第十七話 夜に浮かぶ剣
「……え?」
月夜に佇む閑静な住宅街で、ハレイヤは自分が持つ手の平サイズの機器を見つめた。そして受け取った連絡に踵を返す。
魔導機には通信機能を果すものもある。これはテレパスと呼ばれる魔術の一種を応用し発明された。最も、仕組み等は魔術に明るくない限り知られない話である。あまり一般家庭にまで普及はしてないが、公共施設や国家機関、貴族やその他一部の間で使用されている。
小型の通信機から連絡を受けたハレイヤは、直ぐさま現場へと駆け付け、見つけた隊士に声をかける。
「なんですって? 隊長一人で行ったの?」
「は、はい」
連絡を受けて約十分ほど経った。状況説明を聞いたハレイヤは驚きの声をあげる。
エルとハレイヤが巡回する区域は比較的近い。とはいえ、急いだとしてもどちらかの区域に着くにはそれなりの時間が掛かるほどの距離はある。それを十分以内で駆け付けたハレイヤは流石と言ったところだろう。
「……あの、やはり不味かったでしょうか?」
眉を寄せて考えるハレイヤを見て、隊士の一人は不安気に尋ねた。
「……いえ。隊長が決めたことなんでしょ? 仕方がないわ」
そもそもハレイヤに隊士を咎めるつもりなど全くない。
隊長のエルが本気で言いだしたら隊士の言うことなど聞かないだろう。言うことを聞く人間など何人いるか、ハレイヤはほとんど思い当たらない。
(隊長は今日ティアちゃんにアレを貰っていたから……もしかしたら)
そこまで考えると、ため息をつく。先程からエルの持つ通信機に連絡を入れているが応答がない。一抹の不安が拭えないが、あの隊長だから問題はないだろうと締めくくった。
ハレイヤはエルの実力を充分に知っているのだ。万が一のことなど考えたくはない。逆に万が一のことがあれば、それはもう南地区だけでは手に負えない内容となっているのだ。
「ジェークに連絡は? あと小隊長にも。近くの詰所にいるはずだけど」
「入れてあります。直ぐに巡回組、待機組共に全隊士、連絡を回すそうです」
「そう」
ハレイヤ頷くと、被害者である住民を見る。応急処置はされているが、血が滲み、顔色もあまりよろしくない。
事情を聞かせてもらう必要もあるので、それはジェークに任せることにする。
「彼を近くの詰所へ。怪我をしているみたいだから医療部にも連絡をしといて」
「はい!」
指示を受けた隊員は素早く行動する。犯人が去ったとしても、被害者を守る義務がある。
それに犯人は去ったとはいえ、万一にも戻ってくる可能性もあるのだ。迅速に行動するに限る。
「気を引き締めて行きなさい。隊長は私が追いかけます」
「了解しました!」
勢いのよい返事を聞いたハレイヤは、後のことを任せ、隊士を一人だけ引き連れてエルが向った先へと駆出した。
夜の街で行方の分からないエルと出会えるかは不明なのだが、己の勘を信じ駆け出すのみである。
◇◆◇
指針の先を目指して走っていたエルであるが、目的に近づくにつれて嫌な感じが身体に纏い全身に伝わる。最早、指針を確認する必要もないほどだ。
「……!」
ふと、エルはその場に立ち止まる。
嫌な感じがとても色濃くするこの場所に、しかし犯人らしき影は見つからない。まるで嫌な魔力だけがエルを刺しているようだ。
油断なく辺りを窺い、警戒を張る。
突然背後から気配を感じた。咄嗟に剣を抜いて衝撃を受け止め、剣と剣がぶつかる音が鳴り響く。
「……っ、あんたが……」
犯人、と続ける間もなく対峙する刃は振るわれる。エルはそれを難なく防いで、その姿を見た。
男だ。ボロボロになった服を身に纏い、虚ろな目には何も映していないだろう。頬はこけて、生気のない様子だ。剣を振るうことさえ危ぶまれる様に見えるが、その刃の力は強い。とてもじゃないが本人が振るっているようには見えない。
その腕前はエルにとっては太刀筋も見える、たいした相手ではない。しかし、やっかいなのはその剣が帯びている邪悪ともいえるほどの魔力である。
(こいつ……)
暫く対峙して、幾度から剣を交えているとすぐにその違和感に気づいた。
エルは目を細めて、相手を見抜く。
(操られている……?)
