3章10話 お立ち台

 はしごを上がっていくにつれ、

 建物の壁に遮られていた前線の現状があらわになった。


 敵はそろいの青軍服、

 それ以外が遊民・住民混成軍と大雑把に色分けできる。


 罵倒と砂塵がうずまく中、ローイを初めとする舞台衣装の茶髪頭が乱闘の波間に見え隠れしていた。


 揉みくちゃになりつつ、忙しなく奮闘しているのが見てとれる。

 やたら威勢が良かったが、口先だけではないようだ。


 散々に踏み荒らされて、土道の砂埃が舞いあがっていた。

 勢力は手前から、青軍服、遊民・住民混成軍、青軍服と交互に続く。


 戦闘の突き当たりの、貴族街の現況は、建物の陰で見えないが、貴族街よりにつめている敵の青い軍服が、みるみる数を減らしていくのが見てとれた。


 一時は貴族街に肉薄していた砂埃が、押し戻されるようにして手前に戻ってきつつある。

 ローイ達が手分けして、軍を挟み撃ちにしたらしい。


 やがて、敵の先陣が殲滅したか、ローイ達が反転した。

 後は、外壁を越えて侵入してくる後続部隊を残すのみだ。


 前線は、大通りの突き当たり、つまり、南壁の前にまで戻ってきていた。

 エレーンはなんとかやぐらの頂上に辿りつき、壇の端を目指して歩いた。

 激しい揉み合いを眺めやり、南壁から侵入してくる軍服たちに目を向ける。

 あの流入を、なんとかして食い止めねば!

 深く息を吸いこんだ。


「あんたたちぃ! そこから降りなさあい! ちょっと、あんたたちぃ──!」


 敵兵の動きに変化はない。


 声が届いていないのだ。


 だが、をここでやるならば、注目を集めぬことには始まらない。

 ここは一番、ふんぬ、と踏んばり、気力のありったけを振りしぼった。


「ちょおっとぉっ! あんたたちぃ! こっち向きなさいよ! ねーっ! ちょっとでいいからあっ!」


 兵らは無視を決め込んでいる。

 それはいつまでたっても変わらない。

 しまいには泣きが入って、エレーンは一人じたばた懇願。


「いー加減こっち向きなさいってばっ! ちょっとあんた、シカトしてんじゃないわよっ!」


 いや、シカトしているわけではない。

 皆、それどころじゃないだけだ。


 それでも、エレーンは声の限りを振りしぼる。


 強い夏陽にじりじり焼かれて、徒労感が押し寄せた。


 もう声が枯れそうだ。

 しかも、今日に限って、いやに暑い。日頃の行いが悪いのだろうか。

 ちょいちょい、足首をつつかれて、エレーンは苛立って振りかえる。


「もうっ! なにようっさいわね! あたしは今、忙しいのっ!」


 きょとん、とまなこを瞬いた。


「……ジャックさん?(だっけ?)」


 さっきの胡散臭いチョビひげではないか。

 ビーズ頭をじゃらじゃら揺らして、はしごにしがみ付いている。

 エレーンはまじまじ見返して、板床をつかむチョビひげの手で、ふと、目を止めた。


(指輪までしてたんだ……)


 しかも多数。


 どうでもいい新発見に、不覚にも気勢を削がれていると、当のチョビひげはちょいちょい後ろを指している。


 内心舌打ちでそちらを見れば、演壇の板床の隅っこに、籐のかごが置いてある。

 雑貨屋の店先でよく見かける変哲もない籐のかごだ。

 エレーンは怪訝に歩みより、これがどうした、とかごを覗く。


「クラッカー?」


 ぽかん、とチョビひげを振り向いた。

 原色の紙に銀のお星様がたいそうキュートなクラッカー。

 祭のイベント用に用意された物らしい。だが、だから、これが何だというのだ?


