3章6話 市民 vs 旅芸人

 つかみ合い寸前の騒乱が、ぴくり、と波打ち、動きを止めた。


 いやに張りのある男の声。

 出所を捜して、一同、視線を巡らせる。


 怪訝そうなざわめきの中、硬い靴音がコツコツ響いた。

 板張りの床を歩く音。

 ──櫓の上だと気がついて、エレーンはあわてて振りかえる。


 しゃがみこんだ板床に、影が長く伸びていた。

 それは無造作な足どりで、舞台の端まで歩みより、日ざしを遮り、横に立つ。

 ぽかん、とエレーンは相手を仰いだ。


「……ローイ?」


 天幕群で先日会った、族長代理その人ではないか。

 相も変わらず、原色のふざけた恰好だ。

 すばやいウインクで肩を叩いて、ローイは群集に目を向ける。


 ドン──と厚い靴底を鳴らして、演台の端に踏みこんだ。


「お前ら、よく聞けえ!」


 凛とした美声が響きわたった。

 絹シャツの腕を膝に置き、ずいと肩を乗り出している。


「──族長代理?」


 一目でわかる異様を認めて 遊民の側がざわめいた。

 ローイは細い柳眉を吊りあげ、ひしめく面々を睥睨する。


「何をごちゃごちゃ揉めてんだ! この街の皆さん方には、日頃からお世話になってんだ。仲よくしなけりゃ駄目だろうが!」


「だがよ、代理。こいつらが先に──」

「いいから! ほら、散った! 散った!」


 パンパン手を打ち、有無を言わさず散会を促す。


「さっさと行って、持ち場につけよ。──ああ、お前ら、見回りはどうした。兵隊が紛れこんだら、どうすんだ!」


 壇上のローイを、彼らは憮然と睨んでいる。

 憤懣やるかたない顔つきだ。左手の住民を睨みつけ、憎々しげに唾を吐き捨く。 

 不承不承、踵をかえした。

 かったるそうに肩を揺すって、ぞろぞろ持ち場に引き揚げていく。


 住民の側の緊張も解けた。

 人波が徐々に身じろいで、こちらもやれやれと引き揚げていく。

 すがめた目で収拾を見届け、ローイが肩をすくめて踵をかえした。


「た、助かったわ、ローイ!」


 エレーンはわたわた駆けよった。笑顔でローイを振り仰ぐ。


「あたし、もー、どうしていいか──あ、でも、たった一言で収めるなんて、もーさっすが族長ねっ!」


 ぎこちない笑みで、ローイは片頬引きつらせた。


「……代理だけどな」


 息巻いていた群衆が、渋々散会し始めていた。

 これ以上、事を荒立てるつもりはないようだ。


「んじゃ。おつかれー」


 ぽん、と軽く肩を叩いて、ローイがはしごに踵を返した。

 こきこき首を振りながら、かったるそうに戻っていく。

 一時はどうなることかと危ぶんだが、ともあれ、これで一件落着。

 ほっ、とエレーンも力を抜く。


「たく。誰が養ってると思っているんだ」


 引き始めた人波に、ぽつり、と声が取り残された。


 ほんの小さなぼやきだった。

 だが、その何気ないあてつけは、うずみ火をくすぶらせた一同の間に、思わぬほどによく響いた。


 衣装の足が、ピクリと止まった。

 だらだら引き返しかけていた一団が、胡乱に市民を振りかえる。


「なんか言ったかあ? あーこらァ!」

「今言った奴、出てこいや! 陰口たたいていねえでよ」


 たちまち、声を張りあげる。

 ローイがあわてて振り向いた。「お、おい! 待てよ、お前ら──」


「誰が養ってくれてるって? あァ?」

「妙な言いがかりは、よして欲しいもんだな!」

「よせって! 相手になるな!──おい!」


 立ち去りかけた演壇の縁まで、ローイはあわてて駆け戻る。

 だが、彼らはもう見ていない。

 その視線はことごとく、普段着の一団をねめつけている。


 収まりかけた諍いの火種が、一気に大きくぶり返した。


 遊民勢と住民勢、双方真っ向から睨みあう。

 恨みと鬱憤が渦を巻き、罵りあいが過熱する。

 押し合いへし合いの騒動のただ中、声が喧騒を貫いた。


「こんなに良くしてやっているのに、なぜ、お前らにはわからない!」


 住民の放った一声だった。

 遊民たちが、ひるんだように口をつぐむ。住民勢の援護が続く。


「そうだ! お前らみたいな根無し草を、誰が面倒みてると思っているんだ!」

「お前らを養うために、どれだけ苦労しているか。なのに、当のお前らときたら、いけしゃあしゃあと遊び暮らして。俺たちのありがたい親心を、まったくてんで分かっちゃいない──」


