第三話 謎の秘薬
南地区の街外れには森が広がっている。
この森は街と街道に隣接しており、自然の実りも豊肥で、何故か魔物が滅多に現れないことから比較的足を踏み入れる人は多い。
しかし森は意外と広く、深い。昼間は木漏れ日で明るくとも、太陽が沈めば雰囲気は変わり、暗く迷いやすくなる。そういった理由で街の人々の間では密かに、昼間は『木漏れ日の森』夜は『迷いの森』と呼ばれていた。
そんな森をセルティアは慣れた足取りで、迷うことなく奥へ進んでいく。何故かその頬は微かに紅潮していた。
「……なんでわたし、こんなにドキドキしてるのかしら?」
突然ぴたりと足を止めては、その胸に手を添える。
エルのもとを去ってから、少し急ぎ気味でここまで来たためだろうか。そうだ。きっとそうに違いない。
そんな風にセルティアは無理やり自分を納得させることにした。もちろん、それだけが理由ではないのは明白なのだが。
「はあ……無駄に美形っていうのも困りものよね……」
空を仰げば木漏れ日が優しく降り注ぐ。眩しいわけではないが、エルの姿を思い出しては目を細める。
「あの容姿は反則ものだわ……」
誰に聞かれているわけでもないので小さく声に出してみる。
(……とにかく)
風が吹くとふわりとセルティアの長い髪とスカートが揺れた。
「お手並み、拝見ってとこかしら」
そう呟いてセルティアは淡く微笑んだ。
◇◆◇
王都の南地区には広大な敷地を有した『南地区総合役所』と呼ばれるこれまた大きな建物が存在する。同じ敷地内には、この建物からさほど離れてない位置に騎士隊専用の建物とそれに隣接するように宿舎もある。
「あれ? 隊長いらしてたんですか?」
騎士が主だって使用する騎士署と呼ばれる建物内の一室――執務室にいるエルは突然開いた扉の方を見た。
「ああ、ハレイヤか」
腕に大量の書類を抱えてながらハレイヤは部屋へと身を滑り込ませていた。
それに続くようにもう一人、騎士隊の服に身を包み、胸元にはハレイヤと同じように副隊長の証であるバッチが輝いている男の姿もある。
「なんだ、ジェークも一緒か」
「なんだじゃないですよーー!」
つかさず叫ぶジェークの声が大きく、思わず眉根を寄せてしまうのは致し方ないだろう。
ジェークは無造作に散らばった深緑の髪と同色の瞳を持ち、ハレイヤより二つ上の二十六歳だ。しかし実際は実年齢よりも若く見える。何故か今は拗ねたような表情をしており、普段よりも更に幼く見えるのだから嘆息せずにはいられない。
(本当、どちらが年上か分かったものじゃないな)
ジェークと並ぶハレイヤと見比べてそう思わずにはいられないのだ。
ここ南地区の騎士隊長がエルならば、ハレイヤとジェークは副隊長という役職にあたる。
二階建ての騎士署の一番奥にある執務室に来る者は限られておりこの場にいる三人が主だ。
他の騎士は大抵が広間や訓練施設に居合わせているか、街の各所に設置されている詰所にいることが多い。
「酷いじゃないですか、隊長!」
「てっきり帰られたものだとばかり思っていたのですが」
ジェークとハレイヤの二人が続けざまに違うことを言い出すので、エルは少し眉を寄せた。
「そのつもりだったんだけど……で、何が酷いんだ?」
ハレイヤから紙の束を受け取ったエルは、前半を彼女に後半をジェークに対し顔を向けながら言う。
「隊長、僕だけ除け者ってどういうことですか?! ずるいですよ! 隊長とハレイヤだけ!!」
「……なんのことだ?」
ジェークの言い分を理解しきれず、エルは困惑したようにハレイヤを見た。彼女は呆れたようにため息をつき、説明を加える。
「あれですよ、隊長。この人、私と隊長だけで散歩に出かけたことに拗ねてるんです」
「……は?」
そんなことか、と思わずついて出たエルの呟きに、ジェークは駄々っ子のように言い募る。
「ずるいずるいずるい!!! なんで僕も誘ってくれなかったんですかぁぁぁ!!!」
「……うるさい」
エルとハレイヤは耳に手を当て、顔を顰めた。それでも部屋で喚くジェークにハレイヤはその頭を軽く叩いて黙らせる。
「煩いよ、ジェーク。そもそも、あんたいなかったでしょうが」
「だってえー!」
騒ぐのをやめたジェークは叩かれた頭に手をあてて、口先を尖らした。
「だってえーじゃない!! 気持ち悪いわよ、あんた」
「……ハレイヤ酷い」
二人がやいのやいのと言い争うのはよくあることなので、エルとしては特別関心を持つこともなく、騒ぎが落ち着くまで渡された紙の束に目を通すことにした。
暫く言い合っていた二人も共に飽きたのか、もしくはハレイヤが面倒と感じたかで、静かになる。
ごほん、と一つ咳払いをしたのはハレイヤの方だ。
「ところで隊長。また、魔物と出くわしたそうですね?」
話を切り替えたハレイヤの声にエル渋面で頷いた。一日の、しかも短時間で二度も街中で遭遇してしまったことに、げんなりとしてしまう。
「厄日ですね」
「全くだ……」
どこか疲れ切った様子のエルに同情したのか、ハレイヤもジェークも苦笑していた。
だが厄日であることに違いはないが、それだけでもないとエルは思う。
まず魔物と遭遇したのがエルだったから大事にならずに済んだという考え方もできる。これが近くに騎士もいない状態で、一般人が遭遇したと考えるともっと大変なことになっていただろう。
(それに)
ふと、脳裏には黒髪の少女の姿が思い浮かんだ。
少女とのやり取りを思い出せば、薄っすらと笑みが浮かぶ。
もちろんそんなエルの心の内を知らない副隊長の二人からすれば、突然の変化に首を傾げるのも頷けるであろう。
