第十六話 指針の行方

 ゆらりゆらりと、それは街を彷徨う。

 邪悪な力を取り巻きながら、その力を抑えることもせずに、獲物を探し続ける。欲しいものは糧となる血肉と沸き上がる恐怖心。

 闇の時刻はその力を増長させ、闇色はその姿を妖しく魅せる。


 ……ワレハ、


 ……ワレハ……


「せっかく封印を解いてあげたんだ。チカラが欲しいのなら、更なる血を求めればいい」


 闇に溶け込む影が、ニヤリと笑う気配がする。影が発する声色は嬉々としたものがある。決して他に姿を見せない影の周りに濃い魔力が漂う。


「さあ、行っておいで。もしかしたら君が望む者に出会えるかもしれないよ」


 その声に応えるように、血肉を求める剣は今宵もその刃を振るいあげる。


◇◆◇


 月と街灯の仄かな光しかない闇夜の空間であっても、エルが持つ金糸の髪は輝くように浮かび上がる。


「隊長」


 エルは声が掛けられた方へと振り返ると、その髪が闇色に弧を描いた。


「ハレイヤ」


 副隊長である彼女の名を呼び、エルはその姿を見とめる。

 騎士隊の白を基調とした服装は、このような時間帯であってもその姿を捉えやすい。


「異常はないか?」

「はい。隊長の方はどうです?」


 ハレイヤは隊長であるエルを見ると、その背後に控える二人の隊士を見る。

 夜の巡回をする騎士隊は原則二、三人で行動する。

 エルもハレイヤも隊士を二人それぞれ連れていた。


「特にないな。ハレイヤ、引き続き頼む」

「はい」


 二つ返事で頷くと、ハレイヤ達は再び闇の街へと消えていった。エルと彼女は巡回する区域が違う。今回はたまたますれ違っただけだ。

 ハレイヤ達の背中を見届けたエルは息を吐き出す。

 隊長格が自ら巡回をするなど他所の隊では希少なことだろうが、エルも他の隊士もそれについてあまり気にすることはない。

 平常時ならまだしも、何か異変があれば自ら動く、というのは先代の隊長時代から変わらない。


「隊長、どうしますか?」

「……もう少し続ける」


 隊士の一人が声を掛けるとエルはそう答えながら、顔を少し難しそうにしかめた。

 隊長であるエルが自ら動くとき、それは何かが起こる可能性が大きい。

 騎士隊は短い期間ではあるが、それを身に染みて知っているので、表情を引き締めた。

 普段やる気なさげでめんどくさがりな様子も見せるが、大事な時は身を呈して行動に移す。その行動力は隊一だ。

 真面目すぎず、しかし一大事には頼りになる騎士隊長だからこそ、隊士は信頼を置き、歳若い上司に付き従っている。南地区の隊士はエルより年下は数名しかおらず、ほとんどが年上だ。だが年齢など気にさせない、人を惹き付ける魅力がエルにはある。

 この街に赴任して半年足らずだが、すでに騎士隊とってエルの存在は大きなものとなっていた。


「何もなければいいんだけどな……」


 そう呟き、エルは昼間夢幻の魔女と呼ばれるセルティアから受け取った羅針盤を眺めた。

 指針に犯人を示してもらうならば、何か起こらなければいけない。きっと事件は解決へ導けないだろう。

 しかし、何も起きなければいいと願ってしまうのもしかたがない。

 少なくても何も起きなければ、住民が被害を受けることはないのだから。それを思うと複雑な気分となる。


「行くか」

「はい」


 隊士二人の返事を聞き、エル達も再び街に目を配らせながら巡回を再開する。

 夜の街を歩きながら、エルはこっそりと溜息をつき、小さな羅針盤を握り締めた。


◇◆◇


 平静な闇の時間に異変は突然起こった。

 夜の街中に響くのは、人の叫び声。静かな街に悲鳴は遠くまでよく響き渡る。

 しかし振るわれた刃による傷が痛み、その声も途切れてしまった。


「誰か……」


 絞り出された声もゆらりと動くその影を見て、息をのむ。

 近頃物騒で極力夜中に、外に出歩くなと注意喚起はされていた。しかしどうしても今日だけは仕事で遅くなってしまい足早で帰路についていると、冷たい気配を突然背後に感じた。咄嗟に振り返った瞬間、肩に激痛が走り、何が起こったのか分からなくなった。

 声にならない悲鳴をあげ、数歩後ずさる。

 妖しくちらつく刃を見て目を瞑り、次に訪れるだろう痛みに恐怖した。


「……っ」


 しかしいつまで経っても次の衝撃は来ない。不思議に思いながら、恐る恐る目を開けるとそこにあの影の姿はなかった。あるのは見慣れた暗い街並みだけだ。


「た……すかっ……た……?」


 荒くなった息を吐きながら、そう呟いた。その矢先、背後から幾つかの駆けて来る足音が聞こえ、ビクリと肩を震わす。

 恐怖に顔を強張らせながらもゆっくりと振り返ると、そこには闇色に浮かぶ白き姿があった。


「あっ……」


 それはこの街を守る存在。過去に幾度も活躍してきたことを知っている。白を基調とした制服に身を包む騎士隊を知らない者はいない。

 その姿を見た瞬間、今度こそ安堵の息を吐き、その場に崩れおちた。


◇◆◇


 騎士隊は街の住人であろう姿をすぐに見つけた。ちょうど崩れ落ちる瞬間である。


「大丈夫ですか?!」


 慌てて駆け寄りその身体を支え、心配そうに様子を伺う。

 肩に傷を負った被害者は、まだ若い青年だ。傷の具合を診ると、どうやら命に別状はない。しかし血は依然として流れ出ている。隊士の一人は応急処置を施した。しかし応急措置だけでは心許ないので、あとで医療部にも診てもらう必要がある。もよりの詰所には念のため待機しているはずだ。

 一先ずほっと一息ついて、指示を仰ぐようにエルを見る。


「隊長、どうしますか?」


 辺りを見回したエルは、その表情を引き締めた。整った顔立ちが更に際立つのが暗くてもがわかる。


「この場は任せる。すぐにハレイヤが来るだろうから、来たら状況説明をして、指示を仰いで。俺は犯人を追うから」

「犯人を……ですか?」


 エル達が着いた時には既にその姿はなかったので、今から追っても見つかる可能性は低い。これまでがそうであったように。それなのに追うと騎士隊長は言う。


「動かないよりはマシだと思うけど?」


 部下の表情を読み取ったのか、エルはそう告げる。可能性は零ではないのだ。それにエルには一応のあてもある。

 ここで終わってしまっては意味がない。


「……そうですね。了解しました。くれぐれもお気をつけて」


 改めて自分達の隊長を認識し隊士は敬礼をする。それは武運と敬意を込めてだ。

 騎士隊長に迷いはないとわかれば、部下が迷うわけにはいかない。

 本来一人で行動するのは危険な行為とされるが、エルの実力は騎士隊の中でずば抜けている。少なくとも南地区でエルに勝てる者はいないだろう。

 それもあって隊士は隊長を引き止めることはしない。


「ハレイヤ副隊長と合流し次第、我々も捜索にあたります!」

「ああ、頼んだよ」


 部下の頼もしい言葉にエルは口元に小さく笑みを作り、夜闇の中を駆け出した。


 目指すは指針の示す先―――

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