が、結局、街を守ってしまった。

 反目しあう宿敵を鼓舞して。

 たそがれ始めた通りには、片付けを始めた男らが、くたびれた様子で行き交っていた。

 この街の商店主、派手な衣装の辻芸人、縄を打たれた軍服の捕虜──一堂に会したこれらの役者を舞台に引きずり出したのは、櫓にいる奥方だ。

 

 そう、あの細腕で、見事それをやりおおせた。

 これまで、どんな領主にも成し得なかったことを。

 

 目の前に広がる光景は、街にしておよそ信じがたいものだった。

 住民とバードが一つ輪の中でたむろして、バードが捕虜を連行している。

 あの無精なバードが率先して。この街の住民のために。


 彼女は"ケネル"を動かした。

 そして、ケネル率いる精鋭隊を。しかも、割に合わない戦なんぞに。

 

 どれほど札束を積んだとて、ガーディアンは動かない。

 彼らと契約を望む者は、隣国の同盟幹部たちは、提示された条件を満たすべく、躍起になって奔走するのが常だ。

 それを彼女は、いとも容易く動員した。

 策を弄すでも札びらを切るでもなく、場違いな駄々をこねただけで。

 

 やはり、正妻にまで登りつめる者は器が違うということか。

 いや、あれは決して鮮やかな首尾ではなかった。もっと不様で、でたらめだ。

 

 あの日、司令棟に乗りこんできた彼女の独壇場を思い出す。

 デジデリオはくつくつ笑った。


「──家族、か」


 相手の事情など知らないくせに、まさに、そこを衝いてくるとは。

 デジデリオは苦笑いして、瞼を閉じる。


 ──遊民は、


 歩く足を、ふと止めた。

 しくじった、という顔で、人さし指で頬を掻く。


「さて、とっとと戻るとするか。いいかげんセヴィを解放しないと。今度はまじで、ぶん殴られるな」


 夕陽に染まった戦後の街路を、デジデリオは北へと急いだ。




 

 商店ひしめく煉瓦の街路が、橙色に染まっていた。

 夕日が看板に反射して、疲れた目にいやにまぶしい。


 高い櫓の縁に座って、エレーンは風に吹かれていた。

 捕虜は壁沿いに集められ、遊民の監視下に置かれている。

 縄で手首を拘束された軍服たちが、その中から引き出され、街路を引っ立てられていく。

 

 店の花壇の煉瓦囲いに、人が座りこんでいた。

 街角の陰にも、膝を抱えてうずくまった者。

 壁にもたれて足を投げ出し、力尽きたようにうなだれた者。

 

 皆、髪はぼさぼさだ。

 疲労の色が隠しようもない。

 衣装を切られて半裸の者、片足を引いて歩く者、服に血を浴びた者、荷車で横たわった住人は、診療所へと運ばれるのだろうか。

 怪我人が方々にいるようだった。

 けれど、これで、やっと


「終わった……」


 エレーンは長く息をついた。

 額を流れる汗に気づいて、腕を持ちあげ、ゆっくりぬぐう。

 

 握り続けた指先が、まだ小さく震えていた。

 ずっと炎天下にいたせいか、足はもうガクガクだ。


 勝算のない戦だった。

 だが、蓋をあければ勝っていた。

 今にして思えば、あっけない。

 それもこれも、皆の協力があったればこそだ。


 舞台衣装の茶髪の男が、街角で住民とたむろしていた。

 初老の男が煙草を勧め、舞台衣装が紫煙を吐いて笑っている。

 寄るとさわると喧嘩をしていた、あの住民と遊民が。

 

 通りには、何かを伝えに走る者。

 兵から取りあげた軍刀を、両手で抱えて運ぶ者。

 日暮れの穏やかなざわめきの中、粛々と後始末が進んでいる。

 エレーンは膝をかかえて、うつ伏せた。


「……やっぱ、もう帰ろうかな。みんなには後で、お礼を言いに行けば、いいよね」


 視界がくらくら揺れていた。

 貧血を起こしているらしい。

 斬られた背中が、今になって痛んだ。

 緊張の糸が切れたのか、体が重く、いやに気だるい。

 強烈な眠気が襲ってくる──。

 ふらつく頭を膝にすりつけ、眼下の街路に目を戻す。


 怪訝に、それを見返した。

 一団が十字路を曲がってくる。


 くたびれ果てた他とは異なる、いやに目を引く一団だ。

 フロックコートを着用し、トップハットに蝶ネクタイ、白手袋の手にはステッキ。この地方の貴族たちだ。全員、しっかりと正装している。

 あの、先頭にいる細面は──


「お義兄さま?」


 ぽかん、とエレーンは口をあけた。

 そこにいたのは、いかにもあの義兄、チェスター候グレッグではないか。

 使者の来訪に困りはて、教えに乞いに行った際、門前払いを食らわせた──。

 

 背中で手を組んだ警邏が三人、一団の後につき従っていた。

 立派な口ひげをたくわえた警邏と、若い警邏が二人、貴族に命じられた護衛だろう。

 ともあれ、貴族街からめったに出ない貴族たちが、なぜ、下々の街になど出てきたのか。

 

 取り巻きを連れたチェスター侯は、すれ違う遊民の姿を怪訝そうに見まわしながら、通りの中央に向かっている。

 あっ、と理由を合点して、エレーンは呆気にとられて呟いた。


「……そうか。みんなの労をねぎらいに」


 脱力して、突っ伏した。

 なんて調子のいい奴なのだ。

 助けを乞いに行った時には、屋敷の奥に逃げこんで、ちゃっかり出てもこなかったくせに。


 だが、まあ、一席ぶったら帰るだろう。

 そういう領民への労いなんかも、たぶん仕事の内なのだ。好きなようにさせればいい。

 そもそも文句を言おうにも、今はへとへと、泥のように疲れはて、体はだるいし、目もまわる。

 それに、何はともあれ、やっと戦争が終ったのだ。


 貴族の一団が街角に立ち、人々が遠巻きにして集まった。

 いずれも、いぶかるような面持ちだ。


「皆の者、よくやった」


 チェスター侯は一同をねぎらい、おもむろに視線をめぐらせる。


「それでは、遊民どもから、武器の一切を取りあげよ」

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