「おい、今、なんつった」


 押し殺した冷ややかな声が、市民の非難をさえぎった。

 鋭くエレーンは息を飲む。今の声は、隣の


 ローイだ。


 先と同じ体勢で、ローイが眼下を見下ろしていた。

 絹シャツの腕を膝に置き、ずいと肩を乗り出して──だが、柳眉をひそめた横顔は、先の顔つきとは明らかに違う。

 唾を吐き捨て、細いまなじり吊りあげた。


「なにが親心だ。ふざけんじゃねえ!」

「──ちょ、ちょっとローイ」


 エレーンはあわてた。

 今まで何を言われても、ローイは平然となだめていたのに、何が忌諱に触れたというのか。

 なんとかなだめるべく、腕に取りつく。

 だが、時すでに遅かった。


「おい! そこの奴!」


 ローイが手を振り払った。

 先の市民を真顔で睨む。


「澄ました顔で忘れた振りなんかしてんじゃねえぞ。黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって。話を都合よくすり替えるな。そっちがアレを忘れても、俺らは忘れやしねえからな」


「……な、なんの話だ」

「あんたらが街から追い出したんだろうが!──よう、そこのおっさんよう。だったら訊くが、俺らが街からおん出された、そもそもの原因はなんだってんだよ」

「──そ、それは」


 視線で指された住民が、うろたえた顔で口ごもった。

 こそこそ隣と目配せする。

 気まずそうな顔つきだ。ローイは憎々しげに睨み据える。


「あんたらが起こした暴挙のお陰で、仲間が何人死んだと思う。追い出された旅先で、どれだけ女子供が死んだと思う! なあ、教えてくれよ、おっさんよォ。真冬の寒風に耐え、灼熱の夏を往き、降り出した雨に走り、物盗りを恐れ、森の獣に怯え、それでも一つ所に落ち着くことさえ許されない! こんな惨めな暮らしを強いられてんのは、一体誰のせいだってんだよ」


 しん、と街路が静まり返った。

 名指しされた普段着の男も、ローイの仲間の遊民たちも、誰も口を開かない。

 

 今や、この場にいる全員が、完全に気を呑まれている。

 朗々と響くローイの声が、重苦しい沈黙に染み入った。


「どこにも居場所はなかったよ。どこへ行っても余所者で、どれだけたっても厄介者だ。根無し草だァ? 笑わせるな。誰が好き好んで漂流暮らしなんかするもんか。──なあ、おっさん、教えてくれよ。あんたら真っ当な市民さまは、遊び暮らすと俺らに言うが、土地を持たない俺たちに、歌う以外に道はあったか? 踊る以外に術はあったか? 見た目がちょっとばかり違うってだけで、雨露をしのぐ家もなく、身を寄せる土地もなく──ああ、そうさ。だから、日々食うに困りゃあ、旅人だって襲ったさ。食いもんなしじゃ、人は生きちゃいけねえんだよ」


 住民たちがばつ悪そうに目をそらした。

 ローイは静かに問いかける。


「俺らを受け入れたことが、今まであったか? あんたらと同じ"人"として、扱ったことが一度としてあったか? そうだ、俺らはいつだって、混血児と蔑まれ、根無し草と笑われた」


 決して目を合わせない人々の顔を見わたして、ローイはやるせなく口端で微笑う。


「使っていない荒地の果ての、ほんの片隅で構わなかったんだ。それで、みんな救われた。なぜ、街で暮らすあんたらは、自分の余った持ち物を、ほんのわずかな土地さえも、他人に分け与えてやることができない」


