2章2話 4 葛藤
『 てめえが言ったんだろうが。"戦え"と 』
あの言葉を思い出し、エレーンは背筋を凍らせた。
「……違う」
顔をゆがめ、強く首を横に振る。
だが、街を託したのは、まぎれもなく自分だ。
ならば、これが、自分が彼らに望んだこと──?
──違う。
殺し合いなど望んでいない。
そんなことは頼んでいない。ただ街を守ってほしかったのだ。
けれど、この現実は──
(これが、戦争……)
今さら、愕然と立ちすくむ。
紙面の文字でしか見たことのない、これが"戦争"──
せっぱつまった悲痛な悲鳴、虚空をなめる赤い炎、一面に立ちこめた黒い煙。
惨状を前に傭兵たちは、ただ淡々と眺めていた。
黒煙の中を逃げまどう、まさに死にゆく人影を。
人に危害を加えることに慣れている、表情のない横顔で。
ぶるり、と全身総毛立つ。
人と人が殺し合うなど、まともな神経とは思えない。
異常としか思えない──。
本当に、信用してもいいのだろうか。
名乗りをあげた、あの彼を。
ディールの使者を追い返した時には、一も二もなく飛びついてしまったけれど──。
いざ戦いが始まれば、ケネルは話も聞いてくれない。
敵兵の助命を懇願しても、耳も貸さずに追い払う。
勝手に戦いを始めてしまった。彼らが描いた筋書きで。
どうしよう。
人が死ぬ。
何もできないまま、人が死ぬ。
いともたやすく人が死ぬ。
そんなことは望んでないのに、どんどん、どんどん、人が死ぬ。
ケネルたちは傭兵なのだ。それをするのが生業だ。
……いや、何かおかしくないか?
そうだ。そもそも、彼はなぜ、助けてくれると言ったのだ?
見ず知らずの赤の他人を。
命を張る価値なんて、彼らにはないはずなのに。
今、冷静に振りかえれば、何を企んでいても、おかしくない。
親身を装って近づいた裏に、別の思惑があるのだとしたら──そう、たとえば、クレスト領家に入りこみ、滅茶苦茶にする、というような。
首を振り、不信を振り払った。
いや、今は、この現状を何とかしないと。
きっと、今からでも遅くない。
なんとか和解に持ちこめないか。これ以上敵を殺さないように。
だって、今は信じるしかない。
他に道はないのだから。
味方はケネルしか、いないのだから。
夕焼けの道に、エレーンは踏み出す。でも、それで、いいの?
──本当に?
北の街の夕景に、蒼闇がひっそり息づいていた。
舗装のない街道の先から、ぞろぞろ傭兵が引きあげてくる。みな砂塵にまみれ、薄汚れた姿で。
その手にそれぞれ引っ立てているのは、縄を打った軍服の捕虜。
街北にある天幕群に、収容しに行くところなのだろう。血と泥にまみれた軍服、どの顔も疲れ果てて、うなだれている。
さし迫った敵軍を押し戻すことに、彼らは成功したようだった。
とはいえ、まだ残兵は多く、撃破するまでには至っていない。
待ちわびた顔をようやく見つけて、エレーンは沿道から走り出た。
なんとしてでも彼を説得しなければ。これ以上、兵を殺さないように。
ぎこちない笑みで、彼に手を振る。
「お、お疲れー、ケネル。迎えにきたわ~」
「──また来たのか、性懲りもなく」
見やった途端に言葉につまり、ケネルはたちまち渋い顔。
もてあましたように辺りを見まわし、だが、結局無視して歩き出す。
誰かに押しつけようと目論んだようだが、街道を行き交う
あっさり脇を通過され、エレーンはあわてて追いかける。
「ちょ、ちょっと待ってよケネルってば! ずっと帰りを待っていたのにぃ」
「ここへは来るな、と言ったはずだ」
じろり、と目を向けられて、愛想笑いが凍りつく。
さすが本職、えも言われぬ迫力だ。ダドリーと喧嘩するのなんかとは訳が違う。
とはいえ、そうした一方で、道往く他の傭兵たちは、なぜだか和やかな雰囲気だが。
「──あっ! みんな、お疲れ~!」
手を振る笑顔をその中に見つけて、ぶんぶん手を振り返す。
一体何があったのか。前はあんなに猛っていたのに。もっとも、睨まれるよりは、ずっといい。
足を止めて見ていたケネルが、やれやれというように歩き出す。
「あっ、ちょっと待ってよ。まだ、あたしの話が──だって、この先はどうしたら──」
「奥まった場所に、住民を移せ、女子供と入口付近の。塀に囲まれた貴族街なら、突破されても、時間が稼げる。敵は当分攻めてこない」
「わ、わかった! うん! そうするわ! もーじゃんじゃん言っちゃってよ! ケネルの言うことなら何だって聞くから!」
横顔で、ケネルが一瞥をくれた。
何事か言いたげに口をひらき、だが、溜息まじりに口を閉じる。
一瞬、返事を待ってしまい、エレーンは小走りで横に並んだ。
「……そ、それでその~」
そろりと横から、顔をうかがう。「向こうの兵の、ことなんだけど──」
「後にしてくれ。疲れている」
「──あっ! ちょっと待ってってば!」
