第五十九話 魔女の決断

 星誕祭まで残すところ五日となった。

 南地区の街並みも賑やかとなり、そこに住む人々の浮足立つ様子が微笑ましい。

 いつも通りの日常を過ごしていたセルティアは時折考え事をしながらも、ただ過ぎていく時間にため息をつく。


(そろそろ本気でどうにかしないと……)


 のんびり構えているとこのままでは星誕祭が始まってしまうのだ。

 セルティアの目下の悩みはどうやってセイラーンからの誘いを断るかであった。


(セイラーン様を納得させられるほどの口実……いえ、あの第一王子を、かしら)


 いつのまにか噴水のある広場に辿りつき、ぼんやりとそれを見上げる。時折舞い上がる雫がきらきらと輝き、青空に映えて綺麗だと思う。

 そんな他愛ない事を思いながらも、頭の中ではセイラーンと第一王子のことを考えずにはいられない。


(セイラーン様の話は本心だと思うけど……)


 第一王子であるアンロキアがなんの思惑もなく夢幻の魔女を招待するだろうか。セイラーンの言う通り大規模なパーティーで、自ら名を明かさない限りはセルティアの正体を知られることもなく、また大勢の中に紛れていればその存在自体を隠すことも可能であろう。

 それが分かっていても、ひっかかる部分があって、安易に返事をすることができない。


(何を考えているの、あの王子……)


 空を見上げたまま、浮かび上がるいくつかの考えと、太陽の眩しさから目を細める。しかし結局、答えなど出せぬまま強くなる日差しを避けるように頭を振ってため息をついた。


「ティア? なにしてるの?」


 聞きなれた声に驚き、セルティアは振り返る。まさか声をかけられるとは思っていなかったので、その姿を見て一瞬固まってしまう。


「……エル」

「うん?」


 とりあえずその名を呼んでみるが、あとに言葉が続かず、首を傾げられた。


「……えっと、久しぶり? よね?」


 なぜ疑問形なのかと、セルティア自身思わなくもないのだが、口に出てしまったものは仕方がない。実際のところ森で会って以来なので、五日ぶりで、久しいといえば久しいような、そうでないと言えばそうでない。

 街で時折エルの姿を見かけてはいたのだが、いつもハレイヤに連れられて忙しそうだったので、セルティアから声をかけることはなかった。


「久しぶり。何してるんだ?」


 笑いを堪えるように近づくエルに、セルティアは急に恥ずかしくなって目線を逸らす。


「えっと、何も、してないわ」


 本当に何かをしていたわけではなく、ただぼんやりと噴水を眺めていたに過ぎない。しかしただ眺めるだけにしては、長い時間ここにいたのかもしれない。


「考え事してたんだ?」

「……どうして」

「いや、もう十五分以上ここにいるから」


 その間、微動だにせず空を見上げていれば不審に思われても仕方がない。セルティアの中では五分も経っていないつもりだったのだが、現実は違ったようだ。

 考え事をするとどこかへ意識が飛んでしまう癖は健在だということが判明した瞬間である。


「……エル、いつから見ていたの……」


 十五分以上と言うならば、同じだけエルもその姿を確認していたということではないか。どうせ声をかけてくるならば、もっと早くかけて欲しかったと思わずにはいられない。


「いや、俺はそこの通りを往復していたんだ。そしたら通るたびにティアがいるから、いい加減気になる」


 最近エルが街の至るところを歩き回っていることは知っていたので、目の前の通りを往復していても不思議はない。よく見れば遠くの方でハレイヤが住民と話している姿もある。今日もエルは彼女に連れられて街中を行き来しているのだろう。星誕祭の準備は事務処理だけではないのだ。


「忙しいのね」

「まあ、仕方がない。で、何を考えていたんだ?」

「え? えーと……」


 まさかそこに話がくると思っていなかったので、セルティアは再び驚いてエルから目を逸らして言いよどんだ。

 それにエルは非難するわけでもなく、優しく微笑む。


「俺には話せないこと?」

「……いいえ。違うわ……」


 エルの問う声がずっと優しく穏やかなものだったので、セルティアは頭を振ってもう一度目を合わせた。声と同じく向けられる瞳もずっと優しい色をしていて、少しだけ胸が苦しくなる。だがそれには気づかぬふりをした。


「その、星誕祭のことを考えていたの」

「星誕祭?」

「そう。あ、最終日のパーティーよ。どうしたらいいのかと思って」

「……ああ、あれか」


 すっかり忘れていたようで、エルは今思い出したように呟いた。

 彼も招待されているはずなのだが、どうするのだろうと疑問に思う。


「エルはどうするの? えっと、招待……されているのよね?」


 彼が余りにも興味なさそうにしているので、自信なく問うことになる。エルはいい加減なように見えて、しかし実際はきちんと騎士の役割を果たそうともしているので、やはり断るのだろう。


