3章5話 混乱の町

「……むう。ケネルの奴~!」


 エレーンはぶつくさ言いながら、てくてく街に引き返していた。


「指揮」とか一見おいしい役割っぽいこと言ってるが、どうせ体よく追っ払おうってな魂胆だ。

 そりゃ、街なら危険はなかろうが、そんな温室でちんまり待ってて、どんな役に立つというのだ。


 そうだ。自分は領主の代行。

 どうせやるなら、陣頭指揮でしょ。おうよ、むしろ望むところ!


 だ ん と つ に 目 立 つ し。


 だって、なんかそっちの方が、なんか仕事してる感じがするではないか。

 ちなみに、ケネルが丸めた便箋にだって、こんなふうに綴っておいた。


『 死んでも文句は言いません。 エレーン♪ 』


 まあ、「内輪もめの収拾」が代行としての役割というなら、そりゃあ、やるっきゃないけども。


 口を尖らせて街角を見、すさんだ街並みを通過して、正面の街路に目を据える。


「──あれだ」


 睨み合った人の群れ。

 普段着姿の住民と、舞台衣装の遊民だ。往来で角突きあわせている。


「たく。あんのアホどもぉ~。こんな時にどこの子供だ……」


 エレーンはぶちぶち口を尖らせ、手近なはしごをよじ登る。


 祭の舞台になる高いやぐら が、大通りの中央に設えてあった。

 降ってわいたこの騒ぎで撤去する間がなかったけれど、説教するのにもってこい。

 大体まっすぐ突っ込んだところで、人だかりにすぐに埋まって、揉みくちゃにされるのは目に見えている。あげく、ぽい、とつまみ出されるのがオチだ。

 あのケネルぼくねんじんがよくやるように。

 

 だったら誰も届かない場所から、呼びかけるのが得策だ。

 にしても、こんなセコい小競り合いなんかを、こんな時に仕切ってこいとは──

 あの仏頂面が脳裏をよぎる。


「もー。ばかケネルぅ。背中まだ痛いのにぃ。せっかく応援に行ったのにぃ。いきなりひとのこと追っ払ってんじゃないわよ」


 ぶつくさ一人で愚痴りつつ「あー、しんどっ!」と頂上の板床に肘をかける。

 不満である。

 不服である。

 先の悲壮な決意に比べて己に割り振られた役割が、なんかそこはかとなく地味である。


 とはいえケネルに頼まれたからには、即刻、任地に赴かねばなるまい。


 そうだ、ケネルと仲良くならねばならんのだ。

 かくなる上は、とっとと収めて、急ぎ現場に舞い戻るべし!


 よっこらせ、と足をかけ、櫓の舞台によじ登った。

 板床の端までつかつか歩き、風吹きわたる頂上に立つ。

 眼下にひろがる人波に、大きく息を吸いこんだ。


「なにやってんのよあんた達ぃっ! 仲間割れしてる場合じゃないでしょう!」


 眼下のいがみ合いが動きを止めて、一斉に顔を振りあげた。

 憮然と見据える数十の視線──。

 内心、わたわた両手を振る。


(ちょ、ちょっとちょっとちょっと~!? あたしを睨んでどーすんのっ!?)


 たじろいで視線をめぐらせる。

 ──んん? と右手で停止して、唖然とエレーンは口をあけた。


(なんで、あんた達めかしこんでんのよ……)


 右手に詰めた遊民たちだ。

 なんか晴れ着で着飾ってないか?

 装飾品をじゃらじゃら身につけ、ばっちり化粧できめている。

 はあ、と額をつかんで脱力した。


(……真面目にやってよ)


 なぜに普通の格好で来ない。これから大道芸でもおっ始める気か?

 指輪をはめたその手には、刀剣の類を握っているから、やる気がないわけでもなさそうなのだが、戦争なめてんのかこいつらは。


 もっとも、どの顔も目を怒らせ、いずれもかけらも笑っていない。

 それは、左に陣取る住民たちとて同様だ。


 突き刺すような殺気が渦まいていた。

 群衆の発する不穏な怒気。いや、気を呑まれては、なめられる。


 そうだ、ここが正念場!


