第九話 聖なる力
低い唸り声が聞こえたかと思うと、とうとう辛抱がきかなくなったのか、魔物が飛び掛ってくる。一匹動けば後に続くように、何匹も襲い掛かってきた。
騎士隊はなるべく魔物を倒してしまわないように注意を払っているらしいが、多勢に無勢の中では、逆に騎士隊の方が危ういだろう。
そこまで考えたセルティアは、腕を前に突き出し小さく呟く。
「風よ、阻め」
呟きと同時にセルティアの周囲から巻き起こる静かな風はやがて大きくなり、騎士隊と魔物を阻みながら、そして魔物を弾き飛ばした。
それは一瞬のことだ。直ぐに風は止んだため、騎士隊は何が起こったのか困惑している様子であったが、それが魔法だと気づくのにも時間は掛からなかったようだ。
(まあ、騎士様ともなれば珍しい現象でもないでしょう)
セルティアはそう結論づける。
魔物討伐も騎士の仕事のはずで、討伐の際には魔術部と行動を共にすることもあると聞く。実践の際に何度かその魔法を目にしていたとしても可笑しなことはない。
ただ、もしかしたら彼らが知っているものよりも多少威力が強かったかもしれないのだが、気のせいということにしておいてもらえないだろうか。
困惑した様子の騎士隊はセルティアを伺うように見てきたので、曖昧に笑いながらとりあえず手を振っておいた。
(あははは……手加減するのも結構難しいのよね……)
恐らく半数ほどの騎士が、街娘の姿をしたセルティアが魔法を使用したのだろうことに気が付いたようだ。
エル達との会話を聞いていれば、セルティアが魔女だと理解するのは容易いことだろう。
一先ず追及さえされなければ、なんでもいいと思う。
(とりあえず
何度か騎士隊と魔物の間に風を起こし、近づけないようにする。
威力が強すぎるといろいろと問題が発生するので、手加減することに集中しなければならない。
背後からは聖なる力が高まっていくのを感じるので、エル達が聖術を発動するのにそれほど時間は掛からないだろう。
ほんの少しの間だけ魔物の群れの注意を引くことが出来ればいい。出来ることなら他の騎士隊の手もあまり煩わしたくもない。
セルティアの魔法によって一度魔物と騎士隊の距離は開いたが、すぐに魔物はその距離を縮めようとしている。
(……よし)
セルティアはそこまで考えると、握りしめた拳を開け、掲げた。
「我、セルティアの名において命じる」
セルティアは澄んだ声で小さく唱える。出来ることならこの声は他者に聞こえないように、気づかれないようにと願いながら。
再び彼女は緩やかな風に包まれ、口元を緩めた。
「少しの間だけ、魔物の動きを止めてもらってもいい?」
それは誰に言った言葉かはわからない。しかしセルティアが微笑むと、緩やかな風は吹き抜け、やがて激しくなり魔物の群れを覆うように巨大なものとなった。
「これは一体……」
呆然とその光景を眺めた騎士の一人が言った。目に見えないはずの風がその激しさから姿を現し、壁を作り出す。
「凄い魔力だな。まさか精霊自体を動かしてみせるとは……」
「え……?」
一息ついたセルティアに突如掛けられた声はエルのものであった。
少し驚きを見せてセルティアが振り返るとそこにはエルを含む聖騎士三人の姿があった。
「あの子たちの姿が見えるの……?」
恐る恐るとセルティアは他には聞こえないよう、小さな声で訊ねる。
副隊長の二人はその様子から何も見えていないということが分かるが、エルの眼差しは、傍目には何もない空間をしっかりと捉えていた。
「まあ、それなりには。こんなにはっきり見たのは久しぶりだ」
「驚いたわ……あなた、想像していたよりもずっと凄いかも」
はあ、とセルティアは感嘆の息を吐いた。
精霊は大きな力を持っている。聖術も魔術もその一部の力を借りているにすぎない。精霊の姿は人の目に映ることはないはずなのだが、稀に大きな力を持つ者は目にすることが出来る。
エルが精霊を見ることが出来るということは、彼の持つ聖力がそれほど強く大きいものという証明だ。
(凄いけど……見られたのは不味かったわね)
まさか精霊が見えるとは考えていなかった。だから油断してしまったのだ。
エルは間違いなくセルティアが精霊に直接語り掛けている姿も見ているはずなのだ。
普通の魔女はそんなことできない。
だからセルティアは誰にも気づかれないことを望んでおり、見える者はいないと高を括っていたのだ。
エルを侮っていた自分が悪いと、諦めのため息をつく。少し考えれば可能性はあったのに、思慮が足りていなかった。
「……」
じっと、何かもの言いたげに見られてしまい、セルティアは言葉に窮す。
どうしたものかと考えていたのだが、発せられたのは予想していたのとは別の言葉だ。
「……とりあえず、早く帰りたい」
「……それは、そうね」
首を傾げながらも相槌を打つセルティアをよそに、エルは背後に控える副隊長二人を振り返っている。
「さっさと片付けて帰ろう」
「そうですね、隊長」
ハレイヤとジェークが頷くと三人はお互いにその距離を縮めた。そして片腕を前へ差し出す。
差し出された腕からそれぞれ淡白な光が溢れて、やがて一筋の細い光となり、空へ昇れば、天を突き抜ける。
