第十話 夢幻の魔女

 ――この世界に数多いる魔術師の中には、二つ名を持つ者もいる。二つ名を持つ理由は様々であるが、総じて彼らの力量は他と比べ抜きん出ていることが特徴だ。



 エルから“夢幻の魔女”という言葉が発せられ、思わずその場に固まる。それはセルティアだけでなく、ハレイヤやジェークも同じだ。

 なぜこのような反応をされているのか、事の原因である張本人は不思議そうにしている。


「……なぜ、そう思うの?」


 何とかセルティアはそう口にすることができた。一瞬でもその動きを止めてしまったことを後悔しながら、顔がひきつっていることを自覚する。そしてまず否定の言葉を言うべきだったとも今更ながらに思う。


「以前、王都のどこかに夢幻の魔女がいるって聞いたことがあるっていうのもあるけど。あんたの力を垣間見てなんとなく」

「……わたし、そんなに大したことしてないわ。わたしぐらいの魔女、幾らでもいると思うけど?」


 セルティアが述べるのは事実だ。

 確かに、セルティアが彼らの前で見せた魔術は多少なりとも力のある者だということを示したかもしれないが、取り立てるほどのものでもないはずである。それなりに優秀な魔女かもしれないが、二つ名を持つほどとは、まして"夢幻の魔女"を結び付かせるほどではないはずだ。

 だがそれはエル以外の目に写った情報だけなのだということもなんとなくわかっている。


 エルには別のものを見られているのも事実。先ほどセルティアが精霊に直接話しかける姿を目撃されている。このことが紛れもなく、セルティアが言う『わたしぐらいの魔女』には当てはまらないことになってしまう。


(やっぱり見られたのが……誤魔化せるかしら……)


 セルティアはじっとエルを見ながらなんとか笑い飛ばしてしまおうと努力するが、なかなか難しい。


「だから、なんとなくだって。ああ、あとは勘も」

「……なにそれ」

「勘は良い方だ」


 しれっと言いのけるエルにセルティアは押し黙る。本当はすぐさま突っ込みたいところだが、心の内に留めておくように努めている。


(いや、勘がよすぎでしょ?!)


 一方で二人の押し問答にハレイヤとジェークは耳を傾けるのに留まっているようだ。幸いなことに、他の騎士達ほそれぞれの作業に集中している為、こちらの小さな話声が聞こえている様子はない。


 "夢幻の魔女"という魔術師を知っている者は実のところそれほど多くない。しかしハレイヤとジェークの反応からして、この二つ名に聞き覚えがあるのだろ。

 少なくとも、何かと謎に包まれ、曰く付きの魔女だということぐらいは知っていそうである。


(まあ、それがわたしだとは思いつきもしなかったってところかしら)


 それが普通なのだ。

 セルティアは常を街娘として、時に魔女として活動しなければならない時も、として振る舞っているのだ。

 だから副隊長の二人がエルの発言に驚き訝しがるのも当然の反応だ。


 しばらく、お互いが相手の出方を待つように沈黙となる。

 いつまで沈黙を貫くのか、と考えるよりも先にセルティアの肩の力が抜けた。


(ふふっ。隠していても意味ないわね)


 精霊のことは持ち出さないが、エルの目は確信を得ている。退くつもりなど毛頭ないのだろう。

 下手な嘘や誤魔化しは無意味なのだ。


「……はあ、凄いわね。今日は何度もあなたに驚かされているわ」


 セルティアは穏やかに微笑む。

 そもそもエルの力量を見誤り、油断してしまったことが原因なのだ。いずれは明かすつもりであった正体を今明かしたところで問題はないだろう。

 セルティアは一度辺りを見回して、他に聞き耳を立てている者がいないことを確認した。

 流石に不特定多数に知られるわけにはいかない。


「騎士様のお察しの通りよ。わたしは夢幻の魔女、セルティア」


 セルティアが改めて名乗るとハレイヤとジェークは更に驚いている。


「ほ、本当に、あの、夢幻の魔女、だと言うのですか……?」


 信じられないという顔をするハレイヤは、とても声を小さくして問う。大っぴらに出来ないことを察した彼女なりの配慮であろう。

 セルティアが一つ頷けば、副隊長の二人は顔を見合わせた。


 "夢幻の魔女"という二つ名を持つ者の噂をどこまで聞き及んでいるのだろうか。

 嘘か真か知れないが、その力は絶大で"夢幻の魔女に敵うものなし"と囁かれていることを、知っているのかもしれない。


「本当は半年前、あなたが騎士隊長に就任したときにあなた達にはきちんと挨拶しようと思っていたの。一応わたしも南地区にいる限り、ここを守る義務があるからね」


 これも事実なのだ。

 ただタイミングを逃してズルズル今に至ってしまっただけだ。

 ふとセルティアはジェークを見た。


「ちなみにあなたのお兄様はわたしのこと知っているわよ。……ただ、なにかとあの人は厄介でもあるし、特に最近わたしの出る幕もなかったからね」

「え?」


 驚いた声をあげるジェークであるが、彼を含めエルもハレイヤもすぐに合点がいったようだ。ジェークの兄は南地区総合役所に勤める官僚で、上から数えた方が早いかなという地位だ。南地区内のあらゆることに精通しているのだから、夢幻の魔女が南地区を守る義務があるというのであれば、むしろ知らないはずもない。

