第五十三話 明かされた事実
太陽が傾き始めた頃、乙女の宮にある塔の最上階の部屋の窓から差し込む光も赤みを帯びてきた。それでも季節がら空は十分に明るく、夕暮れというには少しばかり早い。
この部屋の主である大国の第一王女セイラーン・モルラ・アリアレスは窓からそよぐ風を受けながら柔らかく微笑んだ。
『癒しの乙女』という呼び名もある彼女は女神の生まれ変わりかと囁かれるほどの美しさを備え、微笑みを目の当たりにすれば見惚れぬ者はいないだろう。
一部の者を除いては。
「元気そうでなによりだわ。全く会いに来てくれないから、
整った眉尻を下げ、エメラルドグリーンの瞳に憂いを帯びさせて、セイラーンは目の前の顔を覗きこむ。
彼女に負けず劣らずの美しさを残した美男子――エルは気まずそうに目をそらした。
「……申し訳ありません。その、なにかと忙しくて……」
歯切れ悪く言い訳をするエルはなるべくセイラーンと目を合わせないように努めるのだが、彼女の白く細い指が頬を這い、それを許してはくれなかった。
「……今回はそういうことにしておきましょう」
ため息混じりに呟くと、セイラーンは一歩下がり、今度は己の頬に手を当てて美しく微笑む。
「でも、次はありませんわよ。もう少し……そうですね、せめて手紙ぐらいは書いていただけるわね?」
「 わかりました」
エルは頬をひきつらせながらも彼女の言葉になんとか頷いた。
その様子に満足したのか、セイラーンは優しく笑みを浮かべ、自らの手でカップに紅茶を注ぎ一つをエルに差し出す。
事情があって人払いをしているこの部屋に、客人をもてなす者はセイラーン以外いない。一国の王女でありながら紅茶を淹れるその手つきは慣れたものだ。
「それはそうと、この前はフローラさんのことありがとう。流石、
うっとりとした表情でセイラーンが褒めると、カップを受けとったエルはそのままの状態でぎこちなく頷く。
誰にも言ってはいないが、先の一件でエルにフローラのことを頼むと手紙を送ったのは、今彼の目の前にいるこの国の第一王女だった。
周囲の者に王女から手紙を受け取ったとは口が裂けても言えるはずがなく、エルが気がついた頃には裏から全て根回しされており、名目上騎士団からの指令ということになっていた。
そんなことが出来る者も限られており、セイラーンであれば可能であることをエルは知っている。
「ただ、聞いたところによると……少々面白いことになったのでしょ?」
「面白いこと……? 特には……」
「まあ、貴方は気にもしていないのでしょうけど。見る人が見れば面白いことなのよ」
「はあ、そういうものですか……?」
セイラーンが何を指しているのか察しきれないエルは首を傾げるしかない。ただ彼女の意味深な微笑みが不安を過らせる。
不安を薄める為にカップの中身を口に含むと、エルは違和感を覚えた。
(あれ、これ……?)
違和感を口にはせず、セイラーンを見やれば小首を傾げられる。微笑んだままの表情からは相変わらず何を考えているのか分からない。
「あら、お客様がいらしたみたいだわ」
そう言ってセイラーンは部屋の入り口、扉の方へ目を向ける。釣られてエルも訝しげにそちらを見ると、ゆっくりと扉は開かれた。
エルがセイラーンと会っている間はいつも人払いをし、誰もこの部屋に通すことはない。
だから今、人が現れることに内申驚いているのだが、扉からこっそり現した姿を見た瞬間、その驚きを隠すことは出来なかった。
「セイラーン様、失礼しま――って、え、エル……?」
一方で扉から部屋を覗きこむように姿を現したローブを着た魔女――セルティアも目を大きく見開いて固まる。
(ど、どういうこと? なんでセイラーン様とエルが一緒にいるの?)
困惑を隠しきれない様子で、セルティアは部屋の中にいる二人の美しい顔を何度も見比べた。
「セルティア、久しぶりね! そんなところにいないで、こちらにいらして」
とりあえず扉を閉めて、セイラーンに呼ばれるがままに二人に近寄ったセルティアは改めてエルを見る。
この国の王女と同じような美しい金糸の髪に、王女のものよりかは深く濃い碧の瞳、そして王女と並んでも見劣りすることのない容貌。
(むしろ……似ている……?)
