第八話 怒りの矛先

 しん、としたこの廃屋の大部屋で一同は束の間の沈黙を保った。しかしそれも地響きのような唸り声が聞こえてきたことで破られる。


「な、なんだ……?」


 ハレイヤに拘束されている男は地を這うような音に体を震わせながら呟いた。

 その様子からも未だに自分の仕出かした結果がどういうものか気づいていないのではとエルは思った。

 魔女が告げたように、少し考えれば分かることのはずなのだ。


「そんなこと決まっているわ。さあ、行きましょう。欲が成した結果を見に――」


 セルティアはそう言うと、振り返ることなくその足を進め外へと向かう。他の騎士達は突然の出来事に戸惑っているのが見て取れる。仕方がないのエルが一声かけると訝しがりながら後に習った。


「……ところで隊長。あの子誰なんですか?」


 素早くエルの横に並んだジェークが周囲に聞こえないぐらいの声で問う。

 魔物の相手をしており後からやってきたジェークは子細を把握しきれていない。


「魔女だそうだよ」


 エルとて前を行くセルティアのことを詳しく知っているわけではないので、先ほど得た情報から簡潔に答える。

 数度ジェークは目を瞬かせていたが、開け放たれた外へと続く扉から地響きのような唸り声が聞こえると構わずすぐに駆け出す。 

 廃屋の外へと踏み出すと直ぐにその異変に気づく。

 すっかり暗くなってしまった世界に地響きと唸り声、そして大きな物体が赤黒く輝きながら近づいてくるのがわかってしまったからだ。


「これは……?!」


 驚きの声を漏らすハレイヤと何名かの騎士達。

 その光景にエルは顔を険しくして、セルティアの隣に立った。


「厄介なことってこのことか」

「そうよ。……結構多いわね」


 暗く視界が悪いが、周囲に目を向けると、はっきりと幾つもの魔物の姿が確認できる。


「子を殺された親は、怒りのために興奮し、我を忘れているわ」

「これが街まで流れれば大変な事になるな」


 大変どころではなく惨劇が起こるだろう。これだけの群勢が押しかければ魔物除けの術も破れかねない。被害は間違いなく拡大する。

 きっと誰もそう考え、そして息を呑んだ。


「それは心配いらないわ。念のために術を強化させておいたの。この程度なら簡単には破られないわ。……まあ、だから騎士様に協力してもらったわけなのだけど」


 なろほど、とエルは思う。

 王都の中でも一番狭いと言われる南地区。それでも南地区全域にかけられている術を強化させるとなると時間が少しばかり必要だったのだろう。

 魔女だけでは犯人探しと術の強化の双方をするほど時間を割くことができなかった為に騎士隊に動いてもらったという所だろうか。

 エルは一通り納得したところで、魔物を眺めて何度目かのため息をつく。

 随分と団体で、その数を数えるのは些か煩わしく感じる程である。


「……どうするか、だな」


 相手にしきれないし、数で言うならばこちらの方が明らかに分が悪い。

 街は大丈夫だとしても、付近にこんなに魔物を放置しておくわけにもいかない。街付近の魔物退治も騎士隊の仕事だが、数が多すぎる。

 今にも飛びかかってきそうな群勢に、そしてその原因である男が怯えている様子を見て思わず眉をひそめた。


「……ただ倒すだけなら問題ないわ」

「え?」


 ふいに隣から聞こえた囁き越えにエルは思わず聞き返す。

 あまりにも小さな声で合った為、他には聞こえていないようだ。


「でもそれだと解決にはならないわ。倒すだけでは意味がないの」


 多勢に無勢とはこのことだろうか、と思える状況の中である。しかしセルティアは意味ありげにエルを見上げて微笑むのだ。


「魔の力を抑えて、中和することが出来るのは聖の力を持つ者だけだわ。聖騎士様であるあなたなら、聖術を使って魔物を正常に戻すことも可能じゃないのかしら?」


 エルとしても、その考えが全くなかったかと言えば嘘になる。

 しかし改めて指摘されると、その方法しかないのではとすら思えるのだから不思議なものだ。

 今、魔物は興奮した状態で、明らかに正常とは言えないだろう。魔導石を使用した影響もあるのかもしれないが、異常なほどに魔物が持つ魔の力が増幅していることに、聖騎士であるエルも感じ取ることができた。

