第十九話 騎士のランチタイム
王都南地区の街中は昨夜の出来事が嘘のように穏やかで、いつも通りの昼下がりを向えている。
昨夜、街を脅かしている事件は再度起こった。
住人はその報せを聞いて不安を抱きながらも日常を変えることはできない。
そんな街の様子を眺めながら、白の制服を少し着崩してエルは歩く。
通りの先に目をやれば見知った魔女がおり、彼女もエルに気付いて小走りで駆け寄ってくる。
「やっと見つけたわ」
そう言ったセルティアはエルの前で立ち止まった。
「ティア、何してるの?」
目の前にやって来た彼女を見て、エルは首を傾げる。探されていたようだが、何か約束をしていた覚えはない。
「それはこっちのセリフだわ」
ふんわりと緩く一つに束ねた漆黒の長い髪を揺らして、セルティアは頬を膨らました。
水色のワンピースに白のカーディガンを羽織っている彼女はそこらの街娘と何ら変わらない。
そこがまた不思議で、魔女という肩書きとのギャップにエルは思わず頬が緩んでしまう。
「……なに笑ってるのよ」
セルティアはそんなエルを見て少し頬を赤らめながらも、口先を尖らした。
そのどこか幼さを感じさせる反応に、エルは笑みを崩すことはない。
「別に? 特に理由はないよ、ティア」
そう言われれば彼女は数回目を瞬かせて訝しがるが、違うことを口にした。
「もう。なんで騎士隊長であるあなたがここにいるのよ」
「騎士でも隊長でもただ街をぶらつくこともあるよ。ちなみに今は昼休憩」
普段エルは昼食時を役所や詰所の食堂で過ごすことが多いが、たまにこうやって街に出てくることもある。時折街の様子を自分で確認するのも必要だと思うからだ。
「今から? もうお昼時はとっくに過ぎてるわよ?」
もう今時分は俗に言うお茶の時間に近い。太陽の位置はそれくらいにある。実のところ空腹のピークは過ぎてしまっていた。
「まあ、いろいろと長引いたから」
苦笑するエルにセルティアは合点し、頷いた。連日の事件に、昨日の今日である。隊長ならばすべきことも多いだろう。むしろこの時間帯に余裕を作れる方が凄いことだ。優秀な部下が多いと想像に難くない。
「昨夜の事件ね。その事で話があってエルを探していたんだけど……」
「流石察しがいい」
「街中の噂だわ」
セルティアはエルを眺めて少しばかり思案する。横目でちらりと行き交う街人の姿を確認すれば、気になるものがいくつもある。
「ここじゃあちょっと……わたしの家でも良いかしら? お昼なら何かご馳走するから」
「構わないけど?」
特に異論のないエルであったが、セルティアは言いよどむように付け足した。
「それに街でその制服は目立つのよ。……特にあなたは」
彼の美形はとにかく目立つ。街の住人で彼を知っている人は多く、話すほどでなくても印象には残る。やはりそれは制服を着崩していても違和感なく似合っており、今でも通り過ぎる人々の目を惹いているのだ。
特に女性からの視線が痛い。これでは一緒にいるセルティアにまで注目がいってしまう。それは彼女の本望ではないのだ。
(当の本人は気にしてないみたいだけど……)
セルティアはこっそりとため息をつき、気を取り直して尋ねる。
「でも時間は大丈夫なの?」
街外れの森にある魔女の館まで行けばそれなりに時間は要するが、昼休憩といってもそれほど長くはないはずである。
「俺には優秀な部下がいるからね。問題はない」
先ほどセルティアが考えた通りだと言う。ニヤリと余裕に笑うエルの姿にセルティアは苦笑した。
「あなたって、真面目なのか不真面目なのかよくわからないわね」
でもそれぐらいが丁度良い。
◇◆◇
街外れの森にある魔女の館へと再び来ることになったエル。通されたのは昨日と同じ部屋だ。
セルティアは明言した通り、昼食をご馳走してくれるらしい。少しだけ待つように言われたので、昨夜のことを考えながら時間を潰した。
(あの時……確かになにか別のものを感じた)
怪しい剣を持つ男と対峙したとき、剣以上に禍々しい力をどこからか感じたのだ。だがそれが近くか、遠くかはっきりとしない。靄がかかったように感知しきれなかった。
(それにあれはどう考えても正気じゃない。操られている……?)
あの男の虚ろな目が気になった。何も映していない。焦点の合わない瞳。辛うじて呼吸をしているだけの人形のようだった。
(人相書きを回してはいるが、あまり意味がないかもしれないな)
剣を所持していた男の顔をエルは確かに覚えているので、人相書きを作成し関係者に注意を促してはいる。
だが操られているとなれば元を絶たなければ意味がない。
どうしたものかと、考えた所で良い案がでず、その美しい顔の眉間に皺を寄せた。
「お待たせー」
声と共に扉から姿を現したセルティアは皺を寄せているエルを見て小首を傾げた。セルティアの後ろからは双子がそれぞれトレーを持っている。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
声を掛けながらも手際よくエルの前にも食事の準備をするセルティア。サンドイッチとスープ、それにフルーツの香りが漂う紅いお茶。デザートには柑橘系のフルーツが添えられている。
「簡単なものしか用意出来なくてごめんね」
申し訳なさそうにセルティアは言うが、目の前に広げられた食事にエルは充分だと思う。
「よくこの短時間で用意できたな」
セルティアがエルを待たせていたのは二十分もない。感心すれば、彼女は曖昧に笑った。
「これぐらいなら直ぐだわ。時間があればもっとちゃんとしたものを用意したのだけど……あなたも忙しいでしょ?」
いくら優秀な部下がいようと、この非常事態に上司が長時間姿を隠すのは好ましくないだろうというセルティアなりの気遣いである。だから短時間で用意が出来て、直ぐに食べられるメニューにした。
エルはその気遣いを嬉しく思い、柔らかく笑みを浮かべる。
いただきます、と言い早速サンドイッチを口にした。
「……どう、かしら?」
料理にはそれなりに自信があり、不味くはないはずだが、それでもセルティアはエルの反応が気になり固唾を飲んで見つめる。
「うん。昨日も思ったけど美味しい。ありがとう、ティア」
「……あ……」
(だから、なんで……!)
エルは素直に思いを伝える。それは何も可笑しなことではない。ただセルティアはそんなエルに衝撃を受け、言葉を詰まらせてしまう。
本人は無意識だろうが、それはもう最上級の笑顔で真正面から言われてしまうと、セルティアでなくとも赤面し、声を震わせてしまうだろう。
しかしそれを気にすることなく、当の本人はご機嫌な様子で遅めのランチタイムを過ごすのだった。
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