3章3話 お手伝い希望──!

 高い青葉の隙間から、木漏れ日が鈍く射していた。

 北部カレリア街道は、にわかに色めき立っている。


「……なんだ。えいえいおー、とか、やんないのね」


 きょろきょろ辺りを見まわしながら、そろり、そろり、とエレーンは歩く。

「ディール進軍」の知らせを聞きつけ、矢も盾もたまらず駆けつけたのだ。

 渋る医師を恫喝し、ぐいぐい包帯を巻き直し、痛み止めもざらざら飲んで──。

 むろん医者は止めたとも。

 けれど、すべきことがある。


 今は、戦時だ。

 悠長に寝てなどいられない。


 背中の傷も、なんとか薬で耐えられる。

 起きられるなら起きあがり、立ちあがれるなら立ちあがり、歩けるならば歩かねばならない。自分の足で、歩かねばならない。

 そして、今度こそ、ケネルに言うのだ。


 ──無闇に兵を殺めぬように。


 そうだ。一人でも多く、助けるのだ。

 そのためには、まずはケネルと仲良くならねば。

 今のままでは、話を聞いてもらうどころか、通常会話さえ、ままならない。あの 朴念仁 が相手では。

 それに、味方は、


 ──ケネルしか、いない。


 荒々しい物音が恐くて仕方がないけれど、

 本当は膝が、震え続けているけれど、

 ケネルのそばなら、震えが止まる──。


「なに考えてんだ、あんたはっ!」


 ぎくり、とエレーンは竦みあがった。

 背後に黒いおどろおどろしい気配。


 そろりと肩越しに振り向くと、苦りきった顔があった。

 腕を組み、イライラ足を踏み鳴らしている。

 額には、案の定「憤怒」の二文字。


 この男はいっつもこれだ。いつもいつも怒ってる。

 ちなみに、いきなりのカミナリは心臓に悪い。だから、用心しいしい歩いてきたのにぃ……。

 とりあえず、怒りをよそにそらすべく、ぎくしゃくエレーンは笑いかける。


「や、やっほー。ケネル。今日もとってもいい天気……」

「なぜ、大人しく寝ていない!」


 案の定、開口一番吹っ飛ばされた。

 そしてちなみにこの後には、(このドあほうがっ!) との罵りが、もれなく省略されてる模様。

 出てきた途端にとっ捕まって、エレーンは口を尖らせた。


「いーじゃない。なによ、平気よ、こんな傷ぅ……」


 ぶちぶちむくれて不貞くさる。「なによ、あたしは怪我人なのよ? 今日くらい、優しく労わってくれたって──」


「さっさと戻れ! あんたは領家の奥方なんだぞ。そんな体でうろついて、万一のことがあったら、どうするつもりだ! 死なれでもしたら大問題だ!」


 ケネルはガミガミ頭の上から叱りつける。

 皆まで言わせぬこの絶妙のタイミングは、密かに待ち構えていたらしい。

 むう、と上目使いで盗み見て、エレーンはにんまり手を振った。


「あっ、その点だったら大丈夫。どうせ、そんなこと言うと思ったから、ちゃあんと一筆書いといたっ!」

「"書いといた"ァ?」


 ケネルは胡散くさい顔この上なし。


「そっ。あたしの決意表明」


 グーの片手を口に押しあて、エレーンはくふくふ満面の笑み。

 指先でつまんだ便箋を、ぴら……と、これ見よがしに見せびらかす。


 ぴらぴら目の前で紙を振られて、ばっ、とケネルが引ったくった。

 すぐさま広げ、怖い顔で一読する。


 がっくり萎えて、脱力した。


 ゆるゆる首を振っている。

「……そういう、安易な問題じゃない……カレリアと俺たちとの、今後がかかった問題だ……」


 ぐったりうなだれたケネルの顔を、エレーンはしげしげ覗きこむ。


「なによー。もう疲れちゃった?」


 木漏れ日ちらつく街道の先から、ぶらぶら人影がやってきた。

 眠たそうな顔した若い男だ。

 通りすぎざま、ケネルの手元を覗きこむ。


「へー、あんた、字ィうまいねー。けっこう上手に書けてんじゃん」


 紙を手にとり、まじまじ賞賛。

 むろん、この機を逃すようなエレーン様ではない。


「でっしょお?」


 ここぞとばかりに食らいついた。

 いくぶん的外れな助け舟だが、この際そっちはどうでもいい。

 ぬっ、と横から手が伸びた。


「くだらん! 捨てとけ、こんなもの!」


 ぐしゃぐしゃ丸めて、ぽい、と道端に放り投げる。


「あーっ!」


 目を剥き、エレーンは指さした。

 ちょっとお! と睨んで振り向くと、ケネルはすたすた歩きだしている。

 すわ、と滑りこんで拾いあげ、ケネルの後にずんずん続く。


「もーっ! なにすんのよ。ひとがせっかく書いてきたのにぃ~!」


 紙くずと化した機密文書をポケットの奥にぐいとねじこみ、グーの両手をぶんぶん振る。


「背中すっごく痛かったけど、他の人に見られた時のこと考えて、ちゃあんときれいに書き直したんだからね!」