「たぶん、行くよ」

「えっ?!」


 予想外の答えに思わず驚きの声が出てしまい、セルティアな慌てて口元を押さえた。


「ど、どうして……? 忙しいでしょ?」

「あー、試しにハレイヤに聞いてみたらあっさり了承されてしまって」

「ハレイヤさん、に……?」

「そう。四ツ星を授かっているなら当然ですね、って」


 エルとしてもそれは意外な答えではあったのだろう。微妙な顔つきから不本意であることが見てとれる。しかし考えてみればハレイヤならそう言っても不思議ではない。

 あくまでも、四ツ星の聖騎士として招待されたとしか伝えておらず、それは名誉あることだと、思われたようだ。


「それにジェークのお兄さんも招待されているらしい」

「ああ、あの人ね。そうね、彼なら……ありえると思うわ」


 エルからもたらされた情報は腑に落ちるものだ。

 顔を合わせることは滅多にないが、南地区の官僚であり、若手の中ではかなりのやり手である。

 夢幻の魔女を認知していることからも、精通している範囲は広いのだろう。

 正直なところ、セルティアからすると余り関わり合いになりたくない人物の一人だったりするのだ。


「そう……でもエルは行くのね……」


 項垂れるように息を吐き出して、セルティアは再び考え始める。やはり聖騎士と魔女では立場も状況も違うと思う。


「ティアは迷ってるんだ?」


 セルティアの様子から受け取れるのは迷いだ。それは決して嫌がっているようには見れない。エルに言い当てられて、黒く大きな瞳が微かに揺れる。


「姉上のこと、気にしてるんだな」

「そう、ね……気持ちはとても嬉しいもの」


 多少強引なところはあるが、彼女の気持ちは大切にしたいと思うのだ。少なくても悲しませたくはないとセルティアはいつも考えるのだが、夢幻という名がそれを容易にはしてくれない。

 そんな思いが表情として出ていたのだろう。エルの微笑みが優しさを増した気がした。


「本当に嫌なら無理しなくてもいいと思うけど……でも、俺は大丈夫だと思う」


 大丈夫だとエルは言うが、そもそも何がなのか定かでない。しかし何故か大丈夫な気がしてくるのだから不思議だ。


「怖いことは何も起こらない」

「怖いって……べつに、わたしは……」


 大丈夫だと、もう一度囁くように言われてセルティアは目を伏せる。

 そして同時に気づいてしまう。

 確かに怖れていたのだと。

 夢幻の名が知られることに、周囲の目に晒されることに、それによって優しい人を傷つけてしまうかもしれないことに、セルティアは無意識のうちに臆病になっていた。

 平気な振りをして、本当は平気でないことにうっすらと気づいていたが、それが弱さであるように思えて気がつかない振りをする。


(わたしは……怖い、のね)


 認めることすら怖いのかもしれない。でもエルの瞳も声もそれを受け入れてくれているように感じる。


「どうして……」

「なに?」


 どうして分かったのかと聞きたかったのだが、セルティアにはまだそれを問う勇気がなく、そのまま口を閉ざす。


「もし、ティアに怖いことが起こっても俺が守ってあげるよ」


 何を思ったのか、エルに突然そんなことを言われてしまうと、セルティアの頬は急激に熱を帯びて、隠しきれない色に染まっていく。


「な、わ、わたしは、そんな……守ってもらわなくても、平気、だわ……!」


 動揺を抑えきれず、慌てふためく姿に笑われてしまうが、今更どうしようもない。


「そんな、笑わなくてもいいじゃない……」

「ああ、ごめん。つい」


 悪びれなく謝られるとセルティアは毒気をなくし、一つ息を吐き出して冷静さを取り戻す。

 エルなら躊躇なく言いそうだと思い直して、笑顔で受け流すようにした。


「もう、いいわ。でも、ありがとう」


 守ってもらわなくても平気なはずだが、その言葉が思いの外嬉しかったのも事実。

 なぜならセルティアは夢幻になってから、一度もそんな言葉を言われたことがなかったから。


(守る、か……)


 舞い上がる気持ちを隠すように、心のうちでこっそりと呟く。

 しかしどこか嬉しそうな表情をしていることに、セルティアはまだ自分で気がついていない。

 ただ先程まで悩んでいたことが馬鹿らしくなるぐらいには、清々しい気持ちになっているのだった。


 


 


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