3章12話 決着


「あ、あら、ん……?」


 エレーンは、ぽかん、とまたたいた。


 不思議なことが起こっていた。

 突風がだしぬけに巻き起こり、塀の上の軍服をたちどころに弾き飛ばしたのだ。


 あたかも、主のめいに応えたように。


 軍服は尻餅をついたまま、呆然と口を開けている。

 訳がわからないといった顔。

 ちなみに味方も交じっているのが、ちょっとイマイチご愛敬。

 にしても、なんて絶妙のタイミング──。


 ふと、エレーンは気がついた。

 なんだか後ろの彼の手が、いや、手の中の石の方だろうか、いやに温かくなってるような──?


「ほら、手を下げない」


 ゆるみかけた右の手を、デジデリオが握り直した。

 空に向けて顎をしゃくる。


「ポーズってのは大事だぜ。格好良くキッチリきめないと、演目ショーがさっぱり締まらない。今は何より、威嚇の効果が倍増する。それに、見てみな、あの空を。天候が都合よく荒れ出した」


 おお、なんと都合のよい!


 エレーンはびっくり仰天振りかえる。

 デジデリオが笑って耳打ちした。


「どうせだから、もう一発かましてやれ」


 エレーンは大きくうなずいた。

 正直、何が何だかなのだが、この際、理屈はどうでもいい。

 石を握った右の手を、張り切って空に振りあげた。


「風よ! わが敵をなぎ払え!」


 キメの台詞を、ちょっとカッコ良くグレードアップ。

 後ろの師匠が言ったから。


 再び、突風が吹き荒れた。


 威力は前より増したようだ。

 塀に取り付いた軍服が、次々壁から引き剥がされて、地面に叩き付けられていく。


 風は、凶暴に吹き荒れた。

 そして、軍服のみをなぎ払う。

 主のめいを忠実に遂行するように。


いかづちよ! 敵に怒りの鉄槌を!」


 雷が、唐突に鳴り出した。


 ぎくり、と青軍服が飛びあがる。

 地響きが不穏に鳴っている。

 あたかも、軍服を付け狙うが如きに。


 エレーンはにんまりご満悦。

 胸のすくような快挙である。


「じゃ、じゃあねえ、今度はねえっ!」 ( ←ちょっと楽しくなってきた )


 うきうき、考えをめぐらせる。

 はた、と名案がひらいて、


 得意満面、顔をあげた。



「炎の竜よ!」 ( ←ちょっと調子に乗っている )