まさしくそれが、聖なる力の表れであった。
天へと抜けた一筋の光は空を明るく照らし、薄暗かった辺りに清らかな光が優しく降り注ぐ。
(やっぱり、綺麗だわ……)
セルティアは目を細めてその光を見つめる。
いつ見ても、何度見ても、聖術の色は綺麗なのだ。
それは温かい光、聖なる清浄の力。
光を浴びた魔物の群れは急におとなしくなった。増幅していた魔の力も静まっていくのが感じられる。
「魔物が……」
光と魔物を見つめていたセルティアは息を呑み、呟いた。
魔物はそれぞれ悲しそうな鳴き声を響かせ、群れは後退し辺りから姿を消してしまう。騎士たちには見向きもしなかった。
恐らく、魔物たちの住処へ帰っていったのだろう。
「……終わったのね」
セルティアは一息吐き出すと、エル達を振り返り、ゆっくりと近づく。周りでは他の騎士達が喜びを表し、聖騎士を賞賛している。
「本当に凄いわね、予想以上だわ。あそこまで大人しくさせるなんて」
思わず頬が緩んでしまう。
聖なる力はセルティアが想像していてよりもずっと大きく、効力を発揮したようだ。
心なしかエルも嬉しそうに微笑んでいるように見える。
「魔は聖を嫌う傾向にあるからな。まあ、興奮も一気に冷めたんだろうけど」
「……でも、ちょっと同情しますね。あの魔物には……」
感傷に浸るよりも冷静に分析してしまっている様は流石は騎士隊長だ。
一方でエルより半歩後ろに立つハレイヤがそう言うと、彼女の隣にいるジェークも頷く。
どういう形であれ、子を失った親を不憫に思ってしまうのは仕方がないことだろう。
そして仕方がなかったとはいえ、子を捌いたのは他でもない騎士隊だ。
やりきれない思いがあるのも頷ける。
「……そうね。ところで、あの人はどうするの?」
セルティアは未だに廃屋の前に佇むローブを着た男を眺めた。その言葉で思い出したかのように、騎士たちは男を捕らえる。加えて、ジェークは撤退の準備に取り掛かるように指示を始めていた。
「あいつ、魔術師だろ? どっちにしたって連盟に引き渡すしかないな」
「それは構わないけど……この件を解決したのはあくまでも騎士様達だけってことにしておいてくれないかしら?」
困ったように小首を傾げれば、セルティアの前に立つエルとハレイヤは訝しがる。
「……つまり、魔女殿は関与していなかったことにする、ということですか?」
ハレイヤが訊ねるとセルティアは苦笑した。
「そういうこと。まあ、魔導石のことはどうしようもないけどね。適当に含めといて。でも犯人を捕まえたのは騎士様。魔物を追っ払ったのも騎士様。事実には変わりないし、いいでしょ?」
「そうですが……隊長、どうします?」
「いいんじゃないか、別に」
投げやりに言うエルの様子にハレイヤはため息をついていた。しかし反論を一切しないあたり、二人の関係性が伺える。
「わかりました。しかし、なぜ?」
自分が創った魔導石とはいえ、犯人を捕まえ街の治安を守ったことに変わりはないのだから、それなりの賞賛されるだろうに。
わからない、と顔に表すハレイヤを見てセルティアは苦笑せざるおえなかった。
「なんてことない理由よ。苦手なのよね、連盟って」
ただそれだけの理由。しかしセルティアにとってはそれほどの理由なのだ。
「魔術連盟が苦手って……魔女にとっては致命的だな」
呆れたように言うエルに、セルティアは曖昧に笑うだけだった。全くもってその通りなのだが、こればかりはどうしようもない。
魔術師は基本的に魔術連盟という組織に所属している。連盟から各々に指令を下され行動するのだ。役所内にある魔術部もその一端である。
つまり魔女であるセルティアも魔術連盟に所属しているはずなのだ。犯人を捕らえたとなれば業績に残る為、普通ならば進んで報告するところなのだが、それはセルティアが望んでいるところではない。
「まあ、いいじゃない。さ、帰りましょう?」
セルティアの事情を詳しく騎士たちに語るつもりもないので、さっさと切り替えてしまう。
エルは何も追及することなく眉を寄せていただけだ。
(ほんと、さっさと帰りましょ)
あとは騎士隊に任せてさっさと身を隠してしまいたい。
そんな考えがもしかしたらエルに伝わってしまっていたのかもしれない。
「あと、もう一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「……魔女セルティアって、夢幻の魔女?」
何気なしに問われたその内容に、セルティアは一瞬にしてその動きを止めてしまった。
エルの言葉を聞いたハレイヤとちょうど指示を終えて戻ってきたジェークも同じようにその動きを止め、己の上司を凝視している。
魔女と聖騎士の周りにだけ沈黙が落ちる。
そして固まった三人とエルの間に、時間を解すような優しい風が吹き抜けるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――(2023年3月14日改稿)
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