3章2話 戦の片隅
「……あなたは本当に、わたくしのことがお嫌いなのね」
彼女は困ったように微笑ったが、それは恐らく当たっていない。
「別に」
ファレスは正直にそう答えた。
だが、なだめるでもなければ取りくつろうでもない、つっけんどんな仏頂面は、ずいぶんとそっけない態度ととられたろう。
もっとも、彼が誰に対してもそっけないのは、付きあいの長い同胞には周知のことであるのだが。
こうもあからさまに無下に扱われたことはないのだろう。ならば何故ここにいるのかと言わんばかりの困惑顔で、サビーネは居心地悪げに立っている。
戸口横の白壁に、ファレスは無頓着に背を預けた。
「あんたを保護するよう指示が出ている。昨日、賊に襲われたろう」
「……あの後、こちらにいらした方が、間違いだったとおっしゃったわ」
サビーネはおどおどうつむいて、蚊の鳴くような声で指摘する。
賊の狙いは彼女ではなく、クレスト領家の奥方の方と、つまりは人違いと判明していた。
しかも、他でもないサビーネが「お前がクレストの奥方か」と賊に確認された経緯がある。
もっとも──とファレスは、黙って彼女の顔を見る。
不要な指示を、ケネルは出さない。
不躾な視線を感じたか、うつむいていたサビーネが申し訳なさそうに目を向けた。
「──それに、わたくしの所にお出でになるのは、ずいぶん以前からではなかったかしら」
「そんなに邪魔か。それなら帰るが」
ファレスは壁から背を起こす。
「あ、いいえ──いいえ!」
サビーネがあわてて首を振った。
「お客さまがあるのは嬉しいわ。めったにないことだもの」
ぎこちなく微笑んで「どうぞ、お入りになって」とさし招く。
白い手の平のその先には、彼女の仮住まいの瀟洒なテーブル。
「──お客サマ、ね」
品良く整えられた室内を、ファレスは白けた顔で突っきった。
この戦時下の休戦中では、いつ招集されるやも知れぬので、服には未だ、乾土があちこちにこびり付いている。
こんな薄汚れた野戦服で、お客もへったくれもあったものではない。
椅子を引いて足を組み、卓に置かれた銀の皿から菓子を一つ勝手につまんで、口の中に放りこむ。
「お食事は召しあがった? 何かお飲みになる?」
「酒でなければ、なんでも」
「ご一緒できて嬉しいわ。ここは勝手がわからなくて、わたくし、時間を持てあましてしまって。クリードも今は勉学の時間で──あ、少しお待ちになって」
客をもてなすべく、サビーネはあわただしく席を立つ。
その細やかな気遣いに恐縮したふうもなく、ファレスは窓の外に目を向けた。
夏陽がテラスでゆらめいた。
正午すぎの邸内は、穏やかな静けさに包まれている。
庭木の梢がゆれる音。
使用人らしき遠い声。街道の猛々しさが嘘のような、心地のよい別世界だ。
しばらくしてサビーネが金の縁どりの盆を手に、静かな部屋に戻ってきた。
ファレスは卓に頬杖をつき、静かに紅茶を置いていく白い横顔を眺めやる。
受け皿にのった茶碗から、豊かな芳香がたゆたった。
開け放ったテラス窓から、冷涼な風が吹きこんでくる。避暑地でもあるこの辺りは、夏といえども汗だくになるようなこともない。
サビーネは向かいに回って椅子に腰かけ、白くたおやかな指を伸ばして、茶碗を受け皿からとりあげる。
磨きあげられた天板に寝転びそうにだれた姿勢で、ファレスは優美な向かいをつくづく眺めた。
「なぜ、逃げない」
長いまつげがまたたいて、サビーネがふと顔をあげた。
はにかむような微笑を浮かべて、ゆっくりと小首をかしげる。
「逃げる理由がありませんもの」
「──そうじゃねえよ。昨夜の話をしているんじゃない」
「でしたら、なんのお話を?」
「ツクヨミ」
ファレスは明確に言い放ち、向かいの顔を冷ややかに見た。
サビーネは返事に窮したようで、おどおど首をかしげている。
だが、ただただ困惑するばかりで、何を言うというのでもない。
「わからねえなら、いい」
ファレスは話を切りあげて、茶碗の紅茶をそっけなく啜った。