「……いや、それは無理だろう。そんなものは、この世にいない」


 さすがにデジデリオが引き止めた。


 ともあれ、恐ろしいほどの偶然だった。

 だが、牽制効果は絶大だ。

 軍服はあたふた逃げまどい、今や完全にビビっている。

 びくびくうかがう畏怖のまなざし。


 そうした変化は、敵のみに止まらなかった。

 味方である遊民さえも、戦闘の手を唖然と止めて、いかさまの仕掛けを探すべく、きょろきろ辺りを見まわしている。


「──き、奇跡だ!」


 裏返った声が、どこかであがった。


「救世主だ! 救世主が現れたぞ!」


 歓声があがった。

 それは息をつめて成り行きを見守っていた住民の一部だった。

 感慨無量で抱き合っている。


「ありがとうございます!」

「エ、エレーンさまっ!」

「……あ、あのメイドあがりが……本当に、やりやがった……」


 ある者は絶句し、ある者は唖然と口を開け、又、ある者は熱狂的なまなざしを送る。

 一部で芽生えた歓声は、熱狂的な波となり、瞬く間に広がった。

 それはみるみる増幅し、戦乱の街を包みこむ。


「ご加護だ! 神のご加護だぜ!」

「神は俺たちの味方だ! つまり、この戦、こっちに分があるってことだ!」


 幾多あまたの好意的な視線が、舞台をあおぎ、たたえていた。

 彼らは櫓の上に見い出したのだ。


 降臨した勝利の女神を。


 遊民・住民混成軍は、この奇跡に力を得、死に物狂いで抵抗を始めた。

 軍兵たちは怯んでいた。

 なにせ、甲高い雄叫びが聞こえると共に、体ごと突風に薙ぎ払われ、頭上には今にも雷が落ちてきそうなのだ。


 いかにも、ありえない現実だった。

 だが、この状況に叩き込まれて、誰が信じずにおれるだろう。

 天上の神の存在を。

 これではまるで、神の不興を買ってしまったようではないか。


 住民の上げる歓声で、空気が大きくどよめいていた。

 そして、その並みならぬ瑞兆を、ケネルは見逃しはしなかった。


「──よし、行くぞ! 将を捜して、一気に落とせ!」


 気運の変化を目ざとく見てとり、ぬかりなく配下に指示を出す。

 抜刀した傭兵たちが、速やかに敵の本隊に斬りこむ。


 戦況が、大きく揺らいだ。


 夏日が照らす土煙りの中、敵の大将の護衛らは、いくえにも将を取り囲んでいた。

 険しい目つきで睥睨し、近付く者をことごとく剣呑に牽制している。


 護衛はいずれも荒くれた風情で、そろいの軍服を着ていない。

 つまり、彼らはケネルらと同じ、隣国の傭兵ということだ。


 混乱うずまく土煙の中、ケネルは敵将を捜して切り込んだ。

 配下も速やかに後に続く。


 敵の護衛がそれに気がついた。

 たちまち頬を強ばらせ、いずれも表情を凍りつかせる。


「な、なんで連中がカレリアにいる!?」


 互いに素早く目配せした。

 戸惑い、誰もがその目を大きく見開いている。


 変化は顕著だった。

 これまでの態度から一転し、びくびく得物を構え直して、警戒に顔を引きつらせている。


「ま、まてよ、ありゃあ──」


 愕然とした声がした。


「ケネル!?──" 戦神ケネル " か!」


 居並ぶ敵に、ケネルは視線をめぐらせる。


「命が惜しくば、自国くにへ戻れ。どれほどここで稼ごうが、金など、あの世じゃ使えやしないぞ。俺を知っているなら、話は早い。以前共に戦ったらしいよしみで、今なら、五体満足のまま見逃してやる」


「み、見逃して……?」


 ひくり、と護衛らが反応した。


「お、おい! どうする!」

「ど、どうするったって、お前──」


 護衛らは肘をつつき合い、ぎこちなく顔を見合わせた。


 敵前逃亡は己が価値を貶める。

 それが雇用主の知るところとなれば、契約金にもさし障る。

 剣技と腕力とを以てして日銭を稼ぐ傭兵には、契約金すなわち己の価値だ。


 見栄も自尊心も当然あった。

 腕に覚えがあれば尚のこと、評価の下落は耐えがたい屈辱。

 だが──


 向かいで静かに眺めている、ケネルの様子を素早くうかがう。

 護衛達は迷っていた。

 対決するには、いかにも相手が悪かった。


 身の振り方は二つに一つ。

 逃亡者の烙印を押され、臆病者の汚名に甘んじ一生を過ごすか。

 さもなくば、一か八かの勝負に出 " 戦神ケネル " を狩り捕るか──。


 自尊心と時の運。

 両者を天秤にかけての算段が始まる。


「さっさと決めろよ」


 ケネルは無造作に近付いた。

 護衛らは額の汗を拭きながら、臨戦体勢でじりじり後退。


 ケネルが視線をめぐらせる。

「さあ、どうする」


 

「た、助けてくれっ!」


 護衛が一斉に懇願した。


 " 戦神ケネル "──目の前にいるのは、まさにその名で呼ばれる男だった。


 隣国の牽制が主な任務のカレリアの軍人は知らないだろうが、戦場で稼ぐ傭兵に " ケネル " を知らぬ者はない。

 そう、戦地シャンバールで生きる者なら、誰もがそれを知っている。


 己が生死に深く関わる、彼らの存在を。



 護衛らがあたふた踵を返し、己の馬に飛び乗った。

 我先にと馬首を返して、全速力で離脱する。

 

 それは、広大な戦場の一点で芽生えた小さな怖気だったろう。

 だが、一気に拡大し、北カレリアの戦場を覆った。

 

 あわてて馬首を返した護衛らを、ケネルは追うでもなく見送った。

 淡々と眺め、口端で笑う。


「カレリアの仲間にも伝えておけ。俺たちはクレストについたとな」


 " 戦神ケネル " 参戦の噂は、瞬く間に伝わった。

 方々で湧き起こるどよめきと混乱。

 辛うじて統率を保っていた寄せ集めの傭兵たちも、主力に離脱されて総崩れとなり、ほうほうの体で退散を始める。


 恐怖心が加速して、それが新たな怖気を呼びこみ、北カレリアの戦場を覆い尽くした。

 押し寄せてきた大波に、端から呑まれていくが如くに。


「──お、おい! お前ら! どこへ行くんだ! おいっ!」


 相次ぐ傭兵の持ち場放棄に、正規兵はまごついた。

 軍服を着た正規兵は、平穏な国を守るだけが任務。

 つまり、てだれの傭兵は戦の頼みの綱なのだ。


 だが、怒涛の勢いの前には成す術がない。

 泡を食って離反する傭兵たちを、ただただ唖然と見送っている。


 混乱の土煙が去った後には、軍服の正規兵だけが取り残された。

 開戦当初は圧倒的な優位を誇ったディール軍だが、今では散々に切り崩されて、わずか数十人となっている。


 馬蹄が蹴散らした戦場には、軍服がまばらに右往左往している。

 ケネルは戦場を突っきって、軍服の内の一人を捕まえた。

 背から首を拘束し、喉元に切っ先を突きつける。


「指揮官の所へ案内しろ」

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