見比べるとよくわかるその容貌にセイラーンの面影を見た気がしてセルティア違和感を覚えて眉をひそめる。
「ふふふ。驚いた? でもね、
「おとっ……うと?!」
セルティアは思わず叫びそうになって、なんとか言葉を飲み込むが、それでも驚かずにはいられない。
第一王女に弟がいるなど聞いたこともなければ、エルがその弟だといきなり言われても、普通ならば信じることなど出来はしない。
「信じられません? まあ、公にはされていないから……
「それは、つまり……」
「エルはお父様……つまり現国王の愛妾の子、ですわ」
穏やかに微笑まれて言われる内容ではないはずなのに、セイラーンは重大な真実を世間話のように簡単に明らかにしてしまう。
国王に妃は一人しかいない。かつての国王には側室も多くいたそうだが、現国王も先代も妃は一人のはずだ。少なくても公式にはそうなっている。愛妾の話など聞いたこともないが、エルがそうだというならば国を波乱に導きかねない話である。
「エルのお母様は、
(確かに……似ている……)
何より二人が並ぶ姿を見れば姉と弟なのだと納得せざるを得ない。それほどまでに似ているというよりかは、その美貌が両者とも常軌を逸しているのだ。
(まさか、本当に王子様だったなんて……)
なんと言葉にすればいいか分からず、考えれば考えるほど頭が痛み、額に手を当てて項垂れる。
「どうかしました? セルティア?」
額を押さえるセルティアを見てセイラーンは不思議そうに見つめる。きっと自分の発言が招いた事態を理解しきれていないのだろう。
(どうかしましたも、なにも……)
思わず愚痴りそうになった言葉は飲み下し、エルを見ると同情するような眼差しを送られていたので、セルティアは一つだけため息をつくことにした。
「そもそも、ですね。そんな話、わたしが聞いてしまっていいのですか?」
聞いてしまってから言うのもなんだが、言わずにはいられないというものだ。下手をすれば大問題どころの話ではない。
「あら、なにか問題でもあって?
うふふ、と笑みを零す王女にセルティアは絶句する。信用されていると思えばいいかもしれないが、そうも言ってられないだろう。だが聞いてしまった事実を変えることは出来ないので、このことは生涯の秘密にしようと心に誓うしかない。
思わぬ秘密が一つ加わったことに、自然とため息が出てしまう。
(まあ、これであいつらが目くじらを立てていた理由の検討がついたわ)
恐らく魔術連盟に所属する極一部の人間がこの真実に近しい内容を知っていたのだろう。どこまで知りえているのかは不明だが、少なくともエルが関わることを危惧する程には心得ているということだ。
エルが持つ血筋が夢幻に影響を及ぼすかもしれないと危惧するのは、セルティアからするとくだらないと思えることだ。しかし他者からするとそうもいかないらしい。
ただ、お伽話に出てくる王子様のような容姿の騎士様は、本当に王子様であった。それだけが、なぜかセルティアの心に陰りをもたらすのだ。
「……ところで、姉上。俺としては姉上がティアと知り合いだということに驚いているのですが?」
思わぬ事実を知り困惑しているセルティアに対し、エルも違う意味で驚いていることに変わりはない。エルの出生とは別にして、セイラーンは一国の王女。仮に夢幻の魔女という存在を知っていたとしても、決してこうやって個人的に会うような間柄であってはならないはずだ。
「……ティア。そう、貴方はティアと呼ぶのね……」
「はい?」
「いえ、なんでもありませんわ。エルが存じないのも仕方がないことでしょうけど、
「お、お友達、ですか?」
思いもよらぬ答えに今度はエルがたじろぐ。同時にそんなことがあってもいいのだろうかと、疑問も過るのだ。
「あら、
「どうなのでしょう……個人的には問題ありませんけど……」
エル個人的には驚きこそすれ問題はなにもない。しかし一国の王女という立場としてはそうとも言い切れない。
セルティアの方に目を向けると、彼女もエルを見ていたのか目が合ってしまうのだが、それはすぐに逸らされてしまった。
それにエルは内心ため息をつく。
(まだ気にしているんだ……)
セルティアの心情が分からなくもないが、今日一日ずっとこうでは流石に面白くなというものだ。エルとしてはいい加減その態度を止めてほしい思うのだが、彼女がその思いを知ることはない。
「……セイラーン様、何度も申し上げますけど、そう公言するのはやめて下さいね。わたし達の友好関係が知られるのは問題ですから」
「そう?
「国が気にしますよ」
セイラーン自身がどれほど気にしていなくとも、国――しいてはそれに連なる王族や貴族、その他の何かしらの力を持つ者からすると王女と夢幻の魔女が親しい間柄であれば、それは由々しき事態なのだ。彼女もその辺はわきまえているのか、無理強いすることもなければ、それ以上の我が儘を言うこともない。
とりあえず落ち着きを取り戻したセルティアは改めてセイラーンと向き合う。
どうあれ、結果的にこの国の王女の言葉にセルティアは何度も救われている。彼女もまた夢幻の魔女をセルティア個人として見てくれる数少ない人物だ。
「……セイラーン様、ありがとうございます」
だから、感謝の気持ちだけは素直に伝えておきたいと心から思うのだった。
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