あっという間に、距離がひらいた。
ぶらぶら歩いているように見えて、実はケネルは結構な早足。ちなみに、足の長さからして、かなり違う。
だが、どれほど邪険にされても、話を聞いてもらうのだ。
彼らはすでに彼ら自身の戦いを始めてしまっている。
街道の突きあたりの天幕群に、ケネルはおそらく向かっている。
あそこの入り口の見張りは手強い。
一たび中に入られてしまえば、部外者はたやすく立ち入れない。つまり、彼を説得するリミットは、あの天幕軍の入り口だ。
だが、話を聞いてもらうにも、まずは仲良くならないと。
とびきりの笑顔で、小首をかしげて覗きこむ。「ねーねー、ケネルぅー。恐かったあ~?」
「別に」
「あっ、ケネル。怪我とかは──」
「なんともない」
「あの、でも~、ちょっとくらいは──」
「どこもなんともない」
「……本当~にぃ~? 遠慮しないでちゃんと言ってよー? ちゃあんと手当てしたげるから! ほ~ら見て見て? 色々持ってきたんだから。ガーゼに包帯、消毒薬でしょ? あ、ううん。安心して? そーゆーの、あたし得意だから。実はあたし、ちょっと前まで、商都のラトキエのお屋敷でね~」
ケネルの無言の横顔が、赤く夕陽に照らされている。
少しも歩調をゆるめない。
あくせくエレーンは追いすがる。「ねー。もっとゆっくり歩いてよー。ねーケネル。ねえってば!」
「なぜ、そんなにつきまとう」
びくり、と肩がいすくんだ。
たまりかねた怒気にあてられ、言葉を失い、棒立ちになる。「──べっ、別にあたしは、つきまとうとか」
「だったら何故、大人しくしない」
ケネルが足を止め、振り向いた。
「何故、屋敷で報告を待たない。平気でこんな所までしゃしゃり出て。戦は遊びじゃないんだぞ。何かあったら、どうするつもりだ。大事に至らなかったから良かったものの、あんたは領家の奥方だろう」
「……だって」
見据えた叱責に耐えかねて、眉をひそめてエレーンはうつむく。「……だって、あたしのせいだもん。あたしが頼んだことだもん。みんなに、もしものことがあったら──」
「俺たちはそんなに柔じゃない。あんたみたいな素人に、心配されるほど落ちぶれちゃいない」
「……でも」
「約束は守る。あんたと、あんたのこの街は、けりがつくまで守ってやる」
「だけど──!」
顎を、片手でつかまれた。
顔を強引にあげさせられる。
「……え?」
突然のことに息を飲み、エレーンはどぎまぎ目を見ひらく。
一体何が起きたのか──
視線の先で見おろしているのは、あのケネルの黒い瞳。
その顔が間近に迫る。
「あの女とガキ、始末してやろうか」
後片づけの傭兵たちが、大声で仲間を呼んでいた。
軍靴を引きずる大勢の足音。手際よく片づけながら、道をぶらつく傭兵たち。疲れ果てた軍服たち。
日の暮れた薄暗い道を、影を引きずり、行き交っている。
「……な、な、なに馬鹿なこと、言ってんのよ!」
辛うじて、手を振り払った。
軽口にまぎらせるも語尾が震える。
ケネルの言う"女とガキ"とは、つまりは、あのサビーネとクリード。
ダドリーの妾子を「殺害する」と、ケネルは今、もちかけたのか──?
「な、なんで、そういう冗談言うかな。そういう物騒な話はシャレになら──」
「邪魔な妾を片づける、それがあんたの望みだろう」
ケネルは一蹴、核心を突く。
おもむろに腕を組み、人の悪い笑みを頬にのせた。
「こんな好機は滅多にないぜ。今なら、単なる事故で済む。軍が街に押し寄せているから、騒ぎに乗じりゃ何とでもなる。そして、あんたは、晴れて亭主を独占できる」
「──あ、あたしは、そんな──」
「あんた次第で、俺には受ける用意がある」
見やったケネルの半面が、夕陽の赤に照らされていた。
血なまぐさい話をしているというのに、わずかな乱れも声にない。
足が、彼から後ずさる。
喉がこわばり、からからに渇いた。領邸の壁に、降りかかる血しぶき──。
その光景が脳裏をよぎり、震える手のひらをつよく握る。
──突っぱねないと。
早く申し出を突っぱねないと。
きっぱり、彼に断るのだ。自分の方に「その気はない」と。
──けれど、
けれど、それは、
本当に?
向かいに立った革ジャンの肩を、赤い西日が照らしていた。
夕刻の風に、髪先がそよぐ。
片づけに入った街道を、低いざわめきが行きすぎる。
すっ、と脇を通りすぎた。
「その気になったら、言ってくれ」
ぶっきらぼうに歩き出したケネルが、街道を北へと向かっていた。
その背中を呆然と見送り、エレーンはなすすべもなく立ちつくす。
痛いほど握った指先が、小さく震え続けている。
燃え立つような大きな夕陽が、今まさに暮れようとしていた。
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