「それ、たぶん役に立つぞ?」


 チョビひげはこっくりうなずいた。その顔はいたって大真面目。

 エレーンは曖昧にたじろぎ笑った。

 言ってることはまともなのだが、疑いたくなるのは何故なのか。


「んじゃ、俺はこれで」


 用は済んだといわんばかりに、チョビひげは、とっとと降りていく。


「……あ、ありがと」

「そろそろ加勢に行かんとな。奴らも、このジャック様なしでは、さぞや苦戦しているだろうから」


 エレーンは片頬をひくつかせ、ぷらぷらなおざりに手を振った。

 こんな隅っこのかごなんぞ、奴に言われなきゃ気づかなかったし、危ういところを助けてもらって、こんなことを言うのもなんだが──


 なにしにきたのだ? あの男。


 ともあれ、せっかくなので、かごをあさった。

 中にあるのは赤・青・黄の色鮮やかなクラッカー。


「……面倒ね」


 三つの紐をたばねて引っぱる。


 パン・パン・パーン──と、とてつもない破裂音が、喧騒を破って空に響いた。


 殺気立った揉み合いが、ビクリと飛びあがって動きを止める。


「……銃か?」


 面くらったような声がした。


「まさか。銃はご法度の禁制品だぞ。こんな所にあるはずが」


 今の音の出所を探して、人波がざわざわ、いぶかしげにざわめく。

 やがて、そのあらゆる視線が天空の一点に集まった。

 注目を集めたその先は──


「え、えっとお……あの~……」


 ぎこちなく頬をゆがめて、エレーンはもじもじ媚び笑った。

 怪訝な視線を一身に浴び、過大な反応にほぞを噛む。


(くっそ~! あのチョビひげの奴ぅ~!)


 なんか騙された思いでいっぱいだ。

 確かに目的はこれだった。

 だが、これではいささか希望と違う。

 なにせ外の者までが、ぽかんと口を開けている。


(あ、あんた達はいいんだってば~)


 ……あ、どうぞどうぞ、そっちは続けて~、とお愛想笑いでそそくさ促し、その実、内心どっと冷や汗。

 任地はあくまで街なんであって、その他については担当外。

 そう、そんなに多くは望まない。

 当方の希望としては、南壁近辺の人たちにちょっと話を聞いてもらえばそれで──


 塵芥まい散る空気の中、色とりどりの戦士たちが、荒い息に肩を弾ませ、呆然と動きを止めていた。

 取っ組み合いの手を休め、剣の切っ先をゆっくり下ろし、殴りかけた腕を下ろして、メインストリートの特設舞台を敵味方の別なく眺めている。

 毒気を抜かれた顔、顔、顔。

 街路を埋めてひしめく人々、街道の向こうにまであふれ返った膨大な人波──。


 降ってわいた大舞台に、エレーンはおろおろたじろいだ。

 こんな大勢を向こうにまわして何かしたことなど一度もない。

 そもそも、こんなクラッカーごとき、別に珍しくもなかろうに、なのに


 ……なんで、いつまでも見てんのよ。


 どつぼにはまり、じっとり嫌な汗をかく。


 停止していた群集が、ざわざわ低くざわめき出した。

 なしのつぶてとやがて知れるや、いぶかしげだった当初の視線も、冷ややかなものに変わりつつある。

 むしろ、呆れて眺めるいずれの顔も、腹に据えかねた面持ちだ。


(……やばい。怒ってる)


 のっぴきならない状況だ。

 エレーンはじりじり後ずさり、スカートのポケットをあたふた探る。

 いや、違う、そうじゃない。

 ちょっと気を呑まれただけで、いたずらのつもりでしゃしゃり出てきたわけではないのだ。

 こんな大ごとは予定と違うが、こうなったら一か八かだ! 