本当にわからないのか、とぼけるのが上手いのか。
日焼けのない白い頬、ひろい額に長い黒髪、柔らかそうな上等な服地、それに包まれた華奢な肩。窓からの日ざしが柔らかに当たる。
「あんた、友達はいないのか。外にも出ねえって話だったが」
別宅の庭で保護した際に、いくらか話を聞いていた。
屋敷を訪ねる者はない。本人も街外れの別宅に引きこもり、めったなことでは街にも出ない──およそ、そうした内容だった。
小首をかしげて、サビーネは微笑む。
「こちらには知り合いがおりませんので。わたくしは長くカレリアでしたし、知人はみな、商都の方で。ノースカレリアは遠いので、お呼びするのも気が引けて──」
「あんたが行けば、いいんじゃねえの?」
サビーネが面くらったように口をつぐんだ。
「だから商都のダチんとこによ。そんなに退屈してるなら、あんたの方から行けばいい」
まあ、と小さく言ったきり、サビーネはおっとり、小さな口に手を当てる。
「そうですわね。あなたのおっしゃる通りですわ」
本当に驚いたようなこの顔は、考えたこともなかったらしい。
だが、そうしていたのも束の間で、諦めたように首を振った。
「けれど、もう、難しいわ。旦那様がお戻りになられたもの」
旦那様とは領家の主、クレストの新たな当主のことだ。
「ああ、なるほど。だが、本妻を娶ったばかりだろ。なら、さほど頻繁には来ねえんじゃねえのか」
「……ええ」
力なくサビーネは微笑む。薄い反応に苛立って、ファレスはせかせか水を向けた。「退屈だろ、それじゃ」
「ここでこうしてお待ちするのが、わたくしに与えられた務めですから」
「──ああ、そうかよ」
ファレスは白けて嘆息した。
相手の興ざめを敏感に察して、サビーネがおどおど目を向ける。
だが、不機嫌そうな向かいの顔に話しかけることもままならず、おろおろ機嫌をうかがうばかりだ。
しばらくそうしてやきもきし、思い切ったように切り出した。
「……あの、お尋ねしても、よろしいかしら」
「なんだよ」
ぶっきらぼうにファレスは返す。
「よろしければ、わたくしと、その──お友達になっていただけませんか」
ファレスは怪訝に振り向いた。
か弱そうな見かけによらず、ずい分大胆なことを言う。
釈然としない相手の様子に遅まきながら気づいたらしく、サビーネが息を飲んで瞠目した。
「あ! いいえ! いいえ、そうではないのです。お茶を一緒にいただいたり、お話ができれば、わたくしはそれで──!」
「構わないが」
腕の時計に視線を落として、ファレスは無造作に立ちあがった。
そろそろ時間だ。もう、見張りは必要ない。
サビーネがうろたえて言いつのった。
「あの、お許し下さい。不躾なことを申しまして──あの、お気に障りまして……?」
「別に」
サビーネは困惑した顔で、おろおろ機嫌をうかがっている。
ファレスはそれに構うことなく部屋の出口に足を向けた。
扉の前で立ち止まり、椅子から立ち上がった気遣わしげな顔を、その肩越しに振りかえる。
「あんた、変わってるな」
サビーネは胸で手を握り、困惑しきりの面持ちだ。
「世間知らずもいいところだ。あんたみたいな金持ちなら、地位に見合うダチくらい、いくらでも見繕えるだろうによ」
まったく奇特というより他はない。
世間に蔑まれる遊民風情とお友達になろうとは。
確かにファレスは傭兵で、一般に「遊民」と認識される、かの旅芸人のいでだちのような、きらびやかな衣装とは無縁だが。
サビーネは戸惑ったようにうつむいている。
「それに、俺がいると、居心地が悪いんじゃなかったか?」
サビーネが打たれたように顔をあげた。
「いいえ──いいえ!」
あわてて激しく首を振り、ぎこちなく微笑む。
「──い、いいのです。あなたがわたくしをお嫌いでも」
「物好きだな」
ファレスは肩をすくめて部屋を出た。
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