2章1話「壁」

2章1話1 一縷の望み


 年季の入った革の上着。

 暗色のズボンに、編みあげの靴。

 そして、重たそうな短衣の裾には、短剣の柄が覗いている。


 鋭い目つきの五人の男が、隙なく並び立っていた。

 カレリア人では明らかにない。

 表情のないどの顔も、堀が深くて精悍せいかんだ。

 そして、戦地を渡り歩く傭兵のようなその身なり。


 屈強な護衛を五人従え、青年が足を組んでいた。

 手入れの行き届いた波打つ長髪、一目で高価と知れる服。

 統領の代理デジデリオ──「ここで一番偉い人を」と頼みこみ、この部屋に現れた人物だ。


「さて、ご用件を伺いましょうか」


 向かいの長椅子の美麗な青年、統領代理が目を向けた。


「こんなむさくるしい所まで、直々にご足労いただいたのですから」

「──あ、はいっ!」


 はっとエレーンは我に返った。

 どうやら見入っていたらしい。というのも、実によく似ているのだ。元の職場ラトキエ領家の、同僚リナの元彼に。

 とはいえ、目配せしても反応はないから、人違いであるらしいが。


 あの後すぐさま領邸を出、エレーンは天幕群におもむいた。

 年に一度の豊穣祭で、街の北デュナン草原に、例年、遊民は逗留する。


 来訪した目的はひとつ。

 他でもない。彼らから協力を取り付けるためだ。


 この戦の勝敗の鍵は、おそらく彼ら遊民が握っている。

 彼らが切り札になるはずだ。最悪の事態を覆す、最後の強力な切り札に。

 使者が欲するのであれば。


 統領代理はゆったり目を向け、話を切り出すのを待っている。

 込みあげる緊張に唾を呑み、エレーンは顔を振りあげた。


「た、助けて欲しいの! あたし達を!」


「助ける?」

 いぶかしげに彼は目を細めた。


「え、ええ! 実は昨日、ディールの使者が屋敷にきて──」


 開けはなった腰窓から、夏の日差しがさしていた。

 端に寄せたカーテンの裾が、あるかなきかの風にそよぐ。


 通されたのは、意外にも小奇麗な応接室だった。

 珍しい模様の瀟洒しょうしゃな皿が、飾り棚の上に立てかけられ、精密な彫りの調度品が品良くさりげなく飾ってある。


 エレーンは密かに舌を巻いた。

 一級の品にかこまれて、仕事をしていたエレーンにはわかる。どれ一つとして、まがい物などないことが。

 この部屋の調度品は、どれも超がつくほど一流だ。


 もたれた椅子に肘をつき、統領代理は眺めている。

 相槌を打つでも、促すでもない。

 頬に微笑みを絶やすことはないが、端正で優美な顔立ちの、その深い瞳の奥は、紗がかかったように窺い知れない。


 反応のなさにやきもきしながら、しどろもどろで続けていると、途中で小さく嘆息した。


 カーテンの裾が揺らめいた。

 どこかで蝉の声がする。事情をすっかり話し終えても、やはり口をひらこうとしない。

 たまりかねて、エレーンは顔をあげた。「──あ、あの!」


「お引きとり願いましょうか」


 そっけなく、彼が席を立った。


 エレーンはあわてて食い下がる。「お、お願いします! だって、あたし、あなた達しか頼るところは──」


「公爵夫人。残念ですが、私たちはご期待には添えません」

「待って! ディールの使者が言ってたの! あなた達とクレストは親密だって! あれは一体どういう意味?」


 長髪の背が、足を止めた。


 ちら、と肩越しに一瞥をくれる。

 軽く護衛に手を振った。


「ああ、お客様はお帰りだ。誰か送ってさしあげて」





 エレーンはとぼとぼ、街の大通りを歩いていた。

 追い払われて、一度は領邸に戻りもしたが、やはり、いてもたってもいられず、館を抜け出し、街に出たのだ。


「……あたし、一体どうしたら」


 途方に暮れた溜息のかたわら、観光客と思しき親子が、雑談しながら行きすぎた。

 寂れた北方にしては珍しく、街は多くの人で賑わっている。

 年に一度の豊穣祭が始まるからだ。


 ノースカレリアは観光収入に頼った街だ。

 華やかなりし港湾都市の昔には、飛ぶ鳥落とす勢いだったが、内海の氾濫で廃港となり、以降すっかり落ちぶれてしまった。

 今では、観光客の落とす幾ばくかの金で、暮らしが成り立っている側面がある。

 豊穣祭にはどの店も、売り物をぎっしり歩道にまで押しならべ、売り込みも盛んに行なわれる。

 親子連れや恋人たちが街の通りを行きかって、街はひと時、活況を呈する。



「豊穣祭、か」


 道行く人に視線をめぐらせ、エレーンはそっと嘆息した。


 北方特有の心地良い日ざしが、街路の石畳を照らしていた。

 ほうきで道をく老婦人、祭の準備に忙しげな店主、店先を冷やかす観光客、街をぶらつくどの顔も肩から力が抜けきって、のんびり寛いだ顔つきだ。


 街は祭に浮き立っている。

 だが、あと数日もすれば、ディールの軍馬が押し寄せて──


「……どうしよう」


 怖気が走り、エレーンは我が身を掻き抱いた。


 期限は刻々と近づいてくる。

 協力者は見つからない。

 そればかりか、ぶらつく人たちは知らないのだ。

 今こうしている間にも、ディールの軍が着々と、ここに向かっていることを。


 なんとかせねば、ならなかった。


 ディールの要請を蹴ったからには、なんとか手を打たなければ。


 ディールの軍を斥けなければ。

 どんな手段を使ってでも。



 だが、味方は一人もいない。


 警邏ははなから耳を貸さず、身内にうとまれて居留守を使われ、頼みの綱の遊民たちにも、あっさり協力を拒まれた──。


 西日を浴びた石畳が、いやに白々しく、まぶしかった。

 冷えこむような気候ではないのに、抱きしめた肩が震えている。

 街のつつがない喧騒が、凍りついた体を責め立てる。

 のどかで平和なこの街を、この手で壊してしまうのか──


「どうしたい。新婚さんがそんなシケたツラしてよ。ん~?」


 怪訝に声を振り向けば、大きな茶色の紙袋をかかえて、中年の夫妻が立っていた。

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