 ここに聖の力を加えれば魔の力は抑制され、正常に戻るかもしれない。


「と、いうわけで後はよろしくね。確か副隊長のお二人も聖騎士様でしょ? 三人も聖術が使えるんだったら、これぐらいの数、なんとかなるわよね」


 そう言って魔女はにっこりと満足げに笑うではないか。

 エルのみならず、成り行きを伺っていたハレイヤとジェークも思わず面食らった顔をしている。

 しかし魔女は気にする風もなく、それに、と指を突き出してさらに言い募る。


「仮にあれだけの魔物を倒してしまったら、もっと厄介なことが起こると思うわ。溢れ出す魔の力と血肉の匂いは遥か遠くまで届いて、嗅ぎ付けた魔物が更にやって来る。――それも、血に飢えて獲物を求めるような凶暴なのが大量にね。そうなるともっと厄介なことだと思わないかしら?」


 まるで脅しかけているようだとも思われる言いようだ。

 エルとしては感心するのだが、話を聞いていたローブを着た男は恐怖に怯えていた。ようやく自分が起こした結果に気づいたようだ。

 だから倒すのではなく、魔物をあるべき場所へ帰してとセルティアは訴えている。異常に興奮している魔物だが、平静さを取り戻せば自らの住処へ戻って行くだろうとも。魔物の悲しみは癒せないが、自我を取り戻せるはずだ。これらの魔物は本来、そういう生物なのだから、と。


(なんていうか……意外、だな)


 魔女であるセルティア本人が自覚しているかどうかは不明だが、魔物の為に必死に訴えているようにも見える様は魔術を扱う者らしくないように思える。

 魔術を扱う者と一括りにしてしまうと偏見になってしまうのだろうが、それでもエルはセルティアのような考え方が嫌いではないのだ。


「――そうだな。わかった」

「隊長?」


 少しだけ笑みを浮かべて頷くエルに、眉を寄せたハレイヤが声をかける。ジェークも不安を交えた表情を見せているので、苦笑せずにはいられない。

 聖騎士といっても、聖術を使用することは滅多にない。ハレイヤもジェークもこんな群生に使用したことはないのだろう。特にここ、南地区では騎士としての能力だけで十分やっていけるはずなのだから。

 確証がないことに戸惑う副隊長二人であるが、エルはそれを払拭するように笑った。


「ハレイヤ、ジェーク、やるぞ」


 その呼びかけに二人は二つ返事で頷く。

 いつだって、二人はエルが決めたことに従ってくれる。

 こんな時、絶対の信頼を置かれていることが嫌でもわかってしまうので、その思いの報いろうと心に思うのだ。

 しかしこれだけの魔物を包むだけの聖術を使うとなると少しばかり時間が掛かってしまう。その間、魔物が大人しくしているとは限らない。現にギラギラと目を光らせる魔物は次第に距離を縮めてきている。遠くに見えていた姿が今ではその大きさを正確に捉えることができるほどだ。

 慎重な性格の魔物なのか、未だ飛び掛ってはこないがそれも時間の問題であろう。


「少し時間が掛かりそうだ。……時間稼ぎぐらいはしてくれるんだろ? 魔女殿は」


 確認はするが、確信はある。

 口端を上げて問えば、薄っすらと頬を赤く染めながらぶつぶつとなにか独り言ちていた。

 あいにく、魔物の唸り声のせいで何を呟いているのかまでは聞こえなかったが。


「あ、あたりまえでしょ!」


 先ほど語っていたときよりも高い声でセルティアが答えると、直ぐにそっぽを向かれた。なんともわかりやすいその姿に、エルは思わず再び苦笑を浮かべる。

 残りの騎士に指示を飛ばし、しばらくの間は魔女へ任せることにする。

 そして聖騎士は一番後方まで下がる。途中ローブを着た男が目に入ったが、廃屋の扉前から一向に動こうとしない。カタカタと震えており、恐怖で体か動かないのだろう。


(あの様子なら暫くほっといても大丈夫そうだな)


 緊急事態だから、と締めくくりエルは男について特別気にしないことにした。

 それよりも今は魔物の方に集中すべきだろう。

 一番前方では騎士隊が立ち、剣を構えている。魔女であるセルティアは騎士の広報に立ち、腕を突き出しながら何事かを呟いている。

 最後方にいるエル達の場所からでは何を呟いているのか聞き取ることはできないのだが、一匹、二匹と魔物が飛び掛かってくのを払うようにセルティアの周りに風が立ち吹いている。

 騎士たちエルの指示通りはなるべく魔物を倒してしまわないように注意を払っているようだ。


(どれだけもつかな……)


 急ぐに越したことはない為、聖騎士三人は顔を見合わせて一か所へその力が集うように意識を向けるのであった。


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(2023年3月14日改稿)

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