 むんずとをつかみ出し、敵兵またがる南壁に向け、まなじりを決して突きつけた。


「そこから降りなさい、あんた達! さもないと叩き落とすわよ! が目に入らないの!」


 それは、誰もが知るおとぎ話。


 大陸北方の川のほとりで、稀に出土する不可思議な翠玉。

 敵がそれを知っていれば、あるいは──


「夢の石よ! 夢の石っ! あんた達、夢の石を知らないのっ!」


 そう、あるいは上手く引っかかるかもしれない。


 夢の石──それは"人の世の望み、ことごとく叶える"奇跡の石だ。


 石がもたらす不思議な奇談は、全国各地に残っている。

 身近なものでは個人の望みの成就から、せっぱつまった戦場での奇跡的な大勝利に至るまで。

 つまり、これにならって脅しをかけようとの魂胆である。

 早い話が立派な





 軍服の大群を必死で掻きわけ、敵将を捜していた隊長ケネルは、脱力して、額をつかんだ。


「あの馬鹿が! あんな所で何をしている!」

「──おや、あの子は」


 隣で同様にそれを眺めて、バパがいぶかしげに首をひねった。


「ジャックをつけたはずだがな?」


 なんであんな所に……と不思議そうに顎をなでる。


 やぐらの上だ。

 踊り子コンテスト用に街中央に設えられていた。

 その壇上で、スカートをなびかせた黒髪の女が、南壁に指を突きつけ、何やらわめき散らしている。

 生憎、距離があり過ぎて、演説の内容は不明だが。


 ゆらり、とケネルが顔をあげた。

 わなわな拳固を震わせている。

 怒り心頭に発した額には、既に幾つもの不穏な青筋。

 不穏な形相で振り向いた。


「あれじゃあ、いい標的だ!──おい! 誰か行って、引きずり下ろしてこい!」


 櫓の上の独擅場を、へえ、と眺めていた傭兵が、飛びあがって拝命した。

 そそくさ街に駆けていく。

 ケネルの近くにたまたま居合わせたこの部下こそ、いい迷惑ってもんである。






 突きつけられた宣言に、眼下の人波がざわめいた。

 動きを止めた人波が、一斉に目を向けている。

 その視線に含まれているのは戸惑い、当惑、不審、警戒──


 想像以上の反応に、エレーンはたじろいで身を引いた。

 耳目を集めた非日常的な光景に、思わずくらくら眩暈がしそう。

 だが、目なんか回している場合じゃない。

 ここから先が本番なのだ。エレーンは下っ腹に力を入れた。


「警~告しておくわ、あんた達! 逃げるんだったら今のうちよ! ほ~ら、さっさと逃げないと、黒焦げにするわよあんたたちィ!」


 指を突きつけられた南壁の兵士が、ぎくりと肩を震わせた。


 壁にまたがった半端な姿勢で、きょろきょろおどおど、まごついている。

 隣の兵と恐々顔を見合わせているが、戻るでもなければ降り立つでもない。

 その先の行動を決めかねているらしい。


(そうそう、そうよ、その調子!)


 うまく運びそうな雲行きに、エレーンは密かにほくそえんだ。

 成り行きを見守る胸が高鳴る。

 様子をうかがうおっかなびっくりのあの狼狽、恐らく兵らは半信半疑、加えて、土地にまつわる謂れのたぐいも知っており、共通認識の下地も十分。

 とくれば、ここで雷がゴロ……とでも鳴れば──


「おい! そこの女!」


 怒声が突如、ざわめきを破った。


 ぞんざいに呼ばわる声の出所を、むっとしながら人波に捜せば、ふんぞり返って睨んでいたのは、小太りで口ひげの軍服だった。


 せりあがった腹の上で、短い腕を組んでいる。

 軍服の装飾が他より多いところをみると、男の階級は兵より上、つまりは部隊の指揮官らしい。

 指揮官はそっくり返って、せせら笑った。


「できるものなら、やってみろ。どうせ何事もないだろうがな!」


 むぅ、とエレーンは口の先を尖らせた。


(ちょっとそこっ! あたしの邪魔とかしてんじゃないわよ!)


