第五十七話 愛しい弟子

 エルと話して心が穏やかになったと、セルティアは思う。もしかしたら睡眠不足のせいかもしれないが、上手く働かなかった思考が正常に動きだし、いつものように笑うことが出来ているとあとから気がついた。


「エル……今度、わたしの話を聞いてくれる?」


 もう少し夢幻の魔女という存在とセルティアという存在を知ってほしいと思ったのだ。

 全てを話すことは出来ないが、本当にもう少しだけ、今よりも少しだけ、知ってもらいたい。


「もちろん。でも、今じゃないんだ?」

「そう、ね。今度、ゆっくりとティータイムをとりながらしたいわ」


 優しく笑みを浮かべたままエルは快く頷く。それにセルティアは安堵するのだが、やはりではない。

 勢いで話すべきことではない。話せるのは過去のものだけだ。急いだところで、何も変わらない。けれども、溢れるこの気持ちをなかったことには出来ないので、一度気持ちを落ち着けたら話したいと思う。

 そんなセルティアの心情を察したのか、エルはゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ、当分はお預けだな。しばらくはゆっくりできそうにないから」

「星誕祭があるものね。仕方がないわ」


 同じように立ち上がったセルティアは心得たように頷く。星誕祭が始まるまで残すところ十日だ。もうそれほど時間もない。


「落ち着いたらまた来て。甘いものを用意しておくわ」

「楽しみにしているよ」


 エルの好物を作って、その時にゆっくりと話そう。

 そういう気持ちに再びなれた。

 嬉しそうに笑うエルを見ると、余計にその気持ちが強くなる。


「じゃあ、また」

「ええ。頑張ってね」


 このままのんびりしているわけにもいかないエルは踵を返し森を後にする。その後ろ姿を見えなくなるまで見送っていたセルティアだが、ふと思い出したかのように声をもらし、口を閉じる。


(結局エルはセイラーン様の招待を受けるのかしら?)


 正確には国からの招待ということになっているらしいが、ほぼセイラーンの個人的な思惑に近いだろう。

 実際騎士隊は星誕祭の間、本当に忙しいのだ。だが毎年最終日にあるパーティーに出席する騎士もいると聞くので必ずしも不可能というわけではない。

 南地区の場合、優秀な部下が多い。特に副隊長がいればどうにでもなりそうなもので、セイラーンの言葉からはそれを承知している節が見受けられた。

 エルならそれでもきっぱりと断ってしまいそうな気もしなくはないが、セイラーンには頭が上がらないように見えたので、難しいのかもしれない。


「わたしは……」


 行きたくない、というのが本音。セルティアも他の魔術師の例に漏れず、魔女としてそういうきらびやかな場所に自ら行く気にはなれない。だが、ひっかかるのはそれだけではない。どうしてもセイラーンの顔がちらついてしまう。

 どうやって断るべきなのか、悩みは尽きず、ため息も尽きない。


「いつまでそこにいるんだい、セルティア」

「……ええっ? 師匠?」


 突然かけられた声に驚き、振り返れば笑顔のシャリークがいた。全く気配を感じ取れなかったセルティアは狼狽する。


「い、いつからそこに……?」

「まだまだ甘いねえ。森の中だからって気を抜きすぎだよ」

「うう……」


 返す言葉もなく唸ると、ふいにシャリークの笑顔がニヤリと変わる。それに嫌な予感がして一歩後ずさるが、次の言葉でその足を止めることになる。


「いや、しかし、あのエルって子は本当に目の保養になるねえ。私の弟子は面食いだな」

「ちょっと、師匠! どういう意味ですか! なんか、違いますからね?」

「ん? そうかな? 見た目に惚れたわけじゃないのかい?」

「違います! 見た目がどうとかじゃなくて……っていうか惚れたとかでもないです!」


 危うくシャリークの言葉に乗せられてしまう所だったが、寸前で我に返ることができた。

 頬を赤らめながら必死に抗議するセルティアが可笑しくて、シャリークは声を上げて笑う。それがまたセルティアからすると面白くないので口先を尖らせてしまうのだ。


「もう。なんなんですか」

「いや、悪いね。安心しな。話は聞いてないよ。姿を見ただけだ」


 なかなか戻ってこないセルティアを訝しんでシャリークがここにきたのは、エルが立ち去るところで、実際のところ横顔しか見ていない。何を話していたのか気になるが、きっと悪いことではないと想像するのは容易い。なによりセルティアの表情かおがそれを物語っている。


「しかしおまえはすっきりした顔をしているよ。悩み事は解決したのかな?」


 頬を触らてて、セルティアは押し黙る。全部ではないが、確かに心は軽くなった。それはきっとエルのおかげだ。


「師匠の言ってたこと、少しだけわかりました。でも、全部じゃないんでまだ考えます。きっと、大事なことだから」

「そうだね。それでいい。焦らず、ゆっくりと考えるんだ。私たちは考える為に生きている。生きていくということは、考えるということだよ。おまえは生きることを選んだのだから、この先もずっと考えなさい」