 鋭く一同をねめつけた。


「力を貸して欲しいだと? 笑わせるなよ、さんざん邪険にしたくせに!」


 語尾が震え、ふつり、と途切れた。

 無言でかたく拳を握り、ローイは奥歯を噛みしめている。

 一転、ぶっきらぼうに顔をあげた。


「あーやめだやめだ! こんなくだらねえ猿芝居!」


 唾を吐き捨て、踵をかえし、櫓のはしごを降りていく。

 ふっ、と呪縛が掻き消えた。


 はっとエレーンは我に返り、櫓のはしごを振りかえる。「ロ、ローイ、どうしたの、どこ行くの──」


「どだい無理だったんだ。こんな奴らと仲良くやろうなんてのはよ」


 地上まで数段を残して、ローイは無造作に飛び降りた。

 舞台衣装の仲間の元へと、かったるそうに歩いていく。

 肩越しに、壇上に目を向けた。


「あんたにゃ悪いが、降ろさせてもらう。後は好きにやったらいいさ。軍に抵抗して玉砕するも良し。大人しく降伏して捕虜になるも良し。ああ、ああ、どうぞ、お好きに。どうとでも!」

「ロ、ローイ……」


 エレーンは目をみはって身を乗り出す。

 ローイは冷ややかに目をすがめた。


「あんたも、これでわかったろ。どうせ俺らは遊民なんだよ。あんたが言うから協力しようと思ったが、それでもやっぱりこの様だ。さっきのおっさんの言う通り、俺らはしょせん根無し草だ。いつになっても、どこまでいっても、遊民はしょせん、遊民なんだよ!」


「──それが、なんだって言うの」


 ローイが剣呑に目をすがめた。

 エレーンはゆっくり息を吐き、真っ向から目を据える。


「だったら、それがなんだって言うの。人の存在に貴賎なんかない」


 引き揚げかけた遊民たちに、必死で視線を巡らせた。


「お願い、みんな、力を貸して! みんなの力が必要なの!」

「……ふ、ふん。メイドあがりが」


 皮肉な嘲りが、どこかであがった。

 群衆の左手──住民の一人だ。口端をゆがめて笑っている。


「偉そうに。元はといえば、全部あんたのせいじゃないか。勝手な真似をしておいて、今度は説教する気かい。まったく、あんたは何様だ。どこまで図々しいんだか──」

「黙っててっ!」


 男が飛びあがって、口をつぐんだ。

 顔をしかめた住民たちを、エレーンは端から睨めつける。


「遊民がなに? 市民がなに? 家が街にあるだけで、それがそんなに偉いわけ? この人達とどこが違うの? どこも違いはしないでしょう? どうして仲良くできないの。どこがあんたに劣るっていうの。この人達は仲間でしょ。現にこうして駆けつけてくれた!」

「──だが」


 住民たちは困惑顔を見合わせる。


「あんた達こそ何様よ。人の存在に貴賎なんかない! あるのは気持ちの持ちようだけよ! その人の価値っていうのは、そんなところにあるんじゃない!」

「──な、何を言っているんだか、小娘風情がわかった風に」


 一人が憮然と身じろいだ。


「えらそうに御託をたれるんじゃないよ。どうせ、この場限りのきれい事──」

「最後まで話を聞きなさい! どこの子供よ!」


 鋭くエレーンは睨めつけた。


「前に、ダドリーが言ってたの。この街に、みんなに戻ってもらうって。一緒に街を創れたら、どんなに素晴らしいことだろうって」


 怪訝そうに聞いているローイたちを振りかえる。


「だからお願い、力を貸して! みんなで街を守りましょう。これはダドリーの、ここの領主の意向でもあるのよ!」


「──奥様っ!」


 エレーンは息を呑んで、顔をしかめた。


 右の肩に、強烈な打撃。

 突然、誰かに突き飛ばされたらしい。板床に手をつき、首を振って身を起こす。


 板張りの舞台の床に、小柄な黒服が転がっていた。

 あれは、世話係の老執事?

 うずき出した背中を涙目で押さえて、エレーンは憮然と目を向けた。


「……もー。なにすんのよじい。これから、まとめに入ろうって時にぃ~。ひとがせっかくいい感じで──」


 はっ、として口をつぐんだ。

 老執事は言い返しもせず、横向きになって転がったままだ。

 執事の様子が、何か


 おかしい。


「……爺?」


 四つんばいでそろそろ近寄り、うつぶせた顔を怪訝に覗く。

 禿頭をうつむけたその顔が、固く歯を食いしばっていた。

 手は腕を握っている。

 ぎょっとエレーンは息を呑んだ。


「爺っ! しっかりっ! しっかりしてっ!」


 板張りの床に滑りこみ、小柄な執事を抱き起こす。

 腕に、矢が突き立っている。


 ローイが南を振りかえり、忌々しげに舌打ちした。


「──きやがったな。敵襲か」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る