２章１話2 第一関門・長髪の傭兵
青空に映える壁の煉瓦が、午後の日ざしを浴びていた。
遊民たちの天幕群、その最奥にある建物だ。
統領代理と面会した蔦の這う二階の窓を、エレーンは固い決意で仰ぎやる。
横には、街で再会した夫妻の顔。
二年前、休暇で北方に逗留した際、入り浸っていた宿の夫妻だ。
宿の名前は「どくろ亭」
亭主はセヴィラン、
彼らの店は遠い町にあるが、今日はここノースカレリアまで、店の買い出しに来たとのことだ。
窮状を訴えると、夫妻は助力を請け負ってくれた。
知り合いがいる、というのだ。
夫妻が遊民と知り合いとは、いささか意外な思いだったが、ああした宿の経営者は、存外に顔が広いらしい。
そして、入口での制止を振り切り、とうとう、ここまで押し通ってしまった。
意を決して、建物に踏み込む。
石造りの館内は、ひんやりとして、殊のほか涼しい。
誰の姿も見当たらない。先に通された応接室を目指して、閑散とした廊下を進む。
「どこへ行く」
声が、した。
廊下の右手の薄暗い壁。
男が一人、腕を組んでもたれている。
整った顔立ちの若い男だ。
額で分けた髪は、腰まである。年季の入った革のジャンパー、中には黒のランニング、綿素材の暗色のパンツに、見るからに履きこんだ編み上げの靴。応接室で見た護衛と同じ──
肩の長髪をしなやかに揺らして、男が壁から背を起こした。
硬い靴音を響かせて、確かな足取りで近づいてくる。
目の前で足を止めるなり、亭主の腕を無造作につかんだ。
うるさそうに亭主は舌打ち。「──なんだ。放せよ。俺たちはこの先に用があるんだ」
長髪は手を放さない。
亭主の声には険があり、右眉にある古い傷とも相まって、そうとう迫力があったはずだが、長髪にとりあう様子はない。
亭主が苛立ち、睨み返した。
「なんだよ、やろうってのか。言っておくが、容赦はしないぜ、そんな女みたいな面でもな。あいにく、こっちも急用なんだ」
「ここから先は、立ち入り禁止だ」
長髪が腕をねじ上げた。
腕を取られ、体を折って亭主がうめく。「──おい──よ、よせよ！ おいっ！」
ぎりぎり長髪は腕をねじあげ、顔色一つ変えるでもない。
亭主の額に汗がにじむ。
「──よせ、折れる──腕が折れる！ 放せよ──おい、よせったら！」
「ちょ、ちょっと！ あんた、お放しよ！」
あわてて女将が取りついた。
「友達なんだよっ！ デジデリオの！」
長髪が一瞥をくれた。
エレーンも面食らい、女将を見る。
（……え？ 統領代理？ 知り合いって）
面会した際、彼は "デジデリオ" と名乗ったはずだ。
この夫妻と知り合いなら下っ端だろうと思ったが、まさか、当の代表とは。
長髪はいぶかしげに女将を見ている。
話の真偽を図りかねている様子。
ぶっきらぼうに手を放した。
「
「そ、そんなものは──けど、こっちに来た時は、いつだって店に入りびたって」
長髪が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
たじろいだ女将を冷やかに一瞥、いわくありげに目をすがめた。
「バード風情がお友達か。ま、あの人らしいか──」
まあ、いい、と呟いて、顎で廊下の先をさす。
長い髪がひるがえった。
はっ、とエレーンは我に返る。
「お、おじさん！ 腕、大丈夫？」
あわてて亭主に駆け寄った。
亭主はうずくまって腕をさすり、しきりに首をひねっている。「……お、おっかしいな。あんな奴に、この俺が？」
「腕が落ちたんじゃないのかい？」
ちら、と女将が白けたような目を向けた。
「あんたもヤキが回ったもんだね」
すっかり面目を潰されて、亭主はばつ悪そうに目をそらす。
歩き出した長髪に苦い顔で舌打ちし、膝を払って立ちあがった。
「たく。なんて野郎だ、女男が。奴に文句を言ってやる。客に対する態度かよ」
ひっそり静かな廊下の奥へと、長髪の背は歩いていく。
振り向きもしなければ、促すでもない。
だが、まあ、と亭主は見、顎の先で長髪をさした。
「案内する気はあるようだな。さ、行こうか、奥方様」
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