 シャリークの言葉は時折ひどく難しく感じるのだが、それでもセルティアがそれを聞き漏らすことは一度もない。どれも大事なことだと、知っているからだ。


「私は少し街を散歩してくるよ。ああ、せっかくだからゼルタにも会ってこようかな。久しぶりだからね」


 この街の元騎士隊長であるゼルタとは旧知の仲らしく、シャリークは戻ってくると必ず会うことにしているのだ。セルティアは二人がどういう仲かまでは知らないが、信頼関係にあることだけは雰囲気で察していた。


「そうだ、夕食はおまえが作ってくれるかい?」


 今から散歩に出かけたら夕食は作れないだろう。朝昼はシャリークが用意してくれたので、夜はセルティアの番だ。


「わかりました。師匠が好きなもの作っておきます。」

「覚えていてくれたのかい?」

「もちろん。アスの実のシチューですよね」

「流石、わたしの愛弟子セルティアだ」


 それはセルティアにとって一番の褒め言葉だ。だから余計に嬉しくなって、笑顔でシャリークを見送るのであった。


◇◆◇


「やあ、ゼルタ」


 今からお気に入りの喫茶店に入ろうとしていたところで、懐かしい声が聞こえてゼルタは振り返った。

 そこにいたのは記憶と違わない姿の魔女――シャリークが片手を上げて笑っている。


「やあ、シャリーク。久しぶりだな」


 内心驚いてはいたのだが、ゼルタはそれを表すことなく呑気に手を振り返した。


「驚かないのかい? 相変わらずだね、おまえは」

「いやいや。これでも驚いている方だよ? だがシャリークだからね。耐性はあるというものだ」


 滅多に会うことはないが、こうやって会うときはいつも突然なのだ。長い付き合いである。慣れと言うものがゼルタにだってあった。


「コーヒーでもどうかな? 旅の話を聞かせてくれると嬉しいなあ」

「ではそうしよう。少し面白い話を仕入れてきたところだ」


 もともとそのつもりだったのか、渋る様子もなく二人で喫茶店に入る。席はゼルタがいつも座る場所だ。

 いつも通りコーヒーを二つ頼む。シャリークは弟子と違いミルクを入れることなくブラックのまま口にしていた。


「楽しい話しかな?」


 おもむろにゼルタが訊ねれば、目の前の席に座る魔女はニヤリと笑う。


「人によってはな」

「そういう場合、大抵面倒な話じゃないかな?」

「そうかもしれない。だが、聞くのと聞かないのとでは、、聞くことをお勧めするよ」


 意味深な言い方をされては聞かないわけにもいかず、ゼルタは苦笑する。


「全く、弟子の方は可愛げがあるのになあ……シャリークだとそうも言ってられない」

「おまえは失礼な奴だね。まあ、いいさ。セルティアが可愛いことに違いはない」


 セルティアとシャリークでは生きた年数も超えた修羅場の数も違うのだ。師弟で差があるのも当然である。そしてシャリークは弟子を溺愛しており、可愛さを否定するつもりは毛頭ない。


「ふふ。より先に聞かせてあげるんだ、感謝しておくれ」


 シャリークが言うが誰を指すのか瞬時に理解したゼルタは再び苦笑する。


(相変わらずだな……)


 何年経っても変わらない彼女と、その周りの関係にやきもきすることもあるが、穏やかになる方が大きい。しかしこの件に関して口出しすると良い事はないので、そこは黙っておく。


「と、いうことは例の件なんだな」

「ああ。少し、考える必要があるよ」


 ふいに笑みを消し、真面目な顔をするシャリークにゼルタもつられる。コーヒーを飲むことで少しの沈黙を耐えた。


「……あの子を巻き込みたくはないが……そうもいかないだろう」


 今やシャリークが最も気にかけているのは愛弟子のことだ。それを知っているだけに、ゼルタも気にかけずにはいられない。


「ティアちゃんが出てこなければならないほどに事態は深刻だ、ということかな?」

「ああ。きっとはそれを選ぶんだよ」


 セルティアが、というよりかは夢幻が関わる道を選ぶことを口にしなくてもわかる。それがシャリークにとっては腹立たしいのだ。

 そうなる理由も想像できるだけに、悔しい思いも同時に沸き起こるのだが、そこまで吐き出すことはない。


「まあ、のせいというわけでもない。仕方がないことだ、だろ?」

「分かってないね、ゼルタ。それが気に食わないんだよ」


 仕方がないと言ってしまうことが、そしてそれを分かってしまう自分自身にも彼女は気に食わないのだ。


「いいや、分かっているよ。シャリークとのことならね」


 だからゼルタは穏やかにそう言って、遠くを見るように窓の外を眺めた。

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