「知るか」

「んもう! なによ失礼しちゃうぅー! あのねーケネル、あたしはねー。みんなに迷惑かからないように、ちゃあんとそこんとこ考えて──」

「さっさと戻れ。怪我人は引っこんでろ」


 ケネルは取りつく島もない。


 毎度のことだが。


 苦虫かみつぶした横顔が、街道に視線をめぐらせた。


「おい、そこの!」


 ぞんざい至極に呼びつける。

 木陰で武器をいじっていた男が、すぐさま中断、やってくる。

 ケネルが不躾に腕をとった。


 やってきた男に、ぶん投げるようにして押しつける。「執事を捜して、屋敷に戻せ。どうせ、そこらに隠れてる」


 むう、とエレーンはケネルを見た。


「へえー。よくわかったわね。ジイと来たって」

「あんたのことだ。道連れにするに決まってる」


 見るからに苛立った様子のケネルが、とっとと出てこい! と茂みを見まわす。


 こそっ、と執事が顔を出した。


 薄い頭を片手で掻き掻き、ぎこちないお愛想笑いでやってくる。

 傭兵たちに草の根わけられ、あっさり降伏したらしい。

 両手を腰に押し当てて、ケネルが大きく嘆息した。


「見張っておけと言ったろうが! 相手は怪我人一人だぞ。いつも、いつも、なぜ勝てない!」


 きょとん、と執事が、低い位置からケネルを仰いだ。

 むに、と口を心外そうに尖らせる。


「いや、それは無理というものですぞ? だったらあなた、ご自分で奥様を止めてみます?」


 ケネルに怒鳴られるその前すかさず、くるり、とエレーンを振りかえる。


「ほお~れ、ご覧なさい。奥様が勝手な真似をなさるから、爺が怒られてしまったではありませんか。だから爺があれほど駄目だと──」


「わかった! もういい!」


 青筋立てて、ケネルががなる。


「なんでもいいから持って帰れ! 部屋に鍵をかけて一歩も出すな! わかったな!」

「──隊長!」


 傭兵の一人が、息せききって駆け寄った。

 街の方向を盗み見ながら、何事かケネルに耳打ちしている。

 ケネルはわずか眉をひそめて、無言でそれを聞いている。


 指示を仰ぐべく伝令が控えた。

 ケネルは顎をさすって思案している。何やら難しい顔つきで。


「……なによー、ケネル。どうかした?」


 エレーンは下からケネルを覗いた。

 袖をちょいちょい引っぱりながら。

 その情報、こっちにも分けて欲しいんである。


 ケネルは頬をひくつかせて睨んできた。

 わずらわしげに眉をひそめて、わざとらしく嘆息し──

 ふと、弾かれたように目を向けた。


「中に戻って、指揮をとれ」


 ぽかん、とエレーンは己をさした。

「──し、指揮ィ? あたしがあ?」


 しばし、あんぐり動きを止める。


 ぷい、と腕組みで、そっぽを向いた。


「やーよ! あたし戻んないわよ!」


 むぅ、とぶんむくれてケネルを見る。


「もー。何度もあたし言ってんでしょうがー。あたしは最後まで、ここにいるって。みんなともそう約束して──」

「戦っているのは、俺たちだけじゃない」


 ぴしゃりとケネルが一蹴した。

 しかと真顔で目を戻す。


「市民と馬鹿どもが争っている。この確執には根深い因縁があるからな。角つき合わせば小競り合い程度じゃ終らずに、暴動に発展する恐れがある。現に、北方の市民には、連中が迫害された歴史がある」


 エレーンはぶちぶちケネルを見た。

「むう。でもー。あたしはみんなと、ここで一緒にぃ……」


「騒動が起きたら誰が収める! ここの領主は不在だろう!」


 びくり、とエレーンは首をすくめた。

 内容にというよりは、荒げた声に気圧されて、とっさに体が硬直したのだ。


 相手の萎縮に気づいたか、ケネルは面倒そうに舌打ちした。

 口調を少しだけ、穏やかなものに和らげる。


「早く行け。いがみ合っている馬鹿どもを、どうにかして追い散らせ。兵が街に侵入すれば、抵抗も叶わず占拠される。連中をやったのは確かに俺だが、仲裁をするほどの余裕はない」

「──でも」

「そんな手負いだ、できるところまでで構わない」

「だけど、ケネル、あたしは!」


「あんたは領主のだろう」


 びくり、とエレーンは縮こまった。

 思わず立ちつくしたその肩を、言い聞かせるようにケネルはつかむ。


「市民を説得できるのは、あんたくらいしかいないんだ。俺の指示なら、なんでも従うと言ったろう」


 エレーンは上目使いでケネルを睨んだ。

 ケネルは目を逸らさない。


「──わかったわよ!」


 無言の威圧についに屈して、ぷい、とエレーンは踵を返した。

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