 ぐっ、と下腹に力を入れた。


「なんで仲良くできないのっ! みんなが外で戦ってくれてんのに!」


「──仲良くしろ、だあ?」


 人波から、嘲りがあがった。


「いくらエレーンちゃんの頼みでも、そいつばっかりは聞けねえなァ」


 声がしたのは、遊民の側だ。

 真っ赤な頭髪あたまの右端の男が、やれやれと両手を広げ、へらへら首を振っている。ぬう。犯人はお前か!?

 仲間が次々同調し、そこかしこで失笑が漏れる。


「そりゃあ、こっちの台詞だぜ!」


 すかさず、左手から声があがった。

 普段着姿の商店主たち──住民の側だ。


「そうだ! 冗談じゃねえや! なんだって俺たちが、こんな奴らにへつらわにゃ──」

「おいおい待てやコラ。こんな奴らたァ、ご挨拶だな!」


 たちまち、罵倒の応酬に逆戻り。

 対峙していた人波が、一斉にまなじり吊りあげた。

 拳をつきあげ、激しく罵り合っている。諍いを収めるどころか、ますます激化したような──。

 エレーンはおろおろたじろいだ。


「……あ、あのぉ~」


 一転、ぎこちない笑みで媚びへつらう。


「こ、ここは穏やかに話し合いましょうよ。そんな怖い顔しないでさー。話せばきっと、わかり合えるはずよ? ねっ? ねっ? そうしましょうよ、それがいいわよ。んね?」


 大至急、説教から方針転換。


 だが、もはや誰も聞いてない

 とはいえすごすご諦めて、ちんまりになるわけにもいかない。

 この騒動をどうにか収めて、とっとと街道に戻らねばならない。

 これ以上、兵を殺めぬように、ケネルを説得しなければ! 


 とはいえ、この現実は──


(もー。あたしにこれ、どうしろってのよ……)


 頭いたい……と額をもんで、エレーンはげんなりうなだれた。

 収めるどころか、既にこっちはつまはじき状態。

 もう、誰も聞いてない。いや、誰も見てさえいないのだ。

 むしろ、そろそろ、乱闘騒ぎに突入しそうな雲行きだ。


(あー。帰りたい)


 出てきた早々へこたれて、エレーンは額をつかんで沈没した。

 こんなの、どだい無理なのだ。

 こんなか弱い乙女一人に、喧嘩を仲裁しろなどと。

 単に声量だけを比べても、一対群衆では端から勝負にならないではないか。

 こっちは孤立無縁の一人きり、仲間を大勢引き連れたケネルなんかとは違うのだ。


 眼下の人波は相変わらず、ぎゃあぎゃあ、そっちのけで騒いでいる。

 ぽつねん、とエレーンはたそがれる。


『……無理なら、いい』


 ぼん、と脳裏にあの顔が浮かんだ。

 やれやれと首を振る、ケネルの白けきった顔。そして、負け犬を哀れむ目──

 ぶんぶんエレーンは首を振った。

 今、おめおめ戻ったら、どんだけ奴に馬鹿にされるか。

 ぐっ、とかたく拳を握る。


(ぜったい引けない!)


 そうだ。逃げ戻るなど言語道断。

 きっ、と視線を振り向けた。


「ちょっと聞いてよ!──こっちを見てよ!──ちょっとでいいからっ! ねえってばあ!」


 真夏の太陽が照りつけた。

 張りあげた声が、上ずり、掠れる。

 街に声がわんわん響いて、喧騒に呑まれ、埋もれていく。

 声が掻き消え、通らない。

 汗が額をすべり落ち、視界が真っ白に焼き切れる。

 もう、ここから逃げ出したい──!


「ちょーっと待ったァっ!」


 声が、喧騒を貫いた。

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