 下っぱ兵に周囲を守られ、指揮官は横柄に嘲笑している。


「そんなことができるなら、なぜ、今頃しゃしゃり出してくる? なぜ、無様な有り様なんだ? 石っころ一つで戦況が左右されるなら、それこそ世にも不思議な奇跡ってもんだ。ぜひとも我々にも拝ませてもらいたいものだな!」


 兵士の間から失笑が漏れた。

 それは瞬く間に伝わって、せっかく築いた緊張が夢まぼろしと引いていく。


(……ち! バレたか)


 手の内をあばかれて、エレーンはぎりぎり歯噛みした。

 さっさと見破るとは、さすが指揮官。

 兵がみんな夢から覚めて、あっさり正気に戻ってしまった。


 天罰を恐れて進攻をためらっていた軍兵が、次々外壁に取りつき始めた。

 地団駄踏んで歯軋りするも、手をこまねいて見ているしかない。

 なにせ、そもそも嘘っぱち。

 そう、子供の寝物語でもあるまいに、こんな都合のよい上手い話を一体誰が信じるというのだ。


 エレーンは忸怩じくじたる思いで観念した。

 こうなっては仕方がない。

 ケネルの所にすごすご戻れば、嫌みの一つも言われるだろうが、最早これまで。退散か……


「──た、頼む。──頼むっ! なんとかしてくれっ!」


 吠えるような悲鳴があがった。


 返しかけた肩を止め、ふと、エレーンは目を向ける。


 住民の一人が手をすり合わせて拝んでいた。

 空頼みと落胆し、失望するかと思いきや、食い入るように見つめている。

 他の住民も同様だった。

 泣き出さんばかりにゆがめた顔。何度も何度も激しく頭を下げる者。


「あんたに命運がかかっているんだ!」

「奥方様! なんとかしてくれ! 早くっ!」


 焦燥に駆られた必死の形相。

 すがりつくような数多の視線が、立ち尽くした足に絡みつく。


(は、早くったって……)


 偽物なのだ。


 なりゆき任せの駄目もとで、押し切ってやろうと思っていたのだ。

 なのに──


 エレーンは誤算に狼狽した。

 嫌な汗がこめかみを伝う。


 そうする間にも、敵はどんどん越境してくる。

 このまま兵が増え続ければ、味方の壊滅は目に見えている。

 兵士の質も動員数も、そもそも格段に違うのだ。


 拝みあげる住民の顔が、拳を握り、全身を強張らせて立ち尽くした平服のままのその姿が、見開いた視界いっぱいに広がり、無意識に半歩後ずさる。


(……どうしよう)


 何もできない。


 ただ歯を食いしばり、睨みつけていることしか。


 兵は続々と侵入してくる。

 晴れ着姿の遊民たちが得物を振り回して応戦している。

 だが、流入する勢いに押されて後退を余儀なくされている。


 手の石を強く握りしめた。

 それは冷たいまま、硬いまま、うんともすんとも言いはしない。

 石は静寂を守っている。

 当然だ。

 真っ赤な偽物なのだから。


「は、早く、奥方様っ! 早く石をっ!」

「夢の石──夢の石をっ!」


 せっぱつまった住人の面持ち。

 藁にもすがる期待のまなざし。

 手段は何でも構わない。彼らにはもう後がないのだ。


 なのに、期待に応えられない。


 分厚い入道雲が陽をさえぎり、青い夏空が一瞬かげった。

 街路が軍靴に踏み荒らされて、砂塵が風に舞いあがる。


 息を吹き返した軍兵が、街を容赦なく蹂躙していた。

 非日常的な光景と、街に立ちこめる剣呑な喧騒。

 今まさに陥落目前の街を睨んで、エレーンは奥歯を食いしばる。


 音が聞こえた気がした。


 希望に渡した綱渡りの綱が、ぷつり、とあえなく切れる音──




「力をお貸ししましょうか、奥方様」


 気配が、真後ろに滑りこんだ。

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