ならば虚ろな瞳に何も映っていないことが頷ける。何に操られているかは定かではないが、正気ではないようだ。
男が繰り出す剣先を避けながらも、エルはどうするか思案する。
男が持つ剣の正体が気にもなるし、できることなら生かして詳しく調べたい。真相を闇に葬ってしまう気はさらさらないのだ。
それに、まだ何かがひっかかる。得体の知れない、僅かだが嫌な感じが抜けきらない。それは目の前の男に対してではなく、もっとその裏に潜む何か、だ。
エルは手に握る剣に己の聖力を注ぎ込む。この剣はただの剣ではなく聖なる力を持つものにとっては特別となる。聖騎士だけが与えられる聖なる剣だ。
しかし、エルが剣を振るう前に男は突然距離をとり、身を翻した。
「あ……」
男は素早い動きでその姿を暗闇の街並みに消す。エルも直ぐに追いかけるが、どういうわけか急に濃い霧が現われて街を包み、その姿を見失ってしまった。
「……この霧……」
不可解な濃霧にエルは顔を顰めるが、数分の後に霧は晴れ、静かな夜の街並みが見て取れた。
(どうなってるんだか……)
エルが溜息をつく頃、背後から人の駆けてくる足音を耳にして振り返る。目に捉えたのは短い髪を揺らす副隊長。
「ハレイヤ」
そう彼女の名前を呼べば、息を乱した様子もなくハレイヤは隊長の姿を捉え近くまで駆け寄った。
「隊長。ご無事ですか?」
「まあ、一応」
辺りの気配をうかがいながら訊ねるハレイヤに、エルは苦笑しながら答える。
「そうですか。犯人はみつかりましたか?」
「ああ。いたよ、さっきまで」
あくまでも冷静に様子を見ていたハレイヤが微かに眉を動かす。
「……それで」
「逃げられた」
少し間を空けて、ハレイヤを驚いたように少し目を開く。
「逃げられたって……隊長がですかっ! めずらしー!」
追い詰めた犯人を逃がすことなどめったにないエルなだけに、ハレイヤは珍しさのあまり感嘆の声を出す。
それに対しエルは再び苦笑した。
「そんなに驚くことでもないと思うけど?」
苦笑混じりに言うエルにハレイヤはかぶりを振る。
「そうですか? 結構な確率で驚かれると思いますよ」
しかし、それと同時に事の深刻さが感じられることも必須だ。あの隊長から逃れたのだから。これは何か手を打たなければますます不味いことになりそうだ。
「しかし、隊長は犯人の姿を見たんですよね?」
表情を真剣なものに切替えてハレイヤは確信的に問う。
「ああ、男だったよ。身形は乏しかったけど……それ以上に虚ろな様子が気になった」
「虚ろ、ですか……?」
軽く頷くとエルは通信機を手に取り連絡を回しながら指示を送った。
「まぁ、詳しいことは後で報告書と一緒に話すとして」
「わかりました」
話しながら二人は歩きだす。
今はいつも通りの夜の街通りである。
少し歩いてエル立ち止まり背後を顧みた。そして少しだけ嫌そうな顔をする。
「どうかされましたか?」
「……いい趣味とは言えないな」
「はい?」
「いや……ただ、ティアの言っていた通りだったってことかな」
エルのよくわからない呟きに首を傾げながらも、ハレイヤはティアという愛称を名乗った昼間の魔女を思い出す。受け取った羅針盤は確かに役に立った。
「間違いなく魔術が関わっている。しかも……ちょっと厄介な感じで」
魔術が関わってくると一筋縄ではいかない。魔術とは時に便利でしかし時には厄介な存在となりうるのだ。
「魔術が関わる時点で結構……いえ、間違いなく厄介ですよ」
ハレイヤは真面目に訂正する。少なくとも一般人にとってはそうなのだから。魔術に対抗する手段は極僅かに限られている。
「確かに」
ハレイヤの言う通りで、神妙に頷くとエルは夜空を仰ぐ。そこに散らばる星々と月は陰りを見せていた。
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