第十八話 暗闇の囁き

 暗闇に立つ人物は、その姿を現すことはない。ただ、面白そうに傍観する。

 いつも通り闇に溶け込み、闇の中から声を発する。闇から見つめる先は、金糸の髪を輝かせている聖騎士。今の肩書は王都ベルイーユの南地区騎士隊長。四ツ星の聖騎士。


「アレが噂の天才少年か」


 喜々とした声音を出せば、ゆっくりとその腕を円を描くように動かす。身体が闇に溶け込んでいるので傍目からは何も見えないだろう。


「それに、もう一人……」


 自身と同じように暗闇に溶け込むような姿を見つけて目に見えない笑みを深める。

 ほとんどの力を隠してしまっているその存在をあの組織が危険視し、欲していることを闇は知っている。


「ちょっと見物だね」


 面白そうにつぶやけば、この先の展開を想像してみる。きっと楽しいことになりそうだと思う。

 なにせ、注目の白と黒がこんな辺鄙な街に揃っているのだから。


「おいで」


 そして闇の人物の近くに現われたのは禍々しい魔力を秘めた剣。闇の中から創り出されたようにその姿を見せ、宙を漂う。


「キミにはもうちょっと働いてもらおうか」


 剣の側にいる男を見てニヤリと笑う。剣はぐるぐると男の周りを漂い、いつしか男の目の前でその動きを止める。

 しかし男はなんの反応を示すことなくただ虚ろな目をし、その剣を見るだけであった。


 ――チカラ、ガ、ホシイ……


◇◆◇


「報告が入りました。南地区の例の件です」


 漆黒のローブを身に纏い、豪華な椅子に身を委ねていた老人の元に一つの報せが入った。

 報告をしてきたのは表情が乏しい女性である。その隣には銀縁の眼鏡をかけた男性が背筋を伸ばして立っていた。

 魔術連盟本部には多くの人が在籍しているが、立派な髭を蓄えたこの老人がここの最高責任者である。老人の名であるマーリン・ダヴィンスと言えば魔術を扱う者で知らない者はいない。彼の二つ名はその温厚な顔からは想像出来ないもので、 その名を口にするのも恐れられている。

 しかしそんなことを全く見せないマーリンは、温厚な老人の顔で報告を聞いた。


「やはり裏ではあの組織が関わっているとみて間違いありません」

「そうか……さて、どうするのがいいか……」


 マーリンがそう唸れば銀縁の眼鏡を一度上げ、男が進言する。


「私が一掃してきましょう。南地区の連中になど任せてはおけません」

「ふむ……いや、待て。あそこにはあの二人がいるではないか。そなたの出る幕ではないだろう」


 マーリンは南地区の騎士隊に所属しているエルと非公式ではあるが二つ名を持つ魔女のセルティアがいることを知っている。どちらも実力は一級品だ。


「……しかし騎士隊はともかくとしてあの魔女は協力するでしょうか?」


 男は口端を吊り上げ疑問の声を出す。騎士隊は治安守備の為すでに動いていることは承知の事実だ。しかし騎士隊だけで解決するには些か荷が重すぎる。きっと真相まで辿り着けないだろうと踏んでいた。

 そして南地区にいるあの魔女が動くかどうかは不明で、なにより男はあの魔女を信用していない。

 そんな男の心情を察したマーリンは困った様にため息をついた。


「分かりきったことを聞くな。あの子は必ず動くよ。こんな事件を放っておける子じゃない」


 穏やかな表情のまま、どこか寂しさを含めてマーリンは諭すように言う。その言葉に男の方眉がピクリと跳ねた。


「マーリン様は随分とあの魔女の肩を持つのですね」

「私は事実を言ったに過ぎないよ」


 険を含んで言い放てばマーリンは当たり障りなく答えを避ける。そしてこれ以上の反論を認めない。


「アスター、そなたはとても優秀だ。他にしなければならないことが山程あるはず……この件にわざわざ手を煩わせることはないのではないか?」

「……そうですね。仰る通りです。この程度のこと私が関わることではありません。では、別件がありますので失礼します」


 しぶしぶ認め、早口に言いながら一礼するとローブを翻し足早に部屋から退出した。


「困った子だ……マリー、引き続き調査を行い報告しておくれ」

「承知しました」


 表情を変えぬまま頭を下げ、彼女も退出をする。閉じられた扉を眺めたマーリンは穏やかに笑った。


「さて、入ってらっしゃい」


 扉に向かって声を掛ければ背の高いローブを身につけた男が静かに扉から姿を現した。


「待たせてしまったかね?」

「いえ、問題ありません」


 艶のある青い髪を肩に流し、冷やかな紫の瞳を細める。マーリンの前で一礼をした男の胸元には金の五芒星が象られた赤い記章が輝く。冷たい印象を抱かせる彼は『氷崩ひょうほうの魔導士』という二つ名を与えられている。


「久しいな、クライ。あまりこちらには顔を出してくれないから寂しく思っておったぞ」

「ご無沙汰しております。前回から……そうですね、半年ほどでしょうか。あちらの任務が立て込んでいたので、申し訳ありません」


 氷崩の魔導士ことクライは目を伏せ、一歩進み出る。顔を上げればほんの少しだけ表情を緩めた。


「いや、いい。お前ほどの魔導士ならば仕方あるまい。して、此度はどうした? 挨拶に来たわけではなかろう?」


 マーリンの探るような眼差しを受け、クライは一つ頷くと封書を差し出した。なんの変徹もないように見える封書は、魔術に明るい者が見ればすぐにわかる仕掛けが施されている。


「どれ」


 マーリンは封書を受け取り一度弾いた。すると青い炎に包まれ文章が浮かび上がる。暗号化された文字を目で追い、髭を一度撫でる頃に炎は消えた。


「なかなか厄介なことになっているようだな。お前も大変だのう……」

「これぐらいは平気です。それより南地区の件で奴は随分鼻息荒くしていましたね」

「アスターのことか?」

「扉の前で睨まれました」


 男女二人の話が終わるまで部屋の外で待機していたクライは扉から出てきた男と顔を合わせている。素知らぬ顔をしていたのだが、一方的に睨まれる結果となった。


「そうか、それはすまんかった」

「いえ。奴は放っておけばよいのです。夢幻を敵視するなど愚かだ」

「なかなか手厳しいのう」

「事実を述べたまでです」


 先ほどマーリンが男に放ったことと同じように言うクライに苦笑する。


「クライはあの子の味方か?」

「さあ、それはなんとも。ただ実力は認めておりますし、マーリン様の気持ちも、夢幻の考えもある程度理解しております」

「そうか。みながそうであればいいのにな……」


 夢幻の魔女とマーリンのことをよく知るクライはその言葉の意味も理解している。しかし理解しているだけに、現実も把握している。


「マーリン様、それは難しいかと」

「……わかっておる」

「まあ、南地区の件は夢幻に任せておけばいいのでは? 元より捨て置くことなどできはしないでしょう」


 そうだな、とマーリンは頷き南地区に思いを馳せ、優しく微笑んだ。


(あの子は……)


 あの子はとても優しい。二つ名を持たなければきっと幸せに、普通の女の子として生きていける。

 それがマーリンの勝手な思い込みであることも、叶わない願いであることも、分かりきったことだった。

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