 すっとぼけた感はあるが、なかなかの策士で油断ならない人物、というのがセルティアの評価である。


「それに前任の隊長もね」


 エルは半年前に前隊長の引退に合わせて着任した。ハレイヤとジェークは以前から副隊長に就いてはいたが、それでも一年程である。実質エルの着任とあまり差がない。


「引き継ぎで何か聞いてるかとも思っていたのだけど……」

「残念ながら私たちも前任者からは何も……慌ただしかったということもありますが、引退される際はとてもあっさりしたものでしたよ」


 困った様に言うハレイヤにセルティアは前隊長を思い浮かべて額を軽く押さえた。


「まあ、そうでしょうね。あの狸は……」

「狸!!」

「……狸」


 セルティアの小さなぼやきにジェークとエルは其々に反応する。そしてジェークは爆笑し、エルは静かに肩を震わせながら笑った。ハレイヤだけが曖昧に苦笑するのだ。


(狸でこんなにも笑われる前の隊長って……)


 セルティアは呆れた眼差しを聖騎士に向ける。間違った表現をしたつもりはないが、仮にも前の上司をここまで笑っていいものなのだろうかとも思う。


「ああ、悪い。なんとも的を得た表現だと思ってな」


 笑いを静めたエルは、セルティアに向き直った。先程よりかは幾分か穏やかな顔つきになっている。


「……まあ、とにかく。一応わたしのことは非公開となっているわ。だから他の人にはくれぐれも内緒でお願いするわね?」


 人差し指を口元に当てて、セルティアは真剣な眼差しで三人に言った。

 魔女の言葉には時としてその力が作用することもあり、それを知っているからもしくは別の理由からか、逆らうつもりはないようだ。端から口外するつもりもなかったのであろう、各々素直に頷いていた。

 その反応にセルティアは満足げに笑う。そして己の手を空へと伸ばすと、どこからともなく一本の箒が風に乗って飛んでくる。


「今回の事件に関して、騎士様にはお礼とお詫びをしないといけないわよね」

「別にいいよ」


 そう断るエルであるが、セルティアは箒を掴んで、首を横に振った。


「いいえ、そういうわけにもいかないわ。というわけで、はい。これ」


 二つ折にされた一枚のメッセージカードをセルティアは渡した。それを受け取ったエルは中身を見て首を傾げる。


「これは?」


 横からハレイヤとジェークもその中身を覗き込んだ。

 カードには“夢幻の魔女”という言葉と街外れの森の簡易地図が書かれていた。


「一度だけ、困ったことがあれば無償で力を貸してあげるわ。ただし、二度目からは交渉させてもらうけどね」


 そこまで言うと、セルティアは手にしていた箒に腰を掛ける。箒はゆっくり、静かに浮かび上がった。


「必要とあればそこに来て。詳しい場所はそのカードが教えてくれるから。そして名を呼んで。それと、念を押すけどわたしのことは他言無用よ!」


 箒がだいぶ高くまで浮かび上がると、じゃあね、と手を振ってその場からあっという間に去ってしまった。



 こうして王都南地区に突如現われた魔物騒動は、騎士と魔女の暗躍によって解決した。

 住民が真相を知ることはなく、エル達はセルティアとの約束通り、その存在を報告していない。その場にいた騎士達にもセルティアのことは、"通りすがりの一介の魔女"とだけ説明し、それ以上の追随を許しはしなかったようだ。

 連日のように現われていた魔物が姿を見せなくなって数日が経つ頃には、街の人々も平穏な日常に安堵し、次第にこの騒動のことも記憶の片隅へと追いやられ、話題に上ることもなくなっていた。


◇◆◇


 王都中央地区総合役所。王都の中でも中央地区にあるこの役所は、他の地区と比べ半端ないほど広大な敷地に大きな建物となっている。大国アリアレスの全役所を統括する機関なので、当然といえば当然の規模だ。

 先日、南地区で起こった魔物の出没騒動が解決した後日、報告書とともにここにもその内容が伝わっていた。


「南地区に魔物が出没……この件を解決したのは……」


 役所の中でもとりわけ広い一室にて、漆黒のローブを着た老人は高価な椅子に身を委ねている。

 この部屋には老人の他に、ローブを着た二名の男女が控えていた。

 老人は報告書に目を通しながら、顎の髭を撫でる。


「ほお、あのグディウム隊ではないか。これは流石とう言うべきじゃの。なあ、そう思わないか?」


 笑みを浮かべ嬉しそうに頷く老人は、目の前に控える男女へと問いかけた。

 一歩、銀縁の眼鏡をかけた男の方が前に出て答える。


「はい。しかし、この件に関しましては魔術師が関わっておりますゆえ……」

「うむ。全く我が魔術連盟の恥ではあるな」


 難しい顔をして、ため息をつく老人を見て、表情が乏しい女の方も一歩前へと進み出る。


「今一度、規律を徹底したいと存じます」

「まあ、ほどほどにな」


 冷徹さを秘める彼女を知っている老人は、曖昧にそれだけ言った。


「……しかし、いくら魔術師としては半端者と言え、身に余る行いをしたあの輩を騎士隊だけで解決することは可能でしょうか?」


 男は表情を変えぬまま、老人へと申告した。魔術連盟の中ではとても優秀ではあるが、些か頭が堅い節がある。


「そうじゃな。だが、他の者ならいざ知らず、あのエル・グディウム殿ならやりかねないと思うが?」

「はっ。おっしゃる通りで。しかし、それでも私にはどうもあの者が関わっている気がしてならないのです」


 微かに、男の瞳が剣呑なものへと変わった。老人はそれを見逃さず、瞼を一度伏せてその姿を浮かべる。


「……南地区か。あそこには彼女がいたな」


 男と打って変わって老人の声は穏やかであった。その懐かしむような表情がまた、男にとっては気に食わない。

 一通り報告を終え、罪を犯した魔術師の処遇を聞くと女はその部屋に残り男はその部屋をあとにした。

 部屋の外に続く長い廊下を歩きながら男は小さく呟く。そう、誰にも聞こえないほどの声で。


「……忌々しい魔女め」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――(2023年3月16日改稿)

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