「まあ……おかげでちょっと変わったやつに会ったけど」
「変わったやつ、ですか?」
昼間の出来事を思い出しながら、手に持っていた小瓶を二人の前に見せた。小瓶の中には透明の液体に、きらきらと輝く粒子が入っている。
「これは?」
ジェークは小瓶を手にとり、それを眺める。その横からハレイヤも覗き込むが、二人ともこれが何かは分らないようだ。
「例の事件を解く鍵、かな」
二日ほど前から魔物が街中に現れるようになった一連の事件は、南地区に存在する騎士隊と及び南地区全ての住民にとって頭を抱える問題となっている。
この小瓶がその事件を解く鍵となるとは、どのような意味なのだろうか。
口にしたエル自身も正確に掴めていないのだから、目の前の二人が訝しがるのは仕方がない。
「ちなみに、これをどこで手に入れたんですか?」
「薬売りをしている街娘Aからだ」
「……誰ですか、それ」
胡乱げな表情をされてしまったが、これも想定内だ。
そもそも『街娘A』なんぞ怪しいネーミングに納得するはずがない。少なくとも騎士の中で納得する者はいないはずだ、と思う。
もしそれを本気で信じる者がいれば再度教育をする必要があるだろうな、とまで考えてしまうのだから、仮にも南地区にある六つの小隊を率いる副隊長の二人が簡単に信用するはずなどないのだ。
予想通りの反応をする二人を前に、エルは苦笑し話を続ける。
「で、さっきそれを医療部に調べてもらったんだ。確か……ジェークの友人とか」
エルが名前を思い出そうとして言いかけたところで、ジェークは思い当たったのか、何度か頷いた。
「ああ、ロイスのことじゃないですか? 僕とは幼馴染なんですよ」
「そうだ、ロイス」
改めて名前を耳にすることで合点がいくように思い出す。
この大きな役所には騎士隊に限らず多くの部署が存在していて、その内の医療部と呼ばれるところに所属しているのがロイスだ。
「そしてこれが報告書だ。ロイスは仕事が速いな」
ハレイヤが報告書を受け取る横で、ジェークは幼馴染が褒められたことに、嬉しそうに笑った。
ジェークの友人であるロイスの報告書には、小瓶に入っている透明の液体ときらきらと輝く粒子について書かれてあった。
「なになに……」
ハレイヤとジェークは報告書に目を通している。
なんでもこの小瓶の中身はとても貴重な液体らしい。一部の魔の力を無効果にし、異常な波長を正常化させるという代物だ。
使用用途は様々だが主に魔物除けに利用されることが多い。しかしなかなか一般人が手にできる金額でなく、一部の貴族や国が主だった所有者だ。市場に出回ることが少ない為、相場は不鮮明だが、予測された金額が一緒に記載されていた。
「うわー……たかっ!」
ジェークが思わず口にし、その数字を目で追う。
「しかもこれは、相当高価なものみたいですね」
報告書にはこの小瓶の液体がかなり純度が高いものだとされ、きらきらと輝く粒子は魔力の欠片だとある。
純度が高い液体ほど、当然のことながら効力は高い。
「ロイスによると……それ程純度を高くするには相当な魔力と高位な魔術が扱えなければ無理だと言っていた」
エルは興奮気味に語っていたロイスの姿を思い出した。彼自身もなかなかお目にかかることがない代物だったのだろう。
「そんな風には見えないんですけど、不思議ですね」
そう感想を述べるハレイヤは小瓶を眺めなている。
確かに、綺麗な液体だとはエルも思う。しかし中身を知らなければ価値のあるものだとは分からないだろう。
「まあ、とにかく。使ってみればわかることだろ?」
エルには確証はないのだが、予感めいたものがあった。
きっと何かが変わる、という予感が。
「信じるのですか? その……薬売りAとか言う人を」
「まあ、なんとなくな」
もちろんエルとて、如何にも怪しい奴を信じることに抵抗がないわけではない。だが、ロイスの報告から察するに、糸口が見つけられそうな気がするのも事実なのだ。
「隊長がよろしいのでしたら、構いませんが」
ハレイヤの横でジェークも頷く。この二人はエルに絶対の信頼を寄せているのだ。
だからどんなに怪しいことでも最終的にエルが決めたことなら全て従う所存でいることを、知っている。
たまにエル自身もなぜそこまで信じてもらえるのか不思議ではあるのだが、事実どのような形であれ結果的にはどうにかしてしまうし、どうにかするつもりでもあるので、ハレイヤとジャークの信頼には大いに助かっているのだ。
振り回しているのはエル自身だという自覚が多少あるため、少し困ったように笑いながらも頷き返した。
「けど、これってどうやって使うんですかね」
報告書には使用方法まで書かれていないことに気が付き、ジャークは疑問をそのまま投げかける。
本当に高い魔力と高度な魔術で錬成されたものだとすると、扱い方にも十分気をつける必要があるだろう。
魔の属性を持つ物は使い方次第では大きな災いを呼ぶこともあるのだ。
そんな二人の懸念は最もなのだが、エルとしてはもっと気楽なものと考えている。
「さあな。まあ、どうにかなるんじゃないか?」
「隊長……」
考えた所で仕方がない。どうにかするしかないのだから。
その時がくれば、なるようにしかならないのだと理解しているだけに、エルが考えることを半ば放棄していたのであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――(2023年3月13日改稿)
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