第五十八話 長旅の成果
「星誕祭の間、イグールは国境都市に滞在してもらえるかな?」
魔術連盟の一室、マーリンに呼び出されたイグールは、二、三の挨拶を交わした後、そう言い渡された。
「国境都市って……フィーテアか。なんでまた?」
疑問を露わにしてイグールは問う。
大国アリアレスにある五大都市のうちの一つである
「正確にはヴォルニール山付近、だな。あそこならイグールが適任だろうと思ってな」
「ああ、なるほど……いや、じゃなくて。なんでヴォルニール山なんだよ? また噴火でも起こるってか?」
思わず納得しかけて、全く納得できないことに気が付く。そんなイグールの様子にマーリンは立派な髭を触りながら笑った。
「いや、噴火の兆候はないから安心せい。ただな、少々
「なんだ、そんなことか。つーか、俺に頼むってことは別にぶっ潰してもいいってことだな?」
「そのへんは任せるとしよう」
ニヤリと笑うイグールに老人は一任する。紅蓮の魔導士に隠密行動が出来るとは端から考えていない。ただ星誕祭という大きな行事の中で、抑制、もしくは未然に防ぐか捉えるか、極端な話、それこそ潰してくれて構わないのだ。
星誕祭の間、都市内の警備は騎士隊が終始行っている。聖と魔の力が強くなるこの期間、魔術師は身を潜めていることの方が多い。
だが一方で都市外の仕事――今回のようなものは騎士よりも魔術師が優先的に任じられるのだ。
「まあ、
王都から
申し訳なさそうにマーリンは言うが、しかしイグールは首を横に振る。
「いいさ、別に。あんまし興味ないし。暴れられる方がマシだ」
「無理に暴れなくてもよいぞ」
一応マーリンは立場的に釘をさしておくが、イグールがそれをどこまで理解しているかは謎だ。
星誕祭は毎年ある行事だ。嫌いなわけではないが、特別心惹かれるものでもない。これはイグールの本心であり、どちらかと言えば、魔力が高まる時期なので、暴れたい気持ちがある。
また炎の魔法を得意とするイグールと火山地帯であるヴォルニール山は相性がいい。彼が唯一意思疎通することができる炎の精霊も好んであの辺りにいることが多い。
「なんだい、随分物騒な話をしているじゃないか?」
二人しかいないはずの部屋に突然別の声が響く。男性の声よりかは高く、しかし女性の声よりかは低く聞こえる声だ。
イグールは驚いたように振り返るが、マーリンは特に驚く素振りもせず、部屋の入り口へと目を向けた。
「ふむ。シャリークか……久しいな」
「そうだねえ。元気そうじゃないか、マーリン。それにイグールの坊や」
元々薄暗い部屋だが、近くまで寄ればその姿がはっきりとわかる。赤みを帯びた褐色の髪とイグールと変わらない高い身長の持ち主。
余裕の笑みを浮かべるシャリークの姿はもう十年以上変わっていないように思える。
「げ。
その二つ名を口にし、イグールは一歩後ずさる。彼女との間には良い記憶がないので、咄嗟に逃げ腰となってしまうのだ。
「どうした? イグールの坊や。いや、紅蓮の坊やと呼んだ方がいいかい?」
「いや、そもそも坊やってやめてくれ」
「それは無理な話だねえ。私からすればおまえは坊やで十分だよ」
そう笑い飛ばされてしまうと、イグールは苦虫を噛み潰したような表情をする。もう二十二歳となるのだ。坊やと呼ばれる年齢ではないのだが、どうあっても彼女に逆らうことは出来ない。
押し黙る年若い魔導士にシャリークは満足し、老人の方へと目を向ける。
「さて、マーリンよ。少し話をしようと思うが……どうやらヴォルニール山のことは知っていたみたいだね」
どこから話を聞いていたのだろうかと、イグールは疑問に思うが口には出さない。明仄の魔女は気配を絶つのが上手いのだ。彼女の口ぶりからしてほぼほぼ最初から聞いていたのだろう。
「紅蓮の坊や、気をつけなよ。あそこにいるのは救世の連中って噂だ」
「救世だって?」
「ああ、まあ本当かどうかはわからないけどね。救世は単独行動が多いと聞くから、違う可能性もある」
そう言って、シャリークは睨むようにマーリンを見た。
「おまえがどういうつもりで坊やに行けと言うのか、聞いてみたいものだけどね」
一瞬彼女の纏う雰囲気が険しくなく。なぜそうなるのかイグールには到底理解できないのだが、マーリンが穏やかに笑えばその気配も和らいでいた。
「まあ、いい。坊や、気を抜くんじゃないよ」
「え? ああ、わかった」
いまいち腑に落ちないが、追及できる雰囲気ではないのでイグールはとりあえず頷いておく。
「イグールよ、詳細はまた後で話そう」
マーリンがそう切り出せば、ここは素直にイグールも頷き、形だけ一礼すると部屋を出る。
流石のイグールもあの二人の間では何かあり、これから何か聞かれたくない話をするのだということが察せられたからだ。
「つーか、なんであの二人ってああなんだっけ……」
部屋を出てから小さく呟いてみる。記憶を遡ってみるが原因が思い当たらない。そもそもいつからああなのかイグールは知らない。気が付けばそうなっていた。
自分のことは棚に上げて、魔術連盟の長であるマーリンにああいう態度をとれる人間は数少ない。魔術師の中では彼女ぐらいなのではないかとさえ思える。
(そう言えば……)
長い廊下を歩きながら、ふと遠い昔に聞いたことのある噂話を思いだした。だがそれはあまりにも真実味に欠けており、真偽が分からないのだ。
(夫婦か
そんな噂だったと思うが、イグール自身もあまり聞いていなかった為、はっきりとは思い出せない。
眉間に皺を寄せて暫く唸ってみるが、途中で馬鹿らしくなりやめることにした。
「どっちにしろありえねー」
夫婦にしては歳の差があるような気がするし、
この件は考えても無駄だと思い直し、イグールは次の目的地について考えることにした。
◇◆◇
イグールが退出したあとの薄暗い部屋でシャリークは睨みつけるように目の前の老人を見る。久しぶりに見る姿はどこも変わったようにはみられない。相変わらず立派な髭を触りながら、穏やかな笑みを浮かべているだけだ。
「おまえは変わらないねえ」
「それはシャリークもだな」
思った感想を呟けば、そのまま返されシャリークは不満げに顔を歪める。この余裕を感じられる笑みが気に食わなのだが、それを口に出すのは大人げないというものだ。
「二年振りに返ってきた国はどうだ?」
「……相変わらずだと思ったよ。それはそうと、またどうでもいいことでセルティアを呼び出したんだって?」
それは二日前のことだ。二年振りに愛弟子に会いに行ったら不在で、連盟に呼び出されていたという。どうでもいいような内容で、だ。
「周りが煩いからなあ。仕方がないんじゃよ」
「仕方がない、ね。それをどうにかする気もないくせに」
吐き捨てるように言われた言葉に、マーリンは眉尻を下げ寂しげにする。それがまたシャリークにとっては気に食わないのだが、その論議をする気は今はないので堪えた。
「……例の件について報告するよ」
余計な会話をすると苛立ちが増すだけなので、要件のみを話すことに決める。声のトーンを落としたシャリークに老人は一つ頷いて先を促した。
「救世の連中は各々に行動をしているらしいが、私が掴んだのは三つだ」
世界各地を周りながらシャリークは密かに『救世派』の動向を探っている。これはシャリークが自由に旅をするために出された条件の一つだ。その為、定期的に魔術連盟に報告をする義務がある。
「一つは、魔剣を集めいる。これはこっちで明らかになっているだろ? 確認できているのは現在三つの封印が解かれているということだ」
「ふむ。三つか。では一つはこちら側にあるとして……少なくとも残り二つはあちらの手にあるということじゃな」
南地区で起こった事件で手に入った魔剣は現在魔術連盟で厳重に力の封印を施し、保管している。まだ目覚めて浅かったのか、完全に封印が解けていなかったからなのかは分からないが、魔剣を眠りの状態にすることが出来た。
だが完全に再び封印することは今の魔術師だけでは難しい。あくまでも一時しのぎにすぎないのは承知の上だ。
「残り三つの魔剣がまだ封印されたままなのか、それとも……これ以上は分からないね。で、二つ目だ。魔剣に続いて宝珠のありかを探しているらしい」
「……やはりか」
それは驚くべきことではない。魔剣と対となる存在が宝珠なのだ。魔剣を欲しがるほどならば、宝珠も欲するだろう。
「ただ、これは今のところ無事なようだよ。連中も宝珠を手に入れることは出来ないんじゃやないかな。とりあえずは、だけどね」
宝珠が影と共に眠っている場所は三カ所明らかになっているが、その場所を知るものはごく一部の人間だけだ。そして厳重な封印が幾重にも施されている。たとえ魔剣の力をもってしても、簡単に解かれることはないと踏んでいるが、それも予測の域を出ない。
「そして三つめだが……これは噂の域を出ない。確証があるわけじゃないが……どうやらナイトヴェルと接触がある、のかもしれない」
「闇の大国か……随分と物騒な話じゃな」
『ナイトヴェル』とは大国アリアレスから南西に位置する大国だ。通称、闇の大国と呼ばれ、悪い噂が絶えることがなく、この国とは険悪関係にある。隣接しているわけではなく、大国間にはいくつかの小国があり、直接関わることは皆無といえる。
「実際のところは分からないが、可能性がないわけじゃない。救世派を機会にされても迷惑な話となるだけだ。
下手に関与が周知されてしまうと大きな問題となるだろう。表立っては何もないが、国も裏ではだいぶやきもきしているに違いない。
「……以上だよ」
「一つ確認したいのじゃが……救世派は夢幻の力を欲しているのではないかな?」
「……どうだか。むしろ、欲しているのはこの国じゃないのかい?」
シャリークが剣呑とすれば、マーリンはそれ以上なにも言わずにいた。
報告するようなことはもうない。しかしどうしても彼女には確認しなければならないことがある。
「おまえは、どうするんだい?」
なにを、という主語は敢て言わない。痛いほど真っすぐに向けられる視線を受けて、マーリンはやはり穏やかな笑みを浮かべるのだ。
「すべきことを、するまでだ」
「……そう言うだろうと思ってたよ」
一瞬だけ、シャリークは顔を悲し気に歪める。だがすぐに踵を返し、扉へと向かう。もう、振り返ることはない。
「セルティアは受け入れると言うのに、シャリークは受け入れないのかね?」
扉に手をかける直前、背中に老人の声がかけられた。その声が諭すようなもので、しかし今どのような顔をしているのかシャリークは知らない。振り返る気も起らず、しかし小さく呟くのだ。
「……愚問だね」
その声が老人に届いたのかは分からない。
確認することもなく、静かに部